私と図書室に出た幽霊
学校の怪談といえば七不思議だけれど、うちの小学校には無い。
今どきそんなの流行らないというのもあるが、最も説得力のある説明はそれが成立できないからだ。
ポピュラーな一説、
音楽室のベートーヴェンの目が……。
そんなものは無い。
夜になると二宮銀次郎の銅像が……。
そんなものは無い。
開かずの扉を開けると……。
そんなものは無い。
理科室の人体模型が……。
そんなものは無い。
トイレやプールに纏わる話なら成立するけど、七つあるいは六つという数を埋めようとすると全く足りない。かと言ってマイナーなものを加えすぎると信憑性が無くなる。
だからうちの学校には七不思議が語り継がれていない。
まあ私もお化けの類いは信じていないし、誰かの作り話なんて信用しない。
見たものだけを信用する。
なんて思っていたのだけれど、
私は初めて自分が見たものを信じられなかった。
「キミ、ウチが見えるんだね」
思考停止。
再起動中……。
状況確認。
学校、図書室、放課後。
目の前に、いや、上に私と同じくらいの背の女の子が浮いている。
思考停止。
「あれ?固まっちゃった。ウチもしかしてメデューサだった?」
思考停止なんてリコーダーのテストのときに指使いをド忘れしたとき以来だ。
体育の時間に同じクラスの羽田くんにズボンを下ろされた時だって冷静に顔面キックできた私を驚かせるなんてやるわね。
何度見ても女の子が物理的に浮いてる。
あっ、物理的になんて言い方は小学生らしくないわね。ここは普通に、宙に浮いてるっていうべきだったわ。
「えーっと、こういうときなんて言えば良いんだっけ?確かヤッホーだったかな?」
「ヒャッハー」
「ひゃ、ひゃっはー?ワイルドだね。
って動いてる!?」
うるさいわね。
ついついノリでふざけてしまったけど、これ所謂怪奇現象よね。
警察でも呼べばいいのかな?それともテレビ局?
でも警察の拳銃効かなそう。
うーん、熊に遭ったら……クマさんに会ったら死んだふりっていうのはウソだっけ。
でも目の前の浮いてる子相手ならそれでもいけそう。
「きゅぅぅ」
「えっ、ちょ、待ってよ。……倒れちゃった。え、これウチのせい!?ウチ呪い殺す系!?」
思惑が外れた。
興味を失って去っていくかと思ったけど、この子パニック起こしてる。
ンー、面倒。
「つんつん」
「……」
突くな。感覚ないけど。
「こちょこちょこちょ」
「……」
ほんの僅かに触られる感覚がある。だけど私の表情筋コントロールは完璧。これくらいじゃ笑わせられることはない。
「とりゃっ」
「ぎゃああ」
瞼突き抜けて指が刺さった。
なんてことするんだ!
「良かった。生きてた。
もう、びっくりしたじゃん」
むぅ。
仕方ない、コミュニケーションを試みる。
「あなた、誰?」
「さぁ?分かんない」
……。
「何組?」
「5の2」
一個下かー。
同学年の子たちなら全員覚えてるけど、学年が違うと数人しか分からないわね。
「キミの名前は?」
……ここは伏せておいたほうが良さそうね。
「佐藤花子」
「それウソでしょ。その名前ありえないじゃん」
「全国の佐藤花子さんに謝れ」
意外とこの子鋭いわね。
まあこのまま押し通すわ。
「私は6年1組、佐藤花子。で、あなた何者?」
「さぁ?」
「立体映像?でもこうして触ることも……あれ?」
触ろうとしたら突き抜けてしまった。さっきは向こうから触ってきたのに。
やっぱり立体映像なのかな。
……いやいや、立体映像はあくまで立体的に見える映像であってそこに実物が存在するわけじゃないから突き抜けたりはしない。
ということはなんだこいつ。
「よく分かんないけど、たぶんウチ幽霊なんだ。死んだ記憶はないからたぶんだけど」
「幽霊なんているわけないでしょ。サンタクロースのがまだ現実的よ」
「そんなこと言われてもねー」
「はぁ」
ため息をつく。
面倒だ。
無視しよう。
私はいつものように本棚から適当な本を選んで立ち読みし始めた。
つまらなそうなら戻す。
面白そうだったら椅子に座って読む。
今日は3冊目で当たりに出会った。
「あ、それ前に読んだことあるよ」
「……」
無視無視。
「同じ作者の別の本はそんなに面白くないんだけど、それだけは面白かったんだよね」
「……」
「ウチが一番気に入ってるシーンはラストの…」
「わー!わー!わー!それは禁則事項!」
「魔王の娘と勇者の結婚式かな」
「止めたのにっ!」
そんなこと知らされたら幼馴染の女魔法使いが可哀そうにしか思えなくなってしまう。
ネタバレは三年以内の懲役刑でいいと思うの。
私はその本を元の場所に戻し、次の当たり本を探し始めた……のだが、
「あ、その本は主人公の親友が余命半月で……」
「……(イラッ)」
「それは中盤に主人公が死んじゃうような描写があるけど実は死んでなくて……」
「……(イライラ)」
面白そうな奴に限ってネタバレされてウザいことこの上ない。
「……帰る」
「えー。もう帰っちゃうの?」
「……」
図書室を出てから廊下を曲がるときに横目で確認したら、あの幽霊(仮)は図書室から出てこない。
最後に校門でチラッと校舎を振り返ると、図書室の窓からそれっぽい影がこちらを見ていて戦慄した。
―――――
翌日。
「なんて運のない…」
3,4時間目の国語の時間、授業内容は図書室での調べもの学習だった。
こんな不運は朝ごはんを抜いた日の給食に嫌いなおかずしかなかったとき以来だ。
「ヒャッハー!また来たね」
「別に。あなたに会いに来たわけじゃないわ」
「なんかいっぱい来たね。でもウチが見える人は居なそう」
後続でやってきたクラスメイトたちを見て幽霊(仮)が呟いた。
やっぱり私以外には見えないようだ。
無視して席に座る。
担任教師が図書室の利用法を軽く確認してからクラスメイトたちが図書室中に散る。
調べものの内容が他の子と被ると本の取り合いになるので急いだほうがいい。
私はまず辞書を本棚から取って、それから漢字に関する本を探す。
先に辞書を確保した理由は、需要が大きく授業の中盤以降は数が不足しがちになるから。
『魚へんの漢字とその由来』というちょうど良さげな本を発見して手に取り、自分の席に戻る。
そうしている間ずっと幽霊(仮)が私の後ろをついてくるのが不愉快だわ。
「へー、つまんなそうなの読んでるね」
「……」
読みたくて読んでるわけじゃないし。
鰹と鰯の堅と弱の由来をノートに写してミッションコンプリート。
小学生が国語の時間に3分くらい発表するにはこれくらいで充分ね。
まだ授業時間はたっぷり残ってるけど、調べものが終わった人は給食の時間まで自由だ。
ただし他のクラスはまだ授業をしているので、昼のチャイムが鳴るまで図書室から出てはいけない。
図書室内でできることといえば読書なのだけれど、
「ねーねー、キミ何か読んでくれない?ウチ本に触れないから」
こいつが鬱陶しい。
昨日なんとなく分かったのが私とこいつの好みが近しいということだ。
さらにこいつはこの図書室にある小説の多くを読んだことがあるみたい。
ネタバレされまくって非常に迷惑だわ。
適当に1冊取ってみる。
「あ、それ読んだことある。確か…って戻しちゃうんだ。面白いのに」
また別のを取る。
「それは……なんだっけ、覚えてないや」
ネタバレがないならと読んでみたら、つまらなかったのですぐに読むのをやめた。
つまらない本の内容は忘れやすい。
逆に言えば、こいつが忘れている本は、好みの近い私にとってつまらない可能性が高い、ということだ。
面白い本はネタバレされて、ネタバレされない本はつまらない。
どうしたらいいの。
また1冊取る。
「知らない本だ!読も!」
こいつの言葉に従うのはシャクだけど、知らないならネタバレされないはずね。
席まで持っていき読み始める。
これはなかなか…。
キーンコーン
カーンコーン
「はっ!」
「チャイムだね」
物語の展開が面白くてつい時を忘れて読み続けてしまった。
大当たりだ。
まだ読みたいけど…、
時計の針は12:25を指している。
「もう給食の時間かー。久々に食べたいなー」
「時間やばっ!」
「また放課後に来てねー」
―――――
来た。
「ヒャッハー!」
「……」
目的は本を借りるため。
幽霊(仮)に早くページをめくってとか言われずに静寂の中で本を読みたいの。
司書の先生に手続きをしてもらって本を借りる。
手続きと言っても、ただ本の貸し出しカードに私の名前を書き、私の図書カードと本のバーコードをパソコンで読み取って記録するだけだ。
そしてそのまま帰る。
「なんでよー!?」
「……」
後ろの幽霊(仮)がうるさいけど無視無視。
―――――
「ふぅ、面白かった」
自室で本を読み終え、一息ついた。
大当たりの面白い本だったので、タイトルを忘れないようにメモしておく。
また読みたくなったら借り直そう。
「ん?」
と、本から何かが落ちた。
貸し出しカードだ。
「あれ?もしかして…」
―――――
翌日から私は図書室の本を漁り始めた。
「ヒャッハー!」
「ねぇ」
「わ!そっちから話しかけられると思わなかった」
「面白い本と教えて」
「いいよー。一緒に読も!」
「それは遠慮しておく」
「なんでよー!?」
ぶーぶー言いながらも、幽霊(仮)は読んだことのある本、何度も借りて読んだ本を教えてくれた。
中には私も読んだことがあるものもあったので、
「やっぱり悪の大臣との戦いが面白いよね!」
「それはない。旅立ちの朝にヒロインと別れるシーンが最高」
こうして意見を言い合ったりもした。
本の好みは近いみたいだけど、好きなシーンはズレるようね。
そうしながらも私は貸し出しカードに書かれた名前をノートに転記していった。
幽霊(仮)の読んだ本は覚えてる限りで3ケタに及び、調査には2週間を要した。
私も他人のこと言えないけど、こいつはたくさん読みすぎ。
そして答えを見つけた。
「山県彩香。それがあなたの名前ね?」
「ふぇ?」
3-3 山県彩香
4-2 山県彩香
5-2 山県彩香
こいつの読んだ本に共通の読者。
全部を借りたわけではないだろうと候補者を広く絞って探した。
候補者は27人。
そこから条件に合致しない者を除外していった。
男子を除外。
5年2組でない者を除外。
クラスを5年2組と答えたことから6年生になる前に死んだと推測、6年生になってからの利用歴がある者を除外。
さらに知らない本の入荷年からこいつの死んだ年を推測、それより後に利用歴がある者を除外。
そうしたら該当者は1人だけになった。
「うーん、分かんない」
「本当に?何か引っかかることはない?」
「むむむむむむむむむ」
思い出せ。
最終確認しないと気が済まない。
「そういえば、アヤちゃんって呼ばれてた」
「合致するわね。あとは、4年生と3年生のときのクラスは何組?」
「4の2と3の3。2年生と1年生は2の1と1の4」
ちなみにうちの学校では2年生までは図書室利用不可だ。
だから貸し出しカードを調べても3年生以上しか分からない。
これで99.9%確定ね。
これ以上さらに完全に確定させるには教師に質問するという方法がある。
でも自己満足にすぎないし、死者のことを尋ねるのはやめといたほうがいいかもしれない。
「あなたの名前は山県彩香。まず間違いなくこれで正しいはずよ」
「そうなんだ」
「あれ?成仏しないの?」
「え?」
「え?」
あれ?私の知ってる物語では生前の名前を取り戻したら成仏するのが多いんだけど。
もしかして名前間違えた?それとも方法が的外れ?
「ウチのこと成仏させようとしてたの!?ひっどーい!」
「幽霊って彼岸に行けなくて困ってるんじゃないの?」
「そんなの知らないよ!ウチはただ本が読みたいだけだよ!!」
くっ、私の平穏な読書生活は戻って来ないのか……。
図書室が最も読書に適した環境なのに。
「もう怒った!しばらく口きいてあげないから!」
んん?
むしろ成功?
―――――
「……(うずうず)」
「……」
「……(ソワソワ)」
「……(イラッ)」
うん、知ってた。
この歳の子供の感情はすぐ移ろうってことくらいね。
24時間の間に私への怒りが読書欲に負け、それでも前言は撤回したくないからこいつはこうして無言の圧力をかけてきている。
いい加減ウザいな。
「私が悪かったわ」
「!」
「だから成仏して」
「…!!シズのバーカ!」
よし、邪魔者は消えた。
これで静かな環境が手に入った。
ん?名前教えてあったっけ?
―――――
「……(うずうず)」
「……」
「……(ソワソワ)」
「……(イラッ)」
うん、知ってた。
馬鹿は学ばないってこと。
この場合の馬鹿は私だ。
こうなるのは予想できただろうに。
一度方法を見直そう。
私は平穏な読書生活を送るためにこいつを成仏させようとした。
前世の名前を思い出させて三途の川を渡らせるというのを考えたが、失敗に終わった。
他に成仏させる案が思いつかない。
本が読みたいって言ってるから本を読んであげれば未練が晴れて、というのも考えたけど、読書のために読書するというのは本末転倒だ。本だけに………寒っ。
成仏させるという路線を変えてみよう。
要は私の読書の邪魔にならなければいいのだ。
昨日一昨日のように遠ざけるというのも手だ。
一時的に遠ざけられたのだから何らかの方法で永続的に遠ざけることも不可能ではないはず。
あるいは私の霊感(?)を消すというのもいいかもしれない。できるならだけど。
ふむ。最終的な解決は後回しにして、今できることをしよう。
「山県さん」
「……(ピクッ)」
「図書室で不必要にうろちょろするのはマナー違反よ」
「ケチ!」
うーむ。
視界からはいなくなったけど、気配はある。
どこからか見てるのだろう。
これくらいなら読書に集中すれば気にならない。
でもその場凌ぎの対処だといずれ破綻しそうね。
―――――
日曜日。
私は“魔女”のもとを訪れていた。
クラスメイトからうわさ話を盗み聞きしたところによると、最近テレビで話題の魔女がこの辺りを拠点に活動しているらしい。
どうせ似非霊媒師とか手品師とかメンタリストとかだろうとは思った。
だけど餅は餅屋、オカルトはオカルト屋。
少なくとも知識は持っているはずだ。
幽霊と魔法だと少々方向性が違うかもしれないが、その場合はそっちに詳しい知り合いを教えてもらおうと思っていた。
「あたしを頼るにしてはあまり切羽詰まっている様子はないわね」
「読書は私の生き甲斐です。それが侵害されているのは充分切羽詰まっているということです」
その魔女は口元を布で覆い、黒いベールのようなものを被った、どちらかと言えば占い師のような格好だった。
顔のパーツで見えるのは目が少しと鼻だけ。ベールから僅かに覗く髪の色は、蝋燭の炎に照らされて赤く染まっていてよく分からない。おそらく黒ではない。
水晶玉が置かれていたら占い師を名乗れるだろう。
「あら?占い師としてのあたしをご所望かしら?」
心を読まれたっ!?
「心を読んだわけではないのだけれど。一般人の反応は分かりやすいというだけよ。
さて、あなたの相談は女の子の霊が見えて目障りであると。あたしにどうして欲しいのかしら?」
まだ山県彩香のことは話してないのに読まれている。
この魔女は本物…?
魔女を名乗っている以上はそれらしい知識を持っていると考え、私はそれをヒントにしようとしたのだ。
今となっては浅慮だったと言わざるを得ないわ。
本物の幽霊がいるなら、本物の魔女がいてもおかしくはない。
「どうして、とは?」
「人生の先輩として話を聞いて欲しいのか、
占い師として道を照らして欲しいのか、
魔法使いとして霊を退治して欲しいのか、
魔女として最善を示して欲しいのか、
それとも悪魔として全てを解決して欲しいのか。
他に何かあるようならそれにも応じるわよ」
口角を上げ、面白がるような表情をする魔女。
最初の2つはナシ。真ん中は確実そうだけど一旦保留。
……後の2つは危険な香りがする。
「分をわきまえているようね」
やっぱり。
魔女や悪魔に願い事をすると、代償として命や魂を奪われるといわれている。
「私は……他の何かで、私の霊感を消して欲しいです」
「無理ね。あなたの霊感はあなたそのものでもあるわ。魂を抜き取りでもしないと取り去れるものではない。そんなことしたらあなたは肉の人形になっちゃうわよ」
「うっ。じゃあ、魔法使いとして…」
「いいの?本当に?後悔はしない?」
「……」
後悔……すると思う。
仮にも知り合いだ。その消滅を見る覚悟はない。
「先達として話を聞きましょうか。何があったのか言ってごらんなさい」
「はい……」
急に優しい口調になった魔女に私は今までのことを話した。
どうせ読まれているのだ。隠す必要もないだろう。
幽霊が突然現れたこと。
あまりにしつこく、読書がしにくいこと。
成仏させようと名前を調べたこと。
状況が解決していないこと。
「ふぅん」
「……」
全てを聞いた魔女は小さく微笑んだ。
「まあ小学生にしては自分で努力してみたみたいね。少し頑固がすぎるけれど」
「頑固なつもりはありませんが、親から石頭だと言われたことがあります」
「あなた、友達いないでしょ?」
い、いきなり何を言うんだ!
「な、な、な」
「図星ね」
「何を根拠に!」
「根拠は無いわ。純然たる事実として、あなた友達いないでしょ。これを機会に友達作ってみたら?」
「友達なんていりません!本が私の友達なんです!」
「だから石頭なんて言われるのよ」
「余計なお世話ですっ!」
そう言って踵を返した瞬間、体が拘束された。
「な、なに、これ」
まるで重い水の中にいるかのように体が動かない。
これが、魔術なの?
「さっきのはヒトとしての助言よ。あなたが聞きにきたのは魔女の助言でしょう?」
「そん、な、わたし、死にたく、ない」
「あらあら。確かに人を殺めた数は両手では足りない程だけれど、あたし世間では救世主として讃えられているのよ?怯えられるなんて心外だわ」
視界の端から魔女の手が顕れ、私の右頬を撫でた。
「ひ、ひぃぃ」
「ふふっ。あなたのすべきこと、それはこの地図の指す場所へ行くこと」
動かない私の体を衣服の上から魔女の手が這い、ポケットに何かを入れた。
「次善は1週間以内といったところかしら。特殊な目に振り回される者の誼で対価はタダにしておいてあげるわ。
……あら?気を失ってるわね。まあいいわ。あなたに悪魔の加護のあらんことを」
―――――
朝。
「………………?」
何故かデジタル時計の日付が月曜日になっている。
昨日は土曜日だったはずなんだけど……。
日曜夕方6:30からやってる 海産物家族 を観た覚えもないし……。
とりあえず昨日(土曜日)のうちに宿題は済ませてあるから問題はない。
起床して着替えて朝食を摂りにリビングへ。
問題があるとすれば、
ひしっ、と私を抱いて離さないお母さんだ。
母曰く、昨日の私は昼過ぎに出掛けたまま夕飯の時間になっても帰って来ず、事故か誘拐にでも遭ったんじゃないかと心配していたところ、いつの間にか私が自室で寝ていたそうだ。
起こそうとしても熟睡していて全く目を覚まさなかったため困っていたらしい。
一体どこほっつき歩いてたんだ昨日の私……。謎だ。
適当に誤魔化して学校へ。
最終的には、登校時間が決まっているから遅れると通学団のみんなに迷惑がかかると言って家を出てきた。
昇降口に向かいながら図書室の窓を見る。
朝日を遮るカーテンがかかっていて中の様子は分からない。
先週の今日までは幽霊が顔を覗かせていたのだけれど、今はいないようだ。
そしていろいろあって放課後。
図書室で本を読むか借りて帰るか迷う。
本の返却のために行くのは確定なのでとりあえず行く。
……あの山県彩香と会うと思うと億劫ね。
何か対策を取れないものか。
塩が効かないことは実証済み。お守りの類も験なし。天皇家の所有する三種の神器のような伝説の品物なら効くのかもしれないけど、目にすることもできないから関係ない。
あと考えられるのは寺や神社や教会、あるいは霊能力者とかに相談すること?
テレビだとズバッと解決してるし、選択肢の1つとしておこう。ただ今すぐには無理だ。
仕方ない。
高度な柔軟性を維持しつつ臨機応変に対応しよう。
……ん?相談?
このことを誰かに相談した気がするんだけど、誰だったっけ?
―――――
「ごめんなさいでした。ウチが悪かったです」
「…………」
想定外。
ここは柔軟に…柔軟に…。
「いいよ。私こそ悪かったわ」
「それで、その、これからは邪魔しないから一緒に読んでくれないかな。読書友だちとして」
「邪魔しないならいいわよ」
「じゃあウチのことアヤって呼んで!ウチもシズのことシズって呼ぶから」
「分かった。アヤちゃん、何か読みたい本ある?」
「うん!こっちこっち!」
はっ。
どうしてこうなった……。
読んでる間は静かになったからいいんだけど、なんか気に入らないわ。
まるで誰かに誘導されたみたい。
「今度はこれ!前にも読んだけど、怪力のお姫様が魔王のツノを、」
「ネタバレ禁止。アヤちゃんも読みたい物語の結末を知っちゃったらつまらないでしょ」
「うーん、うん」
「だから読む前に内容を話しちゃダメ」
「うん。分かった。ごめんね」
「いいよ。これからは気をつけてね」
「もうこんな時間か。私は本借りて帰るね」
「えーーー!勝手に1人で読まないでよ!」
「家でも読みたいの。大丈夫。ネタバレはしないから」
「うぅ。またね」
「また明日」
まあいっか。
本が読めるならそれで。
―――――
その1週間は放課後が待ち遠しかった。
「ヒャッハー。借りたのどうだった?」
「ネタバレはしないって言ったよね」
「えー、気になる」
「じゃあ早く読もう」
「うん!」
「次はシズの読みたいの教えて」
「えっと、じゃあこれ」
「読も読も!」
友だちを作れと先生がうるさく言うのはこういうことかと初めて学んだ。
作れ作れと言うはずだ。楽しいんだもの。
××に言われた通りになってるのが少しシャクだが…………誰だっけ?思い出せない。まあいいや。
ただ私の初めての友だちが幽霊だったせいで、先生や他の子には見えないのが難点。喋るときは図書室の端に行かないといけないし、先生からはボッチ児童に見えてるはずだ。前にも増して心配された。
「シズ何借りたの?えーっと『トラを作った男たち』?」
「時代小説だからアヤちゃんには合わないと思う」
「ふーん。あとで読ませて」
「いいよ」
「……よく分かんなかった」
「私も。歴史知らないと読めないね。同じシリーズに『種子島の鍛冶師たち』があるけど」
「ごめん。いいや」
「あはは」
それも1週間だけだった。
「またね」
「また来週!」
―――――
翌週火曜日。
三連休明けの平日の昼放課に図書室に入った。
しかしいつもの挨拶がなく、私はアヤちゃんがいないと気づいた。
「かくれんぼ…かな?」
図書室は見通しが悪いけれど隠れる場所は少ない。本棚の裏と遮光カーテンの裏だけだ。
しかしあちこち見てもアヤちゃんはいない。
天井を見てもフワフワ浮いている影はない。
私はアヤちゃんにオススメされた本を抱えながら立ち尽くした。
『ウチはただ本が読みたいだけだよ!!』
アヤちゃんの言葉を思い出す。
「そんな…私のせい…」
「どうかしたの?」
「ひゃっ。なんでもありません!」
心配した司書の先生に声をかけられて、私は逃げだした。
―――――
成仏。
それが幽霊にとって、アヤちゃんにとって良いことなのか悪いことなのかは分からない。
でも、ちゃんとお別れの言葉も言えてない。
『またね』
『また来週!』
また会える、と思っていたから。
放課後も図書室に行ったけれど、アヤちゃんはいなかった。時間いっぱい図書室の隅から隅まで探しても見つからなかった。まるで最初からそんな幽霊はいなかったよう。
先週までのことは全部夢か幻?
幽霊なんているはずない、という常識に当てはめればその結論に行き着く。
それを認めるのが嫌で一冊の本を借りた。
5-2 山県彩香
司書の先生の綺麗な字。貸し出しカードに書かれたその名前がアヤちゃんの存在を証明している。
慣れていたはずなのに、
独りは寂しいわ。
―――――
アヤちゃんの成仏を受け入れるのに3日かかった。
3日で受け入れたのは、金曜日になってアヤちゃんの『また来週!』という言葉が達せられなくなったから。
なら私のほうから会いに行こう。お墓参りだ。
さっそく司書の先生に聞きに行く。
「先生、この山県彩香という子のこと教えてください」
「おや?懐かしい名前じゃの。どうしてその子のことを聞きたいんじゃ?」
「私の読む本を借りていたことが多かったから気になったからです」
アヤちゃんが5年生だったのは今から8年前。貸し出しカードの筆跡から推測するに、2人交代制の司書の先生のうち、このおじいちゃん先生はそれ以上前からずっとここの司書をしている。
読書好きのアヤちゃんのことだ、きっと司書の先生にも強い印象を与えているはず。
「うむ。毎日のようにここに来ていたのう。ちょうど今の君のようにな」
「どんな感じでしたか?」
「よく図書室の中を走り回っていてのう、いっくら注意しても聞かなかったから、先生たちも困っていたんじゃ。でも本を読んでいる間は、すっと大人しくなる子じゃった。じゃから彩香ちゃんが来たときのために、興味を惹きそうな本を見繕っておくのが先生の日課になったんじゃ」
私の中でのアヤちゃんの印象と全く同じだ。
「ただ、あるとき事故があってのう」
来た。
「あまり言いふらしていいことじゃないんじゃが、知りたいかの?」
頷く。友だちとして、聞かなくてはならない。
「交通事故じゃ。下校途中に本を読みながら歩いていたときに、正面から来た自転車とぶつかったそうじゃ。
二宮銀次郎像を君は知っているかの?小学校にはようある銅像なんじゃが、うちには無いんじゃ。事故の次の年に撤去されたからの。彩香ちゃんの事故とはこれっぽっちも関わりはないが、事故と関連づけられてしまうとな」
容易に想像できてしまう。
赤いランドセルを背負って本を両手で持って俯き気味に読みながら歩く。アヤちゃんは自転車に気付かずに歩き、自転車のほうもたまたまアヤちゃんが視界から漏れて。
「それでアヤちゃ、彩香ちゃんはどこに?」
「それは……流石に覚えとらんのう。覚えとっても変わっとるかもしれんしの。それにこれ以上は、プライバシーがどうのと近頃うるさくての」
「どうしても知りたいんです」
「ならん」
お墓の場所を聞きたいのに、先生は教えてくれない。
げに忌まわしきは個人情報保護法か。
「先生の口からは教えられん」
「そう、ですか…」
「じゃが調べるなとは言わん。二宮銀次郎ひき逃げ事件と調べれば細かいことも分かるじゃろう」
「二宮銀次郎ひき逃げ事件……分かりました。ありがとうございます」
先生におじぎをして図書室を後にする。
家に帰ってパソコンで検索しよう。
「む?何か落としていったのう。…なんじゃ知っとたんか。それならそうと言えばいいものを。いやこれは…………魔女の思し召しか……」
―――――
土曜日。“来週”の最終日。
私はある場所を目指して歩いていた。
二宮銀次郎ひき逃げ事件。
昨日インターネットで調べたところ、司書のおじいちゃん先生の言う通りに学校の近くで起きた事故がヒットした。
加害者の名前、事故の起きた時間と場所、被害者の搬送された病院、各地で撤去された銅像、様々な情報がネット上にある。
けれどそんなに大きなニュースになってはいないらしく、同じような記事ばかりで情報量自体は少ない。
被害者についても女子児童としか載ってなく、山県彩香と入力してもヒットしなかった。先生からこの事件のことを聞いていなかったら事件自体調べられなかっただろう。
当然、お墓の場所など載っていなかった。
手詰まり感が漂う。
そして妥協。
事故の起きた場所に行こう。
そして手を合わせて、少し泣くかもしれない。それで終わり。
明日からはいつもの私だ。
目的地に着いた。
事故現場の目印になるようなものはない。8年も前のことだから当然ね。
道すがら摘んだタンポポをガードレールの支柱の下に供える。
「笠寺君」
手を合わせて祈る。
アヤちゃん、ありがとう。
天国で待ってて。
私も何年か何十年かしたらそっちへ行くから、再会したらまた一緒に本を読もう。
またね。
「かさでらくん!」
「ひゃい!」
突然大きな声で呼ばれてビックリした。
声の主はすぐ目の前にいた。私に事件のことを教えてくれた先生だった。
先生はシルバーの車に乗って、助手席の窓を開けていた。
後部座席のドアが開く。
「笠寺君、乗りなさい」
「え、どうして」
「彩香ちゃんと会いたいんじゃろう。すぐ来てほしいそうじゃ」
疑問符が絶えないが、促されるまま車に乗り込む。
発進してシフトレバーをガチャガチャしてから先生が口を開いた。
「久々に彩香ちゃんのご両親と電話口で話をしての。君のことを話したら、是非会わせたいとのことじゃ。それもできることなら今日中にと言われおった」
「今日中…ですか?私もそれが良いですけど、なんでそんな急に?」
「さあて、先方の都合じゃないかの?」
先生も詳しいことは聞いていないらしい。
「それで急いで君の家に電話をかけたんじゃが、君のお母さんから君が散歩に出かけたと言われての。きっとここじゃろうと推して待っていたんじゃ」
6日前にも同じように出かけて一時行方不明になった。だから今日はかなり引き止められたけど、無理矢理に出てきた。追いかけられても困るので私はお母さんに行き先を伝えてなかった。
行き先を伝えないから心配されているのだとも分かっているけど、幽霊が見えたというほうが心配される。このことは私の心の中だけに秘めておきたい。
あ、そうだ。折角ならあれも。
「先生!途中でお花屋さんに寄ってもらってもいいですか?」
「うーむ。やめておいたほうがよかろう。近頃は色々とうるさいんじゃ」
「?」
供える花を買おうと思ったら先生に却下されてしまった。
お供えのルールって今と昔で違うんだろうか。うちは年に一度お墓参りしてるけど、かなりそこらへんテキトーだ。
「もうすぐ着くぞい」
そう言われて窓から外の景色を見る。
マンションや商業ビルが立ち並ぶ都会。
墓地ってこんな都会の真ん中にあるものなの?まあうちのお墓もそこそこの街中だけど。
あれ?先生、そこに車入れるの?ここって…、
「…病院?」
―――――
「あの、ここに彩香ちゃんのご両親が?」
「いるはずじゃ。7階じゃな」
受付で先生が「7階の山県さんのお見舞いに来た金山です」と言ったらそのまま病棟に入れた。話が通っていたらしい。その際に受け取った入館証には笠寺静と書かれている。
私は静という名前があまり好きではなかったりする。
静かであることを強制されているような感じで、それに性格が引きずられてるような感じで嫌なのだ。
その点、アヤちゃんの名前が少し羨ましかった。彩香。アヤちゃんらしい明るい名前。いいなぁ。
エレベーターで7階まで昇ってある病室前に来た。
「ここじゃな」
先生が病室のドアホンを押す。
聞こえてきたのは男性の声。
『はい。どちら様でしょうか?』
「金山じゃ。笠寺君を連れて来たぞい」
『ああ、ありがとうございます。ですがすみません。少々待ってもらっていいですか?今ある方がいらっしゃってまして』
「分かった。ここで待っとる」
入院してるのはアヤちゃんのお父さんかな?
そういえば家族の話をアヤちゃんとしたことはなかった。
どんな人なんだろう?
名前は……………………………………………………
………………………………………………………………
………………………………………………。
えっ?
私は頭の中が真っ白になった。
ドアが開いて中から金髪の女性が出てきたり、その人に向かって先生が深くお辞儀したりしたのは見えていたけれど、頭が処理しなかった。
「行くぞい」
「先生、これは…」
「笠寺君、どうしたんじゃ。病室に入るぞい」
手を引かれてドアをくぐる。
「え、や、まだ心の準備が……その」
「やあ、山県さん、面と向かって会うのは久しぶりじゃの」
「お久しぶりです金山先生。今日はありがとうございます。そちらが?」
「そうじゃよ」
「シ…ズ…?」
視界に入ってきたのはベットに横になる女性の姿。線が細く触れれば折れそうだけれど、弱々しいという印象はない。
顔立ちは……アヤちゃんと似ている。
「……アヤちゃん?」
「うん。シズ…だよね?」
「…………佐藤花子」
「ウソ。ありえないじゃん」
「全国の佐藤花子さんに謝って」
「「あはは」」
2人して笑い合う。
「本当にシズ?」
「うん。アヤちゃんこそ本物?」
「ウチにもよく分かんない。死んだんじゃないかと思ったんだけどね。生きてることがまだ信じられないよ」
「私…私……アヤちゃん!」
思わずその腕に抱きついた。
ちゃんと触れる。
「アヤちゃんがいなくなってから、私寂しくてっ」
「ウチも、だよ。目が覚めて、それまでのことは全部ただの夢だったんじゃないかって思って。でもシズが、シズが来てくれた」
アヤちゃんが私の頭を抱く。
その力は弱い。小学生の私よりもずっと。
でもそれが、確かにアヤちゃんがここにいるんだ、生きているんだと感じさせてくれた。
後ろで大人たちが、魔女の思し召しだとか救世主様に感謝とか言っていたけど、私たちにはどうでも良かった。ただ互いがここにいることが嬉しかった。
―――――
「ヒャッハー。遊びにきたよー」
壁をすり抜けて女性が現れる。
私の18年来の親友のアヤだ。
よく幽体離脱して私の仕事場にやってくる。本体のほうは自分のデスクで寝ているそうだ。脳の活動とか記憶とかどうなってるのかは気にしないことにしている。
「仕事中は仕事の要件以外で来ないでって私言ったよね?」
「仕事中に本読んでる人に言われても説得力ないよ!」
「医学書だからいいのよ」
私は医師免許を取り、なんやかんやあって校属医をしている。
ここで言う校属医とは、学校の敷地内の小さな診療所で働いている医師のことだ。10年ほど前に設置された。教諭の資格は無いが、強化版“保健室の先生”だと思っていい。実際今でもそう呼ばれている。
いつ怪我人が運び込まれたり、あるいは自分が怪我人のところに連れて行かれたりするか分からないが、それ以外の時間はかなり自由が利く楽な職業だ。
まあ楽だと言えるのはアヤのおかげでもあるのだけれど。
「ウチが書類纏めてる間もシズは読書!?良いご身分ですね!」
「まあ、医者だし。アヤよりも身分が良いのは確かね」
「ふんっだ」
アヤは診療所の事務員をしている。というか私の秘書みたいな感じだ。
リハビリで筋力がついてきた頃、もう二十歳だけど将来どうするんだろうと、私が思っていたら、ある日突然家政婦として雇ってと言われた。新米医師としての多忙な毎日に、読書の時間が確保できなかった頃だったので雇うことにした。私の見てないところでこっそり料理の練習をしていたアヤの腕は私以上だった。
それからまたしばらくして私が校属医になり、アヤに事務を担当してもらうことになって今に至る。
アヤが面倒な事務仕事をやってくれているおかげでだいぶ楽ができている。
「今は怪我した生徒が寝てるから静かにね」
「幽体離脱中は見えないし聞こえないじゃん。でも分かった。静かにする。
それで何人?どんな状態?」
「2人よ。1人はさっき寝たところ。もう1人は意識不明。容態は安定してるけど目は離せないわ」
「ってことは!?」
「今日は泊まり」
「やったー!ウチも仕事終わらないから帰れないって言いにきたんだっ!今夜は一緒に本読も!」
「いいわよ」
「シズ大好き!」
「私もアヤのこと好きよ。でも静かにって言ったでしょ。あとここで油売ってる暇があるなら仕事してきなさいよ」
「はあい。静かにしまーす」
なんというか、私とアヤは有り体に言ってラブラブだ。他の女も男も寄せ付けないリアル充実っぷりである。職場でアヤにキスされたこともある。
生徒への悪影響を見かねた教頭がアヤを解雇しようとしたが、幽霊モードで弱味を握ったアヤがおどs…説得して無かったことにしている。それを聞いた私がアヤに、あまり過度な接触があれば絶交と言ったら泣かれた。なお私にもダメージがあるので罰が執行されることはない。それ以来、職場では幽霊モードのみでの接触となっている。
「それで何読む?本棚の中身入れ替えたばかりだからいろいろあるわよ」
「じゃあこれ!」
「分かったわ」
出会った頃と同じ、アヤとの読書。
肩に感じる愛しい気配に自然と頬がゆるむ。
一度失ったからこそ分かる、大切なひと。
その大切なひとに大切に思われている。
それがこの上なく心地よく、幸せ。
お読みいただきありがとうございました。