俺×僕
パチリ、パチリと気持ちの良い音が俺の部屋に響く。俺のニッパーが、プラモデルのランナーを切る音だ。
俺が今作っているのは、Gダムのプラモデル、つまりGプラだ。これにハマったのは、小学校5年の頃。それまでは、こういったロボットモノなど興味は無かったし、元々アニメと言えば某狸っぽい青いネコ型ロボットのものしか知らなかった。
作業に疲れて、椅子にどかっと腰を下ろす。
後は武器を組み上げれば完成だ。
プラモデルをゆっくりと眺めつつ、俺は側にあった10年手帳を手に取った。
これをいつ買ったかは覚えていない。もとい、自分が何の目的でこんな分厚い手帳を買ったかさえわからない。しかし、ほぼ白紙のページに、一つだけ、書き加えてあった文字がある。
日付は今日、8月31日。大杉公園の大きな銀杏の下のベンチ。夕方の5時。
何かの約束事のようだ。
そこに行けば、何かあるのか?俺は、はなから行く気を無くしていた。誰が嬉しくて、夏休みの最後の日に自分の部屋から出ていかなければならないのか。
高校に入って最初の夏休み。俺は、中学と何も変わらない夏休みを過ごしていた。
中高一貫教育の学校に進学し、成績の差の開き方に驚き、先生の説教に畏怖し、そして・・・小学校との違いに、慣れなかった。
中学に入って最初にかけられた言葉を、今も鮮明に覚えている。
『お前、坊ちゃん学校なんだってな』
その時に、変な風に言い返さなくて良かったと今でも思う。
そいつに変に言い返したやつは、入学早々、いじめられて、退学していった。
中学のガキ大将は、小学校とは次元が違った。
俺に逆らう奴はこの学校に要らない。
そんな社会に、俺は恐れ入ってしまった。
そいつに媚を売りつつ、落ちこぼれない程度に勉強をこなし、単調な毎日を送っている。
俺は、何のために生きていたのだろう。
別に自殺をしたいわけじゃない。ただ、何か生きる意味、生きがいが欲しかった。
ベッドにどかっとダイブし、目を閉じる。
もう一度帰りたい。あの頃へ・・・。
俺はそう思って目を閉じた。
『・・・くん!・・・アキくん!』
俺の名を呼ぶ声に、俺はフッと目を開けた。
目の前には、少し目が吊りあがり気味の母親の姿があった。
「早く起きなさい。学校、遅れちゃうわよ。・・・全く、夏休みは昨日までよ。」
んんーっと伸びをしながら、俺はベッドから出た。
どうやらあれからずっと寝てしまったようだ。夕飯も食べずに寝たので、腹が減った。
「ごめんカアさん。朝メシ、なに?」
何だか妙に声が甲高い。今日は始業式だけだから、友達とカラオケでも行くか。いい感じに歌い切れそうだ。
制服の入ったクローゼットに向かおうとした俺を、カアさんの声が制した。
「アキくん・・・どうしたの・・・?昨日までママって言ってたじゃない・・・しかも、朝メシって・・・」
カアさんは俺の両腕をつかんで言った。
「どうしたの?何かあったの?友達にそう言えって言われたの?」
何だ、このネチネチとしたカアさんの喋り方は。
起きるのを忘れてて起こされたときでも、もっとズカズカとものを言っていたはずだ。
「カアさん、今更なんだよ。俺ちゃんと聞いてたぜ。トウさんに前、『今日あたしのこと、カアさんって呼んだの』って相談してたろ。トウさん言ってたじゃねぇか、中学に入ったらそんなもんだって・・・」
俺は途中で言葉を止めた。俺の腕を掴むカアさんは、『しゃがんでいた』。
おかしい。中学2年の頃に、俺はカアさんの身長を抜かしたはずだ。
しかも、今、俺の部屋を見渡した時にも、違和感を感じた。
積みプラが・・・無い。
積みプラとは、買ったのにもかかわらず作っていないプラモデルが溜まっているということだ。大抵は部屋の隅に箱を『積み』重ねるのでこう言われている。
机の上は綺麗に整頓され、ランナーの切れクズなんかも一つもない。
ここは・・・本当に俺の部屋か?
「アキくん・・・」
カアさんはこちらを呆然と突っ立って見ている。
「なんで『僕』じゃなくて『俺』なの・・・しかも中学って・・・何言ってんの・・・」
俺は恐ろしくなった。そして、意識は俺の後ろにある鏡に集中していった。
「だってアキくんまだ・・・」
カアさんの声に合わせるように、俺はゆっくりと後ろを振り返った。
視線を、勇気を出して鏡に向ける。
そこに映っていたのは・・・『俺』であって『俺』でなかった。
ほっそりとした腕、肌は真っ白で、いかにも『ひ弱』そうな体つき。
寝癖のつき方は変わらなかったが、その髪の毛の下の顔は、太っているわけではないが、どこか丸っこく、ニキビ一つない。クリリと大きな目がこちらを見ている。
手の甲には血管が浮き出るどころか、全体的に丸っこくてすべすべしている。
ボーゼンと突っ立っている俺に、カアさんが最後の攻撃を加えた。
「あなたまだ・・・『小学生』じゃない。」
こつこつと靴を鳴らしながら、俺は通学路を歩いていた。
いつもと違う道。しかも、俺の背中には、バカでっかい『何か』があった。
『ランドセル』と呼ばれる何かが。
完全に動揺してしまったカアさんを何とか演技で誤魔化し、おそらく履いてる人はいないだろうが、小学生にして制服の長ズボンを履いて、俺は学校に向かった。
ダサすぎて帽子はもちろんつけず、ワックスがないので頑張って水で髪をセットした。
ポケットに手を突っ込み、後ろにランドセルなんぞ背負ってないと思いつつ、俺は『母校』神城学院小学校に向かって歩いていた。
名札に書かれた名前は『神崎 秋』。正真正銘俺の名前だ。
うちの小学校は、小学校にして受験があり、倍率も高いらしい。無論、俺は受験なんぞつもりもなかったのだが、カアさんに「同じ年の子と遊ぶだけよ」と言われて騙され、見事合格したらしい。
「あ、アキくんだ!おーい!!」
後ろで自分を呼ぶ声がして、俺はフッと後ろを振り返った。
あ、こいつウゼェ。パッと見た印象はそうだ。おかっぱで、美味いものたらふく食ってんのか、ぷくぷくに太っている。
喋りかけて欲しくねぇなぁ。
しかし、声をかけてきた丸い物体は転がり・・・いや、辛うじて歩きながら俺のところに来た。
「なんか久しぶりだね、元気だった?」
馴れ馴れしく話しかけんな・・・という感情を押し殺し、俺は物体の顔を凝視した。
どこかで見たことある顔だ。確か名前は・・・
「あれ、もしかして『豚丼』?」
途端にそいつの顔が変わった。驚愕から、涙顔へ。
あ、やっちまった。陰で呼ばれてたあだ名を呼んじまった。
この丸い物体の正体は、大森正太。一応皆んなに『ショウタくん』で呼ばれてるが、陰で豚丼と言われていた。
そしてこいつは泣き虫で、チクリ魔だ。
一回口に出した言葉はいい直せない。
豚丼は、一気に泣き出した。
「ウワァァァアン!酷いよアキくゥゥウん!!」
ギャンギャン泣きわめいたあとは怒り心頭の顔つきだ。
「先生に言ってやるからな!絶対に言ってやるからな!!」
ああ、やっぱし。だからチクリ魔は嫌いなんだよ。
だが、自分の今の現状が分からないのに、これ以上面倒くさいことになるのはゴメンだ。
俺は慌てて豚丼を宥めた。
「ああ、ま、待てって!・・・そうだ!」
俺はポケットをゴソゴソ弄った。取り出したのは、今朝こっそりくすねてきたあめ玉だ。「ほ、ほら、これやるからさ、お、落ち着けって」
するとどうだ。
さっきまで怒り心頭だった豚丼の顔が、一気に笑顔に変わった。
「ほ、本当?本当にそれくれるの?」
ただの食いしん坊か。ま、そーゆー奴ほど扱いやすい。
「ああ、やるよ、ほら。」
俺は豚丼の手の中にあめ玉を置いた。
すると、すっかり機嫌を良くしたのか、豚丼は俺を置いて、学校に向かって歩いて行った。
その後ろ姿を見たときに、俺は有益な情報を手に入れた。ヤツのランドセルに掛けられている給食袋だ。
名札には、『5年2組 大森正太』の文字。
ヤツと俺は同学年。つまり、俺は今小学5年生という事だ。
体つきは、確かに小学5年生のそれと同じかも知れない。けれど、俺の頭はしっかり微積分も分かるし、英語も読める。
「どーなっちまってんだ・・・」
俺は頭を掻きつつ学校に向かった。
靴箱から何とか靴を見つけ出し、俺は『5年3組』に向かって歩いて行った。
教室を覗いてみたものの、やはり長ズボンを履いているのは俺だけだったし、シャツを袖まくりにしているのも俺だけだった。
みんなの格好といえば、半ズボンに半袖と、高校なら『オワコン』と呼ばれるような格好ばかりだ。
よくあんなダサい格好をしているもんだ。
俺は半分呆れつつ教室に入った。
そして、もう一つの困難に直面した。
俺の席は・・・どこだ。
高校の席だったら流石に分かる。だが、そこにはもう先客がいた。
黒いストレートヘアーには、他の女子がしているようなリボンだのカチューシャだのと言った装飾品を付けていない。
ツンとした表情で本を読んでいる。
こいつ、どっかで・・・。
「おーい、アキィ!こっちこっち!!」
俺を読んだ声に振り向くと、確かにそこには今でも覚えているメンバーがいた。
御影春臣、植田夏、桜井冬樹。
これに『神崎秋』を加えて『ハル・ナツ・アキ・フユ』というあだ名とともに『四季フォース』などと言われていた。
俺の小学校時代の唯一の仲間だ。
ハルたちは一つの席を囲んで群がっていた。さっきの女子の、隣だ。恐らくそこが俺の席何だろう。
どかっと椅子に腰を下ろし、ランドセルを掛けた。
「オイオイ、新学期早々どーしたんだよ?冬でもねぇのに長ズボンなんか履いてよ?」
ハルがズカズカと聞いて欲しくないことを聞いてきた。
「俺?」
という大ボケをかましたのはフユだ。
フユじゃねーよ冬だよ!という鋭いツッコミがナツから入る。
どこか懐かしい。中学は全員違うところに行ったから、会うのは久々だった。
ボケ役のフユ、ツッコミ役のナツ、リーダー格のハル。それぞれの個性が遺憾無く発揮されて、妙に調和していた、そんな四人だった。
キーンコーンカーンコーンという(これは今までと特に変わらない)チャイムとともに女の先生が入ってきた。この人が担任の鈴木先生だ。
俺はこの先生が苦手だった。叱る時に、相手が小学生でも、容赦無く言葉の嵐で攻め立てるからだ。
新学期早々、何もなければいいが。
簡単なホームルームがあり、宿題提出が始まった。
夏休みの俺はしっかり宿題をやってきたようで、俺は難無く過ぎ去ったが、一人の男子生徒の前で先生が止まった。
「アキラ君?算数の宿題が出ていないけれど?」
生温いような気持ちの悪い声で先生がアキラと呼ばれた生徒を叱り始めた。
「・・・すみません、まだ出来ていないんです」
「夏休みは一杯あったはずよ?それでも終わらなかったの?少しでも遊んでる時間があったら、宿題をすべきでしょう?」
まぁごもっともだが、たとえそうでも小学生とは大手を振って『無邪気に』遊べる最後の時間だ。俺からすれば、宿題なんぞ答えを写してテキトーにこなして沢山遊ぶのだが、小学生ではその知恵は回らなかったのかもしれない。
しかも、確かこのアキラとか言う奴はクラスで一番成績が悪かったはずだ。案外、遊ばずにやっていても終わらなかったのかもしれない。
それでも先生の叱責は続く。
俺はバカバカしくなってランドセルからガムを出してコッソリ口に入れた。
それを隣の女子が気付いたようだ。
じっとこっちを見ている。
憤りを噛みしめるようにガムを噛んでいると、ようやく先生の叱責が終わったようだ。
先生はアキラを前に立たせた。
「みんなの前で謝りなさい。僕はこんな悪いことをしてこんな風に思って反省しています。ごめんなさいって」
あー、出た。小学校でよくあるやつ。
恐らく俺が今のアキラだったらさっさとスマンと言って終わらせるが、アキラはすっかり縮こまってしまって何も言わずに鼻をすすり上げている。
こんなの、ただの虐待じゃないか。そんな風に思う。
少しの間、沈黙とアキラの鼻をすすりあげる音が続いた。
イライラした先生が
「早くしなさい!」
とキレた瞬間、俺は反射的に立ち上がりそうになった。
けれど、今面倒になるのはマズイ。
可哀想だが、アキラには犠牲になってもらうしかなかった。
先生は呆れた様子で立ち上がると、黒板に『自習』と書くと、アキラを連れて出て行った。
自習と黒板にデカデカと書かれた文字をじっと見ながら、二ノ宮郁奈は鉛筆を走らせていた。
すぐに飽きて、パタンと鉛筆を置く。
ちらりと横を見ると、1人の男の子が座っている机の中にキシリトールガムの丸容器が見えた。
神崎秋・・・『昔』の自分の、初恋相手。
けれど、いざ見てみると、結構ヤンチャだ。
何故この人に恋なんかしたのだろう?
まさか・・・一目惚れ?
「・・・まさかね」
郁奈はまた鉛筆に手を伸ばした。
logの計算が、まだ途中だった。
昼休み、俺は図書室に行っていた。
小学校であるかどうかわからないが、『タイムスリップ』に関する本を探していたのだ。
まぁ、案の定、なかった。
俺はどうやってここに来たのだろう?
何か目的でもあるのだろうか?
案外、『悪を打ち倒す』だったりして・・・。
俺が下を向いて考えを巡らしていると、「ねぇ」と俺を呼ぶ声がした。
フッと前を見ると、さっきのストレートの髪の女子がこちらを向いていた。
「あんた、本当に神崎秋なの?」
ややぶっきらぼう気味に女子が聞いた。
「ああ、そうだな、一応俺も神崎秋だ。あんたの知ってる神崎秋じゃねーかもしれねーけど」
「あんたって呼ぶのやめてくれる?名前あるし」
「おあいにく様、小学校時代の同級生の名前なんかこれっぽっちも覚えてないんでね。何て名前なの?」
少しイライラしつつ俺は聞いた。
むすっとした顔のまま、女子が言った。
「二ノ宮郁奈。」
「カナちゃんね、また思い出しとくわ」
「気安く呼ばないで。」
俺の発言に間髪入れずに毒を吐く。
俺はこんな奴と小学校時代を過ごしたというのか。
「さっきからずっと気になってたんだけど」
視線をそらしながら、郁奈が口を開いた。
「小学校時代とか、思い出しとくって・・・なんか今が過去みたいな言い方するよね。」
「ふーん、そうだなぁ・・・」
俺は少し考え込んで言った。
「東日本大震災で東北地方は壊滅的な被害を受け、さらに北朝鮮で金正日第一書記が死亡、息子の正恩が第一書記に。安倍晋三が二回目の内閣組閣を果たし、大人気アイドルグループSMAPはなんとか踏みとどまったものの解散危機に陥り、清原和博が覚醒剤使用で逮捕された、と。」
俺の発言に郁奈は呆然となっていた。
「取り敢えず今思い出しただけでもこんだけあるな、あと消費税8%になるから、欲しいもん今のうちに買っとけよ〜」
俺はそう言って図書室のドアを開けた。
「あんた・・・誰?」
俺の腕を掴んで、郁奈が言った。
「言ったろ?俺は神崎秋だ」
けど、と俺は続けた。
「今の俺は『僕』じゃねぇ、『俺』の神崎秋だ。他は特に変わってねぇよ。」
ランドセルをベッドの上に放り出して、俺は椅子にどかっと腰を下ろした。
あれから、特に何の進展もないまま、1日を終えようとしている。
俺はこんな所で何をやっているんだ。
向こうではしなければいけない事が、山ほどあるのに・・・。
ぐっと背伸びしたあと、俺は机の引き出しを開けた。
長財布を取り出し中身をチェックする。
高校時代はお年玉の貯金や、バイト代で30万ほど貯まっているが、今財布に入ってるのは、高々5万ちょいだ。小学生にしては結構貯めているが、高校生の金使いに慣れてしまった自分だと、一瞬で使い切ってしまいそうな額だ。
こりゃあ、Gプラもろくに作れないな・・・。
だが、一つだけ、俺の度肝を抜いたものがある。
スマートフォンがこの前机に放り込んだ時と同じ状態で入っていた。
幸い、充電器とイヤホンも健在だ。
充電プラグに差し込み、起動させる。
日付は5年前になっており、LTEもない。
だがWi-Fiがあれば使えそうだ。
俺は長年うちにあるWi-Fiにつないで、インターネットを開いた。思った通り、5年前のニュースが表示された。
だが、いくらヤフーで『GダムGENE』と調べても、一件もヒットしなかった。
それどころか、一つ前の『ペガサス』でさえ未公開情報が満載の状態で、これではネットの意味が無い。
けれど、ネットなら、『タイムスリップ』に関して何か書いてあるかもしれない。
俺は気になって『ゴッドアンドドラゴンズ』を開いてみた。
案の定、画面が真っ白のまま動かない。
『ドラゴンストライク』や『銀猫』も同様で、恐らく『この時間には存在しない』ものは全部こうなってるんだろう。
小5で小遣いはいくらだっけ・・・。
確か千円だった気がする。プラモ道具を揃えたら小遣いが無くなってそうだ。
そして、もう一つ気になることがある。
運動だ。
高校ではバレーボール部に所属していたが、毎日の筋トレやランニングをしていないと、どうも体がムズムズする。
このまま何もしないのも嫌だし、せめて体ぐらいは動かしておきたい。
体に負担をかけないよう、緩めのメニューを頭の中で作ると、俺は体操服を着込んで、階下に降りて行った。
「あら、アキくん、どーしたの?体操服なんか着て?」
朝の一件で、カアさんはずっと俺のことを疑っている。
変なことをするとマズイ。
「あ、ママ、僕ちょっとトレ・・・お散歩行ってくる。」
「あら・・・そう・・・」
カアさんはちょっと安心した表情でそう言った。
「車に気をつけるのよ」
高校生に言うか!?・・・というセリフをなんとか引っ込めて、俺は靴紐を結んで外に出た。
取り敢えず、近所の公園までランニングだ。せいぜい500メートルだが、俺はその半分ぐらいでハァハァ言っていた。
高校時代のスピードで走っても、息はすぐに切れるし、足はすぐに張ってくる。マトモに出来たもんじゃ無い。
公園に着いた時には、俺はもう1日の運動を終えたかのような気持ちになっていた。
ベンチで少し休んだあとは筋トレ。
ここでも、俺は挫折しかけた。
腕立て伏せは5回で限界を迎え、腹筋に至っては2回でのギブ。
これは小学生というより、俺が鍛えてなさすぎだ。
腹筋が痛すぎて、立ち上がれない。
まるで悪いものでも食ったみたいだ。
だが、空気椅子やスクワットはいつも通りいけた。筋肉のつき方の問題なんだろうか。
アップのあとはボールを使う。この公園はボールをタダで貸してくれ、しかも、バレーボールは人気が無いのか、ずっと使われないままほったらかされている。
俺は『貸し出し用ボール』と書かれた籠からバレーボールを出した。何度か玉突きをして、空気を確かめる。長らく使われていなかったからか、空気はちょうどいいぐらいだった。
両手でボールを上げ、落ちたところを、手で作った三角形の中に入れ、間髪入れずに押し出す。
オーバーハンドパスだ。
しっかりと手の中に入れてから出さないと、ボールが回転してドリブルを取られる。
ボールは無回転のまま、俺の上で跳ねた。
少し高めにボールを出し、今度は下で手を組んで、ボールを上げた。
アンダーハンドパスだ。バレーの最も基本と言える二つのパスだが、体じゃなくて頭で覚えていたからか、今まで通り上手くいった。
今度はスパイク。一番高い鉄棒をネットに見立て、高くボールを上げて、俺は地面を蹴った。
フッと体が軽くなり、体の制御が少しずつ外れていく。
その中で、俺は、左手でボールに狙いを定めた。
そこに思いっきり右手を高く叩きつける。
パーンというミート音が響き、ボールが地面に叩きつけられた。
少し手のひらがジンジンするが、じきに慣れるだろう。
5本ほどスパイクを打ち込んだ後、俺はベンチに座って休憩に入った。
足はガクガクし、手はブルブル震えて上手く動かせない。バレー部入部の初日みたいだった。
ま、気長にやればいいだろう。
俺はふうっと息を吐いてベンチから立ち上がった。
俺は帰るついでに、近くのスーパーに寄った。
このスーパーは食料品だけじゃなく、本や衣服も少々置いている。
安っぽいものだが、ジャージを上下購入した。
体操服が意外に汗を吸わず、ずっとベタついている。これじゃあ気持ち悪くて運動どころでは無い。
スーパーを出たら5時を過ぎていた。
門限は5時半。ギリギリ間に合う。
「さてと、帰るとしますか」
俺はそう呟いて家路に着いた。
「・・・ほう。これは珍しいな。」
提出された報告書を読んで、秋山ヨウスケは首を振りながらタバコをふかした。
「どうやら、『今回の』は、規模こそ小さなものですが、珍事がよく起きております。」
報告書を上げた草薙カイトが、すっとヨウスケにお茶を出した。
「『ツクヨミ』に、動きはあるか?」
ヨウスケが聞いた。
「今のところは。ただ、これを見てください。」
カイトはタッチ端末を操作してヨウスケに見せた。
黒い雲のようなものが、虹色に輝く亜空間の中を漂っていた。
「これは?」
「マイナスエネルギーの塊です。亜空間移動した人々の、恐怖や不安、憎悪といったものが、取り残された状態で、彷徨っています。何故このようなものが出来るのか、詳しいことは分かっておりませんが、少なくとも、このエネルギーだけでは、何も害はありません。」
ただ、とカイトは続けた。
「このエネルギーは、亜空間移動が出来るだけでなく、タイムホールを伝ってそのタイムホールと繋がっている時間へと侵入することができます。そして、このマイナスエネルギーは、『生を得ている何か』に取り憑くことによって、それを狂暴化させ、姿形を変えてしまうという、恐ろしい能力を持っています。さらに、こちらを見てください。」
そう言ってカイトが見せたのは、一つの動画だった。
とても巨大なマイナスエネルギーの塊が、小さいエネルギーを吸い込む瞬間が、動画に映っていた。
「観測員が捉えたものです。この巨大なマイナスエネルギーは過去最大規模の大きさを誇っております。しかも、その観測員によれば、このエネルギーは『意思』を持っている可能性があるとのことです。観測員によれば、このエネルギーがあるタイムホールに入った後、引き返してきたというのです。タイムホール内で、このエネルギーが途中で止まり、引き返してきたというのです。実際、それを捉えた映像も記録として残っております。我々は、このエネルギーを『デューク』と命名し、観察を行っております。今のところ、『デューク』に目立った変化は見られませんが、警戒を強めるべきかと。」
ヨウスケは難しい顔をして椅子から立ち上がった。
「・・・カイトよ、君は、『神』というのを信じるかね?」
突然の問いに戸惑ったものの、カイトは
「いえ、特には。」
と回答した。
「この『時空省』が出来て以降、人類は神の所有物であった『時』を手に入れてしまった・・・」
亜空間を見渡せる窓の前に立ち、ヨウスケは続けた。
「人類が『神』に近づいたと喜ぶ輩もいた。だが、私はそうは思わん。翼を手に入れたイカロスが、太陽に近づきすぎて翼を奪われたように、我々は『神』から報いを受けるやもしれん・・・。」
そう言って、ヨウスケは視線をデスクの上に向けた。
タッチ端末には二人の男女の写真とプロフィールが示されていた。
プロフィールに書かれた名前は、『カンザキ アキ』と『ニノミヤ カナ』だった。
「あー、クソッ!あのデブめ・・・」
俺は毒を吐きつつ音楽室前の廊下を蹴っ飛ばした。
「いつまでキレてるわけ?」
横からムカつく横槍を入れてきたのは、この前から俺をイライラさせている根源の、二ノ宮郁奈だ。
俺たちは音楽室で放課後の居残りをさせられていた。高校では音楽選択者である俺が、何故残されているのか?
答えは簡単。『お歌の時にお声が出ていない』からだ。
いや、別に歌うことは嫌いでは無い。けれど、それが『おもちゃのチャチャチャ』なら話は別だ。
あのダサくて全くノれない(以下自主規制)歌を、みんな全く恥ずかしがらずに大声で歌っていた。一種の宗教を見ているようだった。
「キレてなんかないデスゥ。イライラしてるだけデスゥ。主にあんたのその一々癪に触るような発言にな!!」
絶対零度の冷ややかな視線と火山噴火を起こしたような(ある意味)熱い視線が交差する。
「うるさいわねぇ。もうちょっと静かにできないの?『アキ』のくせに、これじゃあ『ナツ』じゃない」
ホンットになんだこの(自主規制)は。
顔は可愛いのに、これじゃあせっかくの顔が台無しだ。
口喧嘩が始まりそうになったその時、廊下を駆けてくる女子が俺の視界に入った。
別に特段怪しいことでは無いが、俺はどうも怪しいと思った。その女子が、明らかに周りを警戒していたからだ。運が良かったのか悪かったのか、非常扉が邪魔をして、彼女の視界には俺が見えなかったようだ。
俺に罵声を浴びせそうになった郁奈の口を右手で抑え、人差し指を唇に当てた。
郁奈は一瞬ビックリしたようだが、すぐにただ事では無いと悟ったのか、動きを止めた。
やがてノックの音とともに、さっきの音楽のデブ教師が、少女を音楽室内に入れる音が聞こえた。
俺は郁奈に指で方向を指し示すと、足音を立てずに音楽室に近づいた。カーテンの隙間から、教師と生徒が見えた。
「あれ?あの子、同じ学年の・・・御影くんの妹じゃない?」
そこまで言われて、俺はようやく思い出した。
御影春臣ことハルには、双子の妹がいる。
御影月光という名前だったはずだ。
ハルの家はシングルマザーで貧しかったが、ハル達の成績が良かったこと、ハルの母親がこの学校出身であったことなどから、特別枠で二人は入学した。
同い年であっても2人の仲は良く、『夫婦みたい』とからかわれることもあった。
だが、目の前の光景は、それをガラガラと一瞬で崩壊させてしまった。
教師が、月光を後ろから抱きしめ、首筋にキスをしていた。
月光の顔は歪んでいたが、抵抗はしていなかった。
やがて、教師の腕が月光の胸に伸びた。
この世で一番見たくなかった光景。さらに、俺はつい耳を澄ましてしまった。
聞きたくも無い声を聞いてしまった。
(いつになったらしてくれるんだい?)
(も、元々、小学校の内はこんなことしないって・・・ただ付き合うだけって・・・だから私は・・・)
(お金貰ってるのにそれはないだろう?そういうのは建前。オトナの世界ではそんなんじゃないんだぞォ?)
(や、やめてください、せ、先生!)
(ダメダメェ〜。ここからだよぉ〜。何のためにわざわざここまで呼び出したと思ってるんだい?)
デブ教師の手が月光の下半身に伸びようとしていた。
(家計を支えてるなんて、良い子だよねぇ月光ちゃんは。良い奥さんになるよぉ〜。・・・もちろん僕のお陰でね。)
俺はそっと震える郁奈を強く抱きしめた。郁奈の震えが、服越しに伝わってきた。郁奈を慰めたかった。それもある。けれど、そうしなければ、俺の震えも止まらなかった。
あれから、月光の必死の抵抗で何とかその場は終わったものの、見ていたこちらの精神的ダメージはかなり大きかった。
小学5年生の、しかも親友の妹が、家計の為にあんなクズと援助交際していたなんて・・・。
「・・・これ、どうすればいい?」
普段強気の郁奈から弱音が出た。
このまま他の先生に言うことも考えた。
だが、この学校は何処か狂っている。
なぜそう思ったかは分からない。
変な教育方針だし、それに生徒が抗っていないのも変だからか?
そんな学校なら、先生同士でも、精々厳重注意とか何とかで済まされる可能性がある。月光のことは放ったらかしのまま。
この戦況を打破するには・・・俺たちだけではどうにも出来ない。
仲間が・・・仲間が必要だ。
「・・・ハルにこのことを言おう」
郁奈が大きく目を見開いた。
「・・・本気で言ってんの?それどーなるか分かってんの!?御影くんがそれで傷つくに決まってるでしょ!?」
「でも言わなきゃもっと傷つく!!」
俺は涙が混じった声を張り上げて言った。
「あいつは・・・あいつは・・・誰よりも妹が大切で、誰よりも好きで・・・誰よりも妹のことが心配なんだ!!このまま黙って見過ごしてもいい。そんなの簡単だ。けど、後々知った後、あいつはどうなる?変わってやればよかったって思うだろう嘆き悲しむだろうそして!!・・・自分の無力さに絶望するだろう・・・」
荒い息遣いが廊下に木霊した。
「・・・ダメなんだよ・・・ハルにとって一番大切なのは・・・妹なんだから・・・」
郁奈が涙を拳で拭った。
そして力強く頷く。
「ごめんな、二ノ宮。こんなことに巻き込んじまって・・・」
「・・・もう後悔はしてないから」
郁奈は決意に満ちた表情で答えた。
「・・・行こう」
俺たちは音楽室のある階から、5年生の階まで階段を下りていった。
「・・・知ってたよ。そのこと。」
俺たちからの告白を、沈痛な面持ちで聞きながら、ハルは答えた。
「じゃあ、何で・・・」
ハルはこちらを見ると、弱々しく笑った。
「母さんが、倒れたんだ。仕方がないから、俺が新聞配達のバイトしてるんだけど、それじゃあ足りないんだ。そしたら、先生が声を掛けてきて・・・」
「じゃあ、御影くんも知ってて・・・」
「ああ・・・そ・・・う・・・だ・・・よ・・・ッ!」
最後はよく聞き取れなかった。
ハルは声を押し殺して泣いていた。
「・・・だから、もう決めてたんだ。」
ハルはロッカーの方に歩いて行くと、誰も使っていない一室を開けた。
鉄パイプが一本、入っていた。
「もし約束のこと以上のことをしたら、俺はあいつを殺す気でいた。そして、俺も死ぬ。そうしたら、俺の死亡保険金で生活の足しには出来るだろう。」
ハルはこうなることを知っていて妹を差し出した。すべての罪を、一人で背負おうとしていた。
俺は反射でガタンと立ち上がると、目の前のハルの顔を思いっきりブン殴った。
ガタンという音とともにハルが倒れこむ。
「・・・フッざけんなよ・・・」
俺はハルの胸倉を掴んだ。
「何かっこつけてんだよ!!何自分一人でやろうとしてんだよ!!お前、そんなことして、ホントに月光ちゃんが喜ぶとでも思ってんのかよ!?オイ!!今月光ちゃんの気持ちを一番わかってないのは、お前だ!!」
そう言って胸倉を掴んでいた手を離す。
「・・・いいか、やるんだったら俺も混ぜろ。一人で抱え込むな。ナツたちにも言え。何のための『四季フォース』なんだよ。」
「・・・でも・・・」
「月光ちゃんにはまだ言わないほうがいいと思う。」
郁奈が口を開いた。
「神崎くんの言う通り、その計画を知って、一番悲しむのは、やっぱり月光ちゃんだと思う。」
ハルは顔を上げずに、ずっと下を向いていた。
「ハル!」
俺は倒れたハルに手を伸ばした。
堕ちた仲間を救うのも、仲間の仕事だ。
「お前には俺たちがついてる。そうだろ?」
ハルは一瞬躊躇うような顔をしたが、やがてフフ、と笑って俺の手を握った。
「必ず倒すぞ、あの腐れ外道を・・・ッ!」
「ああ・・・今日の屈辱は、絶対に忘れない」
夕日の照らす教室の中、打倒教師の密約が、結ばれた。
「なんか・・・大変なことになっちゃったね。」
帰り道で、郁奈はそう言った。
「例えあのデブに本当にハルたちを援助しようって気があろうと、あれは違う。もしその気さえ無ければ・・・」
俺は拳をぎゅっと握りしめて学校を振り返って見た。
夕闇に沈む学校は、圧倒的な存在感を醸し出し俺たちの前に立ちはだかっているように見えた。
「・・・この学校は、何かが変だ。」
俺はボソッと本音を漏らした。
「変って・・・?」
郁奈が聞いた。
「小5であの教育なんだから、どうせ小6も同じような教育だろ?甘々だろうが厳しかろうが、『先生は絶対』っていう。あれじゃあ、上の人の言うことをハイハイ聞くだけの奴隷を生むだけだ。」
俺はポケットに手を突っ込んでまた歩き出した。
「上の人間に逆らうことがいいこととは思えない。だが・・・」
俺はそこで言葉を区切って言った。
「自分の意見を言えない子供が育つのは、もっと悪いことだと思う。」
一人教室に取り残されたハルは、そっと椅子に腰を下ろした。
何も出来なかった・・・。人間として・・・。そして、兄として。
月光が最初に発した言葉は、『ママ』でも『パパ』でもなく、『ニィニ』だった。
最近、『ハル兄』どころか、『ちょいちょい』、『なぁ』と名前すら呼ばれない状況だが、それでも、月光の為ならと思うと、我慢できた。
『ハル兄にばっか苦労かけてるのも、何か悪いしね』
弱々しく笑って、月光は教師との援助交際を受け入れた。
「・・・待ってろよ、月光」
ハルは顔を上げて音楽室の方を見た。
「ニィニが、絶対に助けてやるからな・・・!」
「よーし、じゃあ今日の体育は、バレーボールをしよう!」
相変わらずの熱血体育教師、田中先生は、体育の時間に大声でそう宣言した。
そして、オーバーやアンダーのやり方を教え始めた。
「はぁー、んなことわかってるよ」
ボソッと言ったつもりだったが、どうやら郁奈には丸聞こえだったようだ。
ジロッとこっちを見られた。
「よし!じゃあチームを分けよう!10人一組だ!」
先生の号令とともに各々がチームを作り出した。
そして、俺が入ったのは、いかにも運動の出来なさそうなチームだった。
デブ×3、ガリ×2、文句たれの二ノ宮郁奈、そして四季フォース。
うん、絶望的だ。
「なぁ、ナツ」
俺は四季フォースで唯一運動のできるナツを呼んだ。
「ちょっち頼み事が・・・」
俺はナツの耳元で呟いた。
「バレーボールって三回触れるよな?そのうち、二回目をさっきのオーバーでうえに上げてくれ。後は任せろ。」
「は?何言ってんだお前・・・」
「まぁまぁ、その代わり、ずっとネットに張り付いてるんだぞ?」
俺はナツにセッターを任した。何時でも落ち着いているナツなら、上手くやってくれるだろう。
訝しげな視線を俺に向けながら、ナツはオーバーを練習し始めた。
形は綺麗だ。試合なら、十分使えるだろう。
「よし、じゃあゲームをするぞ!」
そう言って、田中先生は対戦表を持ってきた。一発目から俺たちが入った。
向こうのチームが歓喜の声を上げる。
そりゃ、このメンツに負けるとは、誰も思ってないだろう。
全員配置につかせ、ナツをセッター位置に立たせた。
サーブ権を獲得して、俺はコートの後ろに立った。
ピピーッ!と笛が鳴る。横から、嘲笑混じりの頑張れが聞こえる。
その嘲笑、歓声に変えてやるぜ。
俺はトントンと床にボールをつくと、片手で回転をかけつつ高く上げた。
ボールに合わせるようにステップを踏み、思いっきりジャンプする。
俺のジャンプの最高到達点と、ボールが重なった。
バァァン!という凄まじい音とともにボールが圧倒的速度で相手コートに吸い込まれていく。
トン、というボールが地面に落ちる音と同時に、俺は地面に着地した。
みんな呆然としていた。先生も呆然としていた。あの郁奈すら呆然とさせたことに、少し満足感が現れた。
沈黙を破ったのは、ナツだった。
「・・・お前、本当にアキ?」
その後、俺のサーブが一方的に決まり、相手は無得点で交代となった。最初は驚いていた皆んなだが、その場のテンションに任せて、異様なほど盛り上がっていた。
他のメンバーがサーブを打っても、俺はしっかりとレシーブをした。
ナツも上手くセッターをやってくれ、毎回、俺のスパイクが決めれた。
スパイクを打つたびに歓声が上がり、田中先生もノリノリになってきた。
そして、セットも進み、ついに最後まで来た。
クラスで運動が出来る奴らで作られたガチ勢が最後の相手だった。
サーブ権は向こう。放たれたサーブは思ったより強く、俺のカットが少し乱れた。
ナツのトスが乱れ、仕方なくチャンスで返す。
すると、奴らはデブや、ガリを狙ってきた。瞬く間に得点を重ねられ、マッチポイントまで持っていかれた。
皆んなも消沈しきっている。
非常にマズイ状況だ。
俺が声をかけようとよそ見をした瞬間、やつらはすぐに俺を狙ってきた。
俺が飛び出した時にはもう遅く、俺の右側にボールを打たれた。
間に合わない。必死にボールに飛び込むが、間に合わないのは目に見えていた。
負けた。
そう思った。
けれど、ボールは地面につくことはなかった。俺の後ろから、誰かが突っ込んできてボールを上げた。
そのままネットすれすれに落ちたボールを相手が取り損ねた。
「何よそ見してんのよ?」
この声は・・・まさか・・・。
「に、二ノ宮!?」
「ほら、サーブ。」
郁奈がそう言ってボールを渡してきた。
「次あんたでしょ。」
「あ、ああ」
俺がボールを受け取ると、郁奈は俺の袖を引っ張って体を近づけると、耳元で囁いた。
「私がセッターをやる。しっかりカットしてよね」
一瞬ビックリしたが、俺は、すぐに頷いた。
すぐに郁奈はナツのところに行って、セッターを交代した。
「た、助かったよ二ノ宮〜!」
ナツが感激のあまり半泣きになりながら郁奈の手を握ってブンブン振った。
よっぽどしんどかったんだろう。
ナツに、お疲れ、と口パクで言って、俺はサーブのモーションに入った。
流石に相手はカットしたが、上手くチャンスボールとして返ってきた。アンダーでカットを上げると、その下に素早く郁奈が入り込んだ。
そして、俺の構えるセンターへ、綺麗なトスを上げた。
寸分狂わぬ美しいトスは、まるで俺に引き寄せられたかのように、俺の手の中に収まった。
ジャストミートされたボールは、一直線に突き進み、アタックラインの所で心地よい音を立てた。
ピピーッ!と笛が鳴り響く。
うおー!っとメンバーに歓声が響く。
やっとメンバーに笑顔が戻ってきた。
そこからは、他のメンバーも上手くボールをカットしたりして、上手くつないだ。特筆すべきは郁奈のトスだ。
どんな乱れ玉でも、綺麗にセンターへ上げてくる。
最後には、俺に郁奈がボールを合わせてくれるようになっていた。
そして、ついに俺たちはマッチポイントである『14』点に追いついた。
いける。このまま行けば勝てる。
仲間の声援を胸に、俺は15本目のサーブを打とうとした。
しかし、俺はこの場面でサーブミスをしてしまった。
ジャンプする前に、床で滑ってしまったのだ。
相手の得点板が最高点の『15』を表示した。
終わった。ここまで来て。
相手チームが歓喜の声を上げた。
だが、それを制するように田中先生が笛を鳴らした。
そして、俺は思い出した。『デュース』だ。
マッチポイント同士での競り合いで片方がポイントを取っても、2点差が開かなければゲームは終わらない。
ルールを知らなかったのか、焦った相手がサーブミスをする。そして、ナツが見事な無回転サーブでサービスを取り、俺たちは勝利へあと一点と迫った。
配置についた俺に、郁奈が近づいて言った。
「クイック、出来る?」
Aクイック。俺の最も得意なスパイク。まさか、こいつ、Aクイックのトスまで上げれるのか・・・。
「じゃあ、一本頼む」
「オッケー」
ナツがサーブを打った。綺麗な無回転だ。ぜひ(高校の)うちのチームに来て欲しい。
無回転サーブを相手は対処できず、チャンスで返した。
俺は少し高めにカットを上げると、一気に飛び出した。全身に力を込め、ボールとシンクロして、一気に郁奈の所へ向かう。
俺と郁奈がほど同時に跳ねる。
そこにボールが落ちてきた。
ジャストタイミング。郁奈がほんの少し上げたボールを、俺は渾身の力で叩きつけた。
ボールはアタックラインのはるか手前で心地よい音を鳴らした。
歓声が聞こえてきたのは、その直後だった。
俺の体育での活躍は、すぐに皆んなに知れ渡ることになった。
あの四季フォースで一番地味な『アキ』が覚醒したと皆んなが口を揃えた。
もちろん活躍したのは俺だけではない。
ナツは後半までずっとトスを上げていたし、何より、郁奈のトスが上手いと評判になった。
小学校って、こういうので持て囃されるんだな。俺は少し冷め気味でこの騒動を見ていた。
あの試合の後、郁奈に少しちょっかいをかけてからというもの、一言も口を聞いてくれない。
何ということはない。試合終了直後、デブとガリに囲まれた郁奈の助けを求める視線に、ウインクで答えただけだ。
あの時のムッとした表情は結構可愛かったが、もう見れそうにない。
余計なことしたな・・・。少し後悔した。
あれからネットを漁ってみたが、タイムスリップに関することはあまり詳しく書かれていなかった。
どうも分からない。今回は、タイムスリップはタイムスリップでも、精神だけがタイムスリップしたようだ。
「・・・俺以外にもいるのかな、タイムスリップした奴。」
ボソッとつぶやいてみる。
真っ先に浮かんだのは・・・二ノ宮郁奈。
あの大人びた表情や仕草。少し前から気にはなっていたが、もう一つの『気になる』気持ちが、それを勝っていたからか、俺はあまりそちらに疑いは持たなかった。
最近、郁奈の顔を見るたびに少し嬉しくなる。鼓動が早くなり、耳も少し赤くなる。
まさかこれって・・・恋?
「・・・まさかな」
俺はフフッと笑ってベッドに入った。
明日はGプラでも探しに行こう。そろそろ作りたくてウズウズしていたところだ。
「・・・無い。」
俺は顎に手を乗せたまま、電気店のおもちゃ売り場でそう呟いた。
目の前にあるのは、Gプラの山だ。パッケージにはそれぞれのキットの画像が描かれ、躍動感あるシーンをそこらじゅうで展開していた。
俺が探していたのは『GダムGENE-2』と呼ばれる機体だ。ウェブライダー形態への変形や、迫力ある翼を持ち、俺の心を鷲掴みにした機体だ。
しかし、そのキットはどこにも無い。NEWとデカデカと書かれたポップは、少し前の『トリプルオークアンタ』に貼られていた。
他のコーナーを見ても、ガズスナイパーIIもなければ、ファイズプラスやペガサスも無い。
諦めてトリプルオーでも組むか・・・。
そう思って、俺は『トリプルオーGダム』を掴んだ。
その時、トリプルオーを掴んだのは偶然だった。もしその時トリプルオーを掴んでいなければ、俺の運命は大きく変わっていたかもしれない。
トリプルオーの箱を取った後に後ろにあったのは、同じトリプルオーGダムではなく、フリーGダムだった。おそらく、誰かが間違えておいたのだろう。普段ならそれで終わりだが、俺はその箱を見て呆然となった。
そのフリーGダムが、リューアル版だったのだ。普通の人は気付かないだろうが、長年Gプラを作って来たものならわかる。
パッケージの側面を見ても、リューアルされたものとなっており、このキットがリューアルされたものだと確信するには十分だった。
フリーGダムのリューアルは、もう少しあとのはず。それが、何故ここにあるのか?
俺はトリプルオーを戻すと、フリーGダムの箱を手に取った。
防犯カメラの位置をチェックし、俺はこっそり箱を開けようとした・・・したのだが。
「・・・何やってんの?」
「ヒェッ!」
俺は突然降ってきた声にビクンと跳ねた。
恐る恐る横を見ると、二ノ宮郁奈が横に突っ立って俺を見ていた。
「あ、いや、別に・・・ええと、その」
ハァ、と郁奈がため息をつきながら『Gダム試作1号機』の箱に手を伸ばした。
そして・・・躊躇無く箱を開けた。
「・・・え?」
「ここ、別にプラモデルは箱開けて中身確認していいから。そんなにビビらなくても。」
相当俺はビビっていたんだろう。少し悔しかった。
郁奈は俺の手元の箱のパッケージを確認した。
「ふーん。フリーGダムね。メガマットフルバースト、ポーズ取らせにくいから、カッチリ組まなきゃね。」
そう言うと郁奈はGダム試作1号機をもってスタスタとレジに行った。
「ふん、皮肉しか言わねぇのかよあの女。可愛くねぇの。」
ま、あいつの意外な趣味が分かったのはちょっとした収穫だったか。
リューアルフリーGダムを持ってレジに向かおうと足を一歩踏み出した時、俺の目は陳列されたノーマルフリーGダムを捉えていた。
突然、体に電撃が走る。
リューアルフリーGダムから、メガマットフルバースト形態を出来るようになったはず。
ノーマルは出来なかったはずだ。
けど、あいつは・・・なんと言った?
「メガマットフルバースト、ポーズ取らせにくいから」
何故このキットは出来ると知っているんだ・・・。
俺はフリーGダムを抱える腕にギュッと力を込めた。
やっぱり、そうだっのか・・・。
翌日の昼休み、俺は図書室にいた。郁奈は、よく図書室にいるからだ。
案の定、『心霊探偵九雲』を読む郁奈が、椅子に座っていた。
その目の前にどかっと腰を下ろす。
向こうは気づいたのか、フッと視線を一瞬上げ、すぐに本に戻した。
「確かに付けにくいな、あのポーズ」
昨日の皮肉も込めて俺は話を切り出した。目的は、奴の尻尾を掴むことだ。焦らずに、シュミレーションで見つけた必殺の言葉まで話を持っていく。
何気ない形で、俺は必殺の一撃を放った。
「九雲、面白いよな。8巻まであるから、頑張れよ」
丁度読み終わった九雲を持って、郁奈が放つ言葉を待つ。
「知ってるわよ、そんなこと」
ビンゴ、だ。俺は立ち上がった郁奈の腕を掴んだ。
少し怯んだ郁奈の目を真っ直ぐに見つめながら、俺は機関銃の如く言葉を乱射した。
「嘘だな。九雲の8巻が出るのはずっと先だ。それなのに知ってるなんてのはおかしいぜ。ま、『この時間』の人間ならな。」
「ッ!そ、それは・・・」
郁奈の顔に狼狽の色が浮かぶ。
図書室に二人のハァハァという荒い息の音が響いた。
重い口を先に開けたのは、郁奈の方だった。
「・・・やっぱり、あなたも・・・」
「ああ・・・『未来』から来たんだ、俺も。そして恐らく君も。」
掴んでいた郁奈の手をそっと離した。
図書室に静寂が広がる。
ずっと下を向いていた郁奈が、ふっと言葉を漏らした。
「何でわかったの?私が未来から来たって?」
俺はフッと笑いながら言った。
「メガマットフルバースト。」
郁奈は一瞬パッと目を見開いて、それからクスクス笑い出した。
「やっぱり気づいてたの?私やっちゃったって思って」
「Gダム試作1号機とは、いい趣味してるよな、カナちゃんよ?」
少し唇を尖らせ気味にしながら郁奈が反論してきた。
「そのカナちゃんって言い方やめてよ?気持ち悪い」
「じゃあ何て呼べばいい?」
少し考える素振りの後、郁奈が徐ろに口を開いた。
「カナで結構」
「ほんじゃ俺もアキで結構」
少しの間の後、二人で笑った。こんなに心から笑ったのは久しぶりだった。
「なぁカナ」
俺は早速呼び名を使ってみた。
「何よ?」
名前を言ってくれなかったことに少し不満を感じつつも、俺は言った。
「色々教えてくれ。この世界のこととか、君の事とか。俺も全部教える。」
少し考える素振りの後、カナが言った。
「分かったわ。どこから話せばいい?」
それから一時間ほど、俺とカナは喋り倒した。
カナが元ここの生徒で、同い年だということ。
そして、偶然にも同じ中学、高校に進学していたこと。(部活も同じバレー部だった。何故ここまで一緒なのに気づかなかったのか、自分でも不思議だ。)
だから、俺はここに来て初めてカナを見たときに、見覚えがあったのだ。
「にしても、何で俺たちこの時代に来たんだろう?しかも、元の体に戻って。」
「詳しいことは分からない。でも、何でかわからないけど、この時代に来たいって思って眠った時、起きたらこの体だった。アキもそうなんでしょ?」
「ああ。今でも覚えてる。『8月31日』。その日に、俺はここに来た。」
俺は窓から覗く景色を見た。
夕日が射し、木々をオレンジ色に染める。
もう、『秋』か・・・。
俺はふと考えが浮かんだ。
「カナ、うちに来ないか?」
あまりにも舞い上がったカアさんをどかして、俺はカナを部屋に入れた。
自分の息子に女が出来たとでも思ったのだろうか。
カナを家に呼んだのは、別にやましいことをしたいと思ったわけじゃない。
あのフリーGダムを一緒に作ろうと俺が提案したのだ。まだ封も開けずに置きっぱなしだったからだ。それに、アレを組めば何か見つかるかもしれない。もちろんカナもそれを承認して家に来た。
部屋に入ると、カアさんが邪魔しないように俺は鍵を掛けた。カナは勉強机の上に置かれた椅子に座って俺の工具を確認している。
俺は戸棚に置いたフリーGダムを持ってきた。机の上に置き、そっと蓋をあける。
カナも上から覗き込んだ。
予想通り、と言ったところか。やはりそこにはフリーGダムは入っていなかった。
代わりに入っていたのはよく分からない丸い球体だった。人の拳より一回りは小さい銀色の球体を、俺はそっと取り出した。
側面にあったスイッチを躊躇いもなく押す。
ここまできたら怪しいのどうのと言ってられなかった。
ビュゥウンという起動音のような音が鳴った。バッとその球体から手を離し、カナを守るように抱き締める。
カナは少しびっくりしたようだが、すぐに事態を察したようだ。腕の中から顔だけを出して球体を見ている。
やがて、球体から青い光が現れて、モニターを形成した。
少しノイズが入り、少し歳のいった老人と、きっちり軍隊のような制服を着た(高校時代の)俺と同じくらいの歳の少年が画面に映った。
まず口を開いたのは、少年だった。
「ほう、もうそんなにデキてるのか?」
カナを抱きしめたままであることに気づき、パッと手を離す。少しぎこちない空気が流れた。
「すまんな、此奴もそういう年頃なのでな。」
老人がそう言って詫びた。
「あなた達は・・・?」
カナが恐る恐る聞いた。
少年が口を開いた。
「我らは時空省の者だ。君らの世代から、ずっと未来の人間だ。無論、君らが高校生であったときよりも先の未来だ。」
続けて老人が口を開く。
「タイムマシンを、知っているだろう?アレが実際に創られ、それを悪用する者も出てきた。それを取り締まるのが、我ら時空省の『本来の』役目だ。」
「本来のってことは、やっぱり何か別のことでもしてるってことかい?」
俺の問いに、老人は笑みを浮かべた。
「そうだ。我々は、君達のような『時』によって被害を受けた者の救出なども行っている。秘密裏にな。」
「でも、それぐらいなら秘密裏にしなくてもいいんじゃ・・・」
カナの問いに、少年が答えた。
「ま、今でも昔でも、政治家達の頭は硬い。そういう『時に干渉出来る』法律が、まだ整備されて無いのさ。」
少年は肩を落としつつ言った。
「このメッセージを受け取ったということは、くれぐれも秘密に頼む。確か・・・『カンザキアキ』くんと『ニノミヤカナ』さん、だったかな?」
老人が手元のタブレットを見ながら言った。
「あれ、もしかして有名ですか、俺たち?」
「ああ、珍しい例だからな。」
少年が答えた。
「すまないが、誰かに見つかるとマズイので、本題に入らせてもらうが、よろしいか?」
老人の問いに、二人は無言で首を縦に振った。
「今、時空省では、とんでも無い輩が時空を彷徨っている事を確認している。それがこれだ。」
老人が手元のモニターを見せる。
虹色に輝く空間に、黒い雲のようなものが浮かんでいる。
「マイナスエネルギーの塊、コードネームは『デューク』だ。マイナスエネルギーは、時空を漂い、気まぐれに時間に入り込んで、そこにいる者達に取り付く。取り憑かれたものは、凶暴化して、姿形も変わってしまう。これを止めるために、時空省は数々のマイナスエネルギーを破壊してきた。だが、今回ばかりはそうはいかん。時空省が干渉出来るのは『亜空間』と呼ばれる時の連なりの中だけ。
『タイムホール』と呼ばれる、亜空間から時間への通路には行けない。困ったことに、デュークはここをずっと移動している。そのデュークのいるタイムホールが繋がっているところが、今君たちがいるその時間だ。」
「じゃあ、そのデュークは、この時間に来るかも知れないってこと・・・?」
「ああ、恐らくな。『時』は神の持ち物だった。もしかしたらこのマイナスエネルギー達も『神の使い』の一つかもしれぬ。愚かなる人間に報いを受けさせるための・・・。」
老人は悲しそうな笑みを浮かべながら言った。
「我々には、君たちにこのような支援しか出来ない・・・」
そう言って、老人はタッチパネルを操作した。
すぐに銀色の球体が反応して、何かを立体映像として写し、実体化させた。
銀色の小さな腕時計が2つ、そして黒いペンが一つと、黒い小さな望遠鏡が一つ、現れた。
「我々時空省が作り出した新世代型ウェポン『タキオン・ギア』の試作品だ。腕時計は二人とも常に肌身離さず付けておいてくれ。それが新しい戦闘服『タキオン・スーツ』だ。腕時計の時間合わせダイヤルを押し込めば、スーツが展開され、常人の1000倍のパワーと耐久力を装着者に与えてくれる。また、腕時計の表面を弾けば『タキオン・シールド』を瞬時に形成する。カナさんの付けている方は試作品の性能チェックと、女性へのハンデとして、シールドに『タキオン・ガトリング』も装備している。戦闘時には役に立つはずだ。」
俺は説明そっちのけで腕時計を見回していた。こんな小さなものが、そこまでの力を持っているのか。
俺はスーツを展開してみたくなった。
そっとスイッチに手を伸ばした俺を、少年の声が制した。
「言っておくが、スーツは試作品だ。いざという時のため以外で使用したと見受けられた場合、スーツの機能をダウンする。まだ使うな。あとでデモンストレーションをする。」
あっさり見抜かれていたことに少し憤りつつも、俺は時計から手を離した。
「黒いペンはタキオンサーベル。これは機密なので多くは言えないが、我々の『ある計画』遂行のために作られたプロトタイプだ。キャップを抜いて、ペンをノックすればタキオン粒子で出来た光の刃が形成される。」
俺はペンを手にとってみた。ただの軽い黒いペンだ。ま、これもどうせ今は使えないんだろう。
「望遠鏡はタキオンショット。横のボタンを押せばトリガーが引き出される。調節ツマミを使えば、様々な銃弾を切り替えられる。」
これを手にとったのは郁奈だ。手の中で弄んでいる。
「では、今からデモンストレーションをしよう。まず、スーツを展開してみてくれ。」
俺たちはスイッチを入れた。
ブゥウンという音とともに時計が振動し、パッと眩しい光に包まれた。
スゥッと光が引き、目が慣れてきた。俺は視線を下に向けた。
さぁ、タキオンスーツとのご対面だ。
だがしかし、俺は目を疑った。
下に来ていたのは、さっき着替えた私服のままだ。
郁奈も家に帰って着替えてきた私服のまま。
二人で困惑の表情を浮かべた。
「あの〜。変わってないんですけど・・・」
まずカナが画面に向かって言った。
「もしかして『失敗』・・・?」
俺も恐る恐る聞いた。
画面の中では、少年が堪えきれずに笑い出していた。老人も笑みを浮かべている。
「いや、これでいいんだ。なにせタキオンスーツは『透明』だからな」
笑いながら少年が言った。
と、透明って。それ本当に壊れてたらどうするつもりだろう?
大丈夫なんだろうか。
「よし、ならば自分の目で確かめるといい。」
老人はそう言うとタブレットを操作した。途端に銀の球体から、500円玉が二枚転送された。
「潰してみよ。すぐに潰せるはずだ。ちなみにその1000円はこいつの給料から差し引かさせてもらった。気にせず潰してくれ。」
「ちょっ、秋山司令、それは・・・」
さっき笑われた仕返しに、俺は思いっきり500円玉を握った。
バキバキッという音とともに500円玉が粉々になった。
カナも躊躇なく握りつぶした。少年の1000円があっさり消えた。
何という力だ。俺は、全く力を入れていない。
ただ握っただけで500円硬貨を破壊できるとは・・・。恐ろしささえ感じた。
「よし、では次はウェポンだ。起動させてみてくれ。」
俺は言われた通りにタキオンサーベルを起動した。
ブォン、という音とともに青い光刃が出現した。
「これってまさかビームサー・・・」
「細かいことは気にするな」
鋭いツッコミが画面から入る。
カナのタキオンショットは結構望遠鏡そのままの見た目だ。ただ、レンズが消えてちゃんとした銃口になっていた。
「よし、デモはこれで終わりだ。基本、もう我々が君たちに干渉することは出来ないが、万が一の場合は、君のスマートフォンで『ゴッドアンドドラゴンズ』を開いて欲しい。我々と通信が出来る。」
秋山司令と呼ばれた老人はそう言ってふぅと息を吐いた。
「正直、ここまで大きな−エネルギーを観測したのは、こちらも初めてだ。何が起こるかわからない。だが・・・」
秋山はじっとこちらを見て言った。
「今、これを止められるのは君たちだけだ。どうか・・・この世界を救ってくれ!」
秋山はそう言って頭を下げた。
ブブ、と映像にジャギーが入り、プツンと切れた。
「世界を救う、か。」
俺はぽつりと呟いた。
「色々救わなきゃね。御影くんも世界も。」
カナが言った。
俺は腕に巻かれた腕時計を見つめた。
この力は、世界を救うこともできるだろうが、使いようによっては破滅へと導くかもしれない。
そう、俺の心変わりで。
「救ってみせるさ・・・」
俺は窓際まで歩いて行った。そろそろ太陽も沈む頃だ。
「ハルも、世界も・・・ッ!」
次の日の昼休み、俺は給食を食べ終えて校内をブラブラしていた。
特に思い出はないが、こうやって大手を振って小学校を見て回れるのはなかなか無い。
しっかり目に焼き付けておこう。
俺はシミひとつ逃さないように散策を続けた。
そうこうしているうちに、俺は図書室に着いた。校内をずっとじろじろ見て歩き回るのも変なので、カナと話でもしようと思い、俺は図書室のドアに手をかけた。
しかし、俺は図書室のドアを開けることができなかった。
ガッと腕を掴まれ、ズルズルと引きずられる。そして、思いっきり壁に叩きつけられた。鈍い痛みが、俺の背中に走る。
痛みに耐えながら顔を上げると、そこに立っていたのは、見覚えのある顔ぶれだった。
この前、体育のバレーで俺たちが倒した相手。全員揃っていた。
「おいおい・・・ええと、すまん。名前まだ覚えてねぇんだが・・・。なんだよ一体。」
俺は壁に手をつきつつ立ち上がった。
リーダー格の1人が俺の胸倉を掴んだ。
何を言われるのかと思いきや、出てきたのは意外な名前だった。
「お前、二ノ宮郁奈の何なんだ?」
「・・・は?」
「だから、二ノ宮の何だって聞いてんだよ!」
胸倉を掴んだまま、俺は廊下に叩きつけられた。
「あー、ナルホド。あんたもしかして・・・」
俺はそいつの顔を見ながら言った。
「カナの事、好きなのか」
「カナ、だとぉ!?」
俺のセリフは奴らを逆上させたようだ。
壮絶な蹴りが俺の腹に入る。
「何があったかしらねぇが、ちょっと勝ったからっていい気になるなよ、ジミ野郎。お前は大人しくこそこそ動いとけばいいものを・・・」
何という勝手な発想だ。
俺は腹を抑えながら立ち上がった。
「そっちこそなんか勘違いしてるようだが、別に俺とカナはそんなんじゃねぇよ・・・ッ!・・・ガチで蹴りやがったなオイ・・・」
何だろう。この変な感じ。自分から『そんなんじゃない』と言うことに、抵抗を感じた。
「気安く『カナ』って呼ぶなァァァア!!」
相手が殴りのモーションに入る。配下の奴らもそれに続いた。
万事休す。終わったか・・・。
「ちょっと!あんたたち何してんの!?」
突然の声に奴らが動きを止めた。
声の主は、図書室から出てきた。手には『心霊探偵九雲』を握った・・・
「カナ・・・」
「に、二ノ宮!?ち、違う、これは・・・」
「あんたたち、人間としてサイテー。どっからどう見ても自分より弱いのに、大人数で襲うなんて・・・ホントサイテー。」
ああ、いつものカナだ。
どこまで人をDisれるんだこいつは・・・。
「じゃ・・・邪魔すんじゃねぇ!!」
リーダーがカナに向かって殴りかかった。
反射で俺の体が動いた。
その手をガシッと掴み、捻りあげる。
ぐっ、とリーダーが呻いた。
「好きな女にすら力を振るうのか?自分より弱いからか?・・・笑わせるな!」
俺は手に一層力を込めた。
「好きな女も護れねぇようなやつが、何強がってんだよ!?・・・何様のつもりだ!」
「くそッ!離せよっ!」
俺は足を掛けてリーダーを投げ飛ばした。配下がギャンギャン吠える。
「恋愛ってのはなぁ!そんな軽い気持ちでするもんじゃねぇ!相手のことを想い続けて、じっと我慢もして、それでも相手が振り返ってくれるから、よかったって思えるんだ!!今のお前は独占欲に突き動かされてるだけだ!!」
人間は人生の中で必ず恋をする。それが成功するのか、はたまた失敗するのか分からない。だが、だからこそ『恋』は美しい。
今まで、何人かの友人たちの恋の成就を手伝った事がある。
そんなこともある身からすれば、今のこいつらは、ただ欲望に支配されているだけだ。
「・・・クソッ!覚えてろ!!」
典型的な敗走のセリフとともに、リーダーが俺を突き飛ばして逃げて行った。配下も後に続く。
完全に見えなくなったところで、カナは本を放り出して俺に駆け寄った。
「アキ・・・」
背中が鈍く痛む。苦痛に顔を歪めた。
「・・・ごめんなさい。私のせいで・・・」
「・・・カナのせいじゃない。あいつらの思い込みすぎだ・・・ッ!」
「だ、大丈夫!?」
そう言って身を乗り出したカナを、反射で抱き締めた。
少し抵抗したカナも、すぐに大人しくなった。
「・・・俺も少しあいつらの前で馴れ馴れしすぎたかもしれない。あいつらの気持ちも知らないで、あまりにも軽率だった・・・」
「・・・ごめんね、アキ。これ以上アキと関わってあいつらにいじめられるなら・・・」
もうアキと関わらない、と言おうとしたんだろう。
そんなのこと、言わせない。
俺は郁奈の唇に、自分の唇を重ねた。
今度は流石に驚いたようだ。ん・・・と声を漏らしている。
初めてにしては少し長めに、暫く沈黙が続いた。
すっと唇を離す。少し名残惜しいが。
廊下に2人のハァハァという息が木霊す。
「ごめん・・・でも嫌だ。」
俺は取り敢えず突然のキスを詫びた。
けれど、自分の意思は伝える。
「今度何かしてきても、俺は戦う。絶対にあんな奴に負けたりはしない。だって・・・」
俺は次に出てくる言葉を出すか躊躇った。
だが、今度は俺も言葉を発することが出来なかった。
カナが逆に唇を重ねてきたからだ。
俺は暫く郁奈に身を委ねた。
さっきより長い沈黙の後、カナはすっと唇を離した。
甘い時間を噛みしめるように、俺たちは沈黙のまま抱き合った。
「私の初恋はね、アキ、あなただった。今でも覚えてる。」
突然、カナが告白しだした。
「正直、何で惚れたのか分かんないけど、でも、今のアキと一緒にいても、私、すごく救われた気分になった。何でかわかんないけど、でも!・・・これからもずっと一緒にいたい・・・」
とある昼休み・・・。二つの小さな恋が、大きな実を結んだ。
放課後、俺たちは校門から出ると、同じ帰り道を辿った。自然に手が繋がれ、幸せな時間が流れた。
この先、俺たちがどうなるかわからない。
だからこそ、今のこの時間を、大切にしたい。
「カナ」
寄り道した大杉公園のベンチで、俺の肩にもたれてまどろんでいるカナに、俺は呼びかけた。
「なぁに、アキ?」
俺はカナの手を握って言った。
「俺、ちゃんとこの世界を救ってみるよ。ハルも、そして・・・カナも」
誰もいない公園。大きな銀杏の下のベンチで、俺たちは、生涯で見ても数少ない、幸せな時間を過ごした。
次の日から、俺たちは行動を開始した。四季フォースの面々にも、ハルのことを伝えた。
みんな驚いたようだが、仲間の1人の苦しみを知ってか、全員がこの計画に参加した。
取り敢えずは見張りだ。
基本、デフ音楽教師の秋本は、音楽室に引きこもっている。
流石に授業中に月光ちゃんを呼び出すことはできないので、必然的に休み時間や、放課後に呼び出すことになる。だから、その時間に音楽室を見張っておけば、月光ちゃんの被害現場に立ち会うことができる。
現場を発見したら、すぐに下の踊り場での待機メンバーに知らせ、そこから全員集合して月光ちゃんを救う作戦だ。
スマホは録音機能が入っている。それを使えば、警察にだって頼ることができる。
この計画にかけるしかない。
俺たちは意を決して、計画をスタートさせた。
はじめは特に動きがない。
ただ、どうやら奴は音楽室である欲望を満たすこともあったようで、フユが吐きそうになりながら戻ってくるということもあった。
トイレから出てきたフユに差し入れのコーラを渡す。
「大丈夫か?フユ?」
「うう、スゲー気持ち悪かった・・・」
コーラを一気に飲み干して、フユはどかっと近くの椅子に腰を下ろした。
「・・・無理しなくていいんだぞ?」
俺は少し遠慮がちに言った。別に無理してする必要はないのだ。いくら仲良しであっても、小学校を離れればただの他人になってしまう。今やっているのは、言わば『ボランティア』だ。強制ではない。
だが、フユは少し口を尖らせ気味にして言った。
「何言ってんだよアキ!『親友』が困ってたら、ちゃんと助けてやるのが『親友』だろ!?それに比べりゃ、こんなぐらい、何てことねーよ!!」
いつもボケをかましまくりのフユの発言に、俺は驚いた。まさかフユがこんな強気な発言をするなんて思ってもみなかった。
「・・・そうだな。悪い。弱気になったのは俺のほうだわ。」
俺は自分の気持ちを奮い立たせると、見張りにつきに行った。
秋本はのんびりと楽譜を見たり、楽器を吹いたりしていた。
どうしようもなく怒りがこみ上げてきた。
ぎゅっと拳を握る。
「・・・見てろよ、クズ」
俺は秋本を睨みつけながら言った。
「お前の悪行・・・俺が裁きを下してやる!」
その後二、三日は特に変化がなく、俺たちはまだ通常どおりの時間を過ごしていた。
全国統一小学生テストがあり、俺とカナは圧倒的な成績を叩き出して教師たちを大いに驚かせた。
「お前ら・・・何なんだよ一体・・・」
放課後、クラス最下位を争っているナツが、ボーゼンとして俺たちの100点だらけの答案と自分の30点だらけの答案を見比べていた。
ハルは国語が100点に一歩届かず、99点だった。
相当落ち込んでいるハルを励ましていると、猛スピードで教室に入ってくる人物がいた。
フユだ。
その目はどこか不安げで、肩を震わせていた。
「・・・月光ちゃんが・・・月光ちゃんが・・・」
俺たちはバッと立ち上がると、一気に階段を駆け上がった。
カナとハル以外のフォースを壁際で待たせ、俺とハルはそっと音楽室に近づいた。
窓からはっきりと中の様子が見えた。
壁際に追い詰められた月光ちゃんが、怯えた表情で、目の前の秋本を見ている。
(いい加減にしないか!いつまで待たせる気だ!?)
秋本がこちらにも響くような声で言った。
(そ、そんな・・・先生、何で・・・)
(いいか?援交はな、金を払ってる方の言うことを聞くもんなんだよ!!このビンボー野郎めが!!分かったら、さっさとやらせろ!!)
(いや!やめて!!)
秋本の手が月光ちゃんの服にかかった。
「・・・救いようがないな」
「ああ・・・いくぜ、ハル。」
俺はカナたちを呼び寄せた。
俺はそっと腕時計を確認した。
もし何かあれば・・・これを使うしかない。
俺たちは決死の覚悟で、音楽室の扉を開けた。
突然の生徒の乱入に、秋本は相当焦ったようだ。
「お、お前ら・・・」
と、いつもの口調では無くなっている。
俺は湧き上がる怒りを抑えて、できるだけ丁寧な口調で言った。
「秋本先生・・・そこで何をしていらっしゃるんですか?」
フウ、何とか言えた。
「お、お兄ちゃん・・・」
月光ちゃんがハルの存在に気づいたようだ。
ハルが一歩前進して言った。
「秋本先生・・・約束が違うじゃないですか・・・僕はそんな事をするために月光を先生の所に預けたわけじゃない。健全な付き合いだけだと仰ったではないですか・・・もし、これからもこのような事をするというのなら、母が退院するまでは、2人で寄り添って生きていきます。だから・・・」
ハルは少し溜めてから言った。
「月光を・・・月光を返してください!」
ハルは手を地面について土下座した。
人生、最大の屈辱のはずだ。けれど、ハルはたった1人の妹のために、勇気ある行動をとった。俺はハルを今日ほど尊敬した日は無かった。
「・・・返してくれだと・・・2人で寄り添って生きていくだと・・・ハハハ・・・ふざけるなッ!」
秋本は激怒した。
月光ちゃんを引き寄せて、俺たちに怒りの眼差しを向ける。
「子供が偉そうな口を叩きおって!子供なんぞ、オトナに頼れずに生きていけるわけがない!・・・それに見よ、この幸せそうな関係を・・・」
「な、何が幸せな関係なんですか!?」
月光ちゃんが猛反発する。それほど、彼女は追い込まれていたのだ。
「ええい、お前は黙っていろ!」
そう言って秋本は思いっきり月光ちゃんの頭を叩いた。
「とにかく、お前らにとやかく言われる筋合いはない!それに、子供の言う事を、誰が信用するものか・・・所詮、お前らの言うことなんぞ、『子供の戯言』だ!!」
得意げに勝ち誇った秋本に、半ば呆れつつ俺はポケットからスマホを出して、再生ボタンを押した。
『所詮、お前らの言うことなんぞ、『子供の戯言』だ!』
流石は最新機種。綺麗に録音できている。
秋本の言った言葉が、一言一句全て綺麗に録音されていた。
それを聞いた秋本の顔が、どんどん青ざめていく。
「物的証拠なら、ここにある。」
俺はスマホを振りながら言った。
「あなたは、俺たちの仲間だけでなく、その妹も傷つけた・・・」
ナツが秋本を睨みつけながら言った。
「そして、彼らの思いを踏みにじった・・・」
フユがそれに続く。
「私たちはあなたを許さない・・・これは、警察に突き出します。」
とどめの一撃を、カナが放った。
秋本は明らかに狼狽していた。
汗がダラダラと流れ、顔は青ざめている。
「ま、待て!こ、これからは普通に付き合う、いや、もう別れる!だから警察だけは止めてくれ!!」
いざとなったら、形式上とはいえ恋人も捨てて保身に走る・・・。
呆れてものも言えない。
「いいえ、それは出来ません。」
俺はバッサリと切って捨てた。
「あなたのせいで、月光ちゃんは心に傷を負ったまま、生涯を過ごすことになる・・・。このまま警察に突き出さなければ、その傷が癒えることはまずない。俺たちは、あなたの気持ちより、月光ちゃんの気持ちを優先させます。」
俺は淡々と述べた。
秋本の顔が目まぐるしく変わった。
恐怖から不安、不安から・・・怒りへと。
「ふ、ふざけるなァァァア!!!」
秋本が激昂した。
目を充血させ、体を震わせている。
俺はそっと腕時計に手をやろうとした。
その瞬間。
俺たちは、想像もしていなかった事態に巻き込まれた。
秋山の立つ後ろの空間が・・・まるで包丁で切ったかのように・・・スパッと真っ二つに割れた。
そしてそこから現れたのは・・・漆黒の、大きな雲。
「お、おい、なんだあれ!?」
ナツたちが驚いて尻餅をついた。
「あれってまさか・・・」
カナが俺に言った。
「ああ・・・間違いない・・・」
俺たちがこの世界に来た理由『かも』しれない、マイナスエネルギーの塊・・・。
「『デューク』」
俺はその名を口にした。
その瞬間、デュークが秋本を月光ちゃんごと飲み込んだ。
「月光!」
ハルの悲痛な声が響く。
漆黒の雲は目まぐるしく形を変え・・・すっと引いた。
雲が引いた後にあったのは、世にも恐ろしい怪物だった。
青色の体に、巨大なツノ。身長は、俺たちの3倍近くある。手には棍棒を持ち、一つしかない目をギョロギョロさせている。
「・・・これが、マイナスエネルギーの、凶暴化なのか・・・」
俺は漠然としてその怪物を見ていた。
怪物が徐ろに口を開く。
「キサマラ・・・ユルサン・・・我ガ・・・キサマラヲ・・・コロス!」
断片的に秋本の気持ちが残っているのか、怪物はあからさまに俺たちを敵視していた。
だが、怪物が口を開くと同時に、様々な『怨念の言葉』が流れ出た。
「助けて・・・」
「嫌だ!死にたくない!」
「ここは・・・どこだ」
「みんな死んじゃえ!」
「もうどーでもいい・・・」
「嵌められた・・・」
負のエネルギーは波となり、俺たちを襲った。
その時、ポケットのスマホが自動的に『ゴッドアンドドラゴンズ』を開いた。
「間に合ったか!?」
その声は聞き覚えがある。
以前、俺たちにコンタクトを取ってきた『未来人』・・・
「あ、秋山さん・・・!?」
「もう時間がない!そいつがこの世界に被害を出す前に、君たちで倒してくれ!我々がサポートする!」
秋山さんはそう言ってスーツの起動を促した。
俺はカナと頷き合って、3人に向き直った。
「・・・この戦いが終わったら、全て話す」
俺が口を開いた。
「だから・・・それまで待ってて」
カナが続く。
3人は戸惑いながらも頷いた。
俺はカナと並んで立った。
「カナ・・・」
俺はカナに言った。
「どうしたの?」
カナの問いに、俺は答えた。
「愛してるぜ」
そう言って俺はスイッチを入れた。
クスッと笑って、カナもスイッチを入れる。2人の体が光に包まれ、パッと弾けた。
なんの見た目の変化もないが、これでスーツの装着は完了だ。
続いて、俺は制服の胸ポケットからペンを出し、キャップを外してノックした。
ブォン、という音とともに、青いビーム刃が形成される。
カナも望遠鏡のロックを解除した。
ガチャン!という音とともに、自動小銃へと変貌を遂げた。
「・・・いくぜ!」
俺の掛け声とともに、戦いの火蓋が切られた。
棍棒の叩きつけ攻撃をするりとかわし、俺は怪物態秋本の懐へ突っ込んでいった。俺を掴もうと動いた秋本は、カナの射撃で動きを止められた。秋本のでっぷりと膨れた腹に俺のサーベルが一閃した。血は出なかったが、マイナスエネルギーの一部がチリとなって消えた。
よろけた秋本に、さらに三連撃を加える。
カナの正確な射撃によって、俺のデタラメ剣術も、上手く生きていた。
思いっきり秋本を蹴り飛ばす。
ドーンという音とともに、秋本の巨体が壁に叩きつけられる。
「よし、2人とも、エネルギー供給ツマミをMAXにするんだ!」
秋山さんの指示が飛ぶ。
俺たちは言われた通りに、ツマミを最大値まで上げた。
途端に、ブォォォンという音とともに強いエネルギーが体を駆け巡った。
「我々の計画の中で生み出された、『ユニーク・スキル・システム』だ。あとは体をスーツのアシストに任せろ!・・・一気に叩く!!」
秋山さんの号令とともに、俺の体が勝手に動き出した。
そこでプツンと通信が切れる。もう、自分たちでやるしかない。
サーベルにあるスピーカーから、初めて機械音声が流れた。
『ユニークスキル!タキオン・ソードダンス!!』
カナのショットからも音声が流れた。
『ユニークスキル!タキオン・メガレーザー!!』
ジャンプして一回転すると、秋本に幹竹割りを打ち込む。左下から右上へ、右下から左下へ・・・俺のサーベルが美しい光の『米』を描く。
最後は美しい回転切りだ。青い閃光が、音楽室を照らす。
俺の技が終わった後、秋本は横から巨大なレーザーを受けた。
これが、『タキオン・メガレーザー』か・・・。
秋本の体が、ドォンと倒れこんだ。
終わったか・・・そう思って後ろを向いた俺の背中に、声が飛んだ。
「アキ、危ない!!」
しまった。油断した。
俺は下半身のない秋本に両手で掴まれていた。
ものすごい力だ。
まだこんな力が残っていたなんて・・・。
「くッ!や・・・やめ・・・ろ・・・」
俺の言葉に、秋本は全く応じない。
もう、ほぼ暴走状態なんだろう。
「コロシテ・・・ヤル・・・コロシテヤル!!コロシテヤル!!!」
秋本がより一層力を込めた。
飛沫の中、俺の中に走馬灯が走った。
みんなとの楽しかった思い出。やっと勝利できたバレーボール、そして・・・大切な人との、思い出。
ああ・・・カナ・・・。
「もっと・・・想いを伝えたかったよ・・・カナ・・・」
俺は死を覚悟した。
「いや・・・いや!アキ!!!!」
私はタキオンショットを放り出して走り出した。
今、私を動かしているのはなんだろう?
今まで、何度か考えたことのある疑問が、また浮かんできた。
今なら答えられる・・・自信を持って!!
「あなたを!!失いたくなんかない!!!!」
そう、純粋な、汚れのないこの気持ち。
この想いを果たさずに・・・アキを死なせたりしない。
私は腕時計をタップした。
このスーツの、もう一つの武器を取り出しす。
それをジャキッという音とともに構えた。
出力ツマミをMAXにする。
キュイーンというモーター音が鳴り響いた。
『ユニークスキル!タキオン・インフィニット・ガトリング!!』
「イッケェェェエ!!!!」
私は叫びながら、6本の筒を秋本に向けた。
死を覚悟した俺の耳に、つん裂くような爆発音が鳴り響いた。
バリバリバリバリッ!という激しい連続音が聞こえ、不意に体が自由になった。
硝煙の匂いが辺りに立ち込める。
ドサッ、と秋本が倒れ、完全に動かなくなった。
その少し後ろには・・・ガトリングシールドを構えて静止しているカナがいた。
そういえば、秋山さんが言ってたっけ。
『カナのシールドにはガトリングが付いてある』って。
「・・・カナ」
俺は呆然と突っ立っているカナに言った。
「本家さんより、かっこよかったぜ」
俺の言葉とともに、カナの顔が崩れた。ダッシュで俺のところに来ると、真っ先に唇を重ねた。
唇を離した後は、子供のように泣きじゃくった。
「もうダメだって・・・でも嫌だって・・・アキと離れたくないって・・・だから私・・・」
「サイッコーだよ!カナ!!」
俺はカナを抱きしめた。
「俺、もう決めたよ。絶対幸せにするから、だから今度こそ・・・」
俺は前に言えなかったセリフを言った。
「俺と付き合ってくれ!」
カナは涙に紛れながらも力強く頷いた。
そして、俺はすっかり忘れていたことがある。
四季フォースの・・・残りの3人だ。
恐る恐る横を見ると、3人は唖然とした表情のまま、こちらを見ていた。
あー、人生で、最も恥ずかしい場面、できちまったか。
俺が言い訳を考える前に、ハルが正気に戻った。
「・・・月光は・・・?月光は・・・!?」
ハルが立ち上がったと同時に、秋本の怪物態が溶けていくように無くなった。
その後には、ぐったりした様子の秋本と月光ちゃんが倒れていた。
「月光!!」
ハルが妹の名を呼びながら、一歩ずつ近づいていった。
月光ちゃんの横までくると、ハルはしゃがんで、月光ちゃんの体を抱き上げた。
「月光・・・月光!!」
体を軽く揺すると、ふっと、月光ちゃんが目を開けた。
「月光・・・」
ハルが心配そうな目で覗き込む。
「お兄ちゃん・・・」
「月光!わかるか!?俺が!?」
月光ちゃんは、フフ、と軽く笑った。
「当たり前だよ。世界でたったひとつの・・・兄妹だもん。」
月光ちゃんは満面の笑みで言った。
「ありがとう、ニィニ!」
もう、この言葉で充分だ。
ハルの決めた道は、決して楽ではないだろう。けれど、この2人なら、どんな苦難も超えていける気がした。
例え2人に恋人が出来ようと、誰にもこの関係は切れない。
それが、兄妹だ。
そんな御影兄妹の横で、ゴソゴソ動き回るものがいた。
「ん・・・んん・・・」
呻き声とともに秋本が起き上がった。
周囲を見渡して、寝ぼけた様な顔をした。
「僕は・・・いったい何をしていたんだ・・・?」
その声は、いつもの『秋本先生』の声だった。
「え!?本当に覚えてないんですか!?」
今まで黙っていたナツが言った。
「植田くんに・・・桜井くん?御影兄妹も・・・神崎くんに二ノ宮さん・・・ん?一体どうなってるんだ?」
そう言って秋本先生は立ち上がった。そして、周囲の状況を見て、絶句した。
「な、なんでこんなに音楽室がボロボロなんだ!?」
辺りを見回すと、なるほど、これは酷い。
机はひっくり返され、ピアノはボコボコに、太鼓は表面が割れ、壁にも傷が入っている。
「まさか・・・君たちが・・・」
秋山先生が言った。
「いえ、大半は、というよりほぼ全部先生です。」
フユが珍しくツッコミを入れる。
「僕が・・・したのか・・・?はっ、そうだ!今何日だ!?」
先生はなんとか破壊を免れていた卓上カレンダーを覗き込んだ。
「な!9月30日ィ!?」
先生は驚愕の表情とともに叫んだ。
どっと膝をついて先生が項垂れる。
「・・・一ヶ月も記憶がないなんて・・・一体僕に何が起きたんだ・・・」
「それ、どういう意味ですか!?」
ハルが驚いて聞いた。
先生は頭を振って話し始めた。
「・・・8月31日、僕は自宅から買い物に行ったんだ・・・そこまでは覚えている。けれど、その先がわからないんだ。」
「てことは、妹とその日から援助交際してることも知らないですよね?」
ハルが聞いた。
「援助交際!?御影くん、いい加減にしたまえ。一教師たるもの、援助交際なぞもってのほかだ!・・・全く、あんなことをする奴の気がしれん!!」
これで全ての謎が溶けた。
いつからかは今知ったが、おそらくデュークは31日から先生を乗っ取っていたのだ。
何故ハルの家庭が困っているのかを知っていたかはわからないが、とにかく何処かでそれを知って、利用したのだ。
一体、何が目的だったのか・・・。
「御影くん」
先生はハルたちに向き合って言った。
「僕は君たちを、いや生徒たちのことはこれっぽっちも疑っていない。だから、本当に、過去の僕は援助交際していたのかもしれない。だが過去の僕のせいだと責任逃れする気はない・・・知らなかったかもしれないが、僕は、君たちのお母さんと、お付き合いをさせてもらっている。」
「ええええッ!!!カアさんと!?」
御影兄妹が口を揃えて驚いた。
「いつかは、結婚をしたいと考えていた。その矢先に、お母さんは入院なされた。約束しよう。お母さんが入院している間、いや、退院されても、僕は君たちを支えていこう。だから、お母さんとのお付き合いを、認めて欲しい。」
先生はそう言うと、深々と頭を下げた。
この人は、悪い人じゃない。本当はすごく優しい人なんだ。
俺はそう思った。
「あと・・・御影さん・・・」
先生は申し訳なさそうに言った。
「僕は何か君の嫌がることをしていないかい?」
月光ちゃんが、少し表情を曇らせた。
「実は・・・その」
「ああ、いや、言わなくていい。要はしてしまったのだな。本当にすまない。」
先生はまた深く頭を下げた。
「しかし、安心したまえ」
先生はポケットに手を突っ込むと一枚の広告を取り出した。
「今、このダイエット法を実践している。今はこんなんだが、あと少ししたら、もうこんなデブのおっさんではなくなっているよ」
ぐっと胸を張った先生に、フフフ、と月光ちゃんが笑った。ハルもつられて笑い出す。
みんなが、少しずつ笑顔になっていった。
「先生」
月光ちゃんが言った。
「お母さんのこと・・・よろしくお願いします」
月光ちゃんはそう言って深々と頭を下げた。
先生はにっこりと笑って、倒れた机を直し始めた。
「さぁ、もう遅い。みんな、早く帰るようにな。あとは僕がやっておこう。」
俺たちは先生に頭を下げて教室を出た。
変な先生ばっかだけど、この学校も、捨てたもんじゃないな。そう思った。
「・・・ええと、その・・・」
校庭で、俺はみんなにどう切り出そうか迷っていた。
いきなり、俺は俺でも未来の俺です、なんて言っても信じないだろうし、さて、どうしたらいいものか・・・。
「どーしたんだよ、アキ!」
ナツが言った。
「例え、お前に何があっても・・・」
フユが続けた。
「お前が俺たちの『アキ』だ。」
最後にハルが締めた。
俺はふと横にいるカナの方を向いた。
カナはコクリと頷いた。
「あーもー、お前ら熱いぞ〜!熱苦しいゾォォォ〜!!」
ナツが囃した。
急に照れくさくなって、俺は頭をかいた。
「ほら、熱いからさっさと帰れって!」
ハルがシッシッと手を払った。
みんなに囃されながら、俺はカナの手を取って歩き出した。
「神崎くん!二ノ宮さん!!」
後ろで呼ぶ声に振り返ると、月光ちゃんが手を振っていた。
「本当に、ありがとうございました!!」
ああ、これだ。
皆んなの笑顔が、俺を強くしてくれる。
この笑顔のためなら、俺はどんな困難も乗り越えていける気がした。
最愛の人の笑顔なら、尚更だ。
俺はフッと手を上げて、カナとともに学校を出た。
今日の『ランドセル』は、そんなに悪い気がしなかった。
途中の文房具店で寄り道をして、2人で10年手帳を買った。
そのまま、またあの大杉公園に辿り着く。
ベンチに座って、パラパラとページをめくった。
日付は高校1年の8月31日。
ボールペンで今の場所と時刻を書き込む。
『大杉公園の大きな銀杏の下のベンチ。夕方の5時。』
「覚えてるかな、俺たち」
「きっと覚えてるよ。だって、こんなに好きなんだから」
カナが俺にそっと寄りかかった。
俺はカナの肩をそっと引き寄せると、唇を重ねた。
目をそっと瞑る。
どんどん体が軽くなっていくのがわかる。
それでも、俺たちは唇を重ねたままだった。
やがて、宙に浮く感覚が現れ始めた。
「愛してるよ、カナ・・・」
「私もよ、アキ・・・」
俺の記憶は、そこで途切れた。
ガバッと俺は正気に帰った。
そこは、いつもの俺の部屋だった。
積みプラもあるし、全体的にごちゃごちゃしている、いつもの俺の部屋。
ハッと時計を確認した。
午後4時50分。大杉公園公園まで、ダッシュすれば間に合う。
俺は猛ダッシュで部屋を出て階下に向かった。
「あら、アキ?どーしたのそんなに急いで?」
カアさんがテレビを見ながら言った。
「あ、カアさん、俺ちょっと出かけてくる!!」
俺は大急ぎで靴を履くと、家を飛び出した。
大杉公園に着いた時には、5時を少し回っていた。
ハァハァ言いつつ、俺は銀杏のまえのベンチまで行った。
だが、そこには・・・誰もいなかった。
だめだったか・・・。
諦めの気持ちとともに、疲労感も増して、どかっとベンチに腰を下ろした。
息を整えていると、だんだん無力感が漂ってきた。
やっぱり夢だったのか・・・。あの時の誓いは・・・。
諦めかけた俺の思考が、一瞬で砕かれた。
「あのー、もしかして・・・」
俺の目の前から、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
すらっとした長い足に、ほっそりとした身体。凛々しい顔立ちは、少し大人びたものの、面影はまさしく・・・
「カナ・・・」
俺はフッとベンチから立ち上がった。
「やっぱり・・・アキなの・・・アキなのね!!」
カナは顔を綻ばせると、俺の胸に飛び込んできた。
俺はカナの身体をぎゅっと抱きしめた。
小学生の時は同じ背だったが、高校になったからか、少し小さく感じた。
「よかったァ・・・もう忘れちゃったかもって思って・・・」
「忘れるわけないじゃん。だって・・・」
俺はそこで言葉を切って、カナの顔を見つめた。
「俺の、『一番大切な人』なんだから。」
言い切った。凄く恥ずかしいけど。
少し頭を下げて、高さを合わせた。
そして、唇を重ねる。
この時間は、永遠だ。
例えどんな悪意が来ようと、俺はカナを守り抜く。そして、カナと添い遂げる。
それが、俺の誓いであり、願いだから。
大きな銀杏の木が、黄色い衣で覆われている。
そろそろ、『秋』本番。
私の『秋』が、ゆっくりと、私を包み込んでいった。