インクアノク病院
弟に指摘されてこれからはヤードやマイルの後ろにメートル法を入れることにしました。
お店を出てから数分歩くと目的の建物らしきものが視界に入った。
そして目の前には病院があった……病院というより一軒家だが。
診察時間など書いた看板はなく本当に病院かどうかも怪しくなってきたがポストに『インクアノク病院』と書かれていたので間違いないだろう。多分間違いない……であろう。
が、呼び鈴を鳴らすも反応がない。
「すいませーん誰かいませんか?」
返事がこないので中に入ることにする。
その前に煤や雨の水滴などを払っておく、見た目はどうであれ一応病院なのだから衛生は大切だ。相棒の分も忘れずにやる。
やり終えたところで扉に手をかける。
扉を開けた先にあったのはただの玄関だった。
――もしかして場所間違えた?
外へ出て再度確認をするが間違いようだ。
――う~ん。もしかして留守かな? でも鍵は空いてるし――奥で待ってようか……
「おや? お客さんかな? それとも患者さんかな?」
――誰!?
振り向き際に相棒の首根っこつかんで跳び引く。
「おやおや警戒させてしまいましたか。
こんにちは旅人さん私はこの病院で医者をやっているものです。
あなたはお客さんですか? それとも患者さんかな?」
――医者を名乗る者が気配なく私の後ろをとるものか。
――しかしこいつが件の医者なら乾燥地帯の情報は必要だ。
相棒を下ろし私は襟を正し、この怪しい医者を正面に見据える。
「こんにちはお医者さん、私は今日この街に着いた旅人です。
ここに来たのは乾燥地帯に出没する黒いなにかについて話を聞きたかったからです」
「――なるほどあなたはお客さんの方でしたか……ん? 少し前にここに来ると聞いていた人は患者と聞いていましたが……」
「――何を聞いたか知りませんが、それは多分私のことですよ」
「そうですかあなたは患者さんではないと、――それであなたはアレについて聞きたいのですね?」
やけに神妙な雰囲気を出す医者を見つめる。
――こいつには一切の油断が許されない、そんな気がしてならない。
「ええ。他にも色々聞きたいんですがよろしいですか?」
「いいですよ。なんでも聞いてください。
ここで話も何なので」
そう言うと医者に奥の部屋へと案内される。そこは元々リビングだったのを改装されたであろう待合室だった。
患者さんが来てもすぐに対応できるように此処を選んだんだろう。
「ではまず乾燥地帯に出るという黒いモノについて、貴方はなんだと思いますか?」
医者は顎にてを添えて唸るように考える。
考えが纏まったのか組んだ手を腿の上において話始めた。
「――あれが何であるかは私にはわからない……けれど少なくとも生物には見えなかった…………いや、生物と認識していいモノではない。あれは確かに生物……というか馬や駱駝には目もくれず人間だけを襲うがそれ以外はなんの行動もとらないんだ。
普通の動物に限らす生物は不規則なというか様々な行動をとるものだ。例えば獲物を狩るにしても障害物を避けたり、物影に息を潜めていたりとそういった行動を取るものなのにあれはしない。
馬や駱駝はもとより手荷物やテントなんかもお構いなしに人間へ一直線に進むんだ、色々な物を投げたりして注意を引こうとしたんだが意味がなかった。火以外は本当になんとも思ってないんだ……いやそもそも思考能力があるかすら怪しい」
「なるほどね、たしかにそんな行動とる奴らに思考能力があるかは疑わしいね。
そう言えばご老体がやつらは足が速くないのに捕食されていたって言っていたけどなんで?」
「――それについては……なんというか……あれに近づかれると思考が乱れるというか正気ではいられないんだ、自分は全速で逃げているはずなのに気づけば大した距離も移動していなかったんだ。
だから私は右腕がこんなふうになっているんだ」
医者が右腕の白衣を捲るとそこにあるの生身の腕ではなく、冷たく、硬く、カチカチと歯車の回る音を鳴らし、時折排熱のためかシューと空気の抜ける音がする。それは機械仕掛けの義手であった。
「ふーん。ん? ねえなんで貴方は生きてるの? ご老体の話ではみんな成す術なく喰われるって言っていた気がするんだけど」
「――ああ私の場合友人が……いや、親友が助けてくれたんだ」
医者の悔恨の情は余りも大きいものであったのであろうどんどん気が沈んでいく。
――聞かなきゃよかったかな? いや大切な情報だから聞かないわけにはいかない。
――ここは心を鬼にして――
「――えーと、その親友はなんで貴方を助けることができたんですか? やつらに近づくと思考とかが乱れるんですよね?」
「ん? ああ、どうだろうね雄叫び挙げながらやつらに喰われている私の腕を切り落として助け出してくれたから、もしかしたら正気失っていてわけも分からず私を助けたかもしれないし、勇気を振り絞って私を助けたかもしれない、今となってはわからないが少なくとも私は親友に感謝している。
……そして助けてくれた親友を……私は……」
――ご老体聞いた話と少し少し違うな、まぁ人づての話に誤差は付き物だし問題ないかな。
――それにしても、また落ち込んだ。話がなかなか進まない。
――兎に角話を変えなきゃ。
「その黒いの乾燥地帯のどのあたりに出で来るんですか? ここさえ通れば安心安全みたいな道があればみんな安心なのにね」
「――――――――」
医者は突然硬直し、目を見開いた。
――あれ? なんでほうけているんだろう?
「……なぜだ――なぜ今まで――そのことに――気が付かなかった」
医者は硬直から解放されると立ち上がり近くの扉を壊すような勢いで開けてそのまま奥へ姿を消してしまった。
それから十数分後、医者は息を切らして再び扉を壊す勢いで開けて入ってきた。
その腕には折り畳み式の簡易な机となんらかのファイルが何冊か、多分重要な情報が記されているんだろうがもう少し優雅とは言わないが落ち着いた方がいいのではと思う。
「見てくれ!」
自分の前に開かれた折り畳み式の机の上にページが開かれたファイルが何冊も叩き付けれた。
「あの~~折り畳み式ってそんなに丈夫じゃないから壊れますよ。あとそんなにファイル重ねるように置かれても全部は読めませんからね」
それを聞いた医者は冷静になったようで頬を赤くし俯いた。
「いや、すまない少し興奮し過ぎた。
ああこれらのファイルはやつらから生き残った者たちからの情報をまとめたものだ。
でだ、まずこれとこれのページを見てくれ」
開かれたページに目を通した。
「次はこれとこれを」
これも目を通した。
そしてこの人が何が言いたいか分かった。
「やつらはこの街周辺にしか出没しないんですね」
「そうなんだ! ここまで調べておいてなんで気付かなかったかわからないが、兎に角この情報を精査して安全ルートを算出できれば」
突然玄関……病院の出入口の扉が開いた。
サムズアップしながら熱く語る医者の言葉を来訪者が切った。
「先生いますかーー?」
――っち! いいところで、いったい誰だ邪魔するのは!?
振り向いて来訪者を確認する。
その来訪者は顔に深くしわが刻まれており、かなりの老齢であろうが背筋は伸びており、まっすぐな足取りで扉をくぐる。そして元々は装飾など施してあったであろうが長年録に手入れのされず真っ黒になった外套を玄関のコート掛けに掛と此方に早足で来た。
「先生今月分のお薬持ってきましたよ」
「――あれ? 碩学様? いつもありがとうございます」
医者は立ち上がり薬が入っているだろう箱を片手で受けとると、もう片方の手で来訪者と握手をして感謝の言葉を言った。
――さっき碩学様といったか? ではこの来訪者が碩学なのか?
「しかし碩学様、今月分のお薬は明後日くらいに持ってきてくださると聞いていたのですが……」
「いえ、たまたまこちらの方に来る予定が出来たのでついでにと、薬を届けようと思いましてね」
「それはわざわざありがとうございます」
その後もしばらく握手をしているが私は聞き耳を立てつつ資料に目を向けて読み耽る。そして挨拶と感謝を言い終えた碩学がこちらを向いた。
「それで、この方は誰ですか先生」
「ああ今日この街に来たばかりの旅人で蒸気病で当院に来」
「違います! 私はいたって健康体です! さっきも言いましたよ先生!」
私は医者の言葉を断ち切ってやる。これ以上不名誉な噂を広められてはたまらないからだ。
――しかし、全くどうしてこの街の連中は私を病人扱いしたがるんだ!? そんなに私は変なんだろうか?
そんな現実逃避なことを思案していると来訪者――老碩学は私の顔をじっと見つめていた。
――なんだ? この老碩学私の顔を見つめて――私に見惚れているのか?
「――君はいいもの持っているね。私にはない非常に稀有で素晴らしいものを持っていて羨ましいよ」
「……え、んと、いや~~そんな面と向かって言われても――なんにもでないですよ///」
――全くいったい急に何を言い出すんだこの老人は。
「それに――その子も大変いい――――」
「あ! わかります! この子は賢いし! かわいいし! モフモフだし! 最高なんですよ!」
私はそう言うと相棒を抱き寄せ、あごや頭をなでて、最後にこれでもと言わんばかりにギュッと抱きしめる。相棒が苦しがっているのを無視して。
それを見た老碩学は頬を緩め、そして、なぜか眩しいものを見るように目を細めた。
「いやはや仲睦まじいことは美しかな――ですね。そうではありませんか先生」
「ええ、それは大変良いことなのですが……あのですね、その……」
医者はなにか言いたそうに私たちをチラチラと見る。
――ああ、そういうことか。
「じゃあ私たちはこれで失礼します。お二人は何か話し合うことがあるんですよね?」
医者はビクッとすると目を泳がせて最後はこちらに頭を下げた。
「本当に申し訳無い。これからこの方と患者さんについて話し合わなければならないくなったので」
「先生、私は別にそんなつもりでここに来たわけではないですよ。
もののついでと、言ったところで都合がよければくらいの気持ちで訪れただけですから」
「しかし碩学様はお忙しい中わざわざ来てくださったのですし、時間を無駄に……もしやこの後なにかご予定でも?」
「いえ、しばらくは時間がありますので大丈夫ですが」
今度は老碩学がこちらを見てくる。それも申し訳ないという顔をして。
――んーめんどくさいな。
「いえ、私はだいたい聞きたいことは聞けたのでこれで失礼します」
「すまないね追い出すようにしてしまって」
「すいません旅人さん、まだ聞きたいことがあったら明日また来てください」
二人が頭を下げ謝罪する。
大の大人が二人も若者――老碩学に関しては親と子供ほど歳は離れいるだろう相手に頭を下げるのは些か気が引ける……ような神経は持ち合わせていない旅人はこう思っていた。
――めんどくさい……
「大丈夫です。さっきも言いましたが聞きたいことは聞けたので、今度こちらに来るときは患者としてくると思います。
そんな気はさらさらないですがね」
私はそう言うと二人に背を向けて、玄関に向かう。因みに相棒は抱き締めたままだ。
インクアノク病院を出て外が暗くなり始めているのにはじめて気がついた。
――どうしようか、今日はもう疲れたし、シャワー浴びたいし! もう宿に帰ろう。
そう決めると相棒をおろして歩き出す。
今回は寄り道せずに真っ直ぐ帰る!
宿に着くとそのまま部屋に行き、備え付けの更衣室で乱暴に服を脱ぎ散らかし、シャワー室に突入する。もちろん相棒も忘れてはならない。
そしてシャワー室で30分念入りに煤や埃や垢、臭いなどを洗い流し更衣室に戻るとバスタオルも着替えも用意し忘れていたのを思い出し、額に手を当てて自分に呆れる。
――あっちゃーしくじった。どうしようこのままいたら湯冷め湯冷めする。
少し考えた末私は体についた水滴などを振り落とし髪を絞り、部屋に置いたバックまで駆け足で行きバスタオルと着替えを取りだし更衣室に戻って色々すませる。
それからしばらくして支配人が食事が出来たから食堂に来てくれと報せにきたので食堂に向かう。
食事を終えると私は食器を取りに来た支配人に尋ねた。
因みに相棒はまだ食べている。
「ねぇ支配人さん、この辺りの細かい地図もらえない?」
「どうしたんだ急に、観光でもしたくなったのか?」
「うん。せっかくメンフィスに来たんだし史跡とか巡っていくのも旅の醍醐味かなと思ってね。
で、くれるのくれないの?」
「大丈夫ですよ。そういったのはロビーに置いてありますから明日の朝にでもお渡ししますよ」
「できれば今日のうちにもらいたいんだけど」
「それはどうして?」
「だって今日のうちに目星をつけておかないと明日廻る時間が減るじゃないですか」
「ああなるほど。では食器を片付けたら部屋に持っていきますね」
「うん。お願いします。
あとこれはそれを込みのチップね」
私は懐に仕舞っておいた財布からお金を出し、支配人に渡そうとする。
だが、支配人はそれを受取ろうとはしなかった。
「けっこうですよ。お客さんにはこの街でいい思い出を作ってほしいからサービスです」
「ん? いいの?」
「はい」
「それじゃあ遠慮なく」
支配人は実に丁寧な対応をしてくれる。初め見た時の印象とはかなり違って内心驚いている。
――病人扱いもたまにはいいかな、お金が浮くし。
「あ、あといい質屋とかおしえてもらえますか? それと特産品とかたくさん売っているも」
「それならあなたが入ってきたであろう、今日は定休日でしたが街の西の入り口付近にその二つを兼業しているお店があるのでそこなどいかがでしょうか? なんなら地図に印を付けておきますよ」
「じゃあお願いします。あと最後にあとで部屋に水を持ってきてもらえませんか、それに服のクリーニングもお願い」
「はいわかりました」
話を終えると私は今やっと食べ終わった相棒の口を布巾で拭ってやると、一度支配にぺこりと頭をさげてから部屋に戻る。
部屋でのんびりしてしばらくするとノックがあったのでドアを開けると支配人が両手に地図と水の入ったガラス瓶を持って立っていた。
「こちらが頼まれていた地図とお水です。それと服をお預かりに来ました」
「わざわざありがとう」
私は支配人が持っている地図と水を受け取る、水の入った瓶はひんやりしており中には何らかの葉っぱが入っていた、匂いを嗅いでみるといい香りがした。たぶんハーブの一種なのだろう。
――なかなか気が利くじゃないこの人。
私は下着を除いた汚れた衣服を支配人にわたす。
「では私はこれで、なにかありましたら気軽に支配人室に来てください」
「はい。ではおやすみなさい」
「おやすみなさい」
そう言うと支配人はこちらに背を向け、静かな、げれども満足そうに鼻歌を歌いながら帰っていった。
私はドアを閉めると支配人が完全に離れたのを確認した後鍵をかけた。
そしてベットの上で地図を広げ、もう一つ自分の持っていた地図と、病院で見た地図と脳内で照らし合わせて明日廻る場所を決めていく。
先ず史跡の場所を確認する。史跡は大小様々な物があり、本当に小さいものまで含めたら100や200では足りないほどである。それらの史跡は街の周囲に周囲のいたるところにあり近いところなら約328ヤード(300m)程で遠いところなら数マイル(数㎞)先にあるものまである。
そしてそれらの史跡は塊って作られていることが多く、もしも仮にそれらの史跡の1つがやつらの根城だったとしても注意深く観測や記録、定期的な調査をされない限り見つかることはないだろう。
次に支配人の持ってきた地図にやつらの出没地点を黒く塗り潰していく、その隣には出没日時と数も書き、そして塗り潰した場所の端と端を線で結びコンパスで円を書く。
更にそこから出没場所が固まってるところ円で囲い、それらの場所から中心地近くに大きな史跡がないか検討する。
するといくつかの候補が浮かび上がってきた。街の西の方に1つ、北東に1つ、東に1つの計三つ候補が上がった。
――ふむ。明日は西に行くか、質屋にも寄りたいし、それにこちらの方は最近やつらは出没出没していないのは気になる。
私は取り敢えず明日の予定を大まかにたてると傍で寝息をたてている相棒をベットに運んで一緒に寝る。
「おやすみ」
「~~~~」
私は最後に相棒の頭を撫でると目を瞑り眠りに落ちる。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
子供の時分にその話を聞いたときはお伽話のような話だと思った。
だって私が生まれたころには空は灰色に染まっていたし、青空を灰色が覆い尽くしたと言っても想像がつかなかった。
それはお父さん達もそうだという。お父さん達が子供の頃から世界は灰色に覆われていた。
時折空の隙間から光が差し込むことがあるというが、それは体に害があり避けるべきものだと偉い碩学様は言っていた。
もしもそれが本当なら90歳以上生きているおじいちゃんやおばあちゃんはなんだと言うのか? お化けか? 妖怪か? 碩学さまは時折変なことを言う。
なによりこの村の年寄りは私たちの祖父母以外は空や海の事を話したがらない。
みんなそのことを聞くと、どんなに笑っている時もすぐに顔を下に向ける。
いつからか祖父母や私は嘘つき呼ばわりされた。