第68話:辰巳の企て
辰巳に脅されてから瞬く間に2週間の月日が流れたが、あいつからの呼び出しは全くこなかった。その間、あたしは茜や鴇音の知恵を借りて辰巳への対策を色々と考えていた。
もしも辰巳が軟禁問題で教会を訴えると言ってきた場合はあいつが借金取りに追われて姿を晦ませたことであたしが家を出ざるをえなかったことを訴え、親権問題でリチャルド神父を訴えると言ってきた場合はあいつがあたしの面倒を放棄したことを徹底的に追求することにした。
あたし達は辰巳が難癖を付けてきそうなことを想定しながら色々と討論を繰り返してきた。
「・・・これだけ準備しておけば、あいつが何を言ってきたとしても大丈夫だわ」
あたしは菊花が用意してくれた資料に目を通しながら自信に満ちた表情を浮かべた。
「そうですね。ですが・・・油断は大敵ですよ」
茜は辰巳に足元を掬われないように注意した。
「そうね。追い詰められた人間は手負いの獣のように何を仕出かすかわからないし・・・」
鴇音も真面目な表情で眼鏡を光らせた。
「う~ん・・・確かにそうかもしれないわね」
あたしは緩んでいた気持ちを引き締めた。
「それにしても・・・」
鴇音は珍しく眉間にしわを寄せると怪訝そうな表情を浮かべていた。
「何か気になることがあるんですか?」
「まぁね・・・遥の話だとすぐにでも辰巳からコンタクトがあると思っていたんだけど・・・」
「そうよね・・・あたしもそうだと思ったからあんなことをしようとしてしまった訳だし・・・」
確かに鴇音が危惧していることはあたしも気になっていた。辰巳はあれからうんともすんとも言ってこないのだ。はっきり言って、その辰巳の沈黙は不気味だった。
「まぁ、何か裏で画策しようとしているのかもしれないけど、今は気にしていても仕方がない」
鴇音は溜息を吐くと険しい表情を崩した。
「確かに今から気を張り続けても疲れるだけですしね」
茜も鴇音の意見に賛成のようだった。
「そうね。とりあえず、あいつから連絡が来るまで普段通りの生活を続けるしかないわね」
あたしも息を漏らすと肩の力を落とした。
「もし辰巳から電話があっても今度は絶対に1人で行かないでくださいね。僕も同行しますから」
「うん・・・わかっているわ。その時はよろしくね」
「任せてください」
茜は爽やかな笑顔を浮かべると胸を軽く叩いた。
「何時も迷惑を掛けてごめんなさい」
あたしは何時も面倒事を茜の力を借りて解決してきたため、申し訳なく思っていた。
「それはお互い様ですよ。僕も助けられたことがありますし・・・」
茜は首を小さく横に振ると気にしないように微笑んだ。
「鴇音も色々とありがとうね」
「この借りはきっちりと身体で返してもらうつもりだから気にしなくていい」
鴇音は不敵な笑みを浮かべると眼鏡を持ち上げた。
(これは高い貸しになりそうだわ・・・)
あたしは鴇音の冗談とも本気とも取れる言葉に苦笑いを浮かべた。
こうして、あたし達は辰巳から連絡が来るまで普段通りの学校生活を送った。
「・・・遥様、外部から電話が掛かっております。お繋ぎしますか?」
それは突然のことだった。前回と同様に学校の事務所から連絡が入った。
(遂にきたのね・・・)
あたしは深呼吸すると事務員に電話を繋ぐようにお願いした。
「・・・」
あたしは沈黙したまま電話先の声を待った。
「おう?遥か?」
電話先の人物はやはり辰巳だった。
「随分と余裕な連絡ね」
「まぁな・・・お前が金を用意できるように時間を置いたのさ」
辰巳は余裕綽々な感じで声を弾ませていた。
「残念だけど・・・お金ならないわよ」
あたしは辰巳の期待を裏切るように真っ向から要求を突っ撥ねた。
「そうか・・・。それなら・・・教会のことを訴えるとしよう」
辰巳は声を低くさせると今度はあたしのことを脅迫しようとしてきた。
「・・・勝手にすれば?」
あたしは辰巳の返答を予測していたため、前のように取り乱すことはなかった。
「・・・はあ?」
辰巳はあたしの返答に驚きの声を漏らした。まさか、いきなり断られるとは思っていなかったような反応だった。
「お前・・・何を言っているのか。わかっているのか?」
「ええ・・・だから、訴えたければ勝手にすればと言ったのよ」
あたしは自分が正常であることを強調すると改めて辰巳の要求を拒絶した。
「随分と強気に出たもんだな・・・」
「用件はそれだけ?」
あたしは一刻も早く辰巳との関係を終わらせたかったため、冷たく言い放った。
「おいおい・・・それが父親に対する態度なのか?」
「そうね。少なくとも可愛い娘を脅迫する父親よりはマシでしょ?」
あたしは皮肉をたっぷりと込めると辰巳に嫌味を放った。
「ふんっ・・・随分と余裕ができたようだな・・・」
辰巳は段々とイライラしたように語気を強め始めた。
「おかげさまでね。こっちも色々と頭が冷えてきたのよ」
「まぁいい。とりあえず、もう一度、俺と会って話をしようぜ」
辰巳は自分のペースに巻き込もうと直で話をすることを提案してきた。
「嫌よ。もうあんたとは2度と会う気はないわ」
あたしは辰巳のペースに乗せられないように彼の要求を断った。
「本気なのか?」
「ええ・・・例え、あんたが何をしたとしてもあたしの気持ちはもう揺るがないわ」
あたしは辰巳と決別する気持ちで言い切った。
「それじゃ・・・そう言う訳だから・・・」
あたしはこれ以上辰巳と交わす言葉はなかったため、電話を切ろうとした。
「ちょっ、ちょっと待てっ」
辰巳はあたしが受話器から耳を話そうとした瞬間、焦ったように声を張り上げた。
「何?まだ何か用があるって言うの?」
あたしは辰巳の慌てた様子に少しだけ気になって会話を引き伸ばした。
「そうだっ。もし、俺と会うことを拒めば、お前は必ず後悔することになるぞ」
辰巳は意味深なことを口にするとあたしの気を惹いてきた。
(まだ何かあるというの?)
あたしは辰巳の言葉に心が揺れていた。
「・・・どうした?無言になって・・・俺の言葉が気になるんだろ?」
辰巳はあたしの心の中を見透かすように揺さぶりを掛けてきた。
「・・・一体何を企んでいるというの?」
あたしは何時の間にやら辰巳の口車に乗せられていた。
「知りたいだろ?俺の企んでいること・・・」
「・・・知りたい」
あたしは追い詰められていたはずの辰巳が余裕な態度でいられる理由を知りたくてしかたがなかった。なぜならば、嫌な予感がしてならなかったからだ。
「そうだろ?ならば・・・もう一度俺と顔を合わせて話をしようぜ」
辰巳は何故か対面で話をすることに拘っていた。
(どうしよう?このまま辰巳の要求を飲むべきか?それとも断るべきか?)
あたしは判断に戸惑っていた。
「なんだ?なんだ?だんまりか?」
辰巳はあたしのことを急かすように話し掛けてきた。
「それとも怖いのか?」
今度は無言のあたしを揺さぶるように見え透いた挑発をしてきた。
「ふざけないでっ!誰があんたなんかっ!怖いもんかっ」
あたしは辰巳のペースに嵌ってしまい、つい怒りを露わにさせてしまった。
「それなら俺の言うとおりにできるな?」
「うっ・・・」
あたしは辰巳の切り返しに言葉を詰まらせた。
否定をすれば辰巳のことを怖いと認めてしまう。否定しなければ辰巳の提案を飲むことになってしまう。どちらにしろ、あたしにとっては都合の悪い結果だった。
「まぁいい・・・次の祝日、こないだと同じ時間帯、あの喫茶店で待っている。会いたくなければ勝手にしろ。ただし・・・お前が一生後悔することになるだけだからな。じゃあな・・・」
辰巳は念を押すように脅迫すると一方的に電話を切った。
「ちょっ・・・」
あたしは切断された通話音を聞きながら呆然としていた。
「もうっ!本当に勝手な奴なんだからっ」
あたしは我に返ると部屋に設置されている受話器を力任せに置いた。
「一体・・・一体どうすればいいのよ」
あたしはよろよろと頭を抱えながらベッドの上へと飛び込んだ。
「ただいま戻りました・・・」
あたしがベッドの上で悶えていると霧華の特訓を終えた茜が部屋に戻ってきた。
「茜・・・」
あたしは瞳を潤ませると茜の顔を見つめた。
「・・・あいつから連絡があったんですね」
茜はあたしの様子からすぐに状況を察してくれた。
「うん・・・向こうのペースに乗せられて会うことを約束してしまったの」
あたしは申し訳なさそうに眉をひそませた。
「そうですか・・・それはしかたがありませんね。ですが・・・」
茜はあたしの方へと近づくとあたしの頭に手を乗せた。
「どの道、あいつとの関係を終わらせるためには直接顔を合わせなければなりませんし・・・だから・・・」
茜は頭の上の手を優しく動かすと子供をあやすように撫で撫でしてくれた。
「気にしないで何時ものように笑ってください。例え、何があったとしても遥さんのことは必ず僕が守ってみせますから・・・」
茜は自信に満ちた表情であたしのことを精一杯励ましてくれた。
「・・・ありがとう・・・茜」
あたしは不安な気持ちを拭い去ると茜の言うように笑みを浮かべた。
「その顔です。やっぱり、遥さんは笑っている方が断然似合っていますよ」
茜はあたしの笑顔に微笑み返すように明るく笑いかけてきた。
(ずるいな・・・その笑顔・・・)
あたしはそんな茜の笑顔を見ながら心をときめかせていた。
「・・・それで会うのは何時ごろになりましたか?」
茜はあたしが落ち着いた頃を見計らうと辰巳のことを聞いてきた。
「あいつと会うのは・・・次の祝日、こないだの時間帯ということになったわ」
「なるほど・・・それで場所は?」
「場所は・・・辰巳と会ったあの喫茶店・・・」
あたしは辰巳との会話を思い出しながら茜に伝えた。
「なるほど・・・」
茜は机の中からメモ用紙を取り出すとあたしから聞き出した情報を書き写した。
「やっぱり、茜も付いてくるの?」
あたしは一頻りの会話を終えると茜に訊ねた。
「もちろんです。遥さんだけでは向こうのペースに乗せられてしまいそうですから・・・」
「そう・・・」
あたしは不安そうな表情を浮かべた。
「何か心配なことがありますか?」
茜はあたしの表情から心中を察するように確認してきた。
「できれば・・・茜にはあいつと関わってほしくないなって思ってて・・・」
あたしは素直に自らの気持ちを打ち明けた。
辰巳の執念は藪の中の蛇のようにしつこく足に絡み付くと引き剥がすことが困難だった。そんな奴に目を付けられれば茜にどんな災いが降りかかるのか?それはまるで予測ができなかった。
「なるほど・・・僕のことを心配してくれているんですね」
茜は表情を崩すと軽く首を横に振った。
「大丈夫ですよ。僕のことなら何があっても乗り越えてみせますから」
茜は歯を輝かせると爽やかに微笑んだ。
「・・・本当に?」
「はいっ。だから、遥さんは僕のことを気にせずにあいつと向き合うことだけに意識を集中してください」
茜は大きく胸を張ると片目を閉じてウィンクした。
「・・・わかったわ。よろしくお願いね」
あたしは茜の覚悟を確認すると手を差し出した。
「任せてください」
茜はあたしの手を握ると優しく握り返してきた。
「それじゃ・・・次の祝日に外出できるように届けを出しておきましょう」
「そうね・・・」
あたしは茜に言われて外出届を書くことを思い出した。正直、これまでが異例すぎて学校から外出するのにそんな校則があることをすっかりと忘れていた。
こうして、あたし達は辰巳と約束した日まであいつを撃退するための準備を進めていった。




