序章
瑠璃色に光る水面に、月明かりが浮かんでいるのがみえる。
もう見慣れた景色になってしまったそれを、自分の足で生み出す波で掻き消してゆく。
まるでファンタジー小説の世界から飛び出してきたかのような、幻想的とも言えるこの水に沈んだ瓦礫の町を、私は走り続けている。
水に濡れて重くなっている、ようやく履き慣れたスニーカーも擦り切れ、幾つもの生地の欠片が水の底に沈んでゆく。
バシャバシャと音を立て、胸が、肺がはち切れそうなほど苦しい思いをしながら走っているのは、いったいどうしてだったか。
酸素不足とオーバードーズによる副作用で朦朧とする頭の中に、もう居ない筈の、あの人の声が反芻される。
『こっちへおいで……、こっちへおいで……。』
その女性の声を振り払うかのように、頭を何度も、何度も振っては、自分に言い聞かせる。
「あの人は、もう死んだんだ……死んだんだ、死んだんだから……っ!!」
鬱陶しく纏わりつく髪を振り払い、声を大にして叫べば、人の居なくなったこの廃墟の町を、どこまでも反響するように感じてしまう。
後ろからは、奴らの足音が聞こえてくる……。
わかっているのだ、彼女が私を呼ぶはずなんて無い、ということは。
あの優しい手が差し伸べられることは、二度とないのだと、理解しているはずだ。
だからこそ、私は奴らの存在を赦す訳にはいかない。あの人達を否定しないために。
あの人達がしてきたことを、守ったモノを、無にしないために。
自分の頭を瓦礫の壁に打ち付け、額から流れる生温かい液体をボロボロになった袖で拭いながら、私は振り返る。
あの人に、あの人達に瓜二つな人形を破壊するために、私は逃げるという選択肢を捨てて、立ち塞がる。
私を育ててくれた、彼女の姿をしたそれを、否定する。
「おまえ達なんか……、おまえ達なんかぁぁぁぁあああっ!!」
全ては二年前、世界を襲った大事件。『ノアの洪水』で人類の殆どが死に絶えたあの日。
去りゆく背中を見届けるしかできなかった、私なんかが生き残ってしまった、あの日に始まったのだ。
世界の終わりが、始まった。