美味しい珈琲
彼女は生クリームをぐちゃぐちゃに掻き混ぜながら、話し始めた。
「・・・なんて言ったらいいのかな。
私、死んでいるの。ここに来る人たちはみんなそんな感じ。
それでね、貴方は私が生きているときから、ずっと私の中にいたのね。
わかるでしょ。貴方は私の理想の姿なんだよね。想像上の人間っていうこと。」
彼女は表情を変えないまま、クリーム塗れの口で話し続ける。
「私が生きていた頃ね、私は頭の中で貴方を作ったの。
貴方みたいに生きたかったから。貴方は 私のもう一つの人生なんだ。
それで、私が死んだから、貴方もここに来たの。
本当はもっと早く来るはずだった。
でも、私は死んでからも貴方を捨てきれなかった。貴方を生かしておいたところで、
意味なんてないんだけど。おかしいでしょ。私はもう死んでいるのにさ。」
彼女はまっすぐに僕を見る。黒々と塗り固めた瞼の奥には、どこかで見た綺麗な瞳がある。
「でもね、最近気づいたんだ。私の中から貴方を消した方が楽なんじゃないかなって。」
彼女は口元だけで微笑んで、そう言った。
僕はこの子を知っている。
ずっとずっと昔から。
セーラー服を着た彼女は、僕を作った。
最初はただの話し相手だった。
僕は彼女が作った言葉で、彼女に答えた。
そのうち、彼女は僕の人生を作り始めた。
彼女が一つずつ壊れる度に、僕は完成に近づいた。
僕が彼女の存在を忘れたとき、彼女は一番大きく壊れてしまった。
この子が今此処にいるのは、僕のせいでもあるのだ。
空想と現実との狭間で、彼女は一人、苦しみ、命を絶った。
駄目だ。僕は何も考えてはいけない。僕だけの罪悪感も、感じてはいけない優越感も、彼女には伝わってしまうのだから。
コトッ。
彼女がれんげを離す。
そして、か細い手をいっぱいに広げ、どんぶりから気味の悪い液体を飲み干した。
「ご馳走様でした。」
彼女は満足げな顔で、こちらを見る。
「さて、さようならをしましょうか。」
厨房から、イトイズミさんが出てくる。
彼は僕を軽々と持ち上げ、厨房に入った。
えっ・・・。
あまり考えたくないエンディングが数件、僕の頭をよぎる。
「イトイズミ・・・さん。」
「大丈夫。取って食いやしませんから。」
「だってここ・・・。」
「ここはコーヒーを淹れるところでしょう。
ちょっとあの中に入るだけですから、ご心配なく。」
彼は、まっすぐに寸胴を指さす。
「何震えているのですか。これは単なる移動装置です。
だってほら、コンロも何も無いでしょう。
私の仕事は、貴方をこの中に入れて、玄関先に出しておくことです。」
「その後は・・・。」
「専門の業者が来ます。」
「・・・まるで、粗大ごみですね。皆こうなんですか。」
「知らない方が、良いでしょうね。」
何故か納得した僕の心を見透かしているかのように、彼は僕を寸胴に入れる。
「蓋、閉めますよ。」
「久しぶりに沢山喋ったから、喉乾いた。ねぇ、おかわり。」
此処のウインナーコーヒーは最高だ。苦めにブレンドされたコーヒーに、お砂糖控えめの軽い生クリーム。甘すぎないから、何杯でもいける。
私は空っぽのどんぶりを、イトイズミに差し出す。
彼はみっともない溜息を一つついてから、こう言った。
「これでさいごにしてよ、お母さん。」