のるか そるか
明け方。
腕の中のシアンが身じろぎした。
彼女を抱いたまま、寝ていたデイーは眠りから覚める。もぞもぞと体勢を変えたシアンは、デイーの胸の中で顔を見上げた。
「……お前に泣き顔見られちまったぜ」
若干恥ずかしそうに微笑みながらそう言う彼女は、昨夜のシアンではなく普段のシアンだった。
デイーは微笑み返す。
「前にも見たことある」
「そうだっけ? ……ああ、映画観たときかよ」
納得したように言うシアンをデイーは否定しなかった。
それもあるけど、覚えているのはキース関連でこいつが泣いたときだ。
……あのときは猛烈に腹が立った。
「なんか……突然、家に押しかけちゃって悪かったな。ごめん」
「いや……」
シアンが泣いて自分のところに謝りに来るなんて思ってなかった。予想外で嬉しかった。
デイーは顔の下のシアンの髪に頬を押し当てる。
こいつの匂いがする。
上等の猫のような、柔らかで甘い匂い。
昨夜、一晩中シアンを抱きしめて寝た。
シアンも自分に身体をすり寄せてきてくれた。彼女を自分の手に入れたような一瞬の優越感に浸った。
それだけで満たされて、不思議とそんな気は起きなかった。
……でも。
ちらりと、デイーはベッドサイドの時計を見る。
5時。
……時間は十分余裕があると思う。多分。
……ちょっと、そんな気になってきた。
今からシャワー浴びにいくのもなんだかな。
この雰囲気が途切れるのがいやだ。
もう……このまま。
シアンが腕の中で寝返りをうち、背中を向けた。彼女の美しい肩のラインと項にデイーは見とれる。
「……オレ、キエスタ人のこと少しバカにしてたんどけどさ」
シアンがかすかに笑いながら背で語り出した。
「結婚前まで貞操守るとかどうなんだよ、て呆れてた。どんだけアタマ固いんだよ、てさあ。お前が同じようなこと言ったときも呆れたけど。そこまで我慢できるわけねえじゃん、て」
デイーはシアンの滑らかな背中に視線を落とし、下着のホックを見る。
……先に外した方がいいのか。
それとも肩紐を下ろすのが普通?
いや、最初は着けたまま手を入れるのが正しいのか……どれだよ。
「でも……オレ、我慢できそうかも。昨日、お前とひっついて寝ただけで満足したわ。むしろそっちの方が良かった。今までで一番、満たされたかも」
唾を飲みこみながらデイーは肩紐を選び、そろそろとシアンの華奢な肩に手を伸ばす。
「だから……オレ……それもいいかなあ、て。すげえロマンチックじゃん。究極に大事にされてる感じで」
デイーは手を止める。
「だから……オレ……それまで待つわ」
ーーなんでお前は今更そういうこと言うんだよ。
デイーは泣きそうになった。
「キエスタ人て、なんかすげえよな」
すごくない。すごくない。実はそうじゃない奴らも知ってる。密かに婚前交渉してた奴、故郷で何人かいたし。
いや、もうお前は良くても俺は良くない。
もうここまで来てお預けとかあり得ないだろ。
ここはキエスタじゃなくて、グレートルイスだし。
というか、部屋ん中で二人でこんな格好でベッドの中にいる時点でもう完全にアウトだろうがよ。
シアンが笑顔で振り向いた。
……一瞬でデイーの雰囲気に気付いたようだった。
「はあ? お前、今のオレの話、聞いてなかったのかよ!」
途端に馬乗りになるデイーをシアンは手を伸ばして押しのけようとする。
いやもう、無理。……無理。
必死に抵抗して蹴り出してくるシアンの脚と暴れる腕を押さえつける。
「てめえ! ゴーカンされたってボスに言うぞ!」
もうどうでもいい。明日、レナ川に浮いても構わない。今、これを逃したら一生後悔する。
「なんで今更そういうこと言うんだよ」
見下ろすデイーの訴えに、ぐ、と手首を押さえつけられたシアンは言葉を詰めた。
が、次の瞬間には涙を浮かべる。
「だって、お前。……この良さ知らねえだろ」
デイーはあっけにとられて、シアンを見下ろした。
「一回知っちゃったら……歯止めきかなくなるに決まってんじゃん。まともな身体の、オレよりも若い女のコと試したくなるに決まってるじゃん」
「なんだよ、それ」
「お前イケてんだから、声かけりゃいっぱい女のコ付いてくるんだし。そっちに走るに決まってるだろ」
涙声で告げるシアンにデイーは困惑した。
「そんなこと……」
「知らねーから、そんなこと言えんだよ! 真面目な奴だって結局、そうなるんだよ! キースだって、ジャック兄さんだって、超美人の相手が居てもそうなったんだよ。まさかのルーイだって、そうなったじゃねえかよ」
「……」
聞きたくない男の名前と知らない男の名前に、デイーはショックを受けた。どんだけ男知ってんだよ。
「あいつと一緒にすんなよ。オレ、キエスタ人だぜ」
「昔の話だろ、そんなの。今は違うんだろ」
こいつ。
デイーは見抜いた。
あの『本』、読みやがったな。
デイーは、今キエスタで大人気の女流作家を呪った。
「オレのことなんかどうでも良くなるに決まってるじゃねえかよ」
泣きそうな顔で、シアンはしゃくりあげた。
デイーはそんなシアンを見下ろす。
……なんていうか。
こいつはやっぱりいちいち可愛い。
涙を溜めながら、シアンがデイーをにらみあげた。
「なに、笑ってんだよ」
「いや……」
自分が思っていたよりはるかに。
シアンの独占欲が強かったことに、デイーはこみ上げる笑みを抑えきれない。
「……ホントにオレ以外の女のコ考えた事ないのかよ」
「ない」
本当は、さすがに三十路過ぎたらこの国名物の性産業のお世話になろうと密かに考えていたことはなかったことにする。
「……誓うよ」
苦笑して、デイーはシアンの手首から手を離し、シアンの顔の前に手のひらを突き出した
。
「お前も手を出せよ」
デイーが促し、戸惑いながらもシアンは言われたとおり手のひらをデイーの手のひらと合わせた。
「ラミレス神に。お前以外とは関係もたない」
「……」
「お前も誓えよ」
「……ラミレス……」
「お前はネーデ」
「……ネーデ神に。お前と……ボス以外とは寝ない」
「よし」
デイーは満足して頷く。
「今のキエスタの婚姻の儀式だから」
「……ホントかよ」
シアンがまだ涙の溜まった目を見開く。
本当だ。これに、本当は三日三晩続く、親戚と近所中を招いての大祝宴がつくけど。
「……ふうん」
シアンが嬉しさを必死でこらえるような、奇妙な表情をした。
デイーから目をそらし、合わせている手のひらを見て誤魔化すように言う。
「……お前とオレ。全然、色が違うな」
ゼルダ人でも特に雪のような白い肌を持つシアンと、褐色の肌を持つキエスタ人のデイー。
「お前が白過ぎんだろ」
「うん、それもあるけど。……ボスよりお前の方が色が濃い気がする」
「ボスの一族は元々森の人だから。キエスタ人の中では色白な民族」
「ふうん……」
手のひらから目をそらし、一瞬の間を置いたあと。
シアンは笑ってデイーに抱きついてきた。
「なんだよ」
「いや……」
ふふ、と笑い、シアンはデイーの胸に顔を埋める。
デイーも笑い、シアンを抱いたままベッドに転がった。
今まで生きてきて一番幸せな朝だと思った。
たまにこういう風な朝がおくれるなら、この先の人生もそんなに悪くないと思う。
ーー遠い昔、グレートルイスの街角で。
街娼に間違われ、ボスに拾われたことをデイーは思い出した。
あれが、すべての始まりだった。
……シアンと俺を引き合わせたのはボスだ。
ボスに会っていなければ、自分はシアンとは巡り会えなかった。ーー
胸の中のシアンがくく、と笑った。
「……それにしてもよ。ラミレス神は女好きだし、ネーデ神は気の多い快楽の女神だろ。誓いをたてるにはふさわしくないんじゃねえの」
確かにそうだけど。
「夫婦神としては有名なんだよ。というか、この二人の神しか夫婦じゃない」
「そうかよ」
もう一度くく、と笑ってシアンはデイーを見上げた。
「……まだ、5時過ぎだな」
見下ろしたデイーに、シアンは上目遣いで妖艶に微笑む。
「できんじゃねえの」
彼女の言葉に彼は身を強張らせた。
非常に厳粛な顔で彼は頷くと、ゆっくりと彼女に顔を近づけたーー。
終




