第43話:飛行訓練(3)
(こうして、またこの景色を見ることになろうとは・・・)
僕は眼前に広がる大海原を見つめながら遥と過ごした去年のことを思い返していた。
「何をぼーっとしているのよ?」
「すみません。なんか懐かしくて・・・」
僕は急に現実へと引き戻されて苦笑いを浮かべた。
「そういえば・・・去年もこの時期にこの海に来たっけ?」
遥は何かを思い出したように手を突くと軽く首を縦に振った。
「それなら今年も花火大会を見れるかもしれないわね」
「・・・そうですね。それじゃ、今年もお祭りに行って花火を見ましょう」
僕は遥と花火を見に行くことを約束した。
「それで僕達が泊まりにいく場所はどこですか?」
僕は遥が手配した宿屋を確認した。
「それなら・・・あそこよ」
遥は辺りの様子を見回すとこの辺りで一番高い建物を指差した。
「あそこですか・・・」
僕は遥が指差した超一流ホテルを見て顔面を蒼白させた。
(こんな場所、僕の持ち金で本当に大丈夫か・・・)
僕の目の前に聳え立つホテルは相当の高級ホテルでとてもじゃないが、僕の財布事情では1日泊まれるかどうかである。
少なくとも数週間の滞在はとても無理そうであった。
「何しているのよ?早く行くわよ」
遥は僕が戸惑っていると足早にそのホテルの方へと近づいていった。
「本当にあそこに行くんですか?」
僕は遥に念を押すように確認した。
「ええ、そうよ。あそこで予約取ったからね。結構、格安だったのよ」
(格安?どう見ても高そうにしか見えないんだけど・・・)
僕はホテルに近づくに連れて緊張で鼓動を早くさせていた。
(最悪の場合はどこかでバイトをしながら稼ぐしかないかな・・・)
僕は最悪の事態を想定しながら色々と覚悟を決めた。
「何を憂鬱そうな顔しているのよ?」
「別に・・・」
僕は苦笑いを浮かべながら平静を装った。
遥は全くお金の心配をしていないようであった。
「さぁ、着いたわよ」
遥は立派に聳え立つホテルのロビーを横切るとその横にある今にも潰れそうな宿屋へと移動した。
「え・・・」
僕は思わず目が点になった。
「どうかしたの?」
「いや・・・こっちに泊まるんじゃないんですか?」
僕は恐る恐る指を震わせながら高級ホテルを指差した。
「馬鹿ねっ。あたし達のお金でこんな高級そうなホテルに泊まれるわけないじゃない」
遥はしっかりと僕の財布事情を理解していた。
「なんだ・・・良かった」
(バイトはせずに済みそうだ・・・)
僕は安堵の溜息を吐くと胸を撫で下ろした。
「さぁ、さっさと宿屋に荷物を置いて練習に向かいましょう」
遥は尻馬を叩くように僕を急かしてきた。
「はいっ」
僕は気を取り直すと足取りを軽くした。
そして、宿屋でチェックインを済ませると部屋に持ってきた荷物を置いてスカイレースの箒を手に持った。
「遥さんの方は準備終わりましたか?」
「あと少し・・・」
遥は脱衣所の方で何やら物音を立てながら動いていた。
「準備できたわよ」
遥は上着を抱えて脱衣所から出てきた。彼女は水着に着替えていたようであった。
「遥さん、そんな露出の高い格好をしなくても・・・」
「海に来てるんだからこれくらい当然でしょ?」
遥は後ろ髪を靡かせると満面の笑みを浮かべた。
彼女の着ている水着は一年前に僕が彼女のために買った物であった。
「そういう茜の方こそ、そんな熱そうな格好をしていて大丈夫なの?」
僕は水着の上からTシャツと短パンを穿いていた。
「これくらいの格好でも十分ですよ。僕達はあくまでもスカイレースの訓練に来たのですから」
僕は遊ぶ気満々でいる遥に注意した。
「どうせ海に落ちたりしたら濡れるんだから水着でもかまわないでしょ?」
「海に落ちることを前提に考えないでください」
「やれやれ・・・本当に茜は真面目なんだから」
遥は呆れた表情を浮かべると溜息を吐いた。
「遥さんはもっと真面目にやってください」
僕も遥の溜息を返すように口から息を吐いた。
「それじゃ、浜辺に向かいましょう」
遥は自分用の箒が入った棺のような大きな入れ物を背中に担ぐと僕の方に振り返ってきた。
「待っていたのは僕の方ですよ」
僕も遥の担いでいる物と同じ入れ物を背負うと部屋の入り口へと歩いて行った。
ちなみに僕が担いでいる収納ケースの中身は僕が乗るための箒である。
この合宿に来るにあたって物理研究部で眠っていた古い箒を整備して持ってきていた。
「あっついわね・・・」
遥は燦々と照り付ける太陽を片手で遮りながら目を細めた。
「この辺でいいでしょうか?」
僕は海の家から借りてきたビーチパラソルを浜辺に突き刺すと日陰になる場所を作った。そして、その場所に担いでいた入れ物を下ろすと入れ物に掛けていたロックを外した。
「遥さんも早く箒の準備を済ませてください」
「ちょっと・・・それよりも先にやることがあるでしょ?」
遥は箒の収納ケースの蓋を開けると中から何かを取り出した。
「何をするつもりです?」
僕は遥の意図が掴めずに首を傾げた。
「何って・・・こんな燦々と照り付ける太陽の下でこれを付けずに練習するつもり?」
遥は僕の方に収納ケースから取り出した物を投げて渡してきた。
「これって・・・日焼けクリーム?」
僕は遥の突然の行動に困惑した表情を浮かべた。
「それを塗らなければ肌が真っ黒に焼けるわよ」
遥は片眉を吊り上げると呆れた表情を浮かべた。
遥の言うことは尤もであった。
去年の初日はそれを怠ったため、僕の肌は薄っすらと日焼けの痕が残ってしまっていた。
「だから・・・よろしく頼むわね」
遥は浜辺の上にビニールシートを広げると背中の水着を解いてうつ伏せになった。
「まさか・・・僕にこれを濡れと?」
僕は遥から渡された日焼けクリームを見つめながら呆然としていた。
「当たり前でしょ?あたしだけじゃ背中とか全身に塗ることはできないんだから」
遥は呆れた表情を浮かべると日焼けクリームを塗るように要求してきた。
「本当にいいんですか?」
僕は日焼けクリームを手で捏ねながら人肌の温度に温めた。
「今さら何を・・・お互いの裸を見た仲でしょ?別に恥ずかしがる必要はないわ」
遥は恥ずかし気もなく無神経なことを口にした。
「そうですけど・・・」
遥の言うとおり、確かに彼女の裸を見たところで今の僕は何も感じなくなっていた。
それもこれも普段から彼女のだらしない姿を見すぎたせいであった。
・・・とはいえ女の子の素肌に触れることには多少の抵抗はあった。
「それじゃ・・・塗りますね」
僕は軽く深呼吸して覚悟を決めると優しく遥の肌に触れた。
(・・・柔らかいな。やっぱり、遥さんも女の子なんだな)
僕は遥の肌に触れながら女の子ならではの感触を感じ取っていた。そして、改めて彼女が女の子であることを実感した。
「背中だけじゃなくて、ちゃんと腰や太腿、お尻の方も塗ってよね」
遥は僕に日焼けクリームを満遍なく塗るように命令してきた。
「本当に・・・人使いが荒いんだから・・・」
僕は困惑した表情を浮かべながら彼女の指示に従って全身を隈なく塗り込んだ。
「それじゃ、今度はあたしが塗ってあげるわね」
遥は日焼けクリームを塗り終えると今度は自分が塗ると言い出してきた。
「いえ、自分で塗れますから・・・」
僕は首を横に振ると遥の申し出を断った。
どうせ露出している箇所は首や腕、脚など全て自分で塗れる場所であった。
「いいから、いいから。横になりなさい」
遥は半ば無理やりに僕を横に寝かせると僕と同じように日焼けクリームを塗ってきた。
「本当に・・・強引なんだから・・・」
僕は恥ずかしそうに瞳を潤ませながら軽くした唇と噛み締めた。
「何を艶っぽい声を出してんのよっ」
遥は頬を赤くさせると僕の首や腕、足回りに日焼けクリームを塗り続けた。
「準備も済みましたし・・・それじゃ、そろそろ始めましょうか?」
僕は箒を収納ケースの中から取り出すと空を飛ぶ準備を始めた。
「こっちも準備万端よ」
遥も自分専用の箒を用意すると股の間に挟んだ。
「・・・行きますよ」
僕は箒のスイッチを回すと上空へと浮かんだ。
「何度経験してもこの瞬間はたまらないわね」
遥は子供のように無邪気な笑顔を浮かべると僕の隣へと静かに移動してきた。
「それではまずはこの辺りを軽く一周しましょう」
僕は準備運動をする感覚で遥に浜辺の上空を一周することを提案した。
「了解よ」
遥は僕の動きに合わせて箒のスピードを上げた。
「まずはあの小島を目指します」
僕は目標を決めるとそちらの方向を目指して箒のウィングの向きを調整した。
「てぃっ」
遥は身を捩ると僕の後に続いた。
「次は向こうの海岸を目指します」
「ほいほい」
遥は身体を右側に傾けると120度ほど旋回した。
(旋回は完璧にできるようになっているな)
僕は遥の動きを見ながら彼女の技量を推測した。
「それじゃ・・・スピードを上げます」
僕は箒のつまみを限界まで回すとトップスピードに設定した。
「ちょっ・・・ちょっと待ってっ」
遥は僕のスピードに付いて来られずに戸惑いの声を上げた。
「・・・つっ」
僕は下唇を噛み締めると箒のスピードを一気に落とした。
(そういえば・・・遥さんに魔道エンジンの使い方を教えていなかった)
僕は遥が追い付いてくるのを待った。
「すみません。スピードの上げ方を教えていませんでしたね」
「それで・・・箒のスピードを上げるにはどうすればいいの?」
遥は真面目な表情でスピードの上げる方法について訊ねてきた。
「魔道エンジンの稼働率を上げるにはエンジン内部に重力魔法を掛けてください」
「エンジン内部に?」
「そうです。エンジンの内部には加重に応じて電気量を増やす圧電素子が組み込まれているので」
僕は遥に魔道エンジンの使い方について説明した。
「いまいちわからないけど・・・エンジンの内部に重力魔法を掛ければいいのね?」
遥は眉を潜ませると僕の言うとおりにエンジン内部に重力魔法を掛けた。
「・・・きゃあああ」
遥は魔法の加減をせずにいきなり全力で最大重力を加えた。
「遥さあああああん」
僕はあっという間に見えなくなってしまった遥に大声で呼び掛けたが、当然のように返事はなかった。
「仕方がない。追いかけよう・・・」
僕は先程と同じように箒のスピードを最大速度に設定すると遥か彼方へ跳んでいってしまった遥を全速力で追いかけた。
(まだ追いつかない・・・どれだけ凄いスピードで飛んでいるんだ?)
僕はなかなか姿が見えてこない遥に不安を感じながらさらに形状魔法を使って、風を受ける抵抗を最小限に抑えた。
「・・・いたっ」
僕は前方にいる遥の姿を確認すると少しずつスピードを抑えていった。
「こいつはとんでもない暴れ馬だわね」
遥は疲れたような表情を浮かべると安堵の溜息を吐いた。
「凄いのは遥さんの魔力ですよ。あれだけのスピードが出せるなら夏海先輩にだって絶対に勝つことができますよ」
僕は遥の全力疾走を目の当りにして彼女が夏海先輩に勝てる勝算の確率を上げた。
「このスピードを上手く制御できればね・・・」
遥の言うことは尤もであった。
どんなに早いスピードで飛べてもそれを制御できなければ何も意味はない。
「それができるようになるまで何度も飛び続けて慣れていけばいいんですよ。そのための練習ですから」
僕は満面の笑みを浮かべると遥のことを励ました。
この合宿で彼女の実力をできる限り引き出させるつもりでいた。
「・・・わかったわ。練習を再開しましょう」
遥は両頬を軽く叩くと再び気合を込めた。
「慣れるまではできる限り僕のスピードに合わせてください」
僕は遥を連れて広い海原の上を何度も旋回した。
「そろそろ終わりにしませんか?」
僕は夢中で没頭する遥に浜辺から声を掛けた。
僕の魔力は彼女ほど強くなかったため、彼女よりも先に練習を終えていた。
「・・・今日はもう十分かもね」
遥は僕の声掛けに反応して浜辺へと降りてきた。
「初めての全力飛行はどうでしたか?」
「最初の内は色々と戸惑っていたけど・・・大分慣れてきたわ」
遥は充実した表情を浮かべると満足そうに専用箒を地面へと降ろした。
「それじゃ、宿屋に戻って温泉に浸かりましょう」
僕は遥の箒の収納ケースを開くと後片付けを早く済ませるように促した。
「そんなに急かさなくても・・・あれ・・・」
遥は僕の傍へと近づくと突然よろめいた。
「遥さんっ」
僕は倒れそうな遥を慌てて支えた。
「ごめんなさい・・・少し夢中になりすぎたみたい・・・」
遥の体力、気力共にもう限界が近いようであった。
ただ箒に乗っているだけといえども同じ体勢をずっと維持し続けなければならないことはとても体力を使うことなのである。
「僕の方こそ気が付かなくてすみません。もっと早く遥さんに声を掛けるべきでした」
僕は遥の体調管理が疎かになっていたことを謝った。
「別に・・・茜が謝ることじゃないわ」
遥は身体を左右に揺らしながら精一杯の笑顔を浮かべると僕に心配掛けないように気丈に振舞っていた。
「とにかく早く帰りましょう・・・」
僕は遥の箒を収納ケースに収めると彼女を背負って両手に箒を入れたケースを抱えた。
(僕の気力が尽きる前に宿屋に戻らなければ・・・)
僕は下唇を噛み締めると重力魔法を掛けながら全速力で宿屋へと戻っていった。
「茜・・・ごめんね・・・」
遥は僕の背中で謝罪の言葉を呟くと静かに目を閉じた。
「謝るのは僕の方です・・・」
僕は遥に背中越しに語り掛けると眉間にしわを寄せて悔しさを滲ませた。そして、宿屋に戻ると気持ち良さそうに眠る彼女を布団の上へと寝かせた。
「これからはもっと気を付けなければ・・・」
僕は遥に布団を被せると温泉へと向かった。
「ふぁ・・・生き返る・・・」
僕は温泉に浸かると心の底から歓喜の声を漏らした。
(明日からの練習メニューはどうしようかな?)
僕は今日のことを反省しながら明日からの予定について考えを張り巡らせた。
(基本的には全力で飛ぶのがメインなんだけど・・・飛ぶだけの練習以外のメニューについても考えておかないとな)
僕は温泉に浸かりながら遥にとって最適なトレーニング方法について考えた。
「そろそろ頭を洗わなければ・・・」
僕は頭が逆上せる前に温泉から出ると速やかに頭や身体を洗ってもう一度温泉に浸かった。
(とりあえず、午前中は今までどおりに夏休みの課題を進めて午後からは基礎体力トレーニングと旋回や上昇、下降などの練習を行って、最後の短い時間で全力飛行する練習をするようにしよう)
僕は頭の中でスケジュールをまとめると温泉から出た。そして、浴衣に着替えると足早に自分の部屋へと戻っていった。
「気持ち良さそうに眠っているな・・・」
僕は遥の寝顔を確認すると彼女の隣に自分の布団を敷いた。
それから手早く布団の中へ潜り込むと食事を取らないまま睡眠を貪った。




