機関都市メンフィス
初投稿です。何か気になりましたらお気軽にどうぞ。
あなたは本当の青色を知っていますか?
世界は暗い、灰色に覆われたこの世界に青空はない。
そう言ったのはおじいちゃんだった。
世界は闇だ、黒く染まった海は最早青き生命の揺り籠たる過去の姿はない。
そう言ったのはおばあちゃんだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
此処はシルクン大陸街道、今は中央メンフィスという街目指して蒸気二輪が排煙を上げながら疾走する。
空から黒い雨が降りしきる。雨と一緒に煤が降るのか、煤と一緒に雨が降るのかわからないがこの風雨はどうにかならないものか。
フードをきつく被りガスマスクしっかり嵌めないと呼吸すら出来ない。ゴーグルは黒く染まり何度拭ってもキリがない、早く宿に泊まりさっぱりしたい。
今日まで三日間走り続けて疲労と空腹がこの身を苛む、相棒もかなり参っている様子で弱々しく。
「うぅーーん……」
なんて鳴いてくるものだから申し訳ない気持ちで一杯になる。
そう鳴いてくれるな、こっちも同じ気持ちなんだからもう少し我慢してくれ、もう町は目の前なんだから、機関都市メンフィスが目の前なんだから。
機関都市メンフィス、大陸中央部の窓口に位置する機関都市にしてシルクン大陸街道の主要交易都市の一つ。
ここからは東は大きな大乾燥地帯――具体的に言うと岩石砂漠、砂砂漠、礫砂漠という嘗て、空が灰色に覆われていなかった時代にあった灼熱の乾燥地帯の名残――が広がり岩石地帯と砂地帯と礫地帯の3コンボで旅人を殺すために存在するような地形である。
ここを通らない場合は険しい山岳地帯――標高約15000フィート(5000m)クラスの山々が連なる今は少なくなった山岳信仰の対象となる連峰――と広大で森深い大湿地地帯があり、どちらも旅人を殺すために存在するような地形であるがこちらの場合は蒸気二輪が走行不可能な場所が多いため消去法で大乾燥地帯を通ることになる。
よってこの大乾燥地帯を無事通過するには機関都市メンフィスで念入りに蒸気二輪のメンテナンスと食料と水を用意し、何よりも蒸気二輪に砂対策しないと機関内部に砂が入り込み動かなくなる危険がある。そうなると蒸気二輪を置いていくか引いていく事になるが、どちらも序盤ならともかく私のようなか弱い子だと中盤以降になると引いていこうにも体力が続かないし、歩いていくには距離が長く食糧がもたないという有り様になり結果、世にも珍しい可憐な子の乾物ができる訳である。
そうなることを避けるためにもこの機関都市で金を惜しんではいけない、命が惜しければ……なんて格好つけてる場合ではない、取り敢えず宿をとるないし空き家でゆっくり寝たいが、その前にお風呂は贅沢でもシャワーは浴びたい! という訳で宿を探そう!
と、意気込んではみたがまずは情報収集が先決だ、乾燥地帯の天気や盗賊などの治安については調べておかねば命にかかわる。
というわけで酒場に特攻! さすがにこの状態で店内には入れないので軒先で外套を掃い、ガスマスクを外して拭って仕舞う。相棒の汚れも拭ってやる、店内で毛を震わせた日には……大変なことになるから念入りに拭ってやる。
扉には重い金属でできていて開けるには少しコツがいる、昔は木製のものがあった処もあったらしいが今は珍しく貴重だ。なんでも木が生長するには太陽の光が大事なんだとか。
機関都市は基本的に分厚い壁や扉や窓で出来ている。大機関の発する騒音と排煙、年中降りしきる煤、たまに降る黒い雨から身を守るためにそうなった。
その昔は暑かったから家を閉めきるなんて考えられなかったとこの街の老人が言っているのが聞こえてきた。
なんでも家によっては屋根すら無い家もあったらしい、なにせ昔は煤はもとより雨も滅多に降らなかったなんて言うもんで世界は面白いなーー。
入口の扉を引くと内側に付けられた鐘が鳴る、カランカラン、客が来たぞと店主に告げる。
店内の内装は故郷の山小屋を彷彿させる木目調で統一されている。
木目調とわかるのは一歩踏み出すと足の裏に伝わる感触が木のそれではないからだ。
壁には火のついてないランタンとろうそく立てが交互に吊るされていている。ランタンは年期が入っていてインテリアとして素敵でその隣にあるろうそく立てが全体の雰囲気をまとめているようで素敵な仕上がりになっている。
「………………」
こちらを一瞬見た後すぐに仕事に戻る店主。
――哀想が悪すぎるだろうここの店主! こんなかわいい子に『いらっしゃいませ』の一言もないとは目が腐っているのか!?
そうは思っても口には出さない、出すだけ無駄だ心象が悪くなるだけで益はない。
カウンターで仕事をしている店主の前の席に腰を下ろす。
そして笑顔で注文をする。
「――マスターおススメ一品、あと手頃なお値段でお風呂またはシャワー付きの宿教えて❤」
声をかけられた店主は静かに私を見詰める。
――よし! 落ちた!
そんな心の中でガッツポーズをとる私に反して店主は冷淡に。
「……ハマーム・マフシーね。宿ならここを出て左に五軒先の”カイロ”ッて宿なら充実している、値段は少し高めだがあそこの主人は……かわいい奴に弱いからせいぜい色仕掛けで上手く値切るんだな」
――あれ? 思ったよりすんなり聞けた。無愛想な割には優しい? これならもう少しいろいろなことを聞けるかも。
「ねえねえついでに機関部品の品揃えのいいお店も教えてよ」
「……あんた観光じゃなっくて旅人かい? ならここより東には行かないほうがいい命が惜しければ……あとこの街にも長居はするな、部品を扱ってる店は教えてやるからさっさと故郷に帰りな」
――なんか急に冷たく……いや、もともと冷たかった気がするがそれが更に冷えきった印象になった。
「……なんで?」
ニヤニヤしている自分がわかる。
不謹慎にも、けれどワクワクを隠せない、否隠さない。
明らかに警戒されるのはわかっているのにどうしょうもない、こればかりは生来の性分だ、よく回りには空気を読めと注意されたり怒られたりした。
「……あんたは知らなくっていいことだ。"物好きな女は市場で鼻を裂かれた"という異国の諺があってな意味は"でしゃばればその人のようにろくな死に方はしまい"だ。
何か言いたいかわかるな」
「なになに♪」
これから話すことは恐ろしいことは明確なのに好奇心を隠そうとしない私を見て訝しむ店主。
「……この街の事に余所者が口出しすると言っているだ。
東の乾燥地帯についてなら答えてやる」
――これ以上つつくのはよろしくないから黙っておこう、我慢我慢。
――にしてもこの人案外優しいな、後でハグしてあげよう♪
「ふう――ここ数十年前から乾燥地帯を通る奴らがなにかに襲われ始めたんだ、襲われた奴は旅人、商人、旅行者、老若男女問わず襲われている。
襲われた奴らは口を揃えてこう言うんだ"黒いなにかが襲ってくる"ってな、まぁそのせいで交易品が高値で取引されるんで危険承知の命知らずが大勢来る。しかし、九割が帰ってこなかった。
わかったな東の乾燥地帯は危険だからさっさ故郷に帰るんだな」
「うん。わかった。準備が整い次第細心の注意をはらって乾燥地帯に行くね、天気とかは大丈夫かな?」
「……………………」
店の中が静寂に包まれた
――あれ? 私また何か変なこといったかな?
「あの子も蒸気病か………」「酷い話よねあんな若いのに………」「蒸気病はついに脳まで犯すようになったのか………」「嘆かわしい機関文明は幸福と共に病を与えるものなのか………」
――なんかいたく酷い言われようだ。
「………旅人さん宿の前に病院でも紹介しようか?」
――何だろうさっきまでの冷淡さがウソのように慈愛に満ちた顔をされた。
――私ってそんなに変なのかな? というか少し傷つく。
「私は蒸気病なんかじゃありません! いたって健康体です!」
「うんうん。君は病気じゃないんだよただ健康診断するだけだからね。
ほら連れも一緒でいいから」
「いいです! 結構です! 御飯だけ食べていくんで早く作ってください!」
それを聞いた店主は精一杯美味しく作ろうと腕まくりして調理を始めた。
ハマーム・マフシーはハトの中にぎっしりと、スパイスで味付けされたお米と麦と玉ねぎのみじん切りが詰めたものでこちらでは割とポピュラーなんだとか。
出来上がったそれを相棒と一緒に分けて食べる。
「ごちそうさまでした。
お邪魔し……マスター機関部品のお店教えて」
――一瞬忘れそうになった、あぶないあぶない忘れないうちに聞いておかないと。
――あと失礼だったからハグなし!
「ああさっき言った宿の近くに"アレキサンドリア"という店があるからそこは品揃えはいい。
あと"インクアノク医院"って病院そこの近くに……」
「ありがとうマスター! お代はここに置いておくね!」
「あとあまり外は出歩くんじゃないよ夜には絶対に外には出たらダメだよ!」
言われる前に出ていく、これ以上何か言われると色々我慢出来ないかもしれい。
――ただ外には出歩くなと夜は絶対にタメってどういうことだろう。
――あ、乾燥地帯について聞くのを忘れていた……しょうがないから宿か機関部品店で聞くしかない。
少し落ち込んでしまう。
相棒が袖に触れてくる。
「大丈夫だよ、他のところで聞けば問題ないからね」
相棒は安心したのか目を細め微笑んでくれた。
先ずは宿に飽き部屋があるか確認するために"カイロ"に向かう。
道の途中には住人達がたむろったりしているが皆一様に下を向いているか上を向いている、前者は若人、後者は老人。
若者は下を向いてブツブツと何かを溢し、老人は上を向いて何に慟哭している。
そうでないものは皆幽鬼のようにフラフラとしながらも仕事をこなしている。さっきの酒場とは雰囲気が随分違う。
目的地の"宿屋カイロ"に着いた。
ここでも外套と相棒を拭う、マナーと心象は大事だからね。
「すいませーん。誰かいますかー?」
フロントは先の酒場と違って金属むき出しであった。酒場の共通点と言えば壁に掛かったランタンくらいだろうか。
しばらくするとカウンターの奥からドタパタと物音がする、扉を開けて出てきた人物が支配人なんだろう、なかなかいい格好をしている。
「いらっしゃいかわいい旅人さん。何日のご予定で?」
人の良さそうな笑顔で訊ねてくるがその目の奥はいやらしい感情を隠しきれてない、まだまだ未熟だな。
――取り敢えず交渉だな、んで見返りに体を要求されたら他を探そう。
「二、三日の予定だけど準備ができ次第東の乾燥地帯に行くつもり」
「――あながそうですか、東の乾燥地帯の気候は安定していますが……あの乾燥地帯には何かが出るのです。
悪いことは言わないからやめておいた方がいい。
滞在中は精一杯おもてなしするか早めにこの街を出ていった方がいい。お代も安くしとくよ。
観光なら郊外の遺跡を見るといい、ただ街中を出歩くのは極力最低限にして夜は絶対に外にはでないこと、夜にはどこも閉まっているからね。
何よりも乾燥地帯には絶対近付かないように」
――あれれ? 話が早い、あの店主が根回ししたんだろうか?
――しかしまた街中を出歩くなと夜は外出をするなっか、この街には怖い人でも徘徊しているんだろうか? それに乾燥地帯には近付くなか……
――とにかくチェックインをしてアレキサンドリアに向かおう。
支配人にアレキサンドリアの場所を聞いて向かう。
アレキサンドリアはすぐに見つかった。
店内には煤こけた老人が一人作業していた。
蒸気二輪を引いて店内に入る。
「すいませーーん。この子を砂漠仕様にしたいんですけど」
作業を止めた老人は重苦しく視線をこちらに向ける。
その眼は黒く濁っていてまるで大機関の排煙で染められたようで角膜まで黒い。
髪の毛も同様に黒く艶の無い髪だ。
「……黒い眼と髪が珍しいかい」
「え! いや……その……」
――ちょ……返事に困る、どうしよう。
「気にしなさんなこの容姿はもとからだ。蒸気病じゃないよ。
んであんたはもしかして東の乾燥地帯に行くつもりかい? 正気の沙汰じゃないよ、言われなかったかあそこには黒いなにかが出てる。
生きて帰ってきたやつはほとんどいないやめときな」
「んーーでも探しモノがあるから乾燥地帯は越えていかなきゃいけないの」
「――探しモノ?」
「そう。探しモノ。みんなが忘れたものを探すため」
「……………………」
「……………………」
――なにこの沈黙は、重いんだけど。
――相棒が縮こまって不憫なんですけど。
「……………………」
「……………………」
「……そこで待ってな直ぐに砂漠仕様に変えてやるから。
他になにか要望があるなら聞いとくが」
――やっと解放された。
――そしてこの人も優しいけど、なにか違う。
老人はさっきまでやっていた作業を中断して蒸気二輪の改造作業に入った。
時間が掛かりそうだから店内を見て廻ることにする。
「要望は特に無いけど店内を廻っていいですか?」
「――勝手に商品に触らなければ別にいい、あと連れにマスク被せてやんなここは臭いがキツいからな」
老人が後ろ手に指す方向に綺麗なマスクがあったので勝手に勝手に着けてよいということだろう。
「ありがとう、じゃあ遠慮ねく借りるね。
さあこっちおいで着けてあげるから」
相棒にマスクをつけてやる。
マスク独特の臭いはあるもののお店の薬品や鉄、油の臭いに比べればマシなのかほっとした様子だ。
――さてさてさて見て廻るとしますか。
店内は見たこと無い部品がところ狭しと並んでいて六割はこの土地の風土に合わせた部品なんだろうけど、一部にかなり毛色の違う部品が置いてある区画がある。
この店に置いてある物は店全体の約一割と言ったところだがそれでも目立つ、むしろ規格さえ合っているかも怪しい部品ばかりだ。
「そこにあるのは乾燥地帯を越えた先にある国々で出回っているヤツばかりだ。
こちら側のヤツとは規格が違うが性能はいい、ただ使い方や整備方法にクセがある。
好事家や一部のレーサーには需要があるが、一般人には薦めんよ。
もっともそれらは乾燥地帯を越えてすぐ近くにある街で手に入るのばかりらしくってな……まああんたには関係ない話だ」
老人は作業を中断すること無く話を描けてきた、老人の作業音は規則正しくまるでオルゴールのように美しい。
それはこの人の腕の良さを証明しているようで誰でもいいから自慢したくなる。
「ねえこれ高いの? よければ欲しいんだけど」
作業音が止んだ、この人が中断したとは思えないから多分作業が終わったんだろう。手際がいいことだ。
機材を置く音が無くなるとこちら近づいてくる。
「聞いていなかったのか? これらは人を選ぶし整備も大変だと言ったはずだが」
「聞いていたよ、だからこその選択だよ。
だってこれからその乾燥地帯を超えてさらに東に行くんだからあちら側のヤツの方が整備や部品調達も楽になるんじゃないの?」
ご老体は慮外の意見に瞠目する。
少なくとも老人の知るもの達は性能はいいが不慣れな物より慣れたものを選ぶ、その理由は乾燥地帯を越えてすぐの街で取引を済ましてすぐに引き返してくるからである。
しかしこの者は今は行かなくなった、誰も行くことのない乾燥地帯の先に、なにがあるかもわからない東の果てに行くと言ったんだ。
「――あんたは正気ではないと思ったが実は、そもそも、もとから、最初から正気を手放して……いや正気を持ち合わせていなかったか蒸発していたんだな」
「……そこまで言われたのは初めてだよ。
親や祖父母、故郷の連中にもそこまで言おうとは思わないだろうね、むしろ損害請求してもいいくらいの暴言だよ。
ねえ」
となりにいるはずの相棒に振るとそこにはなにもいなかった、辺りを見回すとお客用の待ちスペースで寝息をたてている。
――薄情なヤツめ。
取り敢えず毒ついておいく。
「だか、あんたみたいなのは久しぶりだ。
いいだろう好きなの選びな付けてやるよ」
「やったーー! あなた痩せこけてるのに太っ腹!…………あのお代は」
ゴマすりながら近寄って肩を揉もうとすると払い除けられた。
「変なゴマすりはいらん、お代は砂漠仕様する分だけでいい。
それにな先はああ言ったが東の機関部品を欲しがる奴はもう少ない、今はこの街の中古整備だけしかやっていない、何よりも――もう歳だ、店仕舞いにはいい頃合いだ」
「こんなにいい店と腕なのにもったいない!」
「そうは言ったても跡継ぎもおらんし、さっきも言ったが歳で体にガタガタだ。
思えばこの街に来て半世紀以上経つが空が灰色になって化け物か出始めてここも……」
ご老体は近くの脚立に腰かけ懐にしまってあった煙草に火を付ける。
口から紫煙が吐き出され大気に霧散する、その散りゆく様を感慨深げに眺めるご老体はなにを思うのか、一頻り眺めた後、気がすんだのか近くの灰皿に煙草を押し付け立ち上がる。
「――さあなにがいい、さっさと終わらせてしまおう」
棚の前に来たご老体にせかされてあれこれ指さし、説明を聞いて選んでいく、選んだものを抱えて作業場に持っていく。
「こっからは時間が掛るから明日の朝にでも来ると言い、それまでには終わらせておこう」
「ありがとう。でも少しお話していいかな? 作業しながらでいいから」
ご老体は訝しむんだ表情をしたが少ししたら作業に入った。
――多分考えるだけ無駄と判断したに違いない……悲しいな。
しょんぼりしているのを見て傷ついたのを察したのかご老体は口を開く。
「こんな老人と何を話したいんだ?」
ぱあぁと笑顔になる自分がわかる。
――今の私の笑顔は太陽のごとく輝いていることだろう。まぁ太陽なんて見たこと無いけど。
「聞きたいこと色々あるから問題ないよ。
まずはあなたはどこの出身? もかして東の乾燥地帯の向こう側から来たの?」
「ああそうだよ。何でそう思ったんだ」
「おじいちゃんが昔東の人たちは黒い髪と黒い瞳の人たちがいるって言っていた。
でも最近は降ってくる煤や機関の排煙での蒸気病で体が変異する人がいるけど、あなたは元からと言ったからピーンときたんだ。
ああこの人がおじいちゃの言っていた東の人なんだって――でもおじいちゃんが言っていたより綺麗じゃない、おじいちゃんは『髪は引きこまれるような光沢を放つ黒色で、瞳は黒真珠と見まがおう輝き』って言っていたんだけど……」
横目でご老体の髪と瞳を見る。
――何度見てもおじいちゃんが言っていたのとは違う、ご老体の髪は煤塗れなのを差し引いても光沢がない、瞳も黒く濁ったようでとても黒真珠には見えない。
――おじいちゃんが嘘を言ったとは思えないし、残る可能性はご老体が何処かに嘘を混ぜて言っている?
するとご老体が私を一瞬見たあと大きな溜息を吐いた。
「――なにか失礼なことを考えている顔だな」
「いえいえそんなことは決して……」
――なぜばれた!?
「歳と職業を考えろ」
「…………あははは。
そうだよね歳と職業を考えれば自明の理だよね。うん。わかっていたともさ!」
「話は終わりか? なら暗くならない内にさっさと帰るんだな、寄り道せずにまっすぐ宿に帰るんだぞ」
「あ! それ! それ! なんでみんな外に長くいるのを止めるの? 外の人たちはどこかというか凄く変なのに関係するの?」
キュッ! ボルトを巻いていた手が止まった。
ご老体は考える、正直に話すべきか否かを。
正直に話してしまうと興味本位に行動して危ない目にあうのではないか、話さずになんとかこの話題から遠ざけることはできないかを。
しかしよく考えるとこの旅人は話そうがそうでなかろうが興味本位に物事に首を突っ込むのではないかと。
ならば正直に話して注意喚起した方がまだ安全なのではと、事前知識があるのとないのとでは物事の危険度が違う。
「あれは黒い何かとしか言えないモノだ……あれが出始めたのは空が灰色になり、砂漠が乾燥地帯と言われ始めたころだ。
……初めは目にしたのは乾燥地帯だ、その頃は発煙筒や機関灯で危険や遭難なんかを知らせたりして時々だか助けに行ったりもした。
そしてアレに遭遇した、初めは何かわからなかった、煤に汚れた誰かが誰かに覆い被さってるように見えた――だが違った。
アレは人を飲み込んでいるように見えたが違う――アレは喰っていたんだ」
「アレの足は早くない、そして駱駝や馬やなんかの動物には目もくれず人だけを襲う。
だか、なぜだか多くの者達がアレから逃げ切ることは出来ずに補食された。
肉を噛む音も骨を砕く音も聞こえなかった、だがアレは確かに人を喰っていたんだ!
喰われている奴はみんな恐怖でひきった顔をしていた。
みんな自分の体がどんどんアレに喰われているのに痛みや苦痛に歪むことがなかったんだ。
ただひたすらに喰われている。
それしかわからず、感じず、けれど実感の無さに恐怖していたんだろう。
あれは――人の死に方では――ない」
ご老体の腕が、足が、背中が、口が、全身が凍えるように震えている。
それだけのモノを見てきたんだ。
人はいつか死ぬ、今日かもしれないし明日かもしれい、だから精一杯泣いて笑って生きている。
そりゃ精一杯生きているからって死に目に会えるとは限らないが……けれど……訳のわからないなにかに喰われるんなんてごめんだ。
そんなものに喰われるのために生きている人はいないだろう。
喰われたいとも思わないだろう。
人の死には無意味であってはならない、尊厳がなければならない。
そうでなければ人が生きてる意味も、泣いたり笑ったりする意味も、そもそも生まれた意味さえない。
だからそんな訳のわからないなにかに喰われて死ぬなんて――なにも残さず死んでいくなんてあってはならない。
「そいつらになにか特徴はなかった?」
傷口に塩を塗るような質問かもしれないが大切なことなので聞いた。
「……特徴? ああなぜかはわからないがアレには顔のようなものがあったんだ。
それでその顔が気のせいでなければその当時屋外で仕事をしていた者達にそっくりだったんだ。
だから街の者は大機関の排煙が原因ではないかと疑ったが大機関なしに生活するのは無理だし、屋外にいる者達すべてがそうであるわけではないから多分違うんだろうという話になった。
でも皆怖いから普段は屋外にでないんだ」
「他には?」
「――他には……アレは夜にしか見たことがない、乾燥地帯を渡ってくる者達の話によれば昼間に遭遇したことは無いらしい。
そしてアレは光を嫌う、ただの光でダメだ、火の光でなければダメなんだ」
「火の――光?」
「そうさ、アレに機関灯の光は意味はないが火の光にはあまり近寄らないんだ。
だか小さい火ではダメだ。なるだけ大きいか多くの光でなければダメなんだ。
気づかなかったかい屋内には沢山のろうそくやランタンが飾ってあるのはそのためさ。
ここは作業場だからその手の物は置いてないが生活空間にはちゃんと置いてある。
夜には炎の光をつけて過ごすんだ。アレが街に出るという話は聞かないがそれでもいなくなる奴はでるし、安全に過ごすために皆夜は明るくしているのさ」
――なるほど皆外に出たがらないのはそういうことか。
――しかし夜にしか出ない、火の光を嫌うと言うが多分炎そのものを恐れているんだろう。
――これは他にも話を聞いた方がいいかもしれない、確か"インクアノク"っていう病院があるって酒場の店主が言っていな――行ってみるか。
「最後にいいかな? その黒いのから襲われて生き残った人いる?」
「? いや喰われたっていう意味なら誰も生き残った奴は……いや一人だけいる。
噛みつかれた腕を切り落として生き残った奴は一人だけいる」
「その人はどこにいる?」
「すぐそばのインクアノク病院で医者をやっている」
――なんという偶然! これは早速行かねば!
ご老体から病院の場所を聞いて行く準備を整える。
「ありがとう。行ってみるね。
あー蒸気二輪は明日取りに行くるね、お代は今払っちゃうからいくらか?」
ご老体があいよ! っと言うとレジに行き会計を済ませて忘れ物がないか確認する。
「よし! 忘れ物なし! ほら起きて行くよ」
相棒を起こして店の外に向かう。
「じゃあまた明日」
ご老体はすでに作業に戻っており、手を振ることも返事されること無く私達はインクアノク病院へ向かう。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
この世界の晴天は雲が薄く比較的明るい日を指し、本来の晴れという意味は形骸化している。
そして灰色の空は月という神秘の存在も、星空という旅人の道標も、なにより太陽という暖かい光りも遮り、隠し、殺している。
流星群は夜空を流れ星というのがまるで川の水のようにたくさん流れて綺麗だという。
彗星は尾が伸びた姿から古い言葉で箒星とよばれるほしで、彗星が流れた瞬間は空が明るくなったと言っていた。
夜に空が明るくなると言われて誰かが大きな機関灯を落としたんじゃないかと言ったらおじいちゃんは『じゃあどれだけ大きいんだろうね』といって私は大いに悩んでいる中微笑んでいた。
この世界の海は浜辺で遊ぶどころか、波の感触や潮の香り、白い雲と眩しいくらいの太陽の熱ささえも感じることさえできない。
今は黒く染まった海も昔は澄み渡る青と色とりどりの魚や海草、サンゴ礁などでカラフルに彩られていた動く絵画だとおばあちゃんは言った。
篆刻動画となにが違うの? とおばあちゃんに尋ねるとおばあちゃんは『篆刻動画よりずっと綺麗でねあなたにも見せたかったわ』といっていた。