8 ドラゴンとお姉ちゃん②
「久しぶりね、ステラ。元気だった? ちゃんと食べてる?」
「まあ、ぼちぼちね」
「日焼けした? 背が伸びた? やせた? あ、でも筋肉はついた? お尻は大きくなった? 目の色は変わった? 髪は切った?」
お姉ちゃんは私の前に寄って来るなり、口も手も自重しません。
ぺたぺたと無造作に、髪から耳から、上から下へと順々に触って、山暮らしでの成長を確かめてきました。
「やっぱり三年も経つと、見違えるわね。こんなにたくましくなっちゃって」
お姉ちゃんはしみじみと、なんとも複雑そうな顔です。下がった眉は寂しそうでもあり、上がった口元は嬉しそうでもあり。
「変わったんじゃなくて戻っただけだよ。もともと私、ここで産まれたんだし」
「産まれた土で育つ花がいちばん美しいって、ママもよく言っているものね。とにかく健康そうで、何よりだわ」
でもそんな顔で、流れるような動作でおっぱいまで撫でるのは遠慮していただきたい。
いえ、言い換えれば、お姉ちゃんだからこそ、さらっと私のガードを突破して出来る芸当なのかもしれません。手を払うのが間に合いませんでしたよ。
「お姉ちゃんは、変わってないね」
「そう? ふふふ、そう見える?」
背はまだ追いつけませんし、目元の優しそうなところとか、もちろん細かい点を挙げていけば、よりお姉ちゃんは大人っぽくなったと思います。つややかになったとでも言うのでしょうか。
でもそれ以上にこの人は、昔から「完成されている感」がすごいんですよね。立ち居ふるまい、その他、うまく言えないんですけど、きっとお婆さんになってもこの雰囲気は変わらないだろうなって。
さてここで、私のななめ後ろに男の子が一人。視界に入ってすらいないのに、そわそわしているのが空気で分かるなんて、このうっとうしさは逆に才能として褒めるべきなんでしょうか?
そしてどうやらお姉ちゃんも、彼に気付いたようですね。
「おい、ステラ。この美しい女性はどちら様なのだ?」
「ねえ、ステラ。この賢そうな男の子はどなた?」
「こんな美人と知り合いなんて、聞いてないぞ。俺に、ぜひ紹介してくれ!」
「ちゃっかり、すみに置けないわね。私にも紹介してくれると嬉しいな」
「同時にしゃべらないでください。私はパンの具じゃないんだから」
「パンの具?」「パンの具?」
「はさむなってことですよ。たとえが難しくて、わるうござんしたね」
わざわざ私が間に立つことではないと思うのですが、何を置いてもこのままでは話が進みません。とりあえず私はお姉ちゃんに顔を向けながら、手振りで男の子を示します。
「お姉ちゃん、こっちはね……」
そこで私は口を半開きにして、ちょっと固まりました。
「そういえば、あなた、名前は何でしたっけ?」
ずるっと膝が落ちる男の子。
「言っただろ。さっき、俺が黒い竜を追う理由を話したときに!!」
そうでしたっけ? 忘れました。
要約したときに抜け落ちたんですね。
「ごめんなさい。私、長くなりそうな話を聞き流すのが得意なんです」
「いばるな」
「ステラは昔から、他人を憶えるのが苦手だったものね」
「でもお姉ちゃん。村の人の名前は、最近ようやく憶えたよ」
「三年もかかったのね」
すると彼は、仕切り直しとばかりに胸を張りました。
「いいか。俺はグラジオラス。グラジオラス=フェブラーリだ!!」
それを聞いたって私には何の感慨もありませんが、お姉ちゃんは小首をかしげていました。
「あら、フェブラーリって、ひょっとしてフェブロニア王国の?」
「そうです。そうですとも!!」
「そういえば、王子だとか言ってましたっけ? お姉ちゃんはそれ信じるの?」
「さっき村長さんにご挨拶したんだけど、立派な剣と弓が置いてあったから。本物だと思うわよ」
彼の王子様発言と、捕まえたはずなのにすぐ出てきていることと、丸腰である理由とが、ぜんぶ繋がりました。保釈金の代わりにしたんですね。
「へー、本当に王子様なんですか」
「信じてなかったのかよ」
「グラ……グラ、ズジ? ジオ……フェロ……ジオくん、でいいですよね?」
「勝手にしろ」
「ってなわけで、お姉ちゃん。彼は、ジオくん」
「うん。ぜんぶ聞いてたわ」
自分でも間抜けなことをしているとは思いますが、ここは仲介役をしっかり務めてあげましょう。手のひらが示す先を、お姉ちゃんに移します。
「それでジオくん。こちらは私の姉、ローサです」
「ローサさん……やはり名前までお美しい」
「うふふ、よろしくね」
お姉ちゃんから差し出された手を握り返すジオくん……耳まで赤くして、これは、完全に舞い上がってますね。かわいそうに。罪な女です。
「よろしくお願いします。お姉さん……お姉さん?」
ほうっと浮ついているジオくんでしたが、ようやく、聞き捨てならない部分を思い出したようですね。がっつり私とお姉ちゃんとを見比べています。
「そうよ。姉妹だから、そっくりでしょ?」
「そうですよ。姉妹って言っても、似てないですけどね」
お姉ちゃんが嬉しそうに答えるのと、いつまでも手を離そうとしないジオくんを引っぺがしながら私がフォローするのとは、ほぼ同時でした。
「……似てるわよね?」
「……似てないですよね?」
またも同時。
こら、ジオくん。うわ面倒くさい女の質問きたな、どっち答えても変な感じになるじゃん――という顔は、やめなさい。
言いたいことは分かります。
お姉ちゃんはキラキラつやつやの金髪に、宝石みたいな青い瞳です。肌は色白で、花を愛でる立ち姿は彫刻かと思うほど。
だけど私は夜空みたいな暗い髪で、瞳は葉っぱのような緑色です。肌も白くはないですよね。手斧を振り回す姿は小さな巨人と評判です。
まあ、目とか唇のかたちなんかは、似ていると言えなくもないですけど。
でもね、ジオくん。答えに困ってるという時点で、ステラの意見に乗っかりたいけどローサさんを気遣って出来ないぞ、と言ってるのも同然なんですよ。
「あー、そうだ、そうだ!!」
ジオくんの目が、あらぬ方向を見やりました。
これは、ごまかす気満々ですね。
「お前の竜が山をおりていったけど、止めなくてよかったのか?」
「……えーっ!! 言ってくださいよ、それは!!」
気付いたら、たしかにソラ様の姿がありません。どうりで、さっきまで散歩をおねだりしてたはずなのに、静かなわけですよ。
「どこ、どこ、どこ行きました?」
本当に、ソラ様の忍び足は超一流なんですから。
試しに高台から村を見下ろしてみれば……いました。
畑の真ん中に、ソラ様。
葉っぱをもりもり、引っこ抜いては、土をふみふみ。
「うわーっ、ソラ様、なにやってんですか。うわーっ!!」
叫びながら私は、最低限の装備――手斧と金槌、ロープとケープが揃っていることを手で触って確かめつつ、山の斜面を駆け下ります。
「ステラ、待ってぇ~」
ところが上から、今にも息切れしそうな声が追いすがってくるではありませんか。
「お姉ちゃんは、そこにいて!」
「いやよ。ステラがどんなお仕事してるか、ちゃんと見たいもの」
お粗末なところを見られたくないんですけど、やっぱりお姉ちゃんは、いざというときには自分の意思を曲げません。昔からそうです。
私が先に行ってしまおうかと思っても、かまわずにお姉ちゃんも走ってくるのです。ひらっひらのスカートと、くるぶしまでむき出しの靴で!?
「転んだら大惨事じゃない。あー、もう!!」
私はのぼり直し、現につまづいて身体が宙に浮いたお姉ちゃんを、間一髪で抱き留めました。
「しっかり掴まっててよ」
お姉ちゃんを抱っこして、また村を目指してすべり下ります。
両手がふさがるので、いつもはなんてこともない草や木の枝が、ちくちくと頬を刺して痛いです。
「ねえステラ? 手紙のことなんだけど」
「いま、それ、言う!?」
「どうしても、結婚式には来られないの?」
「…………」
私も、さっきのジオくんを責められませんね。
夏の前には届いていた、お姉ちゃんの結婚式の日取りを報せる手紙。
それへの返事を後回しにしていたということは、欠席だと内心では決まっていながら、お姉ちゃんの悲しむ顔が目に浮かぶから出来なかった、ということなのですから。
「この三年、年越しにだって顔を出してくれなかったじゃない。竜の巫女って、そんなに忙しい仕事なの?」
「忙しいっていうか、目を離せないっていうか」
「ドラゴン様だって大人でしょ? たった何日か、お留守番くらいできないの?」
いい大人を通り越してしまっているから、大変なんです。