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伝説級女戦士の愛情表現がストレート過ぎて困っています  作者: 雨音深
キルギスホーン地下迷宮 ~ルーデンバウム連合王国 ルーセットアイゼン侯爵領
2/22

初めての対人戦

――最低だ!最悪だ!ゴミ!カス!僕のばか!


 ここ数日の間、ルビィは完全に自己嫌悪に陥っていた。原因は言うまでもなく先日の市場での一件である。騙される寸前に助けてもらったというのに礼のひとつもしておらず、それどころか震え上がって声も出せずにただただ、恩人を見送るだけであった。しかも問題はそれだけではないのだ。


「む、む、胸を触るだなんて・・・」


 思い出しただけでも顔から火を噴いてしまいそうになる。公衆の面前で、それも中原一の有名人を相手にとんでもなく破廉恥な行為をやらしたのだ。しかも噂はヴェールに火を着けたかのごとく、あっという間に広がり、今やルビィ自身が知る人ぞ知る有名人になってしまっていた。


 市場辺りではすでに『猛牛の乳搾り』だの『大女の乳バンド』だの、不名誉な仇名が付けられ、フードでも被らなければまともに買い物もできない有様である。


 せめて謝罪とお礼ができれば、とも思うのだが果たして再びあの勇猛果敢と男嫌いで名を馳せる女戦士と会見えて、自分が生きていられるかどうか。あいつは断頭台に首を乗せた、とまで言われている立場としては今、生きていることこそが信じられないといった具合いだ。


 ルビィ自身が貶められるだけであればまだしも、自分に付けられた仇名がグエンの名声までをも傷付け泥を塗っているのではないか。そう思う度、どう謝罪をすればいいのか答えを出せずに悶々と日々を過ごすのみであった。


 皮肉なことに、そんな鬱屈とした悩みを抱えているにも関わらず、ルビィのダンジョン探索は順調に進んだ。グエンの見立てた異国風の小刀は遺憾なくその切れ味を発揮し、おかげで彼の収入は倍近くまで跳ね上がっていた。


 元々彼の収入はお世辞にも多いとは言えず、未だに一般の探索者のそれと比べればささやかなものに過ぎなかったが、ルビィの生活環境が大きく改善されたことに相違はない。そうして昨日、やっとフライパンを卒業して皮製の篭手に鋼板を貼り付けた簡易盾など、ある程度の装備を整えることができたのである。


 装備面の向上により、ルビィの探索範囲も大きく広がっている。第二層はほぼ制覇しており、ついに今日この時、初めて第三階層に足を踏み入れようとしていた。


――集中しよう。余計なことを考えてはダメだ。ここから先は今までとは違うんだ。


 地下迷宮第三階層は初心者向けといわれる表層部の『最下層』という位置付けである。つまりルビィのような駆け出しの探索者にとって、この第三階層こそが最大の難関といえるだろう。


 群れや集落を形成するような亜人種の生息地は中層部以降に分布しており、集団戦術を用いるような者達に遭遇する心配は無かった。だが、この三層あたりから不幸な犠牲となった探索者の骸から剥ぎ取ったであろう武器、防具で武装している個体が見かけられるようになる。


 また、蜘蛛やムカデ、肉食性のミミズといった湿気と暗闇を好む蟲の類や土トカゲなど、表層上部と同じ生態系の生物が生息しているのだが、そのどれもが大型化しており、より危険な探索者の脅威となっていた。


 第三層の入り口は第二層中央部にある大階段で、その幅は10mほどと広く、大人数でも無理なく通過できる造りである。


 もっともルビィは単独行動であったから、広すぎる廊下はむしろ周囲を警戒するには不利だと思えた。そうして緊張感を高め、耳と目に神経を集中させていたからこそ、背後から襲い掛かる脅威にほぼ及第点といえる程度に対処することができたのだろう。


 背中に冷やりとする寒気を感じて、ルビィは振り向き様に後ろへ――つまりは進行方向へ飛びし去った。反射的に構えた左手の簡易篭手に、自分を目掛けて投げつけられた投擲用のダガーが命中する。鈍い金属音と火花を散らして、飛来した殺意はルビィの足元に落ちた。


――投げナイフだって!?ゴブリンじゃない!一体、何が・・・


 これまでの経験から、ゴブリンが石礫や簡素な弓を使う程度の知能を持ち合わせていることは知っていたし、実際にそんな攻撃を受けたこともあった。


 だが今、彼の背中を狙ったダガーによる攻撃には、確実にルビィに致命傷を与えられるだけの殺傷力が込められていた。そこに用いられた技術や膂力は、ゴブリンのものとは大きくかけ離れたものに感じられる。


 敵は小型の亜人種などとは比べ物にならないほど危険な存在であって、ルビィは自分が今まさに死地に立たされていることを悟った。


 先手を打たれた格好になったルビィはまず、最優先事項として逃走経路を探った。地下迷宮の探索で培ってきた経験がそうさせたのである。恥も外聞もない。生き残ること。それが何よりも重要なのだ。


「やっぱり、あの小僧だ。こんな湿っぽい場所で会えるなんてな」


「よっぽど縁があるんだな。俺達、ついてるぜ」


 階段の上の方から、複数の人影が接近してくる。ルビィは素早く相手の人数を確認したのだが、彼らの声に聞き覚えのあることにも気付いていた。


「久しぶりだな、お客さん。あの鍵、お前が持ってるんだろう?」


 先頭に立っている男の顔。それは忘れようにも忘れられない、ルビィから全てを奪った男の顔だった。


 半年ほど前のことになる。ルビィはここ、キルギスホーンで一旗揚げようと生まれ故郷を離れた。独立に際しては師匠からの援助もあり、旅立ちは希望に溢れていた。しかし意気揚々と旅立ったのも束の間、ルビィの全財産を運んでいた隊商が、野盗に襲われたのである。


 ルビィ自身は途中から門前都市へと先行し、自らの城――といってもごく小さな屋台程度のものだが、出店の手配などを行っていて難を逃れた。もしも隊商に同行していたのであれば、今頃どうなっていたことか。命が残ったのは不幸中の幸いだったのかもしれない。


 後にわずかに生き残った者達の証言で、護衛に付いていた傭兵が当の盗賊の一味であったことが判明した。しかし野盗の集団はすでに行方をくらましており、ルビィはほとんど無一文の状態で門前町に取り残されたのであった。


 その傭兵達のリーダーだった男が今、ルビィの目の前にいるのだ。周囲に控える男達にも顔を見知った者が含まれており、この連中があの事件で傭兵に成りすましていた野盗の一味に間違いあるまい。


「お前さんの荷物にあった、あの箱な。錠前が魔法仕掛けでどうやっても開かねえ。よほどのお宝とみえる。おとなしく鍵を渡せば、命くらいは助けてやるぜ」


 ルビィは頭に血が上り、いささか冷静さを失っていた。荷物にあった箱というのは師匠からの餞別を保管したもので、中にある希少品類を護るため特殊な魔法錠で封印されている。開ける為の鍵は肌身離さず、いつも紐で首からぶらさげていた。どうやら盗賊達はその鍵が目当てのようだ。


 奪われたものを取り返したいという気持ちもさることながら、なにより初めての旅立ちに、とても親切にしてくれた商人達の命を奪った盗賊どもが許せなかった。そこには自分が生き残ってしまったことへの罪悪感も含まれていただろう。


 無論、ルビィが責められる謂れはないのだが、それは長くルビィの心の奥底にこびりつき、彼を駆り立てていた。その痛みが、彼が迷宮探索という危険にしがみついていた理由のひとつにもなっていたのかもしれない。


 しかし今、ここで何ができるのだろう。絶体絶命の窮地に立たされているのは間違いなくルビィの方だ。盗賊たちは数で勝り、技能と経験で勝り、対峙する位置関係でも有利な状況である。そんな圧倒的に優勢な状況だからこそ、そこに慢心と油断が生まれるのではないか。この局面では、それを逆手にとって利用するしか道はない。ルビィはそう思った。


 チャンスは一度きりだ。間を与えてはいけない。敵が攻撃態勢に入ればルビィには万に一つの勝機すらなくなってしまう。


 それは、まるで突風だった。階段下から一足飛びに、ルビィの身体が跳ね上がる。真っ直ぐに、先頭に立つ盗賊の目の前まで駆け上がったルビィは男の首筋めがけて短刀を振り抜いた。


 勝負を分けたのは技量の差か。経験の違いか。


 盗賊は一瞬の出来事に虚を突かれながらも左手で反射的に首を庇う。短刀の抜き打ちは急所にこそ届かなかったものの、その庇った左手首を篭手ごと、いとも簡単に切り飛ばした。類稀なその切れ味は、触れ込み通りであった。


 痛みに吼えた盗賊は、深手を負いつつも右手のダガーでルビィの左足に切りつけた。血しぶきを散らした二人は、再び間を取るために互いに後退する。


「くそ!なんだ、あの剣は!おい、殺せ!こいつは、あの大女に目を付けられてるんだ!死んじまってもどうせ、牝牛に踏み潰されたって笑い話にしかならねぇ!」


 盗賊たちがルビィを押し包んできた。逃げ道は階段を下るしかないのだが、後退すれば敵が殺到してくることは目に見えている。もはや為す術はなく、あとは最後の時まで短刀を振り回すしかないように思われた。


 転瞬――そこに、凄まじい風が巻き起こった。


 ルビィの踏み込みを一陣の突風と喩えるなら、階段の下から吹き上げて来たのは荒れ狂う暴風とでも言うべきか。突如に沸き出でた嵐がルビィの傍らを走りぬけ、彼を囲む男達を薙ぎ払う。骨が砕ける音が響きわたり、数人の男が吹き飛ばされるがまま、周囲の壁に激突し力なく崩れ落ちた。


「わたしの名を騙ろうとでもいうのか?牝牛呼ばわりとは、いい度胸だな」


「え・・・あ、グエンさん!?」


 長身の女戦士が己が身の丈ほどもある大剣を盗賊に突き付け、ルビィを見て笑顔をみせる。


「さっきの踏み込みは中々よかった。だが、背伸びをすると、命を縮める」


 残った盗賊たちが震え上がった。わずか一合で半数もの手勢が倒されたのだから、当然のことであったろう。タイフーン、死の旋風等々、口々に彼女の仇名をつぶやいている。


「・・・引くぞ。相手が悪い」


 仲間の手助けで腕を止血した盗賊が撤退を命じた。男達はゆるゆると後退しはじめ、闇に溶け込んでゆく。殿がその姿を消すのを確かめて、ようやく剣を納めたグエンがルビィへと歩み寄った。


「怪我はないか?む、出血しているではないか!」


「あ、ああ、避け損なっちゃって。かすり傷ですよ・・・」


 歴戦の女戦士は、手際よくルビィの止血を行った。太ももの左前の部分だ。足の付け根を包帯で固く縛る。礼を言おうとしたルビィを遮り、女戦士は無言で軽々とルビィを抱き上げた。


「え?あのっ!ちょっと!?」


「毒を使われているかもしれん。一刻を争うからな。おとなしく抱かれていろ」


 グエンはその後もルビィの抗議を黙殺し、囚われの美姫を助け出した騎士よろしく、堂々と地上へ帰還した。


 そのままグエンはダンジョン帰りの探索者でごった返す中央広場を抜け、自身の所属するパーティの拠点へと向ったのだが、ただでさえ注目を集める彼女である。その腕に男を抱きかかえて通りをゆく姿は、新たな噂を生み出すには充分すぎるほどのインパクトがあった。


「あの・・・そろそろ降ろしてくれませんか?」


「却下だ。黙らんと不本意ながら、その口を塞ぐことになるぞ」


 とりつく島もない。そうしてルビィはタイフーン・グエンが率いるパーティの本拠地『暁のカモメ亭』へと連行されたのだった。この一件で、いたいけな少年と勇猛果敢な女戦士に新たな仇名が増えたことは言うまでもないだろう。



「なるほど、お前とあの盗賊の一味との因縁は理解した」


 酒場の丸テーブルに4人の男女がいた。ルビィとグエン、それにグエンのパーティメンバーである魔術師と、軽装の弓使いらしき人物である。


 男嫌いの評判通り、グエンのパーティは全て女性だけで構成されているらしい。元々、女性との接点に乏しいルビィは緊張至極で終始、何処に目をやればいいかわからないといった具合であった。


 その女性のうちのひとり、黒髪の魔術師はレーベと名乗った。グエンとの付き合いが長いらしく、どうやら参謀格といった様子で、パーティの実務的な部分はほとんど彼女が請け負っているようだった。


「ルビィ君、パーティはどこか参加済みかしら?狙われているなら単独行動は危険だと思うのだけれど」


 迷宮探索の際、特に中層以降を攻略するのであれば、複数での集団戦闘に対応できるよう人数を揃えることはもはや必須事項といってよかった。中層部には亜人種の集落があったり、危険な生物群もその数が表層とは比べ物にならないほど増加している。単独で進入するなど、自殺行為に等しい。


 恥ずかしながら、ルビィはどこのパーティにも参加できていないというのが現状だった。まだまだ駆け出しで、実力も経験も不足しており、手のかかる新参者に足を引っ張られても構わないという奇特なパーティなぞ、あるわけがない。


「ルビィは我らのパーティに参加するのだ」


 グエンは高らかに宣言した。テーブルについていた他の三人は元より、近くに陣取り、興味津々といった様子の野次馬酔客たちの誰もが、あっけに取られていた。


「ちょっとグエン。いきなり何を言ってるの?」


 レーベはやれやれ、といった風体で翻意を促すが、


「これは、決定事項だ。撤回も変更も有り得ない。我が剣にかけて」


 といった具合である。グエンは話に着いて行けずただ、おろおろするばかりルビィの手を取った。


「お前は、わたしのものになれ」


 酒場全体がどよめいた。普段、酔っ払い共にとって、迷宮のどこそこで何が見つかったとか、誰が死んだだの、戻ってきただの、そんな世間話が流れる程度がニュースなのだが、この爆弾発言は翌朝のトップを飾るには格好のネタとなるだろう。


 言い寄った男達を例外なく、完膚なきまで叩きのめして砂漠に放り出すと噂されているグエンだ。中原有数の戦士であり、迷宮探索の世界でも、トップクラスの探索家といって差し支えない実績を誇っている。


 それがどこの馬の骨ともわからない小僧に熱愛宣言を行ったのだから、周囲のもはや収集不能な程の騒乱は、当然の産物とさえいえるだろう。


 むしろ、当のルビィの方がその言葉の意味を深くとらえてはいないようだった。まさか自分のような底辺に位置する新参探索者に、グエンが本気で執着することなど考えが及ぶはずもなかったのだ。


 言い回しが多少、大げさになったのだろうくらいにしか思っていないようで、単に気まぐれに『子分になれ』とか、その程度の誘いと受け止めていた。


「いや、でも・・・僕、そんな経験もないし、遠慮しておきます」


 実際問題として、パーティメンバーとして参加する場合、やはり能力のバランスは重要となってくる。同程度の実力を持つメンバーであればこそ、探索目標も身の丈にあったものに設定できるのであって、あまりに実力差に開きがあれば、単にお荷物になってしまうか、場違いな狩場でその日のうちにあの世へ旅立つことになるだろう。


「嫌なのか?断るというのか?何故だ?」


 その疑問はそっくりそのままお返ししたい、というのがルビィの率直な感想だ。何故そこまで自分に執着するのか、理解に苦しむところである。乳を触ったからだろうか?まさかそんな理由ではないだろうに。


「グエンさんには色々助けていただきましたし、あのっ、その、大変失礼なこともしてしまいまして・・・そ、その節は、も、申し訳ありませんでした!」


「いや、そんなことはどうでもいいのだ」


 ルビィの精一杯の謝罪を、グエンはむしろ淡々とさえ言える様子でスルーした。ここ半月ほどの彼の一番の悩み事だった案件はおおよそ二秒くらいで終了処理が完了したのである。今日までの葛藤の日々は一体なんだったのか。女心は本当によくわからない。


「・・・よし、ではこうしよう。ルビィはあの盗賊にお宝を奪われたのだったな」


「お宝というか、お師匠様からいただいた餞別が入った箱です。鍵は僕が持っているので中身は無事だと思いますが・・・」


 グエンは立ち上がり、再び高らかに宣言した。


「わたしがそれを取り返してやろう!それならば、どうだ?」


「えっ、ほんとですか!そんなことできるんですか?」


 こほん、と咳払いをしてレーベがグエンの言葉を引き継いだ。


「先日、襲われた隊商はうちの補給物資も積んでまして、結構な被害を被ってます。ここはひとつ、落としま・・・いえ、罪を償ってもらいませんとね。商工会からも盗賊討伐の依頼が出ていますし」


「それなら、ぜひ!出来る限りのお礼もしますし、お手伝いもします!お願いします!」


 繰り返しになるが、この時のルビィはグエンの要求について深く考えてはいなかった。もちろん盗賊から大切な荷物を取り返してもらえたのなら、その礼がどんな高額であっても、なんとしても支払おうと覚悟はしていた。自分が出来る限りの誠意を尽くすつもりであったのだ。


 しかし自分自身の認識の甘さを、後に彼は思い知ることになる。この時、ルビィはグエン・スミラミスの内面に燃え盛る炎が、まさかに自分を蹂躙し支配しつくそうとしているとは思いもよらなかった。


 グエンとルビィが今しがた地下迷宮で出くわしたことも、実際には偶然ではなかったことがわかった。行方をくらました盗賊の一味が地下迷宮で目撃され始めたため、グエンらパーティメンバーは手分けをして待ち伏せをかけていたのである。盗賊はルビィごと、その罠に飛び込んだというわけだ。


 程なくして、逃げ去った盗賊を追跡していたパーティメンバーから連絡が入った。フクロウによる伝書であった。追跡技能の高さで知られるスカウトがその役を果たしているらしい。みな有名人ばかりだ。


 弓使いの女が、ジョッキに注がれた麦酒をあおって不満を漏らす。


「今回は出番なさそうだな。グエンが妙に張り切ってるしよ。このガキ、そんなに具合がいいのか?味見していいか?」


 見た目の爽やかさを完璧に裏切っている弓使いの指先が、ルビィへと伸ばされようとした瞬間、ふたりの境を轟風が遮った。グエンの振るった大剣が弓使いの鼻先に突きつけられている。下品な物言いに完全に相反して美しい、やや緑がかった金髪が数本、ぱらぱらと地に舞った。


「じじじ、冗談だよ。冗談!やだなぁグエン、冗談だから!ね?」


「アビゲイル、気をつけた方がいいわよ。今日のグエンは・・・まともじゃないみたい。冗談は程ほどにしとかないと、首を落とされかねないわよ」


 レーベは連絡用に使用しているフクロウの足から筒を外し、中に入っている通信文に目を通した。


「盗賊のアジトが判明したけれど、ちょっと予想外の展開だわ。アビーにも活躍してもらわなきゃならないかも」


 タイフーン・グエンの作戦参謀は悪戯好きの妖精のような笑みを浮かべて、これからの手はずについて皆に説明を始めた。どうやらこの妖精は可愛らしいといった類の者とは程遠い存在のようである。レーベはむしろ邪悪とさえいえるほど、残忍に微笑んでいた。


「なるほど、こいつは予想外だな。探しても見つからないはずだぜ」


 商館が立ち並ぶ一角で、口の悪い弓使いアビゲイルがつぶやいた。キルギスホーンの大通りにある大商人の屋敷が、盗賊達のアジトと化しているというのだ。


 都市の警察機能を担う自警団や、盗賊征伐を請け負ったパーティなどが都市周辺の捜索を何度も行ったのだが、その痕跡すら見つけることができなかったのも頷けよう。


 彼らが都市近郊の荒野なぞを探索している間、当の盗賊たちは街の中心部にある大きな屋敷で、なに不自由なく、のうのうと日々を送っていたに違いない。


 一行は屋敷の裏門に音もなく忍び寄った。先行しているスカウトはすでに建物内に侵入しているという。アビゲイルが短く口笛を鳴らすと、裏口の扉がそっと開き、一行を中へと招き入れた。


「盗賊連中は建物の奥。たぶん屋敷の主が首魁」


 闇に融け込み易い、暗灰色の装束を身に着けた小柄な女が、これまでに入手した情報をみなに伝えた。この、クロマという名のスカウトはキルギスホーンでも『凄腕の変わり者』として知られている。その職種の名が示す通り、彼女の斥候に関する技術は折り紙付きであり、単独で迷宮下層域までの潜入さえも可能にするという。


 そんな潜入のエキスパートにとって商館の警備など紙にも等しいのだろう。さして障害もなく、一行を目的地へと導いた。


 突入の様子は惨憺たるものだった。一味が詰めている部屋に飛び込んだグエンは問答無用で大剣を振り回し、最初の遭遇戦でほぼ全ての盗賊を制圧してしまったのである。致命傷こそ与えはしなかったものの、それはまるで室内で荒れ狂う嵐に遭遇したかのような有様であった。


 ルビィにナイフを投げたリーダー格の男などは、グエンの剣に巻き込まれたまま散々に引きずり回された挙句、豪快なアッパーカットを喰らって顎の骨を粉々にされた。


 数人がその場から逃げ出すことに成功したのだが、その連中も待機していたアビゲイルの狙撃の的となり、商工会から通報を受けた自警団の手によって残らず捕縛されている。


 この突入劇はほんの半刻ほどで収束したのだが、盗賊の首魁として捕らえられた商人の顔を見てルビィはがっくりと肩を落とすこととなった。


 それはなんとルビィが出店手配のために訪問し、色々と物件の相談をした商人その人だったのだ。思い起こせば手付けで払った費用についても、商人側に落ち度がないという理由で返金に応じてもらえなかったのである。


「とんでもない男だわ。法廷でじっくり追い詰めて、根こそぎ毟り取ってやりましょう」


 そう言うレーベの微笑は、やはりどう見ても邪悪そのものに見えた。



 酒場に戻り、ルビィは魔法の錠前で守られた箱を開封することにした。悪徳商人のこれまでの犯罪については、これから本格的に解明されてゆくことになるのだろうが、この箱だけはと先に取り返しここへと持ち帰ったのである。魔法鍵を使うと箱は簡単に開けることが出来た。


「これは・・・」


 箱の中には乾燥させたキノコや、様々なスパイスを詰めたガラス瓶、なにやら奇妙な乾物、干物類と、いくつかの壷がぎっしりと詰め込まれていた。なぜかグエンは黒ずんだ石ころのような物体と、壷に興味を示している。特に壷から発する香りが気になるようだ。


「これがお師匠様からの餞別です。滅多に手に入らない香辛料とか、希少品を分けていただいたんです」


 ルビィはキルギスホーンで、師匠から学んだ料理を出す屋台を出店しようとしていた。これはその店で使う予定だった、まさに最重要機密に当たるような代物だったわけだ。


「ちょっと台所、お借りしますね」


 酒場の台所を借りて、ルビィは調理を始めた。グエンが興味を示していた黒い石ころを小さなかんなで薄く削ってゆく。それを覗き込んでいたレーベが尋ねた。


「それはなに?」


「これは魚の燻製なんですよ。東方からの輸入品です」


 薄く削った魚の燻製を湯を沸かした鍋に放ち、火を止める。その間に刻んだ根菜を用意した。別の鉄鍋で豚肉を炒め、刻んだ根菜を加える。そこに先ほどの鍋の湯を濾したものを加えて軽く煮込む。そこでルビィは壷をひとつ用意した。


 中を覗き込んだアビゲイルが目を丸くしている。壷の中には艶のある茶色いペーストが入っていたのだが、それが一体何なのか、皆目検討が付かなかった。


「これは大豆と麦を発酵させて造った調味料です。これ食べると疲れが取れますよ」


 鍋の火を止め、ルビィは茶色のペーストを濾し入れた。なんともいえない芳香が立ち上る。できあがった汁を椀によそって仕上げにスパイスを少々。これを皆にふるまった。


「美味しい!」


「こりゃいいな!」


 なかなかの好評にルビィの相好も崩れっぱなしで、テーブルの向こうでつぶやいたグエンの言葉にも気付くことはなかった。


「やっぱりこの味、ほっとするな・・・」


 さて、その直後にルビィは自分が今、どのような立場なのか改めて、強制的に理解させられる羽目に陥った。グエンがルビィの財産を取り戻した報酬を要求したのだ。


 グエン曰く、ルビィは専属のコックとしてパーティに加入すること。また、ルビィはグエンのものであって、絶対的な不可侵領域とする。これを破る者には死あるのみ。以上がその内容であった。


 そのぶっ飛んだ言い草に一同、開いた口が塞がらなかったのだが、どうやらどこまでもグエンは本気のようである。その理由もわからず、ルビィには、もはや理不尽の極地ともいえる女戦士の暴挙に、抵抗する手段がありはしなかった。


 なんで、僕?どうして僕なんですか――?


 その問いに答える者はいない。大体、そうやって姫君が捕らえられる理由が理不尽ではなかった試しはないのである。そこに理由を求めるのは無駄というものであろう。性別の逆転などというものは今のご時勢には珍しくもなんともないのだから。


「ルビィは約束した。まさかそれを違えるとは言わんだろうな?」


 ルビィに選択の余地がないことは言うまでもない。そうして彼は自分の意思とはまったく関係なく、かのタイフーン・グエンのパーティに加わることとなったのであった。




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