第30話:インターンシップ 茜編(2)
「いらっしゃい」
「佳苗さんっ!」
僕は病院の中へ入ると思いっきり面を食らった。なぜならば、そこには先程まで下宿にいたはずの佳苗さんがいたからである。
「あら?もしかして・・・佳苗と間違えている?」
僕が驚いた表情を浮かべているとその佳苗さんらしき女性は僕に話し掛けてきた。
「違うんですか?」
「私は佳苗の双子の妹の『織邊沙苗¨おりべさなえ¨』と言います」
沙苗さんは頭を下げると柔らかな笑みを浮かべた。
(沙苗さんも佳苗さんと同じように優しそうだな・・・)
僕は沙苗さんの顔を見ながら頬を朱色に染めた。
「全く・・・そんな所で何を遊んでいるんだい?その顔ならさっきも見ただろ?」
僕が沙苗さんに見蕩れていると診療所の奥から峰子先生が顔を覗かせた。
「それじゃ、もしかして・・・」
「そうだよ。その子が今年の研修生さ」
「初めまして、私は高見澤茜と言います」
僕は峰子先生に研修生の話を振られて改めて自己紹介をした。
「へぇ、今年は随分と可愛らしい子が来たんですね」
沙苗さんは興味津々な感じで僕のことを隈なく見回した。
僕は彼女の視線に晒されて恥ずかしそうに身体を小刻みに震わせた。
「時間が勿体ないっ。早くこっちに来な」
峰子先生は手首を動かすと診察室の方に来るように急かした。
「すみません」
僕は慌てて峰子先生のいる診察室の方へと向かった。
「・・・失礼します」
僕が診察室の中へ入るとそこには無数の薬品や錠剤が積まれた棚や古めかしい診療器具の数々が並べられていた。
「ここが・・・」
「そうだよ。ここが明日からあんたが足を踏み入れる戦場さ」
僕は峰子先生の言葉に疑問を感じた。
(戦場?医療現場の間違いじゃ?)
僕は峰子先生の言う『戦場』という意味を理解していなかった。その言葉の真意を知るのはこれからのことであった。
「峰子先生はもう医療に魔法を使われていないんですか?」
僕は峰子先生の傍に並べられていたメスや注射器などを見て彼女が魔法による治療を行っていないことを察した。
「ああ、今は全て普通の医療でやっている。確かに昔は魔法で患者を治していたが、流石にこの年齢になると魔法を使うこともままならなくなるもんでね」
峰子先生は魔法を使える年齢を遥かに超えていたため、通常の医療で患者を治療していた。
医療を目指した者であれば魔法医療の他に通常医療の知識も身に付けている。
そうすることで魔法が使えなくなった後も治療が行えるように備えているのである。そのため、医者になるためには専門の知識や技術を身に付けるために魔法使いになる以上に長い時間が掛かる。
「尤もこんなに長い時間、医者をやっているつもりはなかったんだが・・・まぁ、仕方がないことなのかもしれないね」
峰子先生は過ごしてきた長い時間を懐かしむように目を狭めると口許を少しだけ緩めた。
(何か楽しそうだな・・・)
僕は物思いに耽る峰子先生を見ながら彼女の心中を探った。
「こらっ。考えごとをする女性の顔を見つめるもんじゃないよ」
峰子先生は僕の視線に気が付くと再び目付きを鋭くさせた。
「すみません」
僕は峰子先生に睨まれて肝を冷やした。
「それで・・・僕は明日から何をすればいいんですか?」
僕は峰子先生の気を紛らわせるように明日からの予定について訊ねた。
「基本的には治療だよ。あたしが患者の診察をして治療を指示するからあんたはその通りに治療するだけさ。別に難しいことじゃないだろ?」
峰子先生は意味ありげな笑みを浮かべると僕の様子を見つめていた。
「・・・それだけですか?」
僕は峰子先生の話を聞いてかなり拍子抜けしていた。
正直、魔法研修はもっと厳しい内容を覚悟していたのだが、彼女の話を聞く限り通常の魔法実習の延長線上のような内容であった。
「そうだよ。それだけのことさ」
峰子先生は僕の質問に対して首を縦に振った。
「まぁ、最終的にはあんたに診断までやってもらうけどね」
峰子先生はついでに付け加えるように医療の全てを僕に任せることを宣言した。
(診断もか・・・まぁ、それも研修のうちだし・・・)
仮に診断を任されることになっても、それも予想の範囲内のことであり、大して驚くようなことではなかった。
「・・・わかりました」
僕は峰子先生の申し出を全てこなすことを約束した。
「ところで僕が診断をしている間、峰子先生は何をされるのですか?」
僕は不意に峰子先生の代わりに診断をしている間の彼女の行動が気になった。
「あたしかい?」
峰子先生は片眉を吊り上げると不敵な笑みを浮かべた。
「そりゃ、バカンスを楽しむのさ。あんたがあたしの仕事をしてくれれば、あたしは溜まりに溜まった休暇を取れるからね」
「そうですか・・・」
僕は峰子先生の話を聞いて不満そうな表情を浮かべた。正直、彼女の代わりに働かされる者としてはなんとも面白くのない話である。
「・・・冗談だよ」
峰子先生は鼻で空気を漏らすと呆れた表情を浮かべた。
「何も病院に来る者だけが患者じゃないからね。自宅で身動きの取れない患者の様子を重点的に検査しなきゃならないんだよ」
峰子先生は病院で診察を行うだけでなく患者の自宅に出向く出張も行っていたため、常に全ての患者の様子を見られるわけではなかった。
その時間を作るために彼女は診療の全てを僕に任せることを考えていた。
「なるほど・・・」
僕は峰子先生の本音を聞いて納得した表情を浮かべた。
「それじゃ、よろしく頼むね」
峰子先生は僕に手を差し出すと協力を求めてきた。
「よろしくお願いします」
僕は峰子先生の手を握り返した。
そして、次の日の朝、僕は彼女との約束通り、朝6時に診療所へとやって来た。
「・・・よく来たね」
僕が病院に辿り着くと峰子先生は既に病院の前で仁王立ちして待っていた。
「初日から遅刻する輩が多いけど・・・あんたは違うようだね」
峰子先生は感心した様子で表情を柔らかくさせた。
「当然です。私はここに学ぶためにやってきましたから」
僕は敬礼をするように踵を合わせると背筋を真っ直ぐにして峰子先生の目を見つめ返した。
「・・・いい覚悟だね。びしびしと扱き使ってやるからありがたく思うんだね」
峰子先生は楽しそうに目を輝かせた。
「それじゃ、早速・・・」
峰子先生は玄関に立て掛けていた箒と塵取りを手にすると僕に手渡した。
「これで何を?」
僕は峰子先生のいきなりの行動に戸惑った。
「何を?決まっているだろ。ここは病院だよ」
峰子先生は鼻を鳴らすと両手を大きく開いた。
「掃除するんだ。外も中も隅々まで綺麗にね」
峰子先生は清潔に診療を保つために掃除することを命令した。
「それが・・・私の仕事ですか?」
僕はまさか研修に来て掃除をさせられると思っていなかったため、なんだか納得ができなかった。
「不服かい?」
峰子先生は僕のことを試すような眼で見つめた。
その眼はまるで『文句があるならば帰りなっ』と言っているようであった。
「・・・わかりました。頑張りますっ」
僕は気持ちを切り替えると全力で掃除をすることを心に固く誓った。
「いい返事だ。それじゃ、よろしく」
峰子先生は僕に掃除を任せると病院の中へと戻っていった。
「よしっ、頑張るぞっ」
僕は箒を手に握り締めると外の掃除を開始した。
「とりあえず、こんなものかな・・・」
僕は玄関先の塵を全て集めると塵取りの中へと押し込んだ。そして、外の掃除を済ませると病院の中へと移動した。
「外の掃除が終わりました・・・」
僕が病院の中へ入ると峰子先生は診察室の方で何かをしていた。
(何をしているんだろうか?)
僕は峰子先生の行動が気になって診察室の方へと顔を出した。
「なんだい?掃除はすんだのかい?」
峰子先生は傷口から雑菌などを入らないようにするため、メスやピンセット、注射器の針などを熱湯の中につけて煮沸処理を行っていた。
「外の掃除はすみました」
「それじゃ、次は待合室の掃除をしな」
峰子先生は休む暇もなく次の指示を出してきた。
「わかりました・・・」
僕は峰子先生に言われるまま今度は室内の掃除を始めた。
(本当に人使いの荒い人だな・・・)
僕は心の中で愚痴を溢しながらも一生懸命掃除を行った。
「・・・どうでしょうか?」
僕は室内の掃除が終わると峰子先生に声を掛けた。
「・・・まだまだだね」
峰子先生は窓付近の埃を手に付けると僕に見せた。
「ここも徹底的に掃除するんだ。この部屋の中には一欠けらの塵も残すんじゃないよ」
峰子先生は小姑のような厳しい眼つきで僕に駄目だしをしてきた。
(これも研修の内だ・・・我慢だっ、我慢っ)
僕は下唇を噛み締めると無理やり作り笑顔を浮かべた。
「・・・わかりました。気を付けますっ」
僕は気を取り直すと再び箒を握り締めた。
(さて・・・どうしたものか・・・)
僕は峰子先生の指摘に対する対処方法が思い付かずに頭を悩ませていた。
普通にハタキを使って掃除するだけでは窓についている埃を落としきれないからである。
(そうだっ。あの方法なら・・・)
僕は窓に付着した埃を取る方法を実行するために受付の方に向かった。そして、机の引き出しに入っていた輪ゴムとボールペンを取り出すとその輪ゴムを使ってボールペンにティッシュを巻き付けた。
本当であれば割り箸を使うのが正しい方法であるが、流石に割り箸は引き出しの中には入っていなかったため、代用品としてボールペンを使った。
「これでよしっ」
僕はその道具を使って窓に溜まった埃を隅々まで綺麗に取りきった。
この生活術は冬休みに遥と孤児院に行った時に学んだ方法であった。彼女は礼拝堂のステンドグラスを掃除する際にこの方法を使っていた。
(まさか遥さんの知恵に助けられるとは・・・)
僕は心の中で遥に感謝した。
「こんなものかな・・・」
僕は窓際に埃が着いていないことを確認すると再び峰子先生に声を掛けた。
「どうでしょうか?」
「そうだね・・・。まぁ、及第点としよう」
峰子先生は室内に埃がないことを確認するとようやく掃除の終了を告げた。
「次は何をしましょうか?」
僕は峰子先生に次の作業を確認した。
「とりあえず、少し待ってな。そろそろ来るはずだから」
峰子先生は僕に少し休憩を取るように提案した。
(一体何を待っているんだろうか・・・)
僕が待合室で考えごとをしていると唐突に病院の扉が開いた。
「おはようございます」
僕の目の前に現れたのは佳苗さんの双子の妹である沙苗さんであった。
「おはようございます」
僕は沙苗さんに挨拶を返した。
「・・・来たね。朝食が済んだらその子の面倒を頼むよ」
「わかりました」
峰子先生は沙苗さんに僕のことを任せると診察室の方へ戻っていた。
(朝食?そういえば・・・僕もまだ朝ご飯を食べていなかったな)
僕は峰子先生の言葉で朝起きてからご飯を食べていないことを思い出した。
「どうぞ」
沙苗さんは持ってきたお弁当箱を広げると僕に差し出してきた。
「これは?」
僕はいきなりの出来事に戸惑った。
「これはあなたの朝ご飯ですよ」
「食べてもいいんですか?」
「どうぞ。そのために持ってきましたから」
沙苗さんは僕の顔を見ると優しく微笑んだ。彼女は佳苗さんと一緒に僕の朝ご飯用意してくれていた。
「ありがとうございますっ」
僕は沙苗さんにお礼を述べると手を合わせてお弁当箱に手を付けた。
「・・・美味しいです」
「そうですか?喜んでもらえたのなら良かったです」
沙苗さんは嬉しそうに笑顔を浮かべた。
「・・・どうぞ」
僕が夢中でお弁当を食べていると沙苗さんは給湯室からお茶を持ってきてくれた。
「ありがとうございます」
僕はありがたく沙苗さんからお茶を貰うとお弁当を食べている合間に啜った。
「・・・ご馳走様でした」
僕はお弁当を食べ終わると両手を合わせて沙苗さん達に感謝した。
「それで・・・僕は何をすればいいんですか?」
僕は次の作業について沙苗さんに確認した。
「そうですね・・・。とりあえず、こちらの資料をまとめるのを手伝ってもらってもよろしいですか?」
沙苗さんは受付の方に座ると僕を手招きした。
「これは?」
「患者さん達のカルテや清算資料になります」
沙苗さんは患者毎にそれらの資料をまとめ、患者から貰った診察料などの経理を行っていた。
「このお金の計算をすればいいんですか?」
僕は資料の端の方に書かれていた数字を指差した。
「そうです。それらの計算に間違いがないかを確認してもらいたいのです」
「任せてください」
僕は胸を大きく張ると自信満々に沙苗さんの依頼を引き受けた。
こうして僕達は患者が来るまでの間、内務作業に徹した。そして、朝8時を過ぎると段々と病院を訪ねてくる患者が増えてきた。
「そろそろ始めるとしよう・・・」
峰子先生はある程度、待合室に患者が集まると診察を開始した。
「あんたもこっちに来な」
僕が沙苗さんと一緒に受付の所に立っていると患者と一緒に呼ばれた。
「お加減はどうですか?」
峰子先生は患者が目の前の椅子に座ると極端に表情を変えた。
僕はその表情を見てとても驚いた。
なぜならば、彼女があんな優しそうな笑顔を浮かべるなんて見たこともなかったからである。
僕の前では何時も不機嫌そうな表情を浮かべていた。あの笑顔は彼女の営業スマイルのようであった。
「なるほど・・・なるほど・・・」
峰子先生は患者から症状を聞きだすと僕に対処方法をメモした紙を手渡した。
「えっと・・・」
僕は峰子先生から渡されたメモを見ながら患者を治療した。
「どうもありがとうございました」
「どう致しまして」
治療が終わると患者は嬉しそうに帰っていた。
(なんだ・・・全然大したことないな)
僕は初めての治療を終えて完全に油断しきっていた。
「次行くよ」
峰子先生は診断を終えた患者を次から次へと僕の方へと回してきた。
最初の内は全然余裕であったが、休む間もなく患者の治療を続けさせられると次第に余裕はなくなっていた。
(一体・・・何時まで続くんだ・・・)
僕は30人を超えた辺りから次第に集中力が途切れ始めていた。
1つ1つの医療行為は大したことはなかったが、流石に休みもなく魔法を使い続けることはとても大変なことであった。また、治療は魔法以外に筋肉のマッサージなども行わなければならなかったため、体力の消費も激しかった。
「とりあえず、午前中はこんなもので終わるとしよう」
「やっと・・・終わりですか・・・」
僕は峰子先生の終了の合図を聞いて胸を撫で下ろした。
「お昼がすんだら午後の診察を続けるよ」
「・・・わかりました」
僕は虚ろな瞳で峰子先生に返事を返した。そして、受付においてあった弁当を受け取るとそれを夢中で口の中へと頬張った。ちなみにこの弁当は佳苗さんが病院へと持ってきてくれたものである。
(しっかり体力をつけないと・・・)
僕は弁当の味を楽しむことなく胃の中へと流し込んだ。
「ふぅ・・・」
「それじゃ、午後の診察を再開するかい?」
峰子先生は僕が昼食を食べ終わるのを確認すると診察を再会しようとした。
「・・・もうですか?」
僕は表情を曇らせた。正直、もっと休みが欲しい状態であった。
「やれやれ・・・仕方がないね。30分経ったら再会するよ」
峰子先生は僕の状態を確認するともう少し休憩を引き伸ばすことを認めた。そして、30分後、僕は診療を再開した。
「どうだい?初めての実戦経験は?」
峰子先生は全ての診断が終わると僕に感想を求めてきた。
「・・・思っていた以上に・・・大変でした・・・」
僕は息も絶え絶えに返事した。結局、この日は研修初日にもかかわらず80人近くの患者の治療を行っていた。
「もう病院を閉めたいんだが・・・動けるかい?」
「すみません・・・。まだ動けないです」
僕は待合室の長椅子に倒れこんだまま一歩も動けなかった。
峰子先生がこの職場を『戦場』と言っていた意味を身体で理解した。
「やれやれ仕方がないね・・・」
峰子先生は受付の沙苗さんを手招きすると僕の傍へと呼び寄せた。
「すまないが、ちょっと肩を貸してくれないか?」
「わかりました」
沙苗さんは僕の手を肩に掛けると引っ張り上げた。
彼女は普段から患者などの介護を行っていたため、難なく僕のことを持ち上げることができた。そして、反対側から峰子先生が僕の肩を持ち上げた。
「このまま車で送ってやるから駐車場までは自分の力で歩きな」
「・・・すみません」
僕は峰子先生達に支えられながら何とか彼女の車まで移動した。そして、車で下宿先の家まで送ってもらった。
「今日は特別だからね。明日から自分の足で帰るんだよ」
峰子先生は僕を車から降ろすともっと魔法の分配を考えて治療するように注意した。そして、再び車のエンジンを噴かせるとそのまま立ち去っていった。
(これからしばらくこれが続くのか・・・)
僕は朦朧とする意識の中、自分の部屋に辿り着くとそのまま深い眠りへと誘われていった。
こうして僕は峰子先生の下で厳しい魔法医療の研修が始まった。




