昔の男
シアンの好きなラマーン、もとい映画『英雄カレス』のカレスならシアンをお姫様抱っこしてベッドに運ぶんじゃないとか、こんなこと言うんじゃないかとか、自分なりに考えてシミュレーションしていたなんてことは更に落ち込むから思い出したくない。
緊張してようがどうでも良かったじゃねえかよ。
寝るよりは。
今となってはそう思うが仕方がない。
三日間、ショックのあまり泣きそうだった。
いや、夜中に少しだけ悔しさのあまり涙ぐんだ。
あの夜、一瞬だけでも彼女を自分の手に入れられるはずだったのに。
十年越しの片想いが報われる奇跡の夜だったのに。
サボイホテルに現れたシアンが自分が好きだった白いワンピース姿で来てくれたのを見た瞬間、感動で今死んでもいいと思った。
カチューシャ市国で夢中で彼女に恋をしたあの時の自分が蘇った。
本当は、カチューシャ教の白い礼拝服姿が見たかったけど。
あれはボスが一番気に入っている格好らしいから、シアンはボスの前でしかあの服は着ないと思う。
可愛かったのに。
自分だけを見て話してくれて、俺の前で喜んでディナーを食べてたのに。
『ボス以外の男と食べるのなんて久しぶりだわ。新鮮でドキドキするな。浮気ってこんな感じかよ。あ、完璧に浮気だよな』
あはは、と若干照れたように笑うシアンが可愛く。
自分もボスのお気に入りに手をつけているという(一応、了承済みだが)震えがくるほどの刺激と、これから彼女を寝取るという甘い罪悪感に頭がくらくらした。
それを。
泡のように消えてしまったチャンスは元に戻らない。
あと、一ヶ月後か。
自分の誕生日であるカチューシャ市国へのシアンとの一泊旅行は来月だ。
それまでお預けかよ。
自分としてはここまで来たらもういつでもいいと思ってる。むしろ平日でもなんでも朝でも昼でもシアンの許しさえあればすぐさま行動に移したい。
でもあいつ、こだわってるからな。
シアンの中身が実は異常なほど、乙女でロマンチストで清純で王子を夢見る少女であることをデイーは知っていた。
……あいつ、本当はずっとそういうのに憧れて、初体験も本当はそういう風にしたかったんだろうな。
ゼルダ時代のシアンの生活について、デイーは聞かないようにしていた。数え切れない程のゼルダ人の男とシアンは相手をしてきたことをデイーは知ってる。
あいつこそ、キエスタに生まれれば良かったのに。と、デイーは思う。
キエスタ人は貞操観念が強く、生涯一人の相手しか知らずに終える。
本当は、ちゃんとデートを繰り返して、段階を踏んで、お互いがそういう雰囲気になってから、満を持してコトに及ぶ……という関係にシアンはずっと憧れていたんだと思う。
今までシアンが叶えられなかったことを、自分ができるなら叶えてあげたいと思った。
デイーは、職場からシアンの店への道を急いだ。雨上がりの道はひんやりとした空気が漂い、気持ちのいい夜だ。
あれから三日間、デイーはショックのあまり夜は家で引きこもっていた。
が、四日めからは仕事上がりにシアンの店に寄るようになった。
店が終わる最後まで残って。
シアンを毎晩、シアンのマンションまで送り届けた。
「部屋に上がってくか?」なんて言葉が彼女の口から出るのを期待して。
もちろん、シアンはそんなことは言わなかった。
いつも笑顔でドア前でデイーに別れを告げた。おやすみのキスも、ゼルダ式の頬ずりもなしに。
デイーは空虚な気持ちで自分のマンションへの帰路についた。
シアンには自分の期待をもちろん、見透かされてると思う。
あいつは、カチューシャ市国まで大事にそれを待っておきたいんだろう。なんか、あいつそこらへんが乙女だし。
シアンが記念日にこだわる気持ちは分かった。
でも、俺にとっては、シアンと会える日はいつでも記念日なんだけどな。
カラン、とドアチャイムを鳴らしてシアンの店に入ると、奥のソファー席にいたシアンと目が合った。
シアンは今日は黒のシンプルなワンピースを着ていた。珍しく、ボスからもらったダイヤの幾重にも重なったネックレスを身につけていた。華奢な首を彩るその姿に、きゅう、とデイの胸が引き絞られる。
ゴージャスで綺麗すぎて泣けてくる。
シアンの前にいる客が立ち上がった。
見ない客だな。
デイーはその男に目を走らせた。
シアンよりも背の低い、痩せた男。
髪は白く、疎らだ。
スーツを着ていた男は頭頂部が薄くなった頭に山高帽を乗せた。
振り返った顔は老人といってもよかった。
眼鏡をかけ理知的な雰囲気を持ち、頰はこけていたが優しそうな人物に見えた。
シアンと男はデイーが立っている入り口で別れた。男の頰に自らの頰を合わせて挨拶を済ませるシアンの様子を、デイーは見守る。
なんで客にはするくせに、俺にはしてくれないんだよ。
心の中ですねてデイーはつぶやく。
手を振って男を見送るシアンの横顔をデイーは見つめる。
手を伸ばして、こいつの髪を撫でたい。
滑らかな頰にも触れて、柔らかそうなその唇に口づけられたら。
実行する自分を想像していたデイーに、シアンが目を移した。
すっきりとした短髪の黒髪を撫でつけ、あらわになった美しい額と小鹿のような大きな黒い瞳を向けてシアンは告げる。
「お前、今日一杯飲んだら帰れよ」
今日は、シアンはマットなベージュの口紅をつけていた。香水もつけているようだ。スパイスの効いた涼やかな香りがした。
「連日、遅くまで店に残んなよ。仕事に差し支えるだろ。今日ぐらい、早く寝て休めよ」
デイーはしょげた。
もうカチューシャ市国まで期待すんな、と言われた気がした。
「今の客は。見ない客だけど」
気落ちした声でデイーは聞いた。
「フォワード大のセンセ。考古学の教授」
「初めての客?」
「ここはな。……オレがゼルダにいた時、研究でゼルダに何回か来て、その時オレのいた店にも何回か来てくれた人」
デイーは息をのんだ。
シアンの……昔の客。
「久しぶりの再会だったから、話が盛り上がったよ」
シアンは微笑むとデイーにカウンターに座るよう顎で示して促した。
「お前、今日はビール一杯ぐらいにしとけ」
「……うん」
素直に頷き、デイーはビールを飲み終えるとそのまま自分のマンションへ帰った。




