怪物
「ふむう」
ダンジョン四十二階。
オーガの後に残された魔石を回収した俺は肩を鳴らす。
「そろそろ潮時か」
食料も四分の一を切り、武器も切れ味が怪しくなっている。
三日も陽の目を見ていないことを鑑みると、止め時かもしれない。
「成果はまずまず」
俺は魔石や素材を集めていた場所へと戻る。
この階まで潜ると他人の物を盗もうとする輩はいなくなり、こうして聖水を巻いておけば即席の安全地帯が出来上がる。
まあ、絶対安全とは言い難いので分散しておくに越したことはないが。
俺はリュックを背負い、上の方へ向かって行く。
途中、同じように隠していた魔石や素材を回収していく俺。
どの階であろうと誰かに盗られた形跡は見当たらない。
ダンジョンに潜る冒険者が少なくなったのが理由。
事実、都市に戻るまですれ違った冒険者は二、三人程度だった。
「眩しいな」
しばらくぶりの太陽に俺は目を細める。
まだ陽は高いのだが、行き交う冒険者は少ない。
「おまたせしました、本日の成果です」
換金場のお姉さんがそう前置きするが全然待っておらず、外に出る時間もない。
ダンジョン異変前は時間帯によっては数時間待ちもざらだったが、今は閑古鳥が鳴いている状態。
ダンジョンに出現する魔物は元通りになった。
しかし、冒険者は戻ってこなかった。
「まあ、あれだけ各地で騒がれちゃあね」
カナンがスティックサラダを摘まみながら現状を述べる。
「ダンジョンだけでなく、世界各地の魔物が突然強くなったのよ。村や街どころか王都が落とされた例も暇ない――一都市を半滅覚悟で撃退できるかもしれないアークドラゴンに襲われちゃあそうなるわ」
この事態に各国は豊富な戦力を持つダンジョン都市アナトールに支援を要請する。
アナトールの神々は特例として各国に冒険者を派遣することを決定。
最盛期の五分の一しかダンジョンに潜る冒険者はいなかった。
「アナトールにとっては苦しいわね」
ダンジョンに潜る冒険者が少なくなるとどうなるか。
当然彼らが持ちかえっていた魔石や素材も減る。
素材が少なくなると新しい武器防具や回復薬等が作れなくなる。
魔石が減るとそれを動力源としていた機械が動かなくなり、街のインフラが不安定となる。
「この状態が続くと街は衰退するわよ」
真綿で首を絞められる状態。
精神的にかなりきついのである。
「けど、私達が出来ることはほぼないのよねえ」
背もたれに体を預けたカナンは大きく伸びをする。
「そういうことはお偉いさんが頭を悩ます事態。私達は出来ること――魔石や素材を稼いで来ることね」
「これ以上はきついぞ」
カナンの笑顔に俺は苦笑で返した。
「おお」
ある日、換金場でとあるチラシが眼に入った。
『これからの期間魔石及び資材の買取りを二割増しにします』
相当追い詰められているらしい。
アナトールの将来に不安を持った俺だが、どうにもできないことは確かなので一瞥して職員の元へと向かった。
「ロランさんですね。いつもありがとうございます」
俺の名前を呼ぶのは赤のブロンド髪のお姉さん。
「ありあとう、マーズさん」
返しに俺も名前で返す。
マーズさんと名前で呼び合うようになったのは、彼女の担当領域による。
マーズさんの専門は十万Gを越える大型換金。
ほぼパーティで行うのだが俺はソロなので記憶を留められる。
そして此度の各国へ派遣によって大型換金は俺だけになり、ほぼ俺専門と化していた。
「あの、ロランさん。少しお時間がありますか?」
マーズさんは声を潜めてそう尋ねる。
「ここじゃなんですので奥の部屋で」
マーズさんがちらりと目くばせするとドア付近にいた職員が道を開ける。
……そこから入れということか。
納得した俺は素直に従った。
「ありがとうございますロランさん。この街に来て半年ですが、その間に稼いだ額は歴代最速です」
マーズさんは前口上を述べる。
「お願いがあるのです。ロランさん……申し訳ありませんが長い期間ダンジョンに潜ってもらえないでしょうか?」
普段俺は三日間を目処にしてダンジョン探索を終わらせる。
三日間というのは、それ以上滞在すると食糧がつき、魔石や素材の重量が気になってくるからだ。
「ロランさんが食べる食糧や武器を運び、稼いだ魔石や素材の運搬は私共が引き受けます」
「期間は?」
「冒険者が戻ってくるまで」
「……」
半年はないにしても一月二月はダンジョンか。
そんなに長い期間いたらアナトールのことを忘れてしまいそうだ。
「当然何らかの見返りを与えます。今回は特別に五割増しで買い取りましょう」
それだけでなく、武器や食料も何らかの便宜を図るとのこと。
俺としては悪くない条件だが、カナンの了解を貰うため案件を持ちかえることにした。
「その話は聞いていたわ」
カナンはさして驚いた様子もなく続けて。
「神々での会議でね、ベテランの冒険者を持つギルドに長い期間ダンジョンにて魔石や素材を集めてもらう案が可決されたのよ」
どうやらダンジョンに潜るのは俺一人じゃないらしい。
「でも、他のギルドは三日や四日おきのローテーションを組むから、ずっと潜りっぱなしはロラン一人だけだと思うわよ」
フフンと何故かカナンは鼻で笑った後。
「まあ、良い機会だわ。ロラン、行きなさい。それも六十階や七十階といった前人未到の階層で探索しても構わないわよ」
「随分と乗り気だな」
俺はぼやく。
「せめてカナンだけは反対してほしかったが」
金が貰えるといってもしばらくの間陽の目を見ないというのは辛いところだ。
「誤解の無いように、私は反対したわ。けどね、ある懸念が浮上したから私は折れざるを得なかったのよ」
と、カナンは一拍を置いて。
「ねえロラン。貴方は魔王の存在を信じる?」
「……」
真顔になったカナンに俺はどう答えたらいいのだろう。
俺の元いた世界だと魔王はいたが、この世界はどうだろう?
一概に答えられない。
「アナトールはダンジョンによって栄えた都市。けれど、見方を変えれば魔物が無限に湧き出る、いわば魔物の母体を封印しているわ」
ダンジョン都市アナトールは一攫千金を狙えるドリームパレスと評判だが、それは意図的に流布した広報戦略ではないだろうか。
魔物を封印している場所よりも魔物が落した魔石で金持ちになれると謳った方が人集まりが良い。
「だからアナトールは絶対に陥落してはならない。けれど続いた異変でかつてない程疲弊している」
魔物が急に強くなってダンジョンに潜る冒険者が激減。
それを癒す間もなく各国からベテランの戦士の派遣要請。
加えて物資不足による武器防具や薬が高騰。
「もし魔王がいるのだとすれば、この機会を逃すわけがないわ」
もし魔王率いる魔物の主力がこの街を襲えばどうなるか。
各地に散った冒険者を呼び戻すより先に街が陥落してしまいかねない。
「魔物を操る魔王に無限に魔物を生み出すこのダンジョン――最悪の組み合わせね」
カナンが吐き捨てるようにそう呟く。
「ロラン、貴方はダンジョン深部に潜り、ステータスの底上げと戦闘の勘を取り戻しなさい」
俺のスキルはカンストがない無限の成長。
そして暗黒島にいた頃のように常在戦場の空気に晒されていれば感覚が取り戻せる。
「ロラン、紛れもなく貴方はダンジョン都市アナトールの希望よ。だから強くなって、けど、それ以上に絶対に死んじゃ駄目よ」
死んだら駄目か。
俺を想っての一言に俺は幾分か気が楽になった。
ブラックデーモン、ウルドラゴン、デビルゴブリン、死神の直属兵……
もうどれぐらい戦ったのだろう。
食料も、水も何時口にしたのか覚えていない。
何も補給していないにも拘らず、体は軽い。
俺は……いつ寝た?
最初の一か月は人間らしく食べたり眠ったりしたのを覚えている。
しかし、それ以降所定の位置に置いてある武器を取り、食料を捨て、代わりに魔石や素材を置いてきた。
前人未到の地下60。
こぶし大ほどの魔石がゴロゴロ。
そこには食うか食われるかの世界だった。
「終わりだ!」
ミスリルゴーレムを力で切断した俺はふと上を見上げる。
暗黒島での感覚は完全に戻った。
今なら100m先の魔物の気配も察知できる。
後は戦うのみ。
と、そんな俺の願いが通じたのだろう。
所定の位置にあったのはいつもの物資に加えた一枚の紙片。
『上に上がってきなさい』
この幼くも綺麗な筆跡はカナンのだった。
「おかえり、ロラン」
地上に戻った俺を出迎えるのは俺の神、カナン。
ずっと待っていたのか視界の隅に寝袋があった。
「上がって早々悪いけれど、今すぐ寝れる?」
カナンは続けて。
「戦闘がすでに始まってしまっているわ。寝て起きたらすぐに戦場に行ってちょうだい」
「戦闘は始まっているのか?」
「ええ、大分劣勢だけど貴方がいれば十分押し返せそう」
劣勢状態。
ならば寝ている暇などない。
「今すぐ行く」
俺は武器を手に取る。
「ちょっと待ちなさいロラン。貴方は半年もダンジョンにいたのよ? 疲労を取り除き、体を慣れさせなきゃだめよ」
「必要ない」
体は驚くほど軽く、すぐにでも戦える。
「……北に魔王がいる可能性が高い」
「ありがとう」
諦めたのかカナンは肩を竦めて、俺が向かうべき場所を示した。
そこから先は俺の独壇場だった。
魔物の群れに飛び込み、周囲全てを殲滅する。
向こうも反撃を試みるが、俺からすれば何もしていないに等しい。
敵の奥へ、奥へ。
そこに親玉――魔王がいる。
俺は勇者だ。
魔王を倒すために存在しているんだ。
「ズア!」
一際強力な魔物の一団を斬り伏せた先にいたのは――人間だった。
車椅子に腰かけた彼は憤怒の表情で俺を睨みつけている。
「人間だったのか?」
巨大な体格も、狡猾な智慧も何も持っていない男。
ただ一点――魔物を操れるという点を覗けばどこにいてもおかしくない男というのが俺の印象である。
「まあ、どうでも良い。お前が魔王だというなら答えは簡単。今すぐ死ね」
俺は剣を構える。
この距離ならどう足掻こうと俺の剣が魔王の胸に突き刺さる。
「……化け物め」
それを悟ったのか魔王らしき男は後悔と屈辱が混じった声で。
「どうしてお前がいる? お前さえいなければ俺の策は成功していた……何十年も準備していたのに、お前一人のせいで全て滅茶苦茶にされた」
もし俺がアナトールにいなければどうなっていたか。
少なくとも最初の異変でほぼ終わっていた。
「知るか、そんなもん。少なくともお前より強い俺がいた……」
もし俺の力より魔王の智謀が上回っていればこの世界はお前のモノだった。
しかし、俺がいたからそれは叶わぬものとなった。
――それだけだ。
「じゃあな、魔王。今度はお前より強い者がいない世界に生まれるんだな」
もしくは諦めるか。
そのどちらかしか魔王の欲求は満たされないだろう。
「さらば」
俺は一瞬で魔王へと近づいて剣を振るう。
魔王の首が飛ぶと同時に魔物が制御を失って潰走を始める。
アナトールの方から勝鬨が上がったのはしばらく後だった。
「なあ、カナン」
前代未聞の脅威が去った今、アナトールは街を挙げた宴が行われている。
その片隅。
ラフィンクスギルドの本部にてロランとカナンの姿があった。
「行ってしまうの?」
「ああ、俺はダンジョンに潜る」
ロランの目的はダンジョンの最下層。
そこに何があるのかを確かめたいという。
「うそ、本当はここにいられなくなったからでしょ?」
魔王を倒したロランを迎えたのは歓迎――ではなく恐怖。
ロランがすでに食べることも寝ることも必要なくなったことは周知の事実。
その常識外れの力も相まり、誰もがロランに恐怖していた。
「聞けばラフィンクスギルドに構成員が出来たのだろう?」
ラフィンクスの本領は出会いを司る神。
つまり戦闘ではなく、色恋関係が得意な人材を集めれば良かった。
「俺が大分稼いだからな。おかげでしばらくは安泰だ」
人間なら一生どころか十回ほど遊んで暮らせるだけの額。
神様なので遊ぶわけにはいかないが、誰かを誘えるほど財力があるのは確かだった。
「私、貴方に何もしていないだけど」
唇をかんだカナンは続けて。
「別にいいさ。俺は見返りを求めていたわけじゃない。やりたいからやった、それだけだ」
「……」
「なら一つだけ教えてくれ。何故ラフィンクスギルドは壊滅状態になった?」
「……」
「教えてくれない……か」
最後の願いにも拘らず話すことを拒絶したカナン。
その時のロランの心境は如何ほどであっただろう。
「それじゃあな、カナン」
ロランは背を向ける。
行先はダンジョン。
二度と戻ってくるつもりはない。
「暗黒島と似たような状況だ」
あの時も果てしない戦闘の連続だった。
ロランは辛いと思わない
それが当然だから。
むしろアナトールでの生活を良い気分転換と捉えている。
「さて、行きますか」
騒いでいる輩をしり目にロランはダンジョンへと足を踏み入れる。
最後に振り返って見た光景は――カナンやアイシス、シーラが跪いて祈りを捧げている姿勢。
「ああ……俺の仲間たちもああして俺を見送ってくれていたな」
ロランは思い出す。
暗黒島へ旅立つ直前。
魔法使い、僧侶、そして遊び人が泣きながら俺の無事と安息を祈っていたことを。