第32話:インターンシップ 茜編(4)
(まさか・・・救助隊が来たのか・・・)
希望が見えて僕の気力が少しだけ回復した。
「茜?いる?」
その声の主は救助隊ではなかった。僕の前に現われたのは何故か遥であった。
「あれ?もしかして・・・忙しかった?」
遥は待合室で深刻そうな顔をする恵の母親を見て初めて僕が忙しい状況であることを理解した。
「遥さん・・・すぐにこっちへ・・・」
僕は帰ろうとする遥を必死で呼び止めた。
「なんだ・・・茜いるんじゃない?どうかしたの・・・」
遥は僕の声がする診察室の方へとやってきた。
「ちょっとっ、何死にそうな顔をしているのよっ」
遥は僕の状態を見てようやく深刻な状況であることに気が付いたようであった。
「頭を・・・」
僕は遥の方に額を突き出すとお凸とお凸を合わせるように指し示した。
「これでいい?」
遥は僕の指示通りにお凸を合わせてくれた。
「シナプス細胞を肥大化させて・・・」
僕は遥に脳細胞を大きくするようにお願いすると自らの脳細胞を大きくさせた。そして、彼女の頭の中に直接今の状況についてイメージを送った。
こうした方が口で説明するよりも遥かに早かった。
「なるほどね・・・状況は大体理解できたわ。あとはあたしに任せてっ」
遥は現状を把握すると僕に代わって恵の治療を開始した。
「よろしく・・・お願いします・・・」
僕は遥に残りの治療を託すと安心したように意識を失った。
彼女ならきっと僕が紡いだ命の糸をきちんと繋げてくれると確信しているからである。
「どうだい?起きたかい?」
次に僕が目を開いた時、目の前には峰子先生の姿があった。
「峰子先生・・・?」
僕は寝ぼけ眼を擦ると少しずつ意識を覚醒させた。
「恵ちゃんはっ、恵ちゃんはどうなりましたか?」
僕は恵のことを思い出して慌てて身体を起こした。
「うっ・・・」
僕が慌てて上半身を起こすと船酔いのように気持ちが悪くなって再び身体をベッドの上に戻した。
「馬鹿だね。もう少し横になっていな」
峰子先生は呆れた表情を浮かべると布団を掛けてくれた。
「心配する必要はないよ。あたしがここにいるんだから」
峰子先生は不敵な笑みを浮かべると鼻を天井に向けた。
「それじゃ・・・」
「恵なら元気に退院していったよ」
「よかった・・・」
僕は恵が無事に回復したと聞いて胸を撫で下ろした。
「全くあんたって奴は・・・」
峰子先生は再び呆れた表情を浮かべると僕のことを見つめた。その目は何から説教を始めようかと迷っているような感じであった。
「ごめんなさいっ」
僕は峰子先生が口を開く前に謝罪の言葉を口にした。
「自分のしでかしてしまったことについてはよく理解しているようだね・・・」
「はい・・・」
僕は峰子先生の問い掛けに静かに頷いた。
インターンシップの学生にすぎない僕が勝手に重体患者の医療を行うことは決して許されることではなかった。しかも結果的に恵の命は救われたが、彼女の命を危険に曝した事実は変わらない。
もし、遥が来てくれていなければ、僕は恵を殺していたかもしれなかった。僕の行為はそれほどの重大な違反行為であった。
「本当に・・・あれほど無茶はするなと言っておいたのに・・・」
峰子先生は眉間にしわを寄せると不機嫌そうな表情を浮かべた。
「本当にすみません・・・」
僕は俯いたまま峰子先生に謝り続けた。
「だけど・・・顔を上げなっ」
峰子先生は表情を一転させると優しい表情を浮かべた。
「もし・・・あんたが恵の治療を開始しなければ彼女は命を落としていただろう」
峰子先生は受け入れ先の病院を探していたが、結局、先生が受け入れられる病院を見つけたのは2時間後のことでさらにこの島に救助隊が駆けつけたのは1時間半後のことであった。
もし、3時間半もの間、僕が現状維持の治療しか行わなければ恵は衰弱して死んでしまっていた可能性が高かった。それ故に峰子先生はきつく僕のことを叱れないようであった。
「僕は・・・僕は間違っていなかったんでしょうか?」
「ああ、あんたの判断は正しかったよ。よくやったね。胸を張りなっ」
峰子先生は満面の笑みを浮かべると珍しく僕のことを誉めてくれた。そして、優しく僕の頭を撫でてくれた。
そんな状況に僕は歓喜の涙を溢してしまっていた。
「ほれっ、泣くんじゃないよ。男の子だろ」
峰子先生はポケットに入れていたハンカチを取り出すと僕に投げて渡した。
「峰子先生・・・知っていたんですか?僕が男だってことを」
僕は気持ちが落ち着くと峰子先生が自分の性別について知っていたことに驚かされた。
「当たり前だろ、最初に会った時からあんたが男だって気づいていたよ」
「どうして、僕が男だと気が付いたんですか?」
「馬鹿だね。男と女じゃ、臭いが違うんだよ。フェロモンの関係上、女性の方が色々ときつい臭いを醸しているのさ」
峰子先生が最初に僕のことを見回していたのは見た目を確認していたのではなく僕の臭いを確認していたのであった。
「それじゃ、なんでそのことを言わなかったんですか?」
「愚問だね。女の振りまでして女子高に通うのはそれなりの覚悟と理由があったんだろ?それをいちいち問い質すなんて野暮以外のなんでもないだろうに・・・」
峰子先生は僕のことを鼻で笑うと再び頭を撫でてくれた。
「それに・・・あたしはあんたが男だろうが、女だろうが、きちんと医者としての仕事をこなしてくれればそれでいいのさ」
峰子先生は満足そうに口許を緩めると不敵な笑みを浮かべた。
「峰子先生・・・」
僕は峰子先生の配慮を知って胸の中が感動で一杯になった。
「だから、そんな泣きそうな顔をしてるんじゃないよ」
峰子先生はむず痒そうに顔を歪ませると僕から視線を逸らした。
「それより・・・この娘は何者なんだい?」
峰子先生は僕から視線を外すと僕の傍で寝ていた遥の方に視線を向けた。
当然のことであるが、先生は遥のことを全く知らなかった。
「彼女は・・・彼女は僕の大切なパートナーですっ」
僕は自信を持って遥のことを峰子先生に紹介した。
「そうか・・・良いパートナーに出会えたもんだね」
峰子先生は優しく微笑むと僕の頭に手を乗せて軽く撫でてくれた。
「んっ・・・」
峰子先生が手を動かしていると遥が目を覚ました。
「おはようございます、遥さん」
「おはよう・・・」
遥は眠そうに目を擦ると大きな欠伸をした。
「ありがとうございましたっ」
僕は遥の意識が覚醒すると大きな声でお礼を述べた。
「別に大したことじゃないわ。ほとんどの治療は茜が済ませていたじゃない。あたしは小さな穴を塞いだだけに過ぎないわ」
遥は謙遜するように大きく手を振った。
「いいえ、遥さんがいたから。恵ちゃんを助けられたんですっ」
「いや、茜が頑張ったからよっ」
僕達はお互いに謙遜しあいながら互いの健闘を称えた。
「あんた達、今日はもう遅い・・・言い合いなら下宿先でするんだね」
峰子先生は僕達のことを呆れた表情で眺めていた。
病院の外はすっかりと太陽が堕ちて辺りの様子が薄暗くなっていた。
「・・・いけないっ」
遥は唐突に何かを思い出したように叫び声を上げた。
「どうかしましたか?」
「あたし・・・迎えを待たしているんだったっ」
遥は湘南で仲良くなった漁師にお願いして神津島までやってきていたらしい。
「それはもしかして湘南の漁師のことかい?」
「そうだけど・・・あんたは誰?」
遥は何時の間にか現われた峰子先生に疑問の眼差しを向けた。
「あたしかい?あたしはここの病院の院長だよ」
遥は峰子先生の様子を見ながら納得した表情を浮かべた。
「ちなみにその漁師なら帰したよ」
「えっ・・・」
遥は峰子先生の唐突な言葉に驚きの表情を浮かべていた。
「あんたがあんまりにも気持ち良さそうに寝ていたんでね。今日はもう遅い。その子の下宿先に泊まっていくといいさ」
峰子先生は遥に気を遣って彼女が眠っている間に明日また迎えに来るようにその漁師にお願いしていた。
「それじゃ、積もる話もあるようだけど・・・そろそろ下宿先まで送るよ」
峰子先生は引き出しに仕舞っていた車の鍵を取り出すと器用に人差し指で回転させた。
「行きましょう、遥さん」
僕は戸惑う遥の手を握り締めると峰子先生の後に続いて病院の外へと出た。
「そういえば・・・遥さんは何でこの島にやってきたんですか?」
僕はなぜ遥がこの神津島にやって来たのか、その理由について全く知らなかった。
「あたしがこの島に来た理由?それはね・・・」
遥は気まずそうな表情を浮かべると脇に抱えていた手提げバッグの中から何かを取り出した。
「茜に・・・これを渡したかったのよ」
遥は鞄の中からラッピングが開封された小箱を取り出すとそれを僕の前に差し出してきた。
「これは?」
僕は遥の真意が伝わらず首を傾げた。
「・・・バレンタインデーのチョコレートよっ」
遥は小箱を僕に手渡すと恥ずかしそうに頬を朱色に染めた。
「バレンタインデー?」
僕は再び首を傾げた。
なぜならば、バレンタインデーはとっくの昔に過ぎており、既に1週間以上の期間が経過していたからである。
「そうよっ、ここに届けるまでにかなり時間が掛かっちゃったけど・・・」
「わざわざ僕のために・・・」
僕は遥の懸命な気持ちが伝わってきて心の底から嬉しさが込み上げてきた。そして、歓喜で身を震わせた。
「そんなの当たり前でしょっ、茜にはいっぱい、い~ぱいっ、お世話になっているんだからっ」
遥は泣き出しそうな僕の身体を強く抱きしめると満面の笑みを浮かべた。
「やれやれ・・・お熱いもんだね」
峰子先生は運転席から僕達のことを見つめながら呆れた表情を浮かべていた。
「本当は茜に渡すチョコレートだったんだけど・・・ごめんなさい。途中でお腹が空いて少しだけ食べてしまったわ」
遥は眉を吊り下げると申し訳なさそうな表情を浮かべた。
何やら訳ありのようであったが、僕はそのことについてあまり触れなかった。なぜならば、彼女が僕のためにチョコレートを作って持ってきてくれた。それだけでも充分に嬉しかったからである。
「ありがとうございます・・・大切に食べますね」
僕は遥からチョコレートを受け取ると優しく微笑んだ。
「さてと・・・下宿先に着いたよ。降りなっ」
峰子先生は僕達を蹴り出すように車から追い出すと車をUターンさせて病院へと戻ろうとしていた。
「そうだった・・・あんた、明日は病院に来なくていいからその娘を港まで送ってやりな」
峰子先生は車を急停止させると窓から顔を出して休みを取るように指示した。先生なりに僕達に気を遣ってくれているようであった。
「ありがとうございますっ」
僕は峰子先生に頭を下げると休暇をくれたことに感謝した。
「茜も良い先生に巡り合えたようね」
「はいっ」
僕は元気よく返事をした。
峰子先生はとても厳しい先生であったが、とても優しい先生でもあった。
こうして僕達は峰子先生の配慮により長い時間、お互いの研修のことや病院で過ごした日々について語り合った。そして、次の日の朝になると僕は遥を送って港までやって来た。
「おーい、遥ちゃんっ」
僕達が港に着くとそこには大きな体格をした漁師が手を振って遥のことを待っていた。
「何度も迎えに来てもらってごめんね」
遥は親しげにその漁師の下へと近づくと軽く頭を下げた。どうやら遥が湘南で仲良くなった漁師のようであった。
「別に構いませんぜ。大体の事情は院長先生から聞きいておりやす」
峰子先生は昨日の出来事を迎えに来た漁師にも説明していたようであった。
「それじゃ、帰りもお願いするわね」
遥は明るく微笑むと漁師に可愛らしくウィンクした。
「おうよっ、任せておきんさい」
漁師は胸を叩くと豪快な笑みを浮かべた。
「本当に・・・ありがとうございました・・・」
僕は遥のことを強く抱き締めると心の底から感謝した。もし、彼女がいなければ僕は一生後悔を背負って生きていただろう。
「・・・別に気にしなくてもいいわ。あたしも茜から感謝することを一杯貰っているから・・・」
遥も僕の身体を力一杯抱き締めてくれた。
「それじゃ・・・今度は学校でね」
遥は僕から身体を離すと可愛らしく片目を閉じてウィンクした。そして、漁師の船の中へと乗り込んでいった。
「残りの研修期間もお互いに頑張りましょうね」
僕は島から離れていく船にいる遥に向けて大きく手を振った。
「元気でねっ」
遥は見えなくなるぎりぎりまで大きな声で叫んでいた。
「・・・僕も頑張るぞっ」
僕は手を強く握り締めると遥に負けないように残りの研修期間も精一杯尽くすことを心に固く誓った。
そして、その後は何事もなく平穏に研修期間が過ぎ去っていった。
「本当にいろいろ・・・色々ありがとうございました」
僕は神津島空港まで送ってくれた峰子先生に頭を下げた。本当に色々なことがあった1ヶ月間であった。
「あんたは・・・あんたは本当によくやってくれたよ」
峰子先生は満足そうな笑みを浮かべると僕の頭を精一杯撫でてくれた。
「峰子先生・・・」
僕は峰子先生との別れがとても辛かった。
峰子先生とはたった1ヶ月しか一緒に過ごしていなかったが、もう何年も一緒に過ごしていたような心境であった。
「馬鹿だねっ、何を泣きそうな顔をしているんだい?こういう時は笑って去って行くもんだよ・・・」
そう言う峰子先生も顔は笑っていたが、どこか寂しそうな雰囲気を醸し出していた。
「峰子先生・・・」
僕は峰子先生に近寄ると力一杯彼女に抱き付いた。
「本当に馬鹿だね・・・。そんなに寂しいなら何時でも戻ってきな。ここは何時だって医者不足の島なんだからね」
「ごめんなさい・・・その気持ちにはお答えできません。僕は・・・僕は特別災害レスキューになりますからっ」
僕は寂しそうな表情を一変させると逞しい表情を浮かべた。
「そうかい?それは残念だ・・・。だけど、あんたならきっと立派なレスキューになれるさ。胸を張っていきな」
峰子先生は真面目な表情を浮かべると僕の背中を力一杯押してくれた。
「本当にありがとうございましたっ」
僕は最後にもう一度峰子先生に感謝の言葉を述べると大きく頭を下げた。
「達者でなっ」
峰子先生はそれだけ言うと踵を返してそのまま立ち去っていった。
「あかね先生っ」
峰子先生が僕から離れると恵が近付いてきた。先生の他にもたくさんの島民が見送りに来てくれていた。
「命を助けてくれてありがとうっ!」
恵は僕に抱きつくと元気な声で感謝の言葉を述べた。
「恵ちゃん・・・もうあんまり無茶なことしたら駄目だよ」
僕は恵の身体を優しく抱き締めると頭を軽く撫でた。
「あかね先生・・・私ね。大きくなったらあかね先生みたいな立派な魔法使いになるからっ」
恵は僕から身体を離すと無邪気な笑顔を浮かべた。
「恵ちゃんなら・・・絶対に立派な魔法使いになれるよ」
僕は恵の頭をもう一度撫でると彼女の眼を見つめながら優しく微笑んだ。
「うんっ」
恵は大きく首を縦に振ると母親の下へと戻っていった。
(絶対に・・・絶対に僕も特別災害レスキューになるんだっ)
僕は立ち去る恵を見送りながら自分も夢に向かって歩いていくことを深く心の中に刻み込んだ。そして、島民の人達に見送られながら僕は神津島を後にした。
※次回からは遥サイドで話が始まります。




