☆ 太陽と星のまじわる夢
ここは、私の家?
家の裏手にソラ様が座っています。
かまどの前のテーブルに着いている、線の細い女性は……お母さん?
「ソラ様。ごまかさないで答えてください」
お母さんの声は、ちょっと静かに怒っているみたい。
「私のやっていたことは、ぜんぶ無駄だったんですか?」
ソラ様は口を閉じたまま首を下げて、お母さんの足元付近を嗅いでいます。
「私は、命懸けだったんですよ」
ちょっと物騒なことを言いながら、お母さんはソラ様の鼻頭……鼻の穴の間あたりを、ちょうどよさげに足先で撫でました。
あ、ソラ様もまんざらじゃなさそう。
「今度こそ完璧だったはずなんです。時刻、場所、祈り、素材……どれにも妥協しないで、わずかの失敗もなく作れました」
お母さんは手を開き、手のひらに乗せている何かを見つめていました。それは指先くらいの小ささで、鈍く銀色に光っていますね。
何故かぼんやりしていて、詳しい形は分かりませんけど。
「それなのに、あなたを治すことは出来なかった。これが自分に効き目がないことを、知っていましたね?」
するとソラ様はゆっくり伏せて、下あごを地面に付けました。
「メダ。お前さんが気にかけてくれるように、たしかにわしは年老いた」
お母さんの名前です。メダ=リィンヴルム。
「鱗は黒ずんで、なかなか元に戻らん。昔ほど速く翼を動かせなくなった。日打ちが出来なくなってから、もう何十年経ったか」
「日打ち……太陽の力を、ソラ様を介して恩恵だけ抽出して、大地を豊かにする儀式……でしたっけ?」
どうやら、お母さんでさえ実際に見たことはなかったみたいですね。
そしてやらなくなった理由は聞けないままでしたけど……実は、出来なくなっていた?
「そんなの、手を抜いてしまえばいいのに」
「そうもいかんじゃろう。すっかり衰えたせいで、制御が難しくなったからのう。あの太陽の力を地上で暴れさせたら、火の海になってしまうところじゃ。もう二度と、試そうとも思わん」
えぇーっ!!
あのほほえましい踊り、そんなに危ないものだったんですか!?
「だから手を抜けばって言っているんです。ふりでいいんですよ、ふりで。どうせ違いなんか分からないんですから」
「年をとると、出来ないことが増えてくるんじゃ。それなら思いきって、やらないという選択をしたほうが晴れやかじゃろう」
でもこれを聞いているお母さんの表情は、とても「晴れやか」とは思えませんけど。
「私は、そこまで達観できません。そういうのは、自分に出来ることを全てやりきった者にのみ許される台詞です」
ソラ様は顔を上げて、お母さんの手元の匂いを嗅ぎました。
「泉の秘術《活性》――病気を防ぎ、傷を癒やし、成長を促し、外敵を退け、邪悪なものを討ち払う――なるほどの完成度じゃ。これならば、秘術本来の効果を充分にもたらせるじゃろうな」
「それでも、ソラ様の全盛期を取り戻すことは出来ないんですね」
「年をとることは、邪悪なもののせいではない。外から来る敵や病気などでもないんじゃ」
いたわるように、ソラ様はお母さんの肩から頬を舐めます。
「ご老体の経験を活かした良い話で終わらせようとしてますけど、ソラ様、最初の質問。けっきょく私の努力は無駄だったんですか?」
え、お母さん、そこ蒸し返します?
舌を引っ込めるソラ様、めっちゃ答えづらそうじゃないですか。
「これが完成したところで私の願いは叶わないと、分かっていたんですよね?」
「……まあ」
「この秘術が私に効かないことも」
「すまない。メダ」
ソラ様はお母さんの膝下に鼻先をすり寄せました。
「謝らないでください」
「わしが付いていながら、よりにもよって竜の巫女であるお前さんに、短命の定めを背負わせてしまった」
するとお母さんは、深くふかく息を吸ってから――
「いいんですよ。ソラ様の秘術でさえ及ばず、私が歪んだ心臓をもって産まれてしまったことは、さっきの理屈に沿えば邪悪でも病気でもないということなのですから。仕方のないこと。そうでしょう? そうですよね? そういうことにしておきましょうよ。私だって、誰かを恨みながら死にたくなんてないですし。いえむしろ、命が短い限りであると自覚しているからこそ、私は成すべきことを早くに定めて邁進できたとも言えますね。その意味では、ありがとうございます、ソラ様」
早口で一気に吐き出したのです。
「さて、分かったうえで黙っていたんですよね?」
「……うん」
「何故ですか?」
もう許してあげて。
「メダの生きてきた時間が無駄とは決して思わん。じゃが、あまりに急ぎすぎているとは思う」
「その理由も分かっているくせに」
お母さんは、ぐっと銀色の何かを握り締めました。
「だからメダは、もし他に可能性があると知ったら、何を置いてもまたそれを探しに行くつもりじゃろう?」
「当然です」
この即答も、ソラ様には予想通りだったのでしょうね。ちょっと細めた目が寂しそうです。
「あー、ソラ様、ソラ様。おや、メダもここにいたのかい?」
するとそのとき、がっしりした体格と声色の女性が、よちよち歩きの女の子の手を引いてやって来ました。
おばあちゃんと、私ですね。
おばあちゃんにはまだ白髪が生えていません。
年も性格も体つきも違いますけど、三人とも夜空に例えられる青っぽい黒髪は同じ色です。
いつもは意識してませんでしたが、ひとくちに黒といっても、ソラ様の茶黒と比べるとけっこう青の印象が強いですね。
……あれ?
そういえばどうして私が、私を見ているんでしょうか。
…………そうか。やっと気付きました。
これは夢なんですね。
「ちょうどいい。メダ。あたしはこれから木の実と蜂蜜を採りに行ってくるから、ステラを見てなさい」
「え、私が?」
「あんたの子だろ! たまには娘と遊んでやりな! じゃあソラ様、二人をよろしくお願いしますね」
お母さんとソラ様とに合わせて、交互に表情を変えながら、おばあちゃんは私の手をお母さんに握らせました。
それから手斧を構えて、大股歩きで山奥に入っていったのです。もしお母さんがここにいなかったら、ソラ様に子守を任せるつもりだったのでしょうか。
嵐みたいにおばあちゃんが去っていったあと、残されたお母さんとソラ様は、しばらく呆然としていました。
「のう、メダ?」
やがてソラ様が、うかがうように口を開きます。
「その限られた命と時間を、ステラのために使ってやってくれんか? せめて避けずに、一緒にいてあげるだけでも」
「それがソラ様の願いと思惑ですか。いいですけど、そもそも別に、避けているわけではありませんよ。我が子を嫌いなわけないじゃないですか」
お母さんは椅子に座ったまま私の手を掴んでいますが、どこかへ行こうとする私の引っ張りが強くて、身体があちこちに揺らされています。
「ただ……ステラとどう接したらいいのか、よく分からないんです。この子の意思を、どう導くべきなのか」
そう言いながらも私を抱き上げたお母さんは、ふっと遠くの雲を眺めました。きっとそれだけ、自分とソラ様のことで精一杯だったのでしょう。
「子供を産んだら、何か愛情みたいなものが自然に湧いて出るものかと思っていましたが、期待していたほどの劇的な変化はありませんでした」
「期待しておったのか?」
「少しは」
「ならば、そんなに難しく考えんでも、自分がされて嬉しいことをやってあげればよかろうて」
するとお母さんは目をつむり、しばらく眉間にしわ寄せて考え込んでから、閃いたように話しかけてきました。
「ではステラ。問題です。ニワトリさんとブタさんが、合わせて10匹います。足の数は合わせて26本です。さて、ニワトリさんとブタさんは、それぞれ何匹ずついるでしょうか?」
当時の私は、お母さんを見上げて、ただただ無言でした。
いや、いまの私でも、こういう算術問題は苦手ですけど。これがお母さんにとっての、されて嬉しいことですか?
「……ソラ様。子育てって、難しいですね」
「これは難問じゃなあ」
今度はソラ様が遠くの雲を眺めてしまいました。
*
「おい、お前、こんなところで何やってるんだ?」
肩をつつかれ、遠慮のない声で起こされて、私は夢から覚めました。




