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こんとらくと・きりんぐ

スケジュール(こんとらくと・きりんぐ)

作者: 実茂 譲

 寒々しい冬の風が窓ガラスを打っている。

 殺し屋が通されたのは内務大臣が所有している邸宅の執務室だった。王都でも官庁街に近い区画に建てられた古い屋敷だ。

 ぽろん、ぽろん。隣の部屋から練習曲の断片が聞こえてきた。

 内務大臣は銀のペン立てが置いてある書き物机に陣取って、書類に目を通している。小太りで白髪、冷たい目。口をアザラシ髭に隠したまましゃべることのできる男だった。

 対面には殺し屋が座っていた。ショートへアの少女、あるいは長髪の少年に見える。殺し屋はショートケーキにフォークを刺し、スポンジとクリームを一塊すくいあげると、それを口に運んだ。

 時計がカチンと二時五十五分を打った。

 内務大臣は書類を読むのをやめると、アザラシ髭がもぞもぞ動いた。

「君に取れる時間は五分だけだから手短に言おう。革命家たちは政府に内通者を潜らせている。大公、知事、憲兵総監が相ついで狙われた爆弾事件は彼らのスケジュールが内通者を通じて流出した結果なのだ」

 カチン。時計が五十六分を打った。

「内部の者が信用できないため、恥を捨てて君を雇うことにした」

「報酬のことなんですけど……」

「それについては管理局長と話したまえ」

「いえ。交渉じゃなくてお礼です。相場よりも多かったので……」

「それについては管理局長に話したまえ」

「はい……」

 カチン。五十七分。

「他には?」

「依頼内容はわかりました。内通者の抹殺です。ただ、ぼくとしては報告のための時間をもう少しほしいかな、と」

「それについては却下する。私の予定はつまっているのだ。午後三時から報告書を持って陛下に会い、午後三時三十五分から午後四時十五分までの間に内務省で命令書を二通作成し、午後四時二十分に内務省を出発、馬車で県憲兵隊からの報告を読みながら、ここに午後四時三十一分に戻ってくる。そして、娘と二分だけ会わねばならん。そうしたら、そのまま警視庁へ直行だ」

「その予定をもう少しぼくのために割いてはくれませんか?」

「却下。スケジュール通りにいかんのなら死んだほうがましだ」

 カチン。五十八分。

「何度も言うが、全てはスケジュールなのだ。私の完璧なスケジュールをテロリストの爆弾などに邪魔されるわけにはいかない」

「そのスケジュールによるならば、ぼくが次に報告を許されるのは三日後じゃありませんか」

「その通り。他には?」

 カチン。五十九分。

 まずい。追い出される。

 殺し屋はフォークでブスリとイチゴを刺し、急いで頬張った。

 時計が三時の鐘を打った。

 内務大臣がすっくと立ち上がった。扉が開き、従者が帽子とオーバーコートを持ってきた。

「では、三日後に」

 内務大臣を乗せた馬車は予定通り午後三時に出発した。


 部屋から追い立てられた殺し屋は警務官から返してもらった飛び出しナイフをポケットに落とし、ピーコートを羽織った。

 殺し屋は、ふああ~、とあくびした。楽な仕事だ。目星はもうついている。

 屋敷を出た途端、冷たい空気に触れて、気分が曇ってしまった。

 屋敷の門を出ると、壁伝いに右へ歩き、通用口に近い裏門へ向かった。車寄せに大きな荷馬車がある。そこに隠れて、十分だけ待った。

 屋敷から聞こえてくるピアノがぴたりと止んだ。数分後、小間使いが一人現れた。顔が頭巾に隠れている。

「ヘタな変装」

 運河から吹く空気がピーコートを貫き、セーターをひんやりさせた。顔をしかめる。仕事を終えたら、マフラーを買おうと心に誓った。

 小間使いを追跡する。鉄の柵を右に見ながら十分ほど歩いた。小間使いはしょっちゅう振り返ったが、苦もなく尾行できた。王立公園の西門が見え、小間使いは門をくぐった。

 丸石を敷いた遊歩道が池と森の間をずっと続いている。小間使いは人気のない森を背にして、ベンチに座った。

 殺し屋は見晴らしのいい遊歩道を避けて、森に踏み入り、秘かに移動した。小間使いが座っているベンチの裏手は二メートルまで潅木が隙間無く茂っていて、遊歩道からは見えにくい。都合が良かった。

 腕時計は三時半を三十秒まわっている。

 小間使いはずっとそわそわしていた。誰かを待っているのだ。

 三時三十五分。工場の制帽をかぶった若い男が遊歩道を東門側から歩いてきた。《防寒布でくるんだ赤ん坊くらいの大きさのもの》を脇に抱えている。

 若者はベンチに座った。二人とも知らん顔をしていたが、そのうち小間使いが煤だらけの若者の首に飛びついた。

「ああ、イヴァン! もう離しませんわ」

 小間使いがささやく。若者の顔が小間使いの顔にかぶさった。

 唇と唇がぶつかり、吸いあい、囁きあう。殺し屋は全部聞いていた。

「すまない、ユリア。君にこんなことを巻き込んで……」

「それはおっしゃらない約束でしょ? いいのよ、イヴァン。お父様は冷酷な人なのです。お父様が軍隊を使って貧しい人々をどれだけ苦しめたか考えただけで、私……」

「ユリア……」

「私、嬉しくて。こんな形で人民に尽くせるんですもの。……ううん、違う。本当はあなたに尽くせることが嬉しいの。お父様のスケジュールなら簡単に分かりますもの。お父様は私が隣の部屋でずっとピアノを弾いていると思っているのよ。そうしてレコードを流しておいて、壁にぴったり耳をつけておけば、お父様の話していることは全て筒抜けですわ。大公や知事のスケジュールも全部。お父様は私に無関心だからレコードと本当に弾いている音が分からないのです。今日もお父様のスケジュールを聞きましたわ。簡単でしたわ。お父様は今日の午後四時二十分に内務省を出て、三十一分に家の前に戻ってきますわ」

 負い目を感じた男の声がした。

「わかってるのかい、ユリア。革命委員会は君のお父さんの暗殺を指令した。もう爆弾も用意されている。君のくれた情報で君のお父さんは……」

「私はあなたの助けになりたいだけですの。あなたのためなら、どんな苦労も厭わないし、どんな罪でも背負ってみせます。だから、――今度はいつ会えますの?」

「分からない」

「え?」

 眉をしかめた男の目が《防寒布でくるんだ赤ん坊くらいの大きさのもの》に落ちた。

「今回、爆弾を投げるのは僕なんだ」

「そんな……」

「ユリア。ひょっとしたら、僕は今日のテロで死ぬかもしれない。でも、もし死ななかったら、ここに戻ってきます。そして、都を出ましょう」

「じゃあ、私たち、やっと一緒になれますのね?」

「ここで待っていてください。必ず戻ります」

「ああ、イヴァン!」

 抱きつく二人を横目に殺し屋は毛糸の手袋を外し、

「お仕事お仕事、っと」

 セーム革の手袋にはめ変えた。

 若者が《防寒布でくるんだ赤ん坊くらいの大きさのもの》を抱えて、西門のほうへ歩いていった。

 道には誰もいない。娘は一人、ベンチで夢と希望に首まで浸かって待っている。

 三十秒の仕事だった。飛び出して、娘を背後から襲って茂みへ引きずり込み、速やかに喉を掻き切った。

 死体はそのままにして残し、スカートの裾で手袋とナイフを拭った。ピーコートを枝で引っ掻かないように注意して、森から脱け出ると、西門から辻待ちの馬車を捕まえた。

 馭者がきいた。

「どこまで?」

「内務省。思い切り飛ばしてください」


 午後四時十九分。馬車の座席につき、いまドアを閉めようとしているところで内務大臣を捕まえた。

「報告は三日後だ。スケジュールに違反している」

 殺し屋はステップに足をかけ、全てを耳打ちした。

 内務大臣の目が一瞬閉じられ、すぐ開いた。アザラシ髭がもぞもぞ動き、無関心に沈んだ声がゆっくり漏れ出した。

「それで?」

「伝え忘れましたっけ? 犯人はあなたの娘さんでした」

「で?」

「依頼どおりにしました」

「それで?」

「えーと、これって結構重大なことだと思うんですけど」

「用がないのなら、もう行くぞ」

「爆弾を持ったテロリストがあなたの家の前で待っていることも話しましたよね?」

「スケジュールを乱されるなら死んだほうがましだ。これは教えたはずだ」

 内務大臣はぶっきらぼうに一通の書類を取り出した。

「ご苦労だった。これを管理局長に提出したまえ。報酬の残りが支払われる」

 内務大臣のチョッキの中で懐中時計が四時二十分を打った。

「午後四時二十分に出発。馬車の中で憲兵隊の報告書を読む。そして、午後四時三十一分、娘に会いにいく。――全てスケジュール通りだ」

 馬車は出発した。


 ……ボオ、オ、オーンンンン………

 午後四時三十一分。洋服店のガラスが震えた。

 女性店員と客が不審そうに噂しあった。

「まあ、なんでしょう?」

「きっと花火工場で事故があったのよ」

「まあ」

 おしゃべりに熱中していると、

「あのー……」

 殺し屋が黒いマフラーを勘定台に置いた。

「これください」

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― 新着の感想 ―
[一言] 楽しく読ませてもらってます。 計画通りの進行ができる、って最高ですね憧れです。ちゃうこれあかんやつ、そーでしょうか娘も娘で、と言うより獅子身中の虫というやつだったのだし、希望と幸福の絶頂で生…
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