14 ドラゴンと風の巨人②
前にジオくんの腹痛を治したときもそうでしたが、いつもは静かでのんびり屋さんのソラ様が足音を立てて思いっきり走るというのは、相当やばいです。
それだけ本気に近いってことですからね。
ソラ様が駆け出す直前にロープを掴みましたけど、まるで敵いません。私は腰を引いて、転ばないように姿勢を保つだけで精一杯でした。
どんなに腕と足に力を込めても、土と草の上をすべるばかりです。
……いえ、単に引きずられるだけならまだいいでしょう。
気付いてしまいました。
このままだとロープは、ソラ様の身体の下に巻き込まれていきます。当然、私も踏まれてめちゃくちゃにされてしまいます。
だからといって、逃げ遅れている人がいるかもしれない以上は、諦めることなど出来ません。
「お願いです。ソラ様!! 止まって、止まって、止まってください!!」
……。
…………。
…………むぎゅぁっ!!
目をつむって奥歯が痛くなるくらいに踏ん張っていると、今度はいきなり前に勢いよく放り出されました。急停止が予想外のことで、ロープを掴んだまま、ぼてんぼてんと私の身体は転がっていったのです。
「そ、ソラ様? 止まってくれたのはいいんですけど、せめて、もうちょっとゆっくりお願いしていいですか?」
この小麦畑が刈り取った後で、まだ枯れ茎が残っていたから衝撃をやわらげてくれて、大怪我にはならなくて済みましたけど。
「すまんのー。ステラ、無事じゃったか?」
「はい。まあ、なんとか」
いつもの喋り方に戻ってくれたソラ様に、寝転がっていた私は首だけ上げて答えました。
「だから、離れておれと言ったじゃろうに」
するとソラ様が続けた台詞と行動は、これまた予想外だったのです。まるで私が悪いみたいな言い方をして、ロープを噛み切っちゃった。
今度こそ私が危なくないようにと、気を配ってくれたのかもしれません。
でも、私が望んでいるのは、そういう優しさじゃないんです。
「そこで、じっとしておるんじゃぞ」
穏やかに言い置いてソラ様は、改めて風車塔に突撃していきました。集まっていた人たちが避難済みなのは幸いですが、状況が最悪なのは変わりありません。
やっぱりソラ様、冷静に暴走していますね。
これはつまり、角を叩いても目隠ししても、たぶん収まらないということです。
私は立ち上がって膝を叩きました。じっとしてろと言われて、何もしないわけにはいきません。すぐに走り出します。
ほどなく、ズシンとぶつかる大きな音といっしょに、風車塔が揺れました。
のし掛かって倒そうとしているみたいですが、苦戦しているようでした。なにせ風車の屋根はソラ様が首を伸ばしても届かないほど高いのですから。
壁を噛もうとしても、うまく牙が引っかからなくて、もどかしそうにしています。
そうこうしているうちに、なおも回り続ける羽根板が、ソラ様の首を押しのけていきました。
本当に風の力って、すごいんですね。
「巨人が……なめるなッ!!」
怒りを露わにしてソラ様は、羽根板の一枚をしっかり大顎で捉えて、ベギリ、軽々と砕き割ってしまいました。
さすが、ソラ様のパワーも強烈で、風に負けてはいませんね。
……って、私はどっちの応援をしてるんですか!?
ソラ様が大暴れしているというのに、どうして安心しちゃっているんでしょう。
もちろん被害が増えるのは絶対ダメですけど、何故か、あの羽根板に押されていたソラ様が反撃をしたとき、竜の底力を見せつけられたときに頭の片隅でほんのちょっとだけ……ホッとしてしまった自分がいます。
そんな私の集中が途切れた間に、ソラ様はグルルと鳴いて退き、牙を打ち鳴らしていました。
「そそそ、ソラ様、それは、本気で、ダメですってー!!」
私は駆け足を全力にしますが、さてどうしたものでしょうか。
角が五本あるソラ様には、角を強く叩かれるとその方向に首を回すという習性があります。
以前はこれを利用し、火を吹く瞬間を見計らって向きを逸らせたのですが、ここでは問題がありました。ソラ様の斜め後ろから近付いていく私には、金槌を投げても真ん中の角に狙いを定めることが出来ません。
そしてもしうっかり手前の角に当たろうものなら、火が私に向けて吹かれることになります。
また人々が避難済みとはいっても、それはあくまで突進する道筋から逃れたというだけです。麦畑が燃え広がったら無事では済まないでしょう。
考えを巡らせているうちにも、ソラ様の口で風が暴れる段階になっていました。
これは、一か八か……ですね。
「ごめんなさい、ソラ様ー!! 食らってー!!」
私は腰のポーチから手のひら大の袋をひとつ取り出し、走る勢いに乗せ、振りかぶって投げました。
小袋はソラ様の口元まで飛んでいくと、ヒュゴウッと小気味よく吸い込まれました。あの口のなかでゴゥゴゥ音がするのは、息を激しく吸っているからなんですね。だから狙いがそこまでドンピシャじゃなくても大丈夫なのです。
そして次の瞬間には、ソラ様はびっくり跳ねて飛びすさりました。
それから火の代わりに鼻と耳から黒い煙を吹き出し、何度か頭を揺らして、ついには崩れ落ちてぐったり横倒しになったのです。
「ひゅー。持っててよかったですよ。スパイス入りクッキー!!」
ドラゴンでさえ目を回す、とびっきりの辛さです。
それよりこの失敗が許されない状況を、たった一投で解決するなんて、さすが私!!
ソラ様は口を半開き、ぴくぴく翼が震えていて白目まで剥いていますが、鼻息はちゃんとしていますから、まあ動けなくても今は問題ないでしょう。
それより――
「ああ、逃げちゃいたい」
仰ぎ見れば、羽根が一枚壊れた風車。
よく分からないですけど、これ作るのに多分、すっごくお金がかかるんでしょうね。
風がさわやかに吹いていて、空はあんなに広いのに、私の心はずっしり重いです。悩みも責任も、みんなまとめて飛んでいってくれればいいのに。
「どれどれ。うわー。これはすごいなあ。竜の歯って、こんな噛み跡がつくのかあ!!」
ぼんやり私が佇んでいると、風車塔の中から一人の男性が興奮しながら出てきて、私と同じように壊れた羽根を見上げました。
まだ若そうなのにおでこが広いのは気になりますけど、目を輝かせている横顔が、なかなか面白いです。パパさんや山賊みたいな厳ついおじさん系とも、ジオくんみたいな美少年系とも違う、不思議なお兄さん系?
ただ不思議ついでに、この期に及んで何故か嬉しそうなのは、謎を通り越してちょっと不気味ですね。
「おお、あっちに寝てるのは、まさしく竜じゃないか! すごいなあ。本当に竜じゃないか!!」
彼は私に目もくれず、ソラ様に駆け寄って、あろうことか鼻の穴を覗き込んだり、牙をぺたぺた触ったりしています。
「なるほど。へー。なるほどお!!」
「ちょ、ちょ、ちょ、危ない、あぶないですよ?」
あわてて私は彼を羽交い締めにして、引き離しました。ソラ様を恐がらないのは結構ですけど、いま目を覚まされたらどうなるか私でも分からないんですから、素人が踏み入っていい距離感ではありません。
「いやあ、この国に来てよかったなあ、本当に」
彼は私に引きずられながらも、ずっとソラ様を惚れぼれと見つめています。なんという集中力でしょう。むしろ彼のほうが怖いくらいなんですが。
「でもなんで、風車に攻撃なんかしてきたのかなあ?」
そして当然といえば当然ですが、痛いところを突いてきますね。
「それはですね……巨人と見間違えたから、みたいですよ」
我ながらちょっとまぬけな、苦しい言い訳だと思います。だけど事実ですし、ボケてるとかまで正直に説明するわけにもいきませんし。
「巨人?」
すると彼は突然に顔を引き締めました。
「風車が巨人かあ……」
そしてようやく自分の足で立つと、ぶつぶつと呟きながらソラ様と風車塔とを交互に見やっています。
「なるほど。よく気付いたね」
……。
…………?
今この人、なんて言いました?
風車を巨人と見間違えたんです――よく気付いたね?




