あるひのできごと
ライトノベル日記
○月×日 ある日の出来事
昔勤めていた工場の敷地前を自転車で通りかかった時、
敷地内の並木が切られたことに気がついた。
木の種類は知らない、
何か落葉性の針葉樹だったと思う。
葉が落ちた後の、枝から幹の全景は葉の葉脈のようできれいだった。
↑木の葉を加工して作るしおり、みたいな感じだ。
まるで木の葉が地面から生えているみたいな様子で面白かったな(笑)
↑レオ・レオーニの「平行植物」に、そんな木があったっけ。
冬場に、それが並木で連なるようすはなかなか壮観だったのだが、
…そうか、切られたか。
勤めていた工場主である企業はすでに撤退し、しばらくのあと別の企業が敷地に越してきたのだが、
新しい工場主は、そういった木々は必要なかったようで、ばっさりと無くされた。
それ以外の木、桜は残しているから、春先の花は楽しめるが、冬場と新緑の楽しみは減ってしまった。
残念だ…。
「人はパンのみにて生きるにあらず」、とはよく言ったもので、
人が人として生きるためには、驚くほど多くのものが必要になる。
その人がその人個人として成り立っているために必要な環境。
人とのつながり、相手への、相手からの気持ち。
そしてそういう情報を、時間をかけて積み上げたその人自身の思いや記憶。
物理的な環境、精神的な場、個人が積み上げてきた時間、
そういったものが絡みあい、モザイクのようにちりばめられ、
絵画のように、織物のように、その人を形づくってゆく。
そして、その人が作り上げた要素の一部、
人にしても物にしても、思い出や気持ちとつながっているものが失われる出来事はこたえるものだ。
昔に読んだクーンツの小説、「ライトニング」だか「ウォッチャーズ」だかもう覚えていないが、
物語の一節にあった、主人公の親がなくなった時、幼い頃に親の語ってくれていたおとぎ話のエピソード。
主人公が子どもの頃に、その親が子供のために創作して寝るまえに語ってくれていたおとぎ話も、
主人公が大好きだったそのおとぎ話のキャラクターたちも、親を亡くしたとき一緒に居なくなってしまった。
それに気づいた時の主人公の思いを、
木がなくなっていることに気づいた時、自分は改めて実感した。
何か無くしたとき、それに伴って消えてゆくものもたくさんあるのだ。
猫又、稲荷狐、座敷わらし…。
彼女たちは、人よりも長い長い時間を過ごしている。
どうやって過ごしているのだろう?
どうやって生きているのだろう?
生き続けていくのだろう?
自分たちを置いて、人が去ってゆくのを見つめて、
愛する人を看取り、見送り、
また歩き始めるのだろうか?
別れの心の重み、悲しみの重さに耐えかねて倒れてしまわないのだろうか?
昔読んだ少女マンガ、
耐えられない悲しみを忘れて、それでも生き続けなければならないアンドロイドのお話を読んだことがある。
人類の理想、
永遠の命を彼らが体現するためには、肉体的な頑丈さや並外れた再生能力だけでは足りないというストーリーだった。
歩けなくなるほど、立ち上がれなくなるほどの重荷になる記憶は、消えてしまうように作られているということ。
ひどく理不尽な、独りよがりな生命を創造したものだと、その時には思ったものだ。
けれども、人間の思考回路も、あのお話ほど極端ではないけれど、
そう変わらないようにはできている。
時間が解決する。なんて言葉のように、
思い出せば血が流れていたほどの悲しみの記憶も、
息苦しいほどの慟哭に彩られていた思い出も、
刃のような鋭さも突き刺さるほどの刺も、やがては鈍り、溶け、丸くなり、
柔らかな記憶、懐かしい思い出に変じてゆく。
猫又や稲荷狐、座敷わらし。
たぶん、彼女達も人間とそう変わらないようにして、長い生を生きているのだろう。
悲しいこと、つらく苦しいことはあるだろうけれど、
人が悲しみを忘れてゆくように、やがて心は優しい気持ちへと変わってゆくのだろう。
猫又なら、
「世の中は楽しいことであふれてるんだから、
悲しいこと数えたってしょうがないよ」
って笑いそうだな(苦笑)
前に猫又と話したこと。
あいつは前に読んだ戦記マンガ、ifストーリーもののセリフを引用して、
「過去と相手の心は変えることはできない。
変えることができるのは、自分と未来だけ(微笑)」
そんなことを言っていた。
とても心に残る言葉だった。
ああ…、だからこそ、あいつはその時の出会い、縁を大事にしているのか。
楽しかったことで心を満たし、悲しみを優しい記憶に変え、日々を過ごす。
狐も座敷わらしも、きっと変わらない。
そこは人間と変わらない、そう思うと彼女らのことがとても愛おしい。
自分は人の身であるから、おそらく彼女達のように長く生きることはない。
この楽しい時はまたたくように過ぎるだろう。
だからこそ、
自分は彼女達に、自分に付き合ってくれているあの娘たち、自分の家族たちに楽しさや嬉しさを与えられるようにしなければ。
そんなことを思いながら、自転車を押して家に帰る。
そしてドア開け、彼女に声をかける。
「ただいま、座敷わらし。いま帰ったよ(笑)」