9 ドラゴンとお姉ちゃん③
「お姉ちゃん。見ててもいいけど、近付かないでね」
村に着いたらまずお姉ちゃんを降ろして、私は一直線にソラ様のもとへ。
脇目も振らずに走るのは、ソラ様が心配だからとか、畑の被害を確かめたいからとか、そんな正義感にあふれた理由ではありません。
お目付役もろくに務まらない竜の巫女――そんなふうに私を見る、村の人たちの、怒りや恨みのこもった目、目、目……。
そういうのは、視界に入れなくても、肌で感じてしまうものです。
なるべく意識しないようにした結果、選べるのは全速力で駆け抜けることだけでした。
もちろん私ひとりだったら、何を言われてもへっちゃらですよ。聞き流すのは慣れてますからね。
でも今日は、お姉ちゃんがいます。
周りの人たちが私をどう評価しているか、というのは出来れば、お姉ちゃんに知られたくありませんでした。気まずいというか、恥ずかしいというか、居たたまれない感じ。
ところでソラ様は何をやっているのかというと、ざっくざっくと土を掻き出しては、開けた穴に鼻先を突っ込んでいますね。
ただ意味もなく畑を荒らしたいだけではなさそうです。
「ソラ様、どうしたんですか? 何か気になるんですか?」
「おおー、ステラ。ちょっと、探し物をなー」
ソラ様は手を止め、頭をぶるぶる振って鼻についた土を落としました。
「探し物、ですか。どんなのです?」
「昔なー、この辺りに埋めたんじゃー」
まだ言葉は通じますね。よかった。
会話が出来るなら、すぐに大暴れするようなことにはなりません。
その代わり、殴って気を逸らすとか、目隠しするとか、そういった強引な手は逆効果になってしまいます。ちょっと慎重に進めないと、ですね。
「そうなんですか。何をですか?」
「ずっと放っておくのも、いかんと思ってなー」
「それって、どんな物なんですか?」
「昔なー、この辺りに埋めたんじゃー」
「……どんなのを埋めました?」
「ずっと放っておくのも、いかんと思ってなー」
あれ? 本当にお話、噛み合ってます?
「その、大きさとか、かたちとかは?」
「…………」
首をかしげるソラ様。
まさか、何を、が丸ごと抜けてらっしゃる?
「ソラ様、ここに埋めたんですよね?」
「何をじゃ?」
「それを聞きたいんですけど!!」
「ちょっと、探し物をなー」
うーん。埒が明きませんね。
「とにかくソラ様、これじゃ村が大変ですから、山に帰りましょ。ね?」
私は手招きしながら、ゆっくり後ろ歩きでソラ様を誘いました。
でもソラ様は、荒れた畑をじっと見つめるばかりで、その場を動く気配がありません。
「たしかなー、ぴかぴかの、とんがった物だったんじゃが……」
途方に暮れかけたそのとき、やっと探し物のヒントが出てきました。
ですが、これだけでは正体が分かりませんね。
さらにソラ様がこの調子では、この辺りに埋めたという証言も、いまいち信用できません。このままあっちこっち掘り返されても、ソラ様の気が済むとは思えないのです。
「分かりました。じゃあ、私も手伝いますから、ちょっとだけ待っててください」
ここはひとつ、思いつきを試してみましょうかね。
村の人たちはみんな、物見やぐらの見張り役以外は、井戸の周りに揃っていました。小さい子供たちも、足腰の悪いお婆さんも、もれなくです。それでも三百人に満たないくらいですが。
そこは村のなかでも見晴らしがよく、水がすぐ使えるので、ソラ様が独りで山を下りてきたときには万が一に備えてまず、そこに集まるのが通例となっているのです。
ソラ様を畑に残して戻ってくる私に、村の人たちが向ける視線は剣の先みたいに鋭いものでした。村長さんなんか、ただでさえ厳つい顔なのに、これでは昨日の山賊おじさんとどっこいですよ。
「すごいじゃない、ステラ!!」
そんな彼らが苦情を言うべく待ち構えているのをよそに、お姉ちゃんが飛び出してきました。
「あのドラゴン、誰が何をやっても止まらなかったんですってね。それが、あなたが行ったらすぐに大人しくなったわ」
待っている間にお姉ちゃんも、私の悪評を聞いていたはずです。先代のネブラおばあちゃんと比べて、どうだったとか。
「あなたがいなかったら、畑はもっと荒らされていたでしょうね。家だって焼かれていたかもしれない。だってドラゴンだもの。人間じゃとてもかないっこないわよ。それをあんな、鮮やかに抑えてみせるなんて、さすが竜の巫女だわ。やっぱりステラは、素晴らしい仕事をしているのね!!」
この台詞は、私に言っている体裁ではありますが、くるりと身をひるがえして高らかに、明らかに周りの人へ聞かせているものでもありました。
その様子、華やかさは、まるで舞台歌手みたいです。
空気を変えた、としか言いようのない所業でした。
そこかしこから「それもそうだ」「そういえばそうだ」という納得の声が上がっています。
もはや私を責めようという雰囲気ではありません。
じわり、胸が熱くなりました。
いつもは自分で自分に言い聞かせていたことが、ずっと反論したくても呑み込んでいた言葉が、言ってもらえるというだけで、こんなにも温かい気持ちになれるなんて。
「どうしたの、ステラ? なんで変顔してるの?」
「してないよ!」
大きく深呼吸。
「……どうよ、お姉ちゃん。私って自慢の妹でしょ?」
「なにを当たり前のこと言ってるのよ」
私たちは口元だけで笑い合って、互いの手のひら同士をパチンと打ち鳴らしました。
おっと、これでめでたしめでたし、というわけにはいきませんのです。
「ところで、ちょっとお願いがあるんですけど」
私は、気まずそうに口を結んでいる村長さんのところへ歩み寄りました。
畑に戻った私は、ソラ様と一緒に土を掘ります。
使っている鍬は村長さんに借りたものですが、協力をお願いしたのはそれだけではありません。
「あった!! ありましたよ、ソラ様。これじゃないですか!?」
さも、今ここで掘り出したかのように、借りたもう一つの物を掲げてみせました。少し広げたケープの下に隠し持っておいたのです。
それは、ジオくんの剣です。
ぴかぴかの装飾付きで、尖っています。
「それかのー? こんなに小さかったかのー?」
ソラ様は、私の手元をふんふんと嗅いで、目を細めました。
いくらボケおじいちゃんでも、すぐには騙されてくれませんか。でも手応えとして、的外れというわけでもなさそうです。
「昔のことなんですよね? きっとソラ様が大きくなったから、そう感じるだけですよ」
もう後には引けません。
押すしかない。
「ほら、思い出って、美化されがちじゃないですか。だからきっとこれですって」
「言われてみれば、そんな気もするのー」
ソラ様は私の手から剣を咥え上げました。
「ありがとうなー、ステラ。これなら、わしだけでも、なんとかなりそうじゃよ」
私が内心でホッとした、その次の瞬間、バキリバキリと聞き慣れない音が……。
見上げれば、嫌な予感は的中していました。
きっととても高価で、小麦袋いくつ分の値打ちがあるか想像もつかない王家ゆかりのお品が、見るも無残、くしゃくしゃに噛み砕かれています。
ついには跡形もなく飲み下されていくのを、私は呆然と眺めることしか出来ませんでした。
「……よかったですね、ソラ様!!」
とりあえず、にっこり笑っておきましょう。
もう後には引けません。
ごめんなさい。ジオくん。あとで甘くて柔らかいパンをご馳走してあげますからね。
「はじめまして。ソラ……様?」
後ろからお姉ちゃんの声。いつの間にか、すぐ傍にまで近付いていたようです。
「ごきげんよう。私はステラの姉で、ローサといいます」
「おー、こりゃどうも。ソラリスです」
お姉ちゃんがスカートの裾をつまんでお辞儀すると、ソラ様も真似するように首を縦に振りました。
「お姉ちゃん、怖くないの?」
「ステラが一緒なら平気よ」
そう言ってくれるのは嬉しいのですが、こうしてソラ様とお姉ちゃんが顔見知りになってしまうと、ちょっといろいろ隠し通せなくなるのが問題ですね。
「お姉ちゃん。実はね、これは、絶対に、パパさんには内緒にしておいてほしいんだけど――」
ここ数年……たぶん正確には、私ひとりでお世話をするようになった一年半くらい前から、ソラ様がボケてきちゃっていること。抑えが効かなくて暴れることさえあること。最近はそれが頻繁になってきていること。
お姉ちゃんに打ち明けました。
「だからね、ほんの一日でも、離れるわけにはいかないの。だから、お姉ちゃんの結婚式には出られない」
するとお姉ちゃんは、私がドキドキしながらやっとのことで吐いた告白を、あっけらかんと打ち返してくるのです。
「じゃあ、ソラリス様も一緒に来ればいいじゃない?」
一瞬、耳を疑いました。
「……え?」
「空も飛べるみたいだし、そのほうが馬車より速いわよ」
「いや、じゃなくって、聞いてた? 都で暴れちゃったらどうするの? 式が台無しになるかもしれないんだよ?」
するっとお姉ちゃんは私の横を過ぎて、ソラ様の鼻前に立ちました。
「ねえ、ソラリス様? 私の大事な日には、どうしてもステラに来てほしいの。でもソラリス様とは離れられないって。だったらソラリス様も、ご一緒に来てくださいますわよね? ね? ね? ね?」
「うん」
ぐいぐい迫られて、ソラ様も頷くしかなさそうでした。
「ほら、神様もこう仰ってるわ」
「お姉ちゃん、今のはズルい」
お姉ちゃんは改めてソラ様を仰ぎ見ます。
「ソラリス様がボケ老人でも、酔っぱらいでも、何でも構いません。家が壊れたって、花壇がぐしゃぐしゃにされたって、どうだっていいの。でもね、そのせいでステラが自分の気持ちを押し殺して、悲しい選択を強いられているんだとしたら、あなたが神様でも許しませんわよ」
私からはお姉ちゃんの顔が見えません。
いま、どんな顔をしているんでしょうか?
ひょっとして、私の知らない表情、なのかも。
「おおー、気が合うのー。わしも、ステラを酷い目に遭わせるやつがおったら、ただじゃおかんぞい」
「……ですって!!」
満面の笑みでお姉ちゃんが振り返ります。
本当にズルいです。
お姉ちゃんに、ソラ様に、ここまで言われたら断れないじゃないですか。
ちなみに、荒らされた畑の野菜は、あとでソラ様が美味しく召し上がりました。




