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通りの花屋でデイーは店員に赤いバラを一束、注文した。
花束を受け取り歩き出した彼は、しばらくして小走りで駆け出す。道行く人は、彼のこぼれる笑顔の様子に思わず笑みを返した。
この日の為に買った世界有数ブランド、キャラバン社製のスーツの上に同じくキャラバン社製のコートを羽織った彼は、こみあげてくる笑みをおさえきれない。
通りのある飲食店の前でデイーは立ち止った。
荒い息を整えてから、デイーはドアを開けた。からん、とドアについているチャイムが鳴る。
赤い絨毯をひいた薄暗い店内に、数々の酒のボトルを並べた棚。カウンター席と五組のソファー席が見える。
「おう、デイー」
この店の店主、カウンターにもたれていたシアンがこっちを見やった。いつもの白いシャツに黒いパンツ姿。
今日も、シアンはとんでもなく綺麗だ。いつ見ても、彼女は綺麗だ。
デイーはきゅう、と鳴る胸の中でそうつぶやいた。
「どうしたよ。まだ、明るいのに。仕事終わったのか」
デイーは彼女に近づいて花束を渡した。
「なんだ、これ」
「やる」
デイーははじける笑顔で彼女に答えた。
「今日、店まかせて俺と夕飯食べようぜ。……レストランカイザー予約とれた」
顔中を笑みにしてデイーは彼女に言った。
「……」
シアンは花束を受け取り何も言わずデイーを見上げていたが、しばらくしてデイーの額を指で弾いた。
「ばーか。ボスに了解とったのかよ」
デイーは、は、と気付いてみるみるうちに表情を変えた。
ボスのシャチ出身の一族は、恋人との食事を神聖な儀式でもあるかのように特別な行為としている。
シアンと寝るよりシアンと共に食事をしたほうが、ボスの逆鱗に触れる。
「それから、今日オレの誕生日なんだよ。知らなかっただろ、お前。……今日これから店の皆でお祝いしてくれる予定なんだよな」
デイーは弾かれた額に手をやり、うつむいた。
シアンは身をよじって後ろのカウンターに花束を置くと、デイーに目を戻した。
「……だから、もったいないけど今すぐキャンセルしてこい。キャンセル料、オレも出すわ。……分った?」
「……」
うつむいたまま答えないデイーにシアンはため息をついた。
と、その時すべりこむようにして一人の若い女性がシアンとデイーの間に立ち、シアンの腕に手を絡ませた。
「今日は、シアンの誕生日よ。皆でここで祝うんだから。かなり、前から準備してたの」
そう高い声で言って、シアンの肩に頭を乗せながらデイーをにらみあげる赤毛でヘイゼルの瞳の愛らしい女性。
パイ・ムーアだ。ゆたかな曲線を描く体を、彼女はフリルのあるワンピースで包んでいた。彼女は乙女チックなファッションを好み、だいたいいつもこの様な服装をしている。
デイーも彼女を睨み返した。
……密林からシアンが連れて帰って世話をしてから、彼女はシアンを慕い、片時も彼女のそばを離れようとしない。
なんだ、この女。もう、二十歳になったんだろうがよ。いい加減、金魚のフンを卒業しろってんだよ。
というか、その人形が着るような服やめろってんだ。いつまでも女の子してんじゃねえ。
長年、パイ・ムーアと繰り返してきた視線の交戦をデイーは再開する。
「ま、だから、今回はそういうことだ」
二人の間に体を割りいれて、シアンがデイーを見上げた。
「……な、だから早くキャンセルしてこい」
デイーに向かって微笑む。
デイーは、ふてくされた表情で顔をそむけた。
「それと、きれいなバラだな。ありがと」
「……」
「OK?」
デイーの頬に触れようとのばしたシアンの手をデイーは振り払った。
シアンが少々驚いた様子で目を見張った。
「なんだよ。どうしたんだよ、お前」
デイーはシアンに背を向けるとドアの方に歩いて行った。
「……なあ、終わったら、お前も店に来いよ!」
シアンがよびかけるが、デイーは応えずそのまま店を出た。