2 ドラゴンと昼食を
朝も早くに、外から乱暴に戸を叩く音がしています。
だけど私はベッドの上。
もちろん目は覚めましたが、すぐには起き上がれません。
決して惰眠をむさぼっているわけではありませんよ。
あのあとも私は、ぼろぼろの身体に鞭打っての重労働だったんです。なにせ、ちょっとじゃれただけでも木をへし折っちゃうほどのパワーと図体があるくせに、すぐにふらふら道を逸れようとするおじいちゃんを連れて、山を登らなきゃいけませんでしたから。
さて、私が居留守を続けようとしても、招かれざる客は引き下がってくれません。いつまでもドンドンとうるさいですね。
仕方がないので出迎えましょう。誰が、どんな用件で来ているのかは予想がつきますので、気は乗りませんけど。
手ぐしで前髪だけ直してから戸を開けると、やっぱり、村の人たちがこわい顔で並んでいました。この顔ぶれは、あれですね。昨日の騒ぎに巻き込まれちゃった方々ですね。
曰く――また家が燃やされたぞ!!
曰く――お前がしっかりしてないからだ!!
曰く――この税金ドロボウめ!!
とか何とか、要は真剣に耳を傾けるまでもない、いつも通りのクレームです。
実際に火を吹いて暴れた竜神様に直接の文句を言う度胸はなく、だけど笑って許せるほどの度量もなく、結論として、か弱い乙女に詰め寄ることでしか憂さ晴らしできないのでしょう。
だからこういう場合は、こちらが慈悲をもって聞き流すに限ります。私たちの耳の穴は、頭の中に余計なものを残さないために空いているのですよ。
ちなみに、私だってこれでも、ちゃんと税務は果たしてますからね。
ともかく、そうして私は努めて平静に、無心に、しいて言えば口の中のねばつきを気にして(ああ、昨日は疲れすぎて、歯みがきもしないで寝ちゃったんだっけ)とでも考えながら、このお説教タイムが終わるのを待っていました。
曰く――ネブラさんがいたら、あんなことにはならなかった。
ですが、おばあちゃんの名前を出されて、それと比べられては、私も心中が穏やかではいられません。ぴくりと自分のほっぺが引きつったのを感じます。
あの竜……ソラ様がお年を召して、たまに言葉も通じなくなることがあって、不意に手がつけられなくなるのはどうしようもない。それは間違いありません。
昨日の被害があれで済んだだけでも、むしろ褒めてほしいくらいです。
ただ事実として、昔のソラ様は、ああではなかった。
私が小さい頃に遊んでもらったときは、もっと受け答えがしっかりしていました。それに、お母さんからもおばあちゃんからも、ソラ様のあんな症状は聞いたことがありません。
なんでこの数年で、ひょっとして私がお世話をするようになってから……などと考えたって仕方ないのも分かってはいます。
誰が悪いとかじゃないんです。
決して、私が未熟だからという話ではないはず。
でも、だったら私はどうして怒られなきゃいけないんでしょうか。
口うるさい暇人たちが帰ってから、私は新鮮な空気を吸いたくて外に出ました。
まだ重いまぶたに、さわやかな風が流れ込んできます。
少しだけ前に歩いて、高台になっている地面のふちに立ちます。
開けた青空。
そして眼下には、なだらかに山の斜面が広がっています。そろそろ山ぶどうが実をつけはじめる頃でしょうか。
さらにそのふもとには、昨晩に大立ち回りをしたあの村があります。
村は大まかに、私から見て手前側に家屋が集まっているところと、向こう側に続いている畑とに分かれています。
手前側は物見やぐらが立っていたり、酒場があったり井戸があったり、寄合い所とか倉庫とかが並んでいたりして、村の中心部とも言える場所ですね。建物は基本、石混じりの土壁に木の屋根を組んで作られたものばかりです。
畑のほうは、丸キュウリとかトゲトマトとかの野菜がまだ収穫ぜんぶは終わっていないみたいなので、いっぱいに葉が青々と繁っていますね。その広い畑を見張るような位置取りで、まばらに家が建っているのです。
私は山の中腹から望めるこの景色が……まあ、特に好きでも嫌いでもないんですけどね。もう見慣れちゃいましたし、いわゆる農村って感じですから。
それから手でひさしを作って空を見上げてみれば……めっちゃ日が高いじゃないですか。もう昼過ぎじゃないですか。ぜんぜん朝早くじゃないじゃないですか。
あのクレームが長かったことを差し引いても、ずいぶんと寝坊しちゃったみたいですね。午前中の予定が台無しです。
洗濯物を片付けたかったのに。しょっぱなから謎の徒労感。
まあ、過ぎたことはいいでしょう。寝る子は育つ。泥のように疲れて眠ったということは、それだけがんばって働けたということです。
うん、昨日の私を褒めてあげたい。
気持ちを切り替えたところで、ふと、私は頭の後ろに生温かい吐息を感じました。
そして振り返った途端に、ぬべろんっとした感触が、腰から頭のてっぺんにかけて這い上がってくるのです。
「ちょ、もー、ソラ様? くすぐったいですよ」
この犬みたいに濃厚なスキンシップは一回では終わりません。
「ソラ様、あの、もういい、ストップ、ストップですって」
それはもう何度も何度も口をふさぐように舐められるわけで、途中からけっこう苦しくなるんですよね。
「ぷはぁ、あー、死ぬかと思った」
「ステラー、ごはんはまだかいなー?」
ようやく舌を引いてくれると、私は息を切らせながら手の甲で顔を拭くのですが、当のソラ様は至っていつもの気楽な調子なのでした。
ソラ様……いま私の目の前にいる竜が、昨日の夜に、寝ぼけてうっかり村を焼き尽くしそうになった御方です。
お日様の下でならはっきり見えるその姿は、まず全身が黒っぽくて、でも角度によっては茶色にも映る、煤みたいな鈍い光沢の鱗に覆われています。
次に印象的な、真っ赤な瞳は力強くて、ナナカマドの実のようです。
頭から伸びている五本の角は、正面から見ると、まるで王冠みたい。
あと全体像は、背中にコウモリに似たかたちの羽が二枚。肉付きのいい胴体を四つ足で支えています。前足に比べて、後ろ足のほうがちょっと長くて太いんですね。
しかもすごいことに、これだけ身体が家よりも大きくて重いほどなのに、忍び足が得意なんですよ。さっきだって、真後ろに来るまで私が気付けなかったくらいですからね。
……ん?
「そういえばソラ様、鈴はどこやっちゃったんですか?」
そうですよ。だから居場所が分かるように、鈴付きの首輪を着けてもらっていたはずなのに、無くなってるじゃないですか。そのせいで昨日も対応が遅れたんですよ。
私がそうやってキツめに見上げると、ソラ様は首をかしげ、後ろ足で角の裏側を掻きはじめました。これもソラ様のお得意技、聞こえないふりですね。
「じゃまだからって、また取っちゃいましたね?」
「わし、そんなの知らないもん」
「子供みたいな言い訳を……」
「それよりステラー、ごはんー」
「はいはい。わかりましたよ。わかりましたってば」
またぺろぺろされる前に、私は家の裏手にまわりました。
そこには一つの樽が置いてあるのですが、ソラ様用ですから、高さも幅も私が両手を広げたより大きいのです。私が作業する専用の踏み台も備え付け。
でも樽はいちど無視して通り過ぎ、さらに奥にある倉の鍵を開けます。他にもかまどとかテーブルとかもありますけど、そっちは後で使います。
倉の内側は壁がぜんぶ何段もの棚になっていて、下のほうには水がめとか麻袋に入った小麦粉とかの重たいものがずらっと積まれていて、上にいくほど小瓶で収まる塩とか乾きものなんかが収められているのです。
さらには床下収納も完備! いつでもひんやりしている床下には、腐ったら困るバターやチーズなどを壺で置いてあります。
そんななかから、ちょっとソラ様にも運ぶのを手伝ってもらったりしつつ、用意したいっぱいの小麦粉とバターを大樽にドーンッ!!
そこに今日は、風味付けに干しアプリコットを加えちゃいましょう。
あとはこれが適度になめらかになるまで混ぜていきます。
まあ簡単に言ってますけど、これめっちゃ重労働ですよ。なにせ私の背の倍以上もある、兵隊さんの槍みたいな長棒を使うんですからね。
ゆっくりやってると生地がボロボロになっちゃいますし。毎回、終わったら腕がぱんぱんです。
「はーい、ソラ様ー、できましたよー」
「わーい」
汗だくで声をかけると、ソラ様がのしのしやってきました。
ソラ様はちょこんと腰を下ろし、首だけを樽につっこみ、はぐはぐと頭を動かします。
そうしてある程度ごはんを口に入れると、今度は首を上に伸ばして、あごを閉じたまま、ぐぐぐっと飲み込むのです。
この繰り返し、噛むときだけ首を下に、飲むときだけ首を上にする仕草は、わりと見ていて飽きないんですね。
眺めていると、私のお腹が鳴ります。そういえばまだ何も食べていませんでした。
私は自分用に取っておいた生地を、いくつかの手のひら大に平たく練り分けて、炭火かまどに入れました。
かまどは上の部分に鉄板があって、そちらにも熱を伝えられる構造。なので、ついでにお湯を沸かすことも出来ます。
鉢植えで育てているハーブを煎じてお茶にして、今日のはちょっと渋めのブレンド。
出来上がったら大樽のそばのテーブルへ。
「いただきまーす」
いっしょに食べると……うん。我ながら、いい焼き上がりじゃないですか。サクサクですよ。
ちなみにソラ様は、焼いたのより生のほうが好きなんですって。のどごしがいいとか何とか。
美味しいごはんのおかげで、ようやく気持ちも晴れた私。さて溜まった家仕事――掃除、洗濯、お手紙の返事――とかとかを済ませようと意気込んだのもつかの間、ソラ様の甘えたぐるぐる声に水を差されます。
「ステラー、お散歩ー」
「えー。またですか? 昨日も行ったじゃないですか?」
犬じゃないんですし、いざとなれば私を引きずってどこまでも行けるはずなんですけどね。
まあ実際に勝手なひとり歩きされても困るんですが。
「お散歩ー」
「……」
「がじがじ」
「きゃー、ちょっと、髪は食べないでくださいって。ハゲになっちゃう!!」
私が涙目でオーケーすると、ソラ様は、それはもう嬉しそうに尻尾をびたびた振るのです。やめて、家にぶつかったら壊れちゃう!!
……今日は午後の予定、ぜんぶキャンセルですね。