7 ドラゴンとお姉ちゃん①
私のベッドでお昼過ぎまでぐーすか寝てらっしゃった男の子は、起きてちょっとだけ身の上話をしてくれました。
「へー、あなた王子様だったんですか」
「なんか反応が薄いな」
「まあ、私だって竜の巫女ですからね。世が世なら女王様みたいな立場だったはずですし、おあいこですよ」
「そうか……そうか?」
「いいじゃないですか。続けてください」
そして、どうやら半年くらい前に黒い竜が現れて、彼のご両親の命を奪ったそうです。
「兄は一命を取り留めたが、あの右手ではペンを持つのも馬に乗るのも難しい」
「それで、そのときの竜が、アウラ=ソラリスって名乗ったんですね?」
「ああ。決して忘れない。聞き間違えるわけもない」
「なりすまし、ですかね。竜の社会でもそういうのがあるんでしょうか」
竜の社会なんていうのがあるのかどうかも知りませんけど。私でもソラ様以外の竜って、実際には見たことないですし。
……そういえば、ソラ様に竜の友達とか家族っているのかしら。ご兄弟とか。子どもとか。
ちびソラ様?
ソラベビー?
手乗りサイズ。
抱き枕サイズ。
うん、絶対かわいい。
「どうかな。たしかに俺は《黄金を抱いて眠る黒竜》を追ってきたが、世の中で黒い竜は、そいつだけじゃないだろう」
あらぬ妄想にふけっていると、男の子のイラついた声で現実に引き戻されました。
「つまり、ここの竜こそが仇だって可能性もある」
やっぱりそこに気付いちゃいましたか。
どうしたものかと悩んでいると、外からぐるぐる声が聞こえてきます。
「ステラー、ごはんー」
「はーいソラ様、いま行きまーす」
私はいそいそと戸へ向かい、開ける前にちょっと立ち止まって、男の子に手招きをしました。
せっかくの若い男手なので、重たい水や小麦粉を運ぶのを手伝ってもらいましょう。
ついでにいつも私ひとりじゃ大変な、大樽での小麦まぜまぜ作業を、無理にでも手伝わせます。
「お、お前、毎日、こんなこと、やってるのか? 尋常じゃ、ない……」
ですが、全然ダメですね。
たった三回くらいまわして、もう息切れしてます。
「俺だって、衛兵隊で、鍛えてたのに……お、重い……」
「うーん。あれは気のせいだったんですかね?」
「?」
「ほら昨日、急に飛び出そうとして、私を押し返すくらい強かったじゃないですか」
私は彼から長棒を取り戻すと、素早く、大量の小麦粉とバターをぐるんぐるん掻き混ぜていきます。
「何の話だ。俺が? お前を? 無理だろ。お前、怪力女、本当に人間か?」
「失礼な。おばあちゃんだってこのくらいやってましたよ」
「どう見ても一人でやる仕事じゃないだろ」
そういえば、私がいないときは、おばあちゃんでも村の人の手を借りてましたっけ。
でも、隣で彼が肩を落としている自信喪失っぷりは、さすがにちょっと可哀想な事実を突き付けてしまったかもって気にはなりますね。
こうなると昨日の、あのパワーはどこから出てたんでしょうか。目が赤黒く光っていたのも謎ですし。
まあ、本人が憶えていない以上、今この場で解決しそうにない問題は放っておくに限ります。
「はーい、ソラ様。ごはんですよー」
「いただきまーす」
ソラ様が食べている間、私と彼の取りわけ分も焼き上がり。
「種無しパンと薬草茶だけか。まったく質素なものだな」
「モリモリ食べながら、どの口が言いますか」
ちなみに種無しパンとは、膨らませるもとが入っていない、焼いてもぺちゃんこなパンのことを指します。
「いや、地味だけど旨い、と言いたいのだ。父も質素倹約を重んじていた。食べさせてくれることには感謝している」
「どういたしまして。それより、早いうちに訊いてはっきりさせておきたいんですけど、あなた、襲って来た黒い竜の特徴ってちゃんと憶えてます?」
「当然だ。この目に焼き付いている。……にしてもこのパン、固いな」
「へー、どういたしまして」
ごくり、と飲み込んで男の子は、ソラ様を仰ぎ見ました。
ちょうどソラ様も首を伸ばして、口の中のものを飲み下していますね。
「で、ソラ様と比べてみてどうです?」
「そうだな……この竜には五本も角が生えているが、あいつにはそれが無かったような気がする。でも、あのときは暗かったからな」
「他には?」
「この竜の目は赤いな。でもあいつは、目が黒いというか、どこに目が付いているのか分からない印象だった」
「カラスみたいに?」
「そうだ。それで……」
男の子は両手を前に広げ、それを上下左右に動かしました。
「あいつは、あんなに大きくなかった。それにもっと細身だった」
「…………」
「あとは、あれだ。あいつは胸と腹だけ金銀だった。だから俺は《黄金を抱いて眠る黒竜》を探していたんだ」
私から無言の圧力を感じたのでしょう。
この子、ちょっと声がうわずりましたね。
「じゃあソラ様、ソラ様、はい、ばんざーい」
私が横に立って両腕を掲げてみせると、ソラ様もそれにならいました。腰を下ろしたまま尻尾を地面に寝かせて、上半身はぐいっと背伸び。
すると、はい、知ってましたよ。ソラ様はお腹まで黒いですもんね。
「…………」
「…………」
「全然違うじゃないか!?」
「それはこっちの台詞ですよ!!」
「別竜じゃないか!?」
「別竜ですよね!?」
「何故だ。何故、昨日までは何も違和感が無かったのに……」
男の子は驚愕の事実に頭を抱えますが、それをよそにソラ様は食事を再開しています。
「……よし、決めたぞ」
よろよろと立ち直って男の子は、ハーブ茶を飲み干して、私に振り向きました。
「おい、女!」
「ステラです。私の名前は、ス、テ、ラ」
「おい、ステラ! ここに住まわせてくれ」
「え、ダメですけど」
「分かった。なら勝手に住む」
「こら待ちなさい」
すごいですね、この子。
自分から提案してきた許可制度を、一瞬で覆しましたよ。
「いきなり何なんですか? なんでそんな話になるんですか? え、王子様って、そういう生き物なんですか?」
「こいつがあいつじゃないってのは、よく分かった」
「ですよね?」
「でも、こいつが竜であることには違いない。なら、あいつのことを知ってるかもしれないだろう。こいつを観察していれば、弱点が分かるかもしれないだろう。奴を倒すためには準備が必要だ」
こうしてまともな理屈で喋っているうちは、わりと格好いいんですけどね、この子。
「だから、ここに住まわせてくれ。報酬は身体で払う」
「いりません」
「いや、変な意味じゃない。住み込みで働かせてくれと言っているんだ」
「その意味で断ってるんですけど」
「お前のことだって知りたい」
「ど、どういう意味ですかそれは?」
「お前のその、怪力の秘密を知れれば、必ず仇討ちに役立つ」
「ダメです」
私、いまどんな顔してるんでしょうね?
「頼む。もう生卵で死にそうになるのは嫌なのだ」
「それは自分のせいでしょ!!」
「何でもするから」
「だったらせめて、邪魔だけはしないでくれます? 今日こそは返事を書かないと、行商に間に合わないんですから」
村へ定期的に来る行商馬車は、手紙の配達もサービスしてくれているのです。
「ステラー、お散歩ー」
「ソラ様、話を聞いてました?」
「がじがじ」
「きゃー、もう、だから髪はやめてって」
ただでさえソラ様で手一杯なのに、変な王子様も加わって混乱を極めました。
ですけど、ああ、こういうのっていろいろ重なるものなんですよね。
こうして私たちがわちゃくちゃやっている間に、坂道を一頭立ての小綺麗な馬車が登ってきていたのです。
『白金の眠り猫』の紋章を掲げたその馬車が家の前に停まると、そこから一人の、これまた綺麗な雰囲気の女性がふわりと降り立ちました。
「はーい、ステラ」
「お、お姉ちゃん……」
「手紙の返事が待ちきれないから、来ちゃった❤」
なんでこんな山にまで、ダンスパーティーみたいな格好ですかね。