第67話:嫌悪感と使命感
あたしは男と待ち合わせた時間が近づくとこっそりと学園から抜け出した。
「はぁ・・・まさかあたしが援助交際なんかする破目になるなんて・・・」
あたしは目的地に向かう道すがら溜息を吐きながら自分の不運を嘆いた。
色々なアルバイトをやってきたあたしだったが、さすがに自分自身を売るの初めてのことだった。
(せめて茜みたいに優しそうな人だったら良いのにな・・・)
あたしは頭の中で茜のことを思い浮かべながら胸をドキドキとさせていた。だが、あたしの淡い期待は見事に打ち砕かれた。
「・・・君が?君が天城遥くんだお?」
あたしの目の前に現われたのは頭の薄いお腹が見事なまでのメタボな豚男だった。
(こんな奴にあたしの大切なものを・・・)
あたしは初めての男性となるであろう相手の姿を見て絶句した。
まぁ、女性を金で買おうとするような男がろくな人間である訳がなかった。
「どうかしたのかお?」
豚男はまじまじと見つめているあたしに首を傾げた。
「べっ、別に・・・何でもないです・・・」
あたしは動揺を隠しながら平然を取り繕った。
「なんだお?緊張しているのかい?大丈夫だお。僕は・・・優しいから・・・ぐへぇ、ぐへへへ」
豚男はあたしの顔を見ながら薄気味悪い笑みを浮かべた。
その醜悪な顔は見れば見るほど嫌悪感が沸き上がるようだった。
「どうかしたのかお?」
豚男は黙りこくっているあたしに顔を近づけてきた。
(それ以上・・・あたしに顔を近づけないで・・・)
あたしは高まる嫌悪感を必死で耐えながら精一杯の笑顔を浮かべた。
「うへへへ、やっぱり、可愛い笑顔なんだな・・・」
豚男は嬉しそうに口から涎を溢した。
「・・・ちなみに10万円も本当に払えるの?」
あたしは豚男から距離を取ると彼が本当にお金を持っているのかを確認した。
ここまで来て冷やかしや遣り逃げなどされては堪らなかった。正直、目の前の豚男が金を持っている気もしなかった。
「お金の心配だお?大丈夫なんだな・・・」
豚男は得意気な表情を浮かべると胸の内ポケットから財布を取り出した。そして、分厚い財布の中から無造作に何枚かのお札を取り出して見せた。
「ほら、約束のお金なんだな」
「確かに・・・」
あたしは豚男がお金を持っていたことに驚いた。
(こいつは相当の鴨だ)
あたしは財布の中身を見てそう直感した。
どれくらい鴨かと言うと・・・鴨が葱と鍋を背負って美味しい出汁まで腰にぶら提げている。まさにそんな感じだった。
(これなら・・・)
あたしは生唾を呑み込むと覚悟を決めた。
「それじゃ、行きましょうか?」
あたしは豚男に場所を移動するように提案した。
あたしにはもうあまり時間が残されていなかった。なぜなら、既に学校の授業が終わている時間帯だからだ。
部屋にあたしがいないことがわかれば、茜があたしのことを心配して騒ぎ出し、この間のようにあたしの居場所を探し出して迎えに来てしまう可能性が高い。
そうなる前にあたしは何としてもこいつから金を巻き上げなければならなかった。
「随分と積極的なんだな・・・。行くんだお」
豚男は嬉しそうに手を差し出すとあたしとの握手を求めてきた。
「ええ・・・」
あたしは引き攣った笑みを浮かべると豚男の手を握った。
ぬちゃっ!
豚男の手は何故か気持ち悪く滑っていた。
(嫌あああ・・・でも、我慢っ)
あたしは豚男の機嫌を損ねないように必死で不快感と闘った。
「本当に噂通りの可愛い子なんだな・・・」
豚男は何故かあたしの素性を知っているような素振りを見せた。
「噂?噂ってなんですか?」
あたしは気を紛らわすために噂について質問した。
「知らないのかお?君はと~ても有名人なんだな」
「有名人?」
あたしは自分がそんなに有名になっているとは全く思っていなかった。
「そうなんだな。君の活躍はこないだのテレビ中継でしっかりと見届けていたんだお」
(テレビ中継?・・・ああ、そういうことか)
あたしは魔道競技祭がテレビ中継されていたことを思い出した。そして、ここに来るまでの道すがらやたらと人の視線に晒されていた理由を理解した。
まさか自分の活躍が世間で騒がれているとは知らなかったが、世間ではとても話題になっているみたいだった。同時に辰巳が今になってあたしに近づいてきたことや天城院について知っていた理由についても何となく納得した。
あたしの素性は本人の知らぬ間に複数のメディアによって世の中に拡散されているようだった。
(どおりで簡単に鴨が近づいてきたわけだわ・・・)
あたしは何となく高値で援助交際を了承してくれた理由に納得がいった。
「本当はそっくりさんとか、成りすましがくるものだと思ったんだけど・・・まさか本人が来るとは・・・僕は何と幸運者なんだな」
豚男は鼻息を荒くさせると何やらとても興奮しているみたいだった。
「それは、それは・・・」
あたしは適当に相槌を打ちながら豚男と目的地へと歩いて行った。
「あそこに行くんだな」
豚男は高そうな高級ホテルを指差すと満足そうな笑みを浮かべた。その顔は道端で車に潰されている疣蛙のように気持ち悪かった。
「あそこで・・・」
あたしは自分がこれから大切なものを奪われることを思い浮かべて唇を噛み締めた。
正直、今からでも色々と気持ちの悪い豚男のことを拒絶したかったが、そうなれば辰巳にお金を払うことができない。
金が払えなければ辰巳が教会に対してどんな問題を引き起こすのか、全く予想ができなかった。
(全ては家族のため・・・我慢よ、遥っ!これは試練・・・これは神から与えられた試練・・・)
あたしは自分自身にそう言い聞かせながらこれからの成り行きについて耐え忍んだ。
「着いたんだな・・・」
豚男はホテルのロビーに到着すると慣れた様子でフロントから鍵を借りてきた。
「随分と慣れているんですね?」
「まぁね、こう見えても僕は人気者なんだな」
豚男は得意気に鼻を高くさせた。
(どう見えたらそうなるんだろ?)
あたしはこの豚男からお金以外の魅力を全く感じなかった。どうやら、あたしの他にもこの男を鴨にしている女性は数多くいるみたいだった。
「それじゃ、行くんだな」
豚男はあたしの腰に手を当てるとエレベータに乗り込んだ。
(我慢・・・我慢・・・)
あたしはエレベータに乗っている間、ずっとリチャルド神父や教会の子供達のことを考えていた。
「さぁ、ここが僕達の愛の巣になる場所なんだお」
豚男は部屋の扉を開けるとあたしに部屋の中に入るように促してきた。
「・・・」
あたしは豚男に言われるまま部屋の中へと移動した。
「それじゃ・・・早速、服を脱ぐんだな」
豚男は息を荒くさせると厭らしい目付きであたしを見つめてきた。
「・・・嫌」
あたしは豚男の厭らしい視線に晒されて我慢の限界を超えた。
「んっ?嫌?」
豚男はあたしの言葉に首を傾げた。
「まさか・・・ここまで来て、やらないなんて言わないんだお?」
「・・・」
あたしの頭の中では使命感と嫌悪感が共にせめぎ合っており、豚男の問い掛けに答えられなかった。
「そうか・・・服を着たままやりたいんだな。君はマニアックさんなんだな」
豚男は都合の良い解釈をすると沈黙するあたしに近づいてきた。
「いくんだお」
豚男は服の上からあたしの豊満な胸に触れてきた。
「嫌っ!」
あたしは反射的に豚男の汚らしい手を払い除けた。
「何するんだお?この状況でお預けなんて我慢できないんだお」
「きゃっ」
豚男はあたしのことをベッドの上に突き飛ばすと今にも飛び掛ってきそうな勢いだった。
(誰か・・・茜っ、助けてっ!)
あたしは豚男に襲われることを恐怖して心の中で茜の名前を叫んだ。
「遥さあああんっ!」
茜の声がしたかと思うと次の瞬間、部屋の中へと何かが飛び込んできた。
「なっ・・・なんだなあああっ」
豚男は突然起こった惨事に大口を開けていた。
「痛つつ・・・遥さんっ」
瓦礫の向こうから姿を現したのは茜だった。
「茜?どうして、茜が・・・」
あたしは感激のあまり目尻に涙を浮かべた。
「お前はっ!お前は一体何なんだおっ」
豚男は茜の姿を確認すると怒鳴り声を響かせた。
「黙れ・・・」
茜は普段では絶対に見せないような恐い顔をしていた。
「ひぃ・・・」
豚男はそんな茜に慄いて後ろへと後退した。
「遥さん・・・帰りましょう・・・」
茜はあたしの方に視線を向けると何時もの優しい表情を浮かべてきた。
「・・・」
あたしは恥ずかしすぎて茜の目を直視することができなかった。
「遥さん・・・こっちを見てください・・・」
茜はあたしの傍にやってくるとあたしの両頬を優しく掴んで自らの顔の方へと向けた。
「・・・駄目なの」
「どうして駄目なんですか?」
「あたしは・・・どうてしもお金が必要なの・・・」
あたしの頭の中にはリチャルド神父や教会の子供達の顔が思い浮かんでいた。
「そうだおっ、その金を渡す代わりに僕とセッ・・・お付き合いすると約束したんだなっ。ほらっ、約束の金だおっ。見てみるんだなっ」
豚男はあたし達の会話に無理やり入ってくると財布の中からお金を取り出してきた。
「ふざけるなっ」
茜は豚男の態度に怒りを露わにさせた。
「ひぃ・・・そう怖い顔をしないでほしいんだな。何ならお前にも金を払ってやってもいいんだおっ」
豚男は財布の中からお金を取り出すとこともあろうに茜のことまで買収しようとした。
「口を挟むな・・・。僕は遥さんと話をしているんだ」
茜は再び目付きを鋭くさせると冷酷な表情で豚男に口を紡ぐように命令した。こんな恐い顔をした彼を見るのは初めてだった。
「とにかく今は帰りましょう、遥さん・・・」
茜はあたしのことを優しく抱き寄せると耳元で囁いた。
「あたしのことは・・・放っていて・・・」
あたしは心とは裏腹に拒絶の言葉が口から飛び出した。
本当は茜の申し出が死ぬほど嬉しかったのに・・・
「そんなことはできません。遥さんは僕の大切な家族ですから・・・」
「・・・大切な家族?こんなあたしのことを・・・家族と呼んでくれるの?」
あたしは茜の言葉に大きく目を見開いた。とても信じられない言葉だった。
「当たり前です。だから、遥さんのことを放ってなんかおけないんです」
「だけど・・・あたしにはどうしてもお金が必要なの・・・」
あたしは家族と呼んでくれた茜に感謝してもしきれなかったが、どうしてもお金を諦めることができなかった。
「それなら、僕のお金を使ってください」
「茜の?」
あたしは茜の思わぬ申し出に驚きの表情を浮かべた。
「そうです。遥さんのためならば、僕は幾らでも払いますから・・・」
「・・・本当に?本当にいいの?茜のことを当てにして?」
あたしは茜の目を見つめると彼の本気度を確認した。
「はいっ、僕のことを頼ってください」
茜は迷いのない瞳であたしの目を見つめ返してきた。
どうやら茜は本気のようだった。そんな彼の熱い思いを受けて脳裏に浮かんでいたリチャルド神父や教会の子供達の苦痛の表情がようやく消えた。
「それじゃ、帰りましょう・・・」
茜は手を差し伸べるとあたしをベッドから立たせてくれた。
「ちょっ、ちょっと待つんだなっ!僕の立場はどうなるのだお?」
「まだ、いたのか?そんなこと知ったことじゃないっ」
茜は豚男の言葉を吐き捨てるように声を低くさせた。
「ふっ、ふざけるじゃないんだなっ。僕との約束を守らずに立ち去るなど絶対に許さないんだなっ」
「それならどうするつもりだ?」
「お前らの学校は・・・藤白波学園だったよな?それならば、学校の責任者に訴えるんだおっ」
豚男はとんでもないことを口にしてきた。そんなことをされれば、あたし達はただでは済まなかった。
あたしはすぐに弁明しようと口を開こうとしたが、それより先に茜が口を開いた。
「それなら・・・殺すしかないな」
茜は鬼の形相で豚男の方へと歩いていくと近くの壁を思いっ切り凹ませた。
「ひゃあああ」
豚男はお尻を地面に着けたまま茜から遠ざかると股間の部分から何か水分らしきものを漏らした。
「僕の理性がある内に・・・失せろっ」
「ひええええ」
豚男はお金を床にばら撒いたまま蜘蛛の子のように部屋から逃げていった。
「こんなことを仕出かしてしまって・・・本当に良かったの?」
あたしは普段では絶対に見せない茜の姿に驚きながら彼の行動を心配した。
「・・・構いません。遥さんのためならば、僕は鬼にでもなれます」
あたしはそんな茜の言葉がとても嬉しかったが、笑顔の似合う彼にもう二度とあんな恐ろしい顔をさせてはいけないと思った。
「それじゃ、行きましょう」
茜は新しい魔法を使ってホテルの部屋を修復させるとあたしの方に手を差し伸べてきた。
「うん・・・」
あたしは茜に言われるまま彼の指示に従った。
「・・・行きます」
茜は箒の後ろにあたしを座らせると重力魔法で箒を空へと浮かせた。
「本当にごめん・・・なさい・・・」
あたしは茜に迷惑を掛けてしまったことをお詫びした。
1度ならず、2度までも身勝手なことをしたあたしをわざわざ助けに来てくれたのだ。本当に・・・彼には感謝してもしきれなかった。
「これからは1人で悩まないでください。もっと僕に相談してください」
「・・・わかった。・・・ありがとうね」
あたしは茜の背中にお凸を引っ付けたまま心の底から感謝した。
(なんて心地良いのだろう・・・)
あたしは茜の温もりを感じながら安堵していた。




