第3話【宮本亜門のように開き直れない】
小学6年生にもなって自転車に乗ることができない━━この強烈に恥ずかしい現実に懊悩をくり返す俊作。それに周囲も友達たちも気づきはじめ、俊作は八方ふさがりの羞恥心地獄にうちのめされるようになっていた。
しかし、家が貧乏なために自転車は買ってもらえない。そのため影でこっそり練習もできない。
親の自転車で練習すればいいのではないのか?と思われるかもしれない。たしかに親は自転車を持ってはいるが、たとえ親の自転車で練習して乗れるようになったとしても、学校から帰って『さあ、遊びに行くか』というときには、母がきまって自転車を使っているのである。どうやら夜の仕事らしく、母は毎晩自転車に乗って駅に向かい、そこから徒歩で仕事場に向かっているようだった。
自転車は買ってもらえない。親の自転車で練習もできない━━どうすることもできないつらい現実に俊作は深いため息をもらすばかりだった。
そんなある日、テレビに演出家の宮本亜門という人が出ていた。なんと彼は子供の頃だけでなく、40歳を過ぎた現在も自転車に乗ることができないのだという。
『いやぁ、誰も教えてくれなくて。ハハハハハ』━━テレビの中の宮本亜門は爽やかに笑いながらいった。そんな宮本亜門の神経が俊作には到底理解ができなかった。
━━外を歩けば自然と視界の中に入る自転車という乗り物。なぜ、こんなものが地球上に存在するのだろうか?いったい誰が、なんのためにこんなものをつくったのだろうか?自転車さえなければ自分はこんなみじめでつらい思いをしなくて済んだというのに……ここから俊作の生きる道はきまっていった。