第4話:初めての魔法実習
「それではそろそろ魔法実習を始めるとしましょう・・・」
弥生先生は先程の籠の中に手を突っ込むと中の生物を取り出した。
先生が籠から手を引き抜くとそこには拳くらいの大きさの殿様蛙が乗っていた。
「きゃっ」
蛙の姿を見た生徒の何人かが小さな悲鳴を漏らした。
(蛙か・・・)
僕も思わず悲鳴を上げそうになったが、流石に声は出さなかった。
「それじゃ、配ります」
弥生先生は殿様蛙と一緒に蒲鉾板と10数本の針、そして、メスを各自に配り歩いた。
「蛙を受け取った人達はすぐに蛙が逃げないように蒲鉾板に張り付けてくださいね」
弥生先生はいとも簡単そうな感じに指示を出した。
(張り付けてって・・・一体どうすればいいんだ?)
「ほいっ、ほいっ」
僕が頭を悩ませていると遥が手際良く蛙を蒲鉾板に貼り付けていった。あまりの手際の良さに周囲の生徒達が彼女の傍でその様子を観察していた。
僕もその人混みに紛れて蛙を張り付ける手順を確認した。
(なるほど・・・蛙を仰向けにして針を手や足などに刺して蒲鉾板に貼り付ければいいのか・・・)
僕は遥の見様見真似で何とか蛙を蒲鉾板に貼り付けた。
(よしっ、無事に張り付けられたぞ。それにしても・・・天城さんは度胸があるな)
僕は蛙に全く動じていなかった遥に羨望の眼差しを向けた。
「上手く蛙は張り付けられましたか?」
皆の手が止まると弥生先生は蛙を蒲鉾板に貼り付けられたかを確認した。
「・・・どうやら上手く固定できているようですね」
弥生先生はクラス全員分の蛙を確認すると教卓の前へと戻っていった。
「それでは・・・メスを持って蛙のお腹を綺麗に裂きましょう」
弥生先生は笑顔を浮かべたまま恐ろしいことを口にした。
(この蛙のお腹を・・・)
僕は身動きの取れない蛙を目の前にして自分も動きを止めた。何の罪もない生き物を傷付けることにかなりの抵抗を感じていた。
それは他の生徒達も同様であった。みんな、蛙を目の前にして同様に固まっていた。あの遥ですら躊躇ったまま蛙と睨めっこをしていた。そんな重苦しい空気の中、最初に動いたのは麗奈であった。
彼女は軽く深呼吸をするとメスを手に取り、静かに蛙のお腹を切り裂いた。その手捌きはまさに正確無比であった。
(麗奈さんは凄いな・・・。僕も頑張らなきゃ・・・)
僕は麗奈を見習って蛙のお腹を切り裂こうとしたが、いざ蛙を目の前にするとやはり手が震えてまともにメスを入れることができなかった。
「やれやれ・・・注目してくださいっ」
一向に作業が進まない生徒達を見かねて弥生先生がみんなに声を掛けてきた。
「実に残念です・・・藤ノ宮さん以外の人は魔法使いになる覚悟が足りないようですね」
弥生先生は眉間にしわを寄せると困った表情を浮かべた。
「魔法使いになる覚悟?」
僕は弥生先生の言っている意味が解からずに首を傾げた。
「あなた方がこれからしようとしていることは殺す所業ではありません。あなた方がするのは人を生かすための行為なのです」
「人を生かすための行為・・・」
「あなた方が治癒魔法を身に付けることであなた方はより多くの生き物や人を助けることができるようになります。蛙のお腹を切ることはそれを学ぶために必要な行為・・・決して、生き物を傷付けるための所業ではありません」
弥生先生は真剣な表情で僕達に一生懸命訴えかけた。
(なるほど・・・これは人を生かすための行為・・・)
僕は弥生先生の言葉を胸に強く刻み付けた。
(そういえば・・・魔法使いのお姉さんも僕を助ける時に治癒魔法を使っていたな・・・)
僕は特災レスキューのお姉さんに助けられたことを思い出した。
(それなら・・・僕だってっ)
僕は覚悟を決めると軽く深呼吸して蛙のお腹にメスを当てた。
(絶対に治してやるからなっ)
僕は弥生先生の言葉を思い出しながらゆっくりとメスを下に動かした。手の震えは不思議と完全に止まっていた。今の僕の頭の中にあるのは『人を助ける』という使命感で一杯であった。
「・・・できた」
僕は蛙のお腹を切り裂くと静かに安堵の溜息を漏らした。
周囲からも同様の溜息が聞こえてきた。他の生徒達も何とか蛙のお腹を切り裂いたようであった。
「・・・ちゃんとできたようですね」
弥生先生はクラス全員が作業を終えたのを確認すると満足そうな笑みを浮かべた。
「それでは次の段階に進みましょう・・・」
弥生先生は軽く深呼吸をすると目を閉じて呼吸を整えた。
「魔法を使うために必要なこと・・・それは呼吸を整え、一定のリズムを刻みながら深呼吸を繰り返します」
「それにどんな意味があるんですか?」
弥生先生の行動に疑問を感じた生徒が質問をぶつけた。
「これは身体の中にあるX染色体を共鳴させるのに必要な行為なのです。呼吸を整えることで細胞の隅々までを1つに繋げるための準備を行います」
弥生先生の身体が仄かに上気すると身体の周辺に白い幕のようなものが薄っすらと現われ始めた。
「身体のX染色体が共鳴するとこのように身体がほんのりと上気します」
弥生先生はそのままの状態を維持したまま魔法実習を続けた。
「そして、この状態のまま対象の箇所に手をかざします」
弥生先生はお腹を裂いた蛙に手をかざすと静かに何かを念じ始めた。
「あとはひたすらお腹の傷口が塞がるようにイメージを膨らませながら傷口の周辺の細胞を活性化させます」
「先生っ、呪文は唱えないんですか?」
遥は勢いよく手を挙げると素朴な疑問を口にした。
彼女は古い魔法使いのイメージを強く持っていたため、魔法を使う際は呪文を唱えるものだと思い込んでいた。
「そうですね。昔は呪文を唱えることで頭の中のイメージを具現化していましたが・・・魔法の技術も日々進歩しています。今ではイメージを強く具現化できれば呪文を唱える必要はありません」
弥生先生は蛙のお腹を修復しながら遥の疑問に答えた。無残に切り裂かれた蛙のお腹は何時の間にやら綺麗に塞がっていた。
「なるほど・・・」
僕は弥生先生の腕前に感心しながら先生に言われたことを何度も頭の中で繰り返した。
「それではみなさんも実践してみましょう」
弥生先生は魔法実習を開始するように指示を出した。
(まずは・・・)
僕は弥生先生に言われたとおりに呼吸を整えた。
(次に・・・細胞を統一させるように・・・)
僕は身体の細胞に血を駆け巡らすように精神を集中させた。次第に身体の奥底から何かが込み上げてくるような感覚に包まれた。
(・・・温かい)
僕の身体の細胞はX染色体の共鳴により活性化され、僅かに体温を引き上げていた。そのため、弥生先生のように肌が薄いピンク色になっていた。
(これが・・・魔法を使うという感覚なんだ)
僕は身を以て魔法を使うことを体感した。まさに細胞の1つ1つを震わせているような感覚であった。その状態のまま僕は蛙のお腹に手をかざした。
(元に戻れっ、元に戻れっ)
僕は蛙のお腹を元の状態に戻そうと一心不乱に念じた。
(・・・できたかな?)
僕はかざした手を少し外すと蛙のお腹を確認した。
(あれ?元に戻っていない???)
僕は蛙のお腹が1ミリも戻っていないことに目を丸くさせた。
「どうかしましたか?」
僕が不思議そうに首を傾げていると弥生先生が話し掛けてきた。
「・・・いえ、何でもありません」
僕は少し考えた後、弥生先生の手助けを断った。
(ここは自分の力で何とかしなきゃ。授業のことをよく思い出すんだ・・・)
僕は必死で先程受けた授業説明のことを思い出した。
(・・・そうかっ。元に戻れと念じるんじゃなくて蛙のお腹の細胞を活性化させて傷口を塞ぐようにイメージするんだっ)
僕は弥生先生の言葉を思い出して根本的に治癒魔法の使い方を間違えていることに気が付いた。
僕達は基本的に物体を元に戻すことはできない。
僕達ができること・・・それは生命の営みである細胞を活性化させることであった。
「もう一度・・・」
僕は再び呼吸を整えると蛙のお腹に手をかざした。そして、蛙のお腹の細胞を活性化させるように強く念じながら必死で想像力を膨らませた。
蛙のお腹は僅か数ミリ程度であったが、少しずつ少しずつ傷口が塞がっていた。
(ちゃんと治っている・・・。この感じでいいんだ)
僕は蛙のお腹が塞がっているのを確認できて安心して同じ行動を繰り返した。何時の間にやら額や手から大量の汗が滲み出ていた。
「・・・注目してください」
僕が蛙のお腹を3分の1程度修復していると弥生先生が前を向くように声を掛けてきた。
「ふう・・・」
僕は溜息を吐き出すとハンカチを取り出して額や手の汗を拭き取った。そして、弥生先生の方に視線を向けた。教卓の前には遥と麗奈が並んで立っていた。
「これから治癒魔法の良い例と悪い例をお見せします」
弥生先生は最初に遥の治療した蛙のお腹を見せた。そのお腹は見事なシックスパックができており、もはや蛙というよりは蟹のようなお腹であった。
「これは悪い例です。この蛙のお腹は細胞を活発化させすぎて細胞が変質してしまっています。治癒魔法を掛ける際にはきちんと魔法の調整を行ってください」
弥生先生は筋肉質になりすぎてしまった蛙のお腹を元に戻すと遥に手渡した。
(あの蛙はやっぱり天城さんのか・・・)
僕は何となく悪い例の方が遥の治療した蛙であったことに納得した。
「次に良い例です」
弥生先生はお腹の綺麗な蛙を見せた。蛙のお腹は切り裂かれる前と寸分違わない姿で見事に治療されていた。
「あなた方も藤ノ宮さんを見習って、この様に綺麗に治療してあげてください」
弥生先生が麗奈に蛙を手渡すと教室中から拍手が鳴り響いた。皆に続いて僕も手を叩いた。
(やっぱり、麗奈さんは凄い人だな・・・)
僕はただただ麗奈に感心するばかりであった。
(僕も頑張らなきゃ・・・)
僕は2人を見習ってもっと早く治療できるように頑張ろうと気合を込めた。そして、蛙のお腹の治療が3分の2程度終わった所で授業終了の鐘が鳴った。
(もう終わりか・・・。ちゃんと治せなかった・・・)
僕は蛙のお腹の治癒に専念していたため、時間の流れに全く気を留めていなかった。
「それでは治癒が完全に終わっていない人はこちらに持ってきてください」
弥生先生は傷口が塞がっていない蛙のお腹を全て元に戻すと再び蛙を生徒達に手渡した。
「蛙は次の授業でも使いますのであなた方が責任を持って飼育してください」
「えーーーっ」
クラス中から不満の声が響いた。
「これも授業の一環ですっ。責任を持ちましょう」
弥生先生は生徒達の声を一蹴すると授業の終了を告げた。
「これからよろしくね」
僕は新たにルームメイトなった蛙に挨拶を交わした。
(今度はきちんと治療するからっ)
僕は蛙を見つめながら心の奥底で強く決意した。