☆ 薔薇の思い出
あれは私が八歳のときだったわね。
初めて会ったとき、私は、あなたを好きじゃなかった。
初めて会ったときは、ね。
だっていきなり、二つ年下の女の子を紹介されて「今日からお前の妹になるから仲良くしなさい」だなんて、パパがおかしくなったのかと思ったわ。
ずいぶん変な子だっていうのが正直ね。まず髪と目の色が、私やママとは全然違う。しかも短い髪がボサボサで、スカートでもなかったから、男の子かと思ったくらい。
そのくせ、せっかく私がお姉さんだから気を遣って話しかけてあげても「おばあちゃんはどこ? おばあちゃんはどこ?」って、めそめそ泣いてばかりいたわね。とっておきのおもちゃ――羊毛生地の人形にドールハウス、ぜんまい仕掛けの木彫りの馬――を貸してあげても、あなたはちっとも楽しそうじゃなかった。
だから私もつい頭にきちゃったのね。あなたが大事そうに握っていた物を取り上げて、うっかりバカにしちゃった。
鉄の留め具に、錫製の小さな板飾りのついた髪留め。石も彫りも入っていないシンプルな装飾だけど、それでも、こんな汚い格好の子には似合わないだなんて、酷いことを言っちゃったわ。
そうしたらあなた、顔を真っ赤にして、取り返そうと掴みかかってきたわね。どこの野良犬かと思ったものだわ。後にも先にも、あなたにひっぱたかれたなんてこのときだけよね。
あとで聞いたら、その髪留め、お母さんの形見だったのね。
この辺りの出来事は、私も子どもだったし、言い方が生意気だったわ。
お風呂に入れて着替えさせたら、まだ目つきは鋭いけど、意外とかわいいんじゃないかしら? ということになって、私とママとで着せ替えコーディネート大会が始まったんだっけ。
どんなドレスに袖を通してもしかめっ面のあなただったけど、大事な髪留めを後ろ髪につけてあげたら、鏡の前でようやく笑ってくれたわね。
でもその笑顔だけであなたを好きになれたかっていうと、そんなことはなくって、うっとうしいと感じることもやっぱり多かった。
何故って、あなたが来てから私は、パパとママから「お姉さんらしくしなさい」と言われるようになったから。お勉強もお作法もがんばれって。
望んであなたのお姉ちゃんになったわけじゃないのに。
あなたが家に慣れてきて、私の後ろをいつも付いてまわるようになったら、ママやメイドたちがそれを微笑ましく見るようになったけど、私には窮屈だった。
だから街へお出かけしたときに、あなたやメイドの目を盗んで、私は自由になろうとした。そうして独りで暗い路地裏に迷い込んで……悪い人たちに捕まっちゃったのよね。
私の身なりがいいから、服と飾りだけ奪うつもりだったみたい。でも彼らは欲張って、身代金をせしめようって言い出した。
すぐに私を解放していれば、あなたの逆鱗に触れることはなかったんでしょうね。
私は口に縄を噛まされてほとんど喋れなかったのに、そのかすかな唸り声を聞きつけてあなたは現れた。まさかの、鍵のかかった扉を蹴破ってきた。
その時点でも今にして思えば常識外れだけど、そこで何よりびっくりしたのは、あなたの目の色が変わっていたことね。
翡翠のような美しい緑色の瞳が、そのときだけはギンギラギンの銀色に輝いていた。
それから大人たちを次々と跳んで殴って、投げ飛ばして、あっという間に捻じ伏せて、その間はずっと無言で、もう人間業じゃなかったわ。
でも、あの銀色の目は、小さな女の子がとんでもない力持ちだということを不思議と納得させてくれた。人間業じゃないっていうのも、いい意味でよ?
そして安全になった途端、ふっといつもの緑色に戻ったのよね。
一緒に帰ろうと繋いだ手はとても小さくて、柔らかくて、なのに手の甲が赤く擦り切れていて……私はふと、あの銀色のことは誰にも秘密にしておくべきだと感じた。
私にはどうしても、あなたが望んでそうなったとは思えなかったから。
「……もういなくなっちゃ、やです」
そう呟いたのを、あなたは憶えているかしら。
お母さんを亡くして、その悲しみもたぶんまだ癒えていないうちに、おばあさんからも引き離されて、うちの子になった、あなた。私の妹。
あなたのおばあさんが何を考えていたのか、私には分からない。
とにかく私は、このときに決めたの。
もし私が弱いせいであなたが乱暴になるなら、もし私が愚かなせいであなたが不安になるなら、私は何ものにも恐れず揺るがない、絶対に消えない家族でいよう。
きっとずっと、あなたを好きでいようって。
けっきょく帰り道が分からなくって、家に着いたのは真夜中で、二人ともパパにこってり叱られたのもいい思い出ってことで。
*
今もあなたの後ろ姿には錫の飾りが、仔馬の尻尾みたいな髪をまとめて、やさしく光っている。あのときはいじわるしてごめんなさいね。
「お姉ちゃん、怖くないの?」
「ステラが一緒なら平気よ」
あなたがいるから、私は無敵のお姉ちゃんでいられるのよ。




