にんげんはおもしろい
ライトノベル日記
○月○日 人間、生き物は面白い。
昔、韓流ドラマが世を賑わし、日韓WCの熱気が冷めやらぬ頃、
韓国人留学生2人が、酔ってホームに落ちた日本人サラリーマンを助けようと線路に降り、3人とも環状線の列車にはねられて亡くなったニュースをやっていた。
日韓の関係が最も友好的だった時期の話だ。
人間というのは面白い。
ああいう非常事態には助け合い、自らの命を危険にさらすような行為をして、そして命を落とす。
かと思えば、再婚相手が自らの子を虐待し殺すことに見て見ぬ振りをする。
まあ、今の核家族化された家庭の子育ては、昔ながらの大家族での子育てと違い、
駆け落ち夫婦の、頼る相手のない孤独で過酷な子育てだから仕方ないという意見もある。
まあ、ただ生物としてのシステムは自らの遺伝子を残そうとする。
そして自らの生命を守る。
そういった自己保存の行動が生物の基本らしい。
ムカデは自らの卵が孵るまで卵を守り離れない。
ハサミムシは自らの卵を守りながら死に、生まれた子供に糧として、自らの身体を提供する。
ミズダコは卵を守りながら水流を起こし、卵に酸素を与え続け、
孵化した子供を見送りながら息絶える。
アフリカ産のあるカエルは、自らの背で卵がオタマジャクシから子ガエルになるまで育てる。
生き物の、母性の非常に強く感じられる行為だ。カエルは雄だが(笑)
また、
鳥類、哺乳類問わず、親は子育てが不可能な過酷な状況下に陥ったなら、自らの子を捨て保身に走る。
子を捨てる。あるいは食う。
先ほどと別のアフリカ産のカエルは、餌のない過酷な状況下、
乾期の水溜まり、自分と子供のオタマジャクシしかいない環境で、
自らの生んだオタマジャクシである草食動物を捕食する肉食動物として、生態系を築き上げ、その中で生き延びる。
鷹鷲類、彼ら頂点捕食者は、産んだ雛同士の争いを止めない。
複数の雛の中で、最も大きく強いものだけを育てるため、
自らの子どもたちの、相手を殺してしまうほどの攻撃、虐待行為にも関わらない。
卵胎生のサメは、腹の中で何十、何百の卵を孵し、
仔らは母親の腹の中で食い合い、
そして生き残って大きくなった一匹の子ザメだけが母の腹から産まれてくる。
生存のための闘争、
自然の、過酷な状況を感じさせる行為だ。
けれども、
どちらも自らの遺伝子を残し、次の世代に繋げようとする行いの一側面に過ぎない。
以前に聞いたドクあらほしの言葉、
「人間の知性は電気信号に過ぎず、
感情は化学反応に過ぎない」
そんな意味合いのことを聞いた気がする。
人間は、生物はたしかに生体機械に過ぎない。
ウェットウェアも、
ソフトウェアも、
ハードウェアも、
本質的に何も変わらない。
だからこそ、
自分はあのニュースの、自己を犠牲とする行いが尊く感じられる。
人の意志を、魂を感じる。
ドクあらほしが云うところの人間の業、
生体機械を超えたなにかの力を感じる。
過酷な運命に抗う力を、意志を、魂を、
輝く何かを感じる。
最近TVで見かけなくなった陰陽師やスピリチュアルカウンセラーなどが言っていた言葉。
「現世は魂の修行の場」
来て、去るまでの間に何を行うか、出来るか、
それに尽きるのだろう。
いまさらながらにカードの書いた、洋画、「アビス」のノベライズで語った言葉が浮かんでくる。
「暗闇に立つ、お互いを照らしあう二本のろうそく」
バブルの頃に流行った歌の歌詞、
「最後に愛は勝つ」
ではないけれど、
愛という要素は、人類としての到達点のひとつなのだろう。
今ここに居ない神、人類を生み出した、人類に生み出されたそれらが、人類の未来の場を得るために力を注いでいるのは、そのためのはずだから。
だからせめて、自分たちは一生懸命に毎日を生きよう。
楽しんで生きていこう。
いつか、この世界を去り、故郷に還る時まで。