第36話:インターンシップ 遥編(4)
「一体何時から・・・って、今はそんなことを考えている場合じゃないっ」
あたしは呼吸を整えると再び身体の細胞を震わせた。
「とにかく今は心肺の蘇生を・・・」
あたしは春人に習った方法で少女の心臓を動かそうとした。
「・・・っ、どうしてっ」
あたしが少女の心臓を再び動かそうと今までと同じ方法を用いたが、彼女の心臓はぴくりとも動こうとしなかった。
「ふざけないでっ・・・動いてよ」
あたしは少女の心臓が動くように何度も何度も心臓の筋肉を大きくしたり、小さくしたりしたが、やはり彼女の心臓が動かなかった。
「どうしてよ・・・なんで今までみたいに動かないのよっ」
あたしは自分の思い通りにならない状況に焦りを感じ始めていた。そして、次第に呼吸が乱れてしまい、遂には魔法が使えなくなってしまった。
「絶対に死なせるもんかっ」
今度は普通のやり方で肋骨を圧して心臓マッサージを行った。
「お願いだから・・・動いてよ・・・」
あたしの目尻には微かに涙が浮かんでいた。
それだけ今の状況にあたしは追い詰められていた。
「あたしに・・・あたしに茜の信頼を裏切らせないでよっ」
あたしは少女の身体が壊れてしまうぎりぎりの状態で渾身の力を込めた。
「・・・けほっ」
「反応したっ」
あたしは微かに聞こえてきた少女の呼吸音を見逃さなかった。
「お願い・・・もう一度・・・」
あたしは同じ要領で渾身の力を込めた。
「かはっ」
(もしかして・・・この状態なら・・・)
あたしは呼吸を整えると再び形状魔法を使って内外から心臓マッサージを試みた。
「はぁ・・・はぁ・・・」
少女の呼吸はかなり弱々しかったが、少しずつ確実に空気を取り込んでいた。
「その調子よ・・・頑張って・・・」
あたしは心臓マッサージを続けると共に少女の免疫力を最大限まで活性化させた。
少しでも多くの酸素を身体の隅々まで届けさせるためだ。
「あとは・・・」
あたしは茜のために作っておいたチョコを鞄から取り出すとそれを少しだけ砕いて自らの口の中に含んだ。そして、あたしの口の中で液体状になったチョコを少女の口の中へと流し込むと胃の中へと飲み込ませた。
少しでも彼女の気力と体力を回復させるための苦肉の策だった。
「お願いだから・・・頑張って・・・」
あたしは治癒魔法を掛けながら必死で少女の容態が回復することを祈り続けた。
それからしばらくして少女の容態は安定した。
(・・・脈拍・・・心拍数・・・共に問題ないわ)
あたしは少女の脈を計りながら彼女の状態が正常になったことを確認した。
「もう・・・大丈夫のようね・・・」
あたしは額に溜まっていた汗を拭い去ると待合室の方へと向かった。
「・・・少女のお母さんですか?」
「はいっ」
少女の母親は心配そうな眼差しであたしの方へと近づいてきた。
「娘はっ・・・娘は大丈夫なのでしょうかっ」
「・・・もう大丈夫よ。峠は越えたわ」
あたしは少女の母親を安心させるように優しく微笑んだ。
「ほんと・・・本当にっ」
少女の母親は言葉を詰まらせると両目から大粒の涙を溢した。
「目が覚めるまで彼女の傍で見守ってあげて・・・」
あたしは少女の母親に少女の傍へ行くように促した。
「ありがとうございますっ、ありがとうございますっ」
少女の母親は何度も頭を下げると慌てて少女の下へと走っていった。
「本当に感謝されるべきはあたしなんかじゃないんだけどな・・・」
あたしは苦笑いを浮かべると茜の代わりに少女の母親の感謝を受け止めた。そして、あたしも茜の傍に近づくと疲れ果てて眠っている彼の手を優しく握り締めた。
「茜・・・ちゃんと・・・助けたからね・・・」
あたしは全力を出し切って疲労が頂点に達しようとしていた。そして、何時しかあたし自身も疲労のために眠ってしまっていた。
「んっ・・・」
(あたしはどうしたんだっけ?ここは?)
あたしは覚醒する意識の中、少しずつ頭の中を整理していった。
(そうだっ、あたしは茜にチョコレートを渡すために神津島まで来たんだった・・・)
あたしは状況を理解すると静かに目を覚ました。
「おはようございます、遥さん」
あたしが目を開くとそこには明るい笑顔であたしの顔を覗き込む茜の姿が見えた。
「おはよう・・・」
あたしは重い瞼を擦ると大きな欠伸を浮かべた。
「ありがとうございましたっ」
茜は唐突に頭を下げると感謝の言葉を述べてきた。
「別に大したことじゃないわ。ほとんどの治療は茜が済ませていたじゃない。あたしは小さな穴を塞いだだけに過ぎないわ」
あたしは茜に余計な心配をさせないために少女の心臓が止まってしまっていたことを教えなかった。
「いいえ、遥さんがいたから。恵ちゃんを助けられたんですっ」
「いや、茜が頑張ったからよっ」
あたし達はお互いの健闘を称えあって互いに意見を譲らなかった。
「あんた達、今日はもう遅い・・・言い合いなら下宿先でするんだね」
あたし達が言い争っていると40代位の白衣を着たおばさんが話を割って入ってきた。その身形からこの病院の関係者のようだった。
「・・・いけないっ」
あたしは病院の外がすっかり暗くなっていることに気が付いて源太の父親を港に待たせていることを思い出した。
「どうかしましたか?」
茜は不思議そうな表情を浮かべると首を斜めに傾げた。
「あたし・・・迎えを待たしているんだったっ」
「それはもしかして湘南の漁師のことかい?」
あたしが慌てていると再び先程のおばさんが口を開いた。
「そうだけど・・・あんたは誰?」
「あたしかい?あたしはここの病院の院長だよ」
院長はぶっきら棒な表情で鼻を鳴らした。
「ちなみにその漁師なら帰したよ」
「えっ・・・」
あたしは院長の言葉に驚かされた。
彼女はあたしが眠っている間に迎えに来た源太の父親を勝手に帰してしまったみたいだった。
まぁ、無理に待たせてしまうよりはその方が良かったかもしれない。
「あんたがあんまりにも気持ち良さそうに寝ていたんでね。今日はもう遅い。その子の下宿先に泊まっていくといいさ」
院長は何やらあたし達に気を遣ってくれているみたいだった。
「それじゃ、積もる話もあるようだけど・・・そろそろ下宿先まで送るよ」
「行きましょう、遥さん」
茜はあたしに手を差し伸べると優しく微笑んだ。
あたしが差し出された手を取ると彼はあたしを導くように病院の外へと連れ出した。
「そういえば・・・遥さんは何でこの島にやってきたんですか?」
茜は院長の車に乗ると唐突にあたしが島にやって来た理由を訊ねてきた。
「あたしがこの島に来た理由?それはね・・・」
(どうしよう・・・茜のチョコレート。さっき治療で少し使っちゃったんだけど・・・)
あたしは茜に食べかけのチョコレートを渡すべきか否か悩んだが、折角ここまでやって来たんだ。もうそのチョコレートを彼に渡すしかなかった。
「茜に・・・これを渡したかったのよ」
あたしは覚悟を決めると手提げ鞄の中から茜に渡すチョコレートを取り出した。そして、そのチョコレートを彼の方へと差し出した。
「これは?」
茜は戸惑ったような表情を浮かべていた。
「・・・バレンタインデーのチョコレートよっ」
「バレンタインデー?」
茜は不思議そうに首を斜めに傾げた。彼の反応は当然のものだった。
バレンタインデーから既に1週間以上の期間が経っているため、今さら持って来られても実感が湧かないのだろう。
「そうよっ、ここに届けるまでにかなり時間が掛かっちゃったけど・・・」
「わざわざ僕のために・・・」
茜は嬉しそうに身体を小刻みに震わせると眩しい笑顔を浮かべた。
(良かった・・・喜んでくれてるみたい)
あたしは茜の反応を見て胸を撫で下ろした。
「そんなの当たり前でしょっ、茜にはいっぱい、い~ぱいっ、お世話になっているんだからっ」
あたしは茜が今にも泣きそうだったので彼が涙を溢す前に優しく彼の身体を抱き締めた。
「やれやれ・・・お熱いもんだね」
あたし達が後部座席でじゃれ合っていると運転席の方から呆れた顔をした院長が声を掛けてきた。
(無視、無視・・・それよりも今は・・・)
あたしは院長の冷やかしを聞き流すと茜との会話を続けた。
「本当は茜に渡すチョコレートだったんだけど・・・ごめんなさい。途中でお腹が空いて少しだけ食べてしまったわ」
あたしは申し訳なさそうな表情を浮かべると茜にチョコレートのことを謝った。
本当は少女の命を救うために使ったのだが、彼に余計な心配をさせたくなかったのでそのことを話す訳にはいかなかった。
「ありがとうございます・・・大切に食べますね」
茜は何も気にしていないように優しく微笑むと快くあたしのチョコレートを受け取ってくれた。
「さてと・・・下宿先に着いたよ。降りなっ」
院長は忙しなくあたし達を車外へと放り出すと豪快に車をUターンさせた。
「そうだった・・・あんた、明日は病院に来なくていいからその娘を港まで送ってやりな」
院長は車から顔を出すと茜に休みを取るように言って再び車を急発進させた。
「ありがとうございますっ」
茜は去って行く院長の車に大きな声で感謝の言葉を述べた。
もしかしたら、院長はあたし達のために気を遣ってくれたのかもしれなかった。そう思うとあたしも心の中で院長に感謝した。
「茜も良い先生に巡り合えたようね」
「はいっ」
茜はとても嬉しそうに元気な返事をしてきた。
彼にとって院長はとても良い先生のみたいだった。
その日の夜、あたし達はお互いの研修のことや病院で過ごした日々について話し合った。
(茜もこの研修先で一生懸命頑張ってんだな・・・あたしも頑張らなきゃっ)
あたしは茜の話を聞いて自分も研修を頑張ろうとやる気を漲らせた。
(何かあっという間だったな・・・)
あたしは茜に連れられて神津島の港までやって来た。
「おーい、遥ちゃんっ」
あたし達が港に着くと既に源太の父親が待ち構えており、大きく手を振って出迎えてくれた。
あたしは大きく手を振り返した。
「何度も迎えに来てもらってごめんね」
あたしは源太の父親の船の近くまで辿り着くと頭を下げた。
「別に構いませんぜ。大体の事情は院長先生から聞きいておりやす」
源太の父親は首を横に振ると明るい笑みを浮かべた。全く気にしていないみたいだった。
「それじゃ、帰りもお願いするわね」
「おうよっ、任せておきんさい」
源太の父親は自信満々に大きく胸を張ると力強く胸を鳴らした。
(これで茜ともしばらくお別れか・・・)
あたしは源太の父親の船に乗り込もうとすると不意に寂しさが込み上げてきた。
「本当に・・・ありがとうございました・・・」
あたしが寂しそうな表情を浮かべていると急に茜が抱きついてきた。そして、あたしの耳元で静かに感謝の言葉を囁いてきた。
「・・・別に気にしなくてもいいわ。あたしも茜から感謝することを一杯貰っているから・・・」
あたしは茜の身体を強く抱き締め返すと心の底から感謝した。
「それじゃ・・・今度は学校でね」
あたしはゆっくりと茜から離れると明るく振る舞った。そして、彼に別れを告げると源太の父親の船の中へと乗り込んだ。
「残りの研修期間もお互いに頑張りましょうね」
茜は遠ざかる島から元気な声を出すと大きく手を振ってきた。
「元気でねっ」
あたしは茜に負けないように大きく手を振り返した。そして、彼の姿が見えなくなるまで手を振り続けた。
「あたしも頑張るからね・・・」
あたしは茜の姿が見えなくなると独り言を呟くように自分の思いを口にした。そして、残りの研修期間も全力で頑張ろうと胸の中に刻み付けた。




