告白
あたしの浅はかな考えは、とうにメイヤ兄さんにはお見通しだったみたいね。
「兄さん」
あたしが声をかけて兄さんの部屋に入ると、寝台のそばのランプは点けっぱなしで、兄さんはすでに寝台に起き上がったままこちらをにらみつけていた。
「あたしの言いたいことはわかると思うけど……」
「あいつは破門にさせる」
メイヤ兄さんはあたしの言葉を打ち消すように言い切った。
「破門だ。あいつは一生、このフェルナンドの地を踏むことはない」
「兄さん」
決意の強さを示すメイヤ兄さんの声。
分かるわ。兄さんは一度決めたら梃子でも動かない。
鉄の意志の人だもの。
でも、あたしはそんな兄さんに意地でも頼まなきゃならないのよ。
あたしは上半身を床に伏せて両腕を伸ばし、部屋の床に額をつけた。
「お願い、兄さん。ギールを許して」
「なにを……!」
兄さんは突然床に膝を曲げて座ったあたしに驚いたようだった。
「おねがいよ、兄さん」
キエスタで最上級の謝罪、懇願の儀礼よ。一生に一度、キエスタ人が行うか行わないかというくらいのポーズよ。
キエスタ人の文化に詳しいメイヤ兄さんなら、分かってくれるわよね。
「アネッテ……起き上がりなさい」
「ギールを許してくれるまでは起きません」
おねがいよ、兄さん。
あいつは、バカなのよ。でも優しい子なのよ。
馬鹿だけど、一生懸命なのよ。
そして、あいつはここでしか輝けないのよ。ここにいなくちゃダメなのよ……!
「アネッテ!」
「兄さんもあいつのために、指をなくしたわ!」
あたしは床に顔をつけたまま叫んだ。
「兄さんもあいつが可愛いからでしょう! あたしもあいつが可愛いのよ! だから、ここに置いてあげて!」
兄さんが黙った。
あたしは顔を上げず、そのまま待った。
「俺の指とは……違う」
「違わないわ。同じです」
「違う……!」
沈黙がしばらく流れた。
時間が経って、あたしは奇妙な息遣いが聞こえるのを不思議に思った。
「兄さん……?」
「違う……あいつのために……君は……!」
その先は途切れ、くぐもったような声が聞こえた。
あたしは気になって、伏せていた顔を上げた。
前の寝台上にいる兄さんが顔をうつむけていた。
兄さんの気配にあたしは声を失った。
兄さん。
まさか。
泣いているの……?
あたしはあまりのことにあっけにとられたわ。
だって、あのメイヤ兄さんが、よ。
いつも強くて怒ると怖い、あの兄さんが、よ。
兄さんは涙を流した歪んだ顔であたしの方を見た。
本当に、泣いてる。
「……君は……あいつのために……汚された」
兄さんは顔を覆った。
肩を震わせて、必死で泣くのをこらえようとしてるみたい。それでも、こらえきれなくて、兄さんの声はむせび漏れた。
「兄さん……」
あたしの為に、泣いてくれてるの?
あたしはぼんやりと兄さんが泣く姿を眺めた。
大の男が泣く光景を見て。
あたしは嬉しかった。
……ええ、白状するわよ。
あたしは、メイヤ兄さんが初めから好きだったんだわ。
がっしりした大柄な体格も、エラの張った四角い顔も。最初見た時からいいな、と思ってた。
厳しくて怒るとすごく怖いところも、優しく褒めてくれるところも。
あたしのとうさんに、似てた。
気がつかないふりをしていたけど、心の底ではいつも思っていたのね。あたし。
ああ、メイヤ兄さんがあたしの夫になってくれたら、て。
だから。
あたしは。
そうしたの。
兄さんを慰めたくて。
……ううん、自分がそうしたかったのね。
仕方ないじゃない、その気になっちゃったんだもの。
メイヤ兄さんが大好き、てことに気がついてしまったんだもの。
「兄さん……」
あたしは、立ち上がってローブの裾を持ち上げた。そのまま、めくり上げて首と腕から引き抜き、ローブを脱ぎ捨てた。
夜気に晒されたあたしの身体は、かすかに身震いした。
「兄さん」
呼びかけたあたしに、兄さんは指の隙間からあたしを見て。
顔を覆っていた手を離し。
ーー泣き止んだ。
泣いていたことを一瞬で忘れてしまったかのよう。
兄さんの両目はあたしの身体に注がれ、口はぽかんと開いていた。
……恥ずかしかったわよ。そりゃあ。
兄さんには、ギールのでまかせ水浴事件のときに、あたしの身体をすでに見られていたけど。
恥ずかしいに決まってるじゃない。
引っ込みがつかなくなって、あたしは口を開いた。
「兄さん」
今思うと、よくこのあたしがこんな台詞が言えたもんだと思うわ。今でも、夜中布団の中で思い出すたびに恥ずかしくてもんどりうちそうになるわよ。
……それでも、この時は必死だったのよ。
目の前の兄さんに、抱いて欲しくて。
「兄さんが、浄めて」
陳腐な台詞よね。
ギールをトリ頭だとか、あたしも人のこと言えないわよ。
実は、これ。
艶本の中ででてきたセリフ。
……笑っちゃうわよね。
「兄さんがあたしを浄めて」
あたしは裸で、兄さんの寝台に近づいた。
兄さんは目を見開いたまま、あたしの身体を凝視している。
あたしは兄さんの肩にためらいながら両手を置いた。
兄さんは怯えたようにあたしを見上げた。
そんな兄さんの表情を見たのなんて初めてで。
あたしは悪い事をしようとしてる、と思った。
そうよね。
兄さんもあたしも、トーラ先生の弟子で。聖職者で。
あまつさえここは神の家よ。
ギールだって、そんなことしなかったわよ。
すぐ隣の部屋には他の兄さんたちが寝てるのに。今にも誰かが来るかもしれない。
「兄さん」
あたしは兄さんの左手を取った。
指を失った手。
ごつごつとして節が大きい無骨な兄さんの手。
あたしはその手が生み出す兄さんの美しい字が、すごく好きだった。
兄さんの利き手である右手が無事で本当に良かったと思うわ。
兄さんの手の甲に口づける。
キエスタで、尊敬する相手に行う儀礼。
兄さんの手はさらさらと乾いていて砂のにおいがした。
凍ったように身をすくませている兄さんにじれて、あたしは口づけていた手をあたしの胸に移動させた。
ひんやりとした兄さんの手をあたしの胸肌に当てさせる。
兄さんは、泣きそうな目であたしを見た。
なんてかわいいの。
見たことのない兄さんの表情に、あたしは自分でもびっくりするくらいの愛しさが胸にこみ上げた。
兄さんを抱きしめたい。
兄さんが大好き。大好きだわ。
あたしは兄さんの顔を胸に抱きしめた。
はじかれたように、兄さんがあたしに抱きつき、寝台に押し倒した。
……良かったと思ったわよ。
ここまでしたのに拒否されたら、あたし、ショックで再起不能になってたに違いないもの。
身体をぶつける兄さんにあたしはしがみついて目を閉じた。
処女じゃなかったけど、あれから何年も経ってたし、あたしは処女と同じようなもんじゃなかったのかしら。
痛かった。
まあ、子供だったラミレスとメイヤ兄さんとじゃ、全然違うしね。
本当にあの十人には感謝するわよ。
こんなの十人も耐えられない。
行為の最中、ランプの灯りで浮かび上がる兄さんの顔は最初から最後まで怒ったような顔をしていて、あたしは少し怖かった。
でもあれは、怒ってるんじゃないのよね?
それが分かったのは、何年後かしら。
男の人は必死だから、あんな顔になるってだけなのよね?
兄さんの身体は、砂のにおいがして、これが兄さんの体臭なんだと思った。
あたしはキエスタの砂漠を思い出した。
砂漠のにおいは大好きだった。
……ごめんね、兄さん。
兄さんを慰めるのに、これが一番いい方法だとこの時はそう思ったの。
あたしも、兄さんに抱いて欲しかったしね。
でも。
これが。
まさか、この一度が大当たりするなんて。
その時は思ってもみなかったのよ。――