第42話:飛行訓練(2)
「やっと・・・できたわっ」
遥はプールサイドに戻ってくると両手を振り上げて大喜びした。
彼女は7月の最終日に水面で15分以上のダンスを見事にやりきったのであった。
「・・・おめでとうございます」
僕は大喜びの遥に祝いの言葉を述べた。
「これで・・・心置きなく空を飛ぶ練習をすることができるわっ」
遥は拳を握り締めるとやる気を漲らせた。目標を達成したことで彼女の気持ちは最高潮まで高まっていた。
(これならすぐに飛ぶ練習を始めても問題なさそうだな)
僕はやる気満々な遥の姿を見て彼女ならば8月中に短距離のスカイレーサーとして充分に成長できることを確信した。
「それじゃ、いよいよ明日から箒を使った練習に入りましょうね」
僕は今日の練習を打ち切ることを提案した。
「・・・そうね。流石に今日は疲れたわ」
遥はダンスを踊りきるまでに相当の体力と気力を消費していた。流石の彼女でもこのまま空を飛ぶ練習を続けることはできないようであった。
「どうぞ」
僕は遥のために用意しておいたバスタオルを掴むと彼女に差し出した。
「ありがとう」
遥はバスタオルを受け取ると頭に被せてはにかんだ。
「それじゃ、ちょっとシャワーを浴びてくるわね」
「いってらっしゃい。僕は後片付けが終わったら部屋に戻りますので」
僕は遥の手を振ると彼女の箒の調整を続けた。そして、箒の調整が終わると物理研究部に箒を戻して寮の自室へと戻った。
「ただいま・・・」
僕が部屋に戻るとシャワーを浴び終えた遥は既に睡眠状態に入っていた。どうやら彼女の疲労のピークはとっくの昔に越していたようであった。
「お疲れ様・・・本当に頑張りましたね」
僕は遥の乱れた布団をきちんと整えると彼女の頭を軽く撫でた。
(それにしても・・・まさか本当にダンスを踊りきってしまうとは)
僕は心底遥の根性に驚かされていた。
正直、彼女がダンスを完走することは間に合わないだろうと思っていた。それなのに彼女はそれができると信じて我武者羅に踊り続けていた。そして、それを見事に彼女は成し遂げたのであった。
「遥さんなら本当にプロのスカイレーサーになれるかもしれない・・・」
僕は気持ち良さそうに眠る遥の顔を見つめながら優しく微笑んだ。
「おやすみなさい・・・遥さん」
僕は部屋の明かりを落とすと自分の机の周りだけライトで照らした。そして、夏休みの課題を始めた。
僕は今の内にやれることをやることにした。
「おはようっ」
次の日の朝、僕が目を覚ますと遥は既に運動着に着替えていた。
「やる気満々ですね・・・」
僕は眠気眼を擦りながら小さな欠伸を浮かべた。
「当ったり前じゃないっ。楽しみにしてた空の練習を始めるんだから」
遥は鼻息を荒げると目の闘志を漲らせていた。
「やる気充分なのはいいですが・・・その前に・・・」
僕は遥の机の方を指差した。
「何よ?」
遥は首を傾げながら眉を潜ませた。
「昨日の夏休みの課題、やっていませんよね?」
僕は遥が夏休みの課題について全く手を付けていないことを知っていた。
「それなら夏休みの終わりでも・・・」
「そう言って嫌なことを後回しにするのは遥さんの悪い癖です。これからスカイレースの練習に専念するためにも午前中は夏休みの課題を済ませる勉強時間とします」
僕は露骨に嫌そうな顔を浮かべる遥に勉強をするように促した。そうしなければ彼女は絶対に夏休みの課題を済ませないと確信していた。
「・・・わかったわよ。勉強すればいいんでしょっ」
遥は軽く頬を膨らませると渋々勉強机へと向かった。
(これでしばらく時間が稼げる・・・)
僕は朝からハイテンションな遥に付いていけていなかった。
「ふぅ・・・」
僕は洗面所で顔を洗うとタオルで水を拭った。
(とりあえず・・・まずは食事を済ませて。それから勉強して・・・)
僕は鏡で自分の顔を確認しながら今日のスケジュールについて思考を張り巡らせた。
こうして午前中は何事もなく平穏に過ぎていった。
「今度こそ・・・」
遥は昼ご飯を食べ終えると再びやる気を漲らせた。
「そうですね。まずはこれを・・・」
僕は物理研究部から借りてきたヘリウムガスの入ったガスボンベを使って風船を膨らませた。
「何をやっているの?」
「これからこの室内プールの中に簡易のコースを作るんですよ」
本来であればもっと広い場所でもっと本格的な練習をしたかったが、運動場やそういう広い場所では既に3年生達が長距離用のスカイレースの練習をしており、僕達が使用することはできなかった。
「ほらほら、遥さんも膨らませるのを手伝って・・・」
僕は遥に萎んだ風船の束を渡すと膨らませるのを手伝わせた。そして、それらの風船に長い紐を付けて等間隔に浮かべた。
「こんなものでいいでしょ」
僕はコースの準備が終わると遥の専用箒に跨った。
「それじゃ、見ていてくださいね。まずは僕が飛んでみせますから」
僕は箒のエンジンを入れると重力魔法を使ってスタート地点まで移動した。
「行きます・・・」
僕はエンジンを水平方向に切り替えると風船の紐の間を蛇のように左右にうねりながら通り抜けた。
そして、室内プールの反対側まで移動すると再びスタート地点に向かって蛇行した。
「どうでしたか?」
「何か単純なコースね」
遥は余裕の笑みを浮かべると後ろ髪を靡かせた。
「もちろん。今は最低限の練習ができるように設置した簡易コースですからそこまで難しくはないですが・・・結構、大変ですよ?」
「楽勝、楽勝」
遥は自信満々な様子で僕から箒を受け取った。
「それじゃ・・・」
遥はエンジンのスイッチを入れると宙へと浮かんだ。そして、スタート地点まで移動した。
「よーい・・・どんっ」
僕は手を垂直に立てると一気に振り下ろしてスタートの合図を切った。
「せい・・・って、あれ?あれれ?」
遥は僕と同じように箒を蛇行させようとしたが、最初の1つ目以降は上手く方向を切り替えられずに何度もコースアウトした。
「どうでしたか?」
「・・・意外に難しいわね」
遥は眉間にしわを寄せると不満そうな表情を浮かべていた。
「もっと旋回する際に軸足を意識してください」
僕は遥の駄目な点について指摘した。
「・・・わかったわ」
遥は真面目な表情を浮かべると気持ちを切り替えて再び簡易コースのスタート地点へと向かった。
「よーいっ・・・どんっ」
僕は遥がスタート地点に立つと再び掛け声を掛けた。
「レフトターンっ」
僕は遥が左に旋回する地点にやって来るとダンスのことを思い起こさせた。
「左足ねっ」
遥は僕の声に反応して左回りに旋回した。
「今度はライトターンっ」
「右足に・・・意識を集中させて・・・」
遥は僕の指示通りに右回りに旋回した。
こうして僕達は同じ作業を繰り返しながら室内プールの反対側まで移動した。
「最後は右回りにUターンですっ」
「Uターンと・・・」
遥は右足を真っ直ぐに伸ばすとそこを軸にするように180度旋回した。
「そこからスタート地点まで同じ作業を繰り返して戻って来てください」
僕は遥が室内プールの反対側まで辿り着くと今度は指示なしで戻ってくるように促した。
「右ターン・・・左ターン・・・右ターン・・・」
遥は慎重にダンスを踊ったことを思い出しながら右へ左へと旋回していった。そして、今度はコースアウトすることなく最後まで完走した。
「お見事です」
僕は遥が戻ってくると一度もコースアウトしなかったことを褒めた。
「最後まで失敗することなく完走はできたけど・・・」
遥は最後まで無事に完走したにもかかわらず、険しい表情を浮かべていた。
「気にすることはありません。スピードは少しずつ上げていけばいいんです」
遥が納得していなかったのはコースを回る速度であった。
彼女はコースアウトしないように重力魔法でスピードを落としながら飛んでいたのである。そのため、僕に比べると2倍ほど時間が掛かっていた。
「本当にできるかしら?」
遥は不安そうな表情を浮かべると僕の顔を見つめてきた。
「大丈夫ですっ。遥さんなら絶対にできるようになりますから。今はひたすら練習あるのみです」
僕は遥が自信を持つように彼女のことを懸命に励ました。
「・・・ありがとう。それじゃ、もう一度行って来るわね」
遥は明るく微笑むと再びスタート地点へと向かった。そして、同じ作業を何度も繰り返した。
「・・・お疲れ様です」
僕は遥が戻ってくるとスポーツタオルを手渡した。彼女の額にはびっしりと汗が滲んでいた。
「ありがとう・・・」
遥はタオルを受け取ると顔に付いている汗を拭った。そして、汗を拭き終えると柔らかな笑みを浮かべた。
「大分、旋回コースにも慣れてきましたね」
僕は1周回るごとに少しずつタイムが短くなっていく遥に感心していた。
「おかげさまでね」
「これなら明日からは次のコースに移っても問題なさそうですね」
「次のコース?」
遥は僕の言葉に反応して首を傾げた。
「短距離用のスカイレースのコースには旋回だけでなく、上昇と下降を繰り返す波形コースもあります」
「つまり・・・左右だけじゃなくて上下にも移動しなければならにということ?」
「そういうことです」
僕は遥の質問に対して首を縦に振った。
そして、短距離用のスカイレースのコースの全体について説明を始めた。
「短距離用のスカイレースのコースは全体で2500メートルあり、最初の直線のコースでは500メートルずつ左右を旋回するコースと上下を波形するコースがあります」
「へぇ・・・それからそれから?」
遥は僕の話を理解するように首を縦に振った。
「その地点を越えると次は500メートルほど右回りに旋回しながらコース上にある障害物を避けていきます」
「障害物って?」
「基本的には風船のようなものです。それがコース上の至る所にランダムで配置されているのでぶつからないように回避していきます」
僕は短距離用のスカイレースで用いられる障害物に説明した。
「それにぶつかると何か問題があるの?」
遥は障害物にぶつかった際のペナルティについて質問してきた。
「あります。障害物に1回ぶつかる毎にタイムペナルティとしてゴールしたタイムから1秒ずつ加算されます」
「つまり・・・他の選手よりも早くゴールしてもタイムが遅ければ負けるってこと?」
「そうなります」
僕は遥の質問に対して軽く頷いた。
「なので障害物は絶対にぶつからないように避けなければなりません」
「ぶつかった際の判定はどうなっているの?」
「判定は僕達を中継しているドローンによってカウントされます」
スカイレースの参加者の後ろには常にドローンが張り付いており、各選手の中継を行っている。そのドローンを通して選手が障害物にぶつかっていないかの判定を行う。
「そして、最後の直線1000メートルではただひたすらに全速力でコースを飛行します」
「なるほどね・・・」
遥は僕の説明を聞きながら短距離用のスカイレースのコースについて理解していった。
「というわけで・・・明日からは波形コースについて練習していこうと思います」
「・・・わかったわ」
遥は僕の説明に納得すると波形コースの練習をすることを承諾した。
「それじゃ、そろそろ寮に戻るとしましょう」
僕は遥に後片付けを促すと室内プールに浮かべた風船を回収させた。
「そういえば・・・1つ聞いてもいい?」
遥は室内プールの後片付けが終わると何かを思い出したように話かけてきた。
「なんですか?」
「どうして、茜はスカイレースについてそんなに詳しいの?水面でのダンスの練習もそうだったけど、魔道エンジンとか、スカイレースのコースとか」
遥は僕がスカイレースについて異常に詳しいことが不思議なようであった。
「それはですね・・・。魔法使いになりたくてあれこれ調べている内にスカイレースについても色々と詳しくなりまして・・・」
僕は魔法使いのことを知る上で彼女達が専門で行っているスカイレースについても色々と調べていたため、スカイレースについてかなりの専門知識を持っていた。
「ちなみに水の上でのダンスの練習方法については昔のスポーツ記事で読んで知っていました」
水面でのダンス練習法はプロのスカイレーサーが紹介していた練習方法であるが、基本的に魔力の高い人間にしかできないため、あまり一般的には知られていなかった。
普通の魔力の持ち主ならば箒に跨る方が効率が良いからである。まさかこのような形で知識が役に立とうとは思いもしなかった。
「なるほどね。おかげでとても助かっているわ」
遥は優しく微笑むと感謝するように頭を下げた。
「顔を上げてください。僕は当然のことをしているだけですから」
僕は畏まる遥に顔を上げるように促した。
「それじゃ、明日からもよろしくね」
「任せてください」
僕は遥と拳を交わすとこれからも彼女のことを手助けすることを強く誓った。
こうして僕達は室内プールで旋回や上昇、下降の練習を繰り返しながら少しずつコースを回る速度を上げていった。
(そろそろこの場所での練習も終わりかな・・・)
僕は遥が旋回や上昇、下降などの技術がある程度磨かれると次の練習場所について考えていた。
遥が夏海先輩に勝つためには小手先の技量だけでなく直線距離での全力飛行の練習をすることも不可欠であった。
(流石にここでは狭すぎて全力速度で飛ぶことはできないしな・・・)
室内プールの広さだけではとても全力で飛ぶことは叶わなかった。
(どこか良い場所はないものか?)
僕は室内プール以外の練習場について試行錯誤していた。
「どうしたのよ?暗い顔して」
遥は僕が悩んでいると声を掛けてきた。
「そろそろ練習場を変更したいのですが・・・」
「確かに・・・室内プールだけじゃ狭すぎて不便だものね」
遥は僕の意見に同意するように軽く頷いた。
「どこか良い場所はありませんかね?」
「それなら・・・」
遥は自信満々な様子で口を開いた。
「去年の夏に行った海なんてどう?」
遥は去年バイトに行った海について提案してきた。
「なるほど・・・あの海ですか」
僕は青く広がった浜辺のことを思い出しながら、あの場所でなら存分に全力飛行の練習ができると判断した。
「・・・良いですね。それじゃ、早速、あの海の家に行く準備を始めましょう」
「それじゃ、宿の予約はあたしが・・・」
遥はすぐさま机に備え付けられているパソコンに手を伸ばすと宿屋の手配を始めた。
「今回はアルバイトの予定は入れないでくださいね。あくまでスカイレースの練習に行くのが目的ですから」
僕は前回の苦い経験により遥にアルバイトを入れないように念押しをした。
「むぅ・・・」
遥はあからさまに不満そうな表情を浮かべると蛙のように頬を膨らませた。
彼女はバイト付きで海に行く気満々であった。
「そんな顔しても駄目です。アルバイトをしながらスカイレースの練習するなんて無謀すぎますよ」
僕は文句を言いた気な遥を宥めながら彼女にスカイレースの練習だけに専念するように促した。
とてもじゃないが、アルバイトをしながらでは体力が持たないだろう。
「そうなると旅費が・・・」
「今回の旅費については全て僕が出しますので心配しないでください」
僕は旅費のことを気にしている遥に助け船を出した。彼女には心置きなくスカイレースの練習に専念してほしかったからである。
「本当にいいの?」
遥は申し訳なさそうに眉を吊り下げると瞳を潤ませた。
「もちろんですっ。遥さんを一流のスカイレーサーにするのは僕の使命ですから。その願いが叶ったら何時か返してくださいね」
僕は遥が気を使わないように出世払いで支払ってもらうことを提案した。
「・・・わかったわ。絶対にプロのスカイレーサーになって返してみせるから」
遥は僕の意見を了承すると今回はバイトなしで宿屋を手配した。
こうして僕達は全力飛行の練習をするために去年遊びに行った海へと合宿に向かった。




