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柊と蘇芳が連れだって教室に入ると、そこには蘇芳の言葉通り、菊と椿しかいなかった。
「オハヨーゴザイマス」
柊は、一応挨拶をする。それに対し、神経質そうに机を叩いて答えたのは、教師の花鶏だった。
「うるさい。いいから座れ。教科書は用意してあるんだろうな、ヒーラギ君?」
「スオーが用意してると思うよ、花鶏センセ」
「……俺が先週出した宿題のプリントは済ませてあるんだろうな?」
軽くこめかみをひきつらせながら、花鶏は尋ねた。
いつものことながら、花鶏は花組の教師をするには神経質すぎるんじゃないか、なんて感想を柊は抱いた。
「スオー?」
先週のプリント、というものに心当たりがなかったので、柊は蘇芳に尋ねた。プリントは毎度のことながらたくさん出ていた。花鶏がそのうちのどれを指しているのかさっぱり理解できなかったので。
「ちゃんとやってあるゼ、花鶏センセ。俺が持ってる」
「そう……か、ご苦労だな、スオー君」
花鶏は少し頭の痛くなる思いをしながら返事をする。
どうしてこの柊という生徒は、問題など何も起こさないのに、こうも生活態度が杜撰なのか。そしてどうしてこの蘇芳という生徒は、愉快犯的に色々と問題を起こしている気配があり、しかもその尻尾を掴ませないほど狡賢い所があるのに、こうして苦労人的に柊の世話を焼いているのか理解できなかったからである。
一つ溜め息をつき、気持ちを切り替えた花鶏は、考えても仕方ないことと割り切って授業を再開することにした。
だが、丁度その瞬間に、鐘の音が響きわたった。昼休みの合図である。
「……。ハア、仕方ない。休みにしましょう、お昼を食べていらっしゃい」
そう言うと、花鶏は投げやりな態度で教室を出て行った。
花鶏がいなくなったので、柊は菊と椿に目を向けた。
「おはよ、キク、ツバキ」
「おはようって、もう昼だよ、ヒーラギ。相変わらずだね」
苦笑しながら菊が返す。菊はこの中では唯一、三年生だ。椿は二年。
花組では、きちんとした授業などはなく、ただ用意されてあるプリントをこなし、定期テストをクリアしさえすれば卒業できる。元々名門で偏差値の高い学校なだけはあり、落ちこぼれ組以外はそこまで頭が悪い生徒はいないのだ。
授業をする教室は一つのみである。だいたい常に十人前後しかいない生徒を収容するには充分だ。今現在花組には、三年と二年に四人、一年に三人の、十一人の生徒が在籍していた。
午前中に教室にいた生徒には、教室で昼食を採ることが許される。教師がいた人数を、食堂に報告すると、そこから昼食が運ばれてくるという仕組みだ。
この仕組みは、もとはちゃんと授業に出る生徒とそれ以外の仲が非常に悪かった時代に始まったらしい。唯一顔を合わせる場の、食堂で争いが絶えなかったことから、夕方は無理でもせめて昼は、というわけでそうなった。朝は、授業に出ない生徒はたいてい寝ていて朝食が供される時間にはいないので、問題にはならなかった。
四人で昼食を採るために机を寄せながら、柊は椿の様子がおかしいのに気付いた。
椿は、蘇芳以外では柊と最も親しい友人だ。彼もまた蕾組の出だった。菊もそうだが。
授業にちゃんと出るのは、基本的には蕾組出しかいない。まあ、蕾でも柊がそうであるように、授業にちゃんと出ない生徒も多々いるが。
「ね、ツバキ。なんかあった?」
柊は椿に問いかけた。
「あ……」
椿は微かに目を瞠った。そして何か言おうとして口ごもったが、結局黙り込んでしまう。
柊は首を傾げ、それから菊に目をやった。菊は椿とは同室なのだ。
菊は柊の視線を受け、軽く溜め息を吐いた。
「つきあい長いとわかっちゃうかな。ツバキ、今困ったことになってるんだよね」
そう、菊が言う。
「面白い事の間違いだろォ?わんちゃん二匹がきゃんきゃん喧嘩してりゃあ、充分愉快じゃねえか」
蘇芳はけらけらと笑いながら面白がるばかりだ。
「やめなよ、スオー。ツバキが困ってるんだったら、笑いごとじゃないだろ。……でも、わんちゃん、ってスオーが言うってことは、アヤメのことで悩んでるの?」
柊は尋ねた。
そう、花組の二年生である菖蒲という生徒は、椿に従っている。
これもまた花組の伝統の一つだ。暴力事件を起こして花組にやって来た生徒は、同学年で蕾組出の生徒につき従うのが良いとされていた。
現に三年の山吹という生徒は、ここにいる菊に服従しているし、今話題になっている菖蒲も、椿についている。
これには、現実的な事情がからんでいた。
暴力事件によって花組に隔離された生徒は、基本的には実家から見放されているといってもいい。そんな生徒は、卒業後の行き先が見つかりにくいことが多かった。
対して蕾組は、はじめから指定して入学させることもあり、実家から見放されているといはいうものの、飼殺しにするだけの財力のある家がほとんどである。
暴力組は、蕾組出で同学年の生徒を「ご主人」とすることで、卒業後もそれに付き従う、いわば受け皿を与えてもらうのだ。蕾組の家は、従者の一人や二人くらいならば容認するから。ちなみに、教員の雪もかつては花鶏の従者をしていたらしい。
そういうわけで、椿には菖蒲がついている。
基本的にそんな彼らが同室にならないのは、主人と同じ部屋で寝起きするのは畏れ多い、という理由からである。まあ、建前だ。
こんな打算的な理由から従っているわけで、彼らに忠誠心があるかといえば、それほどでもない。しかし、こうした形の「従者」が存在することは、花組の中で一種のステータスになっていた。
しかし、わからなくなって柊は更に首をひねった。
「それで、どういうこと?アヤメは確かに馬鹿だけど、ツバキを困らせるほど馬鹿じゃないと思うな」
そう言った柊に返したのは菊だった。
「アヤメじゃなくて、キキョーだよ。困ったことになってるのは。それで、ツバキも巻き込まれて困ってる。……ヒーラギが、もっとちゃんとしてくれてたらなあ」
菊が微かに柊に落胆の意を示したのに対し、過剰に反応したのは蘇芳だった。
「なんでヒーラギがダメだって言うんだよ。ダメなのは俺も一緒だろォ?え、言ってみろよ、スオーがもっとちゃんとしてくれてたらなあって」
蘇芳に睨まれて、菊はたじろいだ。蕾の出でしかも三年生、この中で一番立場の強いのは間違いなく菊だったが、蘇芳にはどこか、そんな秩序に頓着させないところがあった。
二人の間に妙な緊張が走るのを、柊は蘇芳の頭をぱこんとはたくことで解消させた。
「何やってるの、スオー。キクは先輩だよ、一応。それに、僕がちゃんとしてないってのは、スオーが一番よくわかってるはずだろ」
「へいへい。よーく理解してますとも。今日だって、俺が面倒見なきゃあ、ひどいことになってたもんな」
「……別に。勝手に世話焼いてるのはそっちだろ。……まあ、便利でいいけど」
蘇芳はちらりと柊を見ると、そっぽを向きながら、悪かったよキクセンパイ、と呟いた。全く心のこもっていないそれを、しかし菊はどこか安堵した思いで受け止めた。蘇芳と喧嘩をして、勝てる気が全くしなかったから。
「いいよ。僕こそ、ごめん。ヒーラギに言うことじゃなかった。まあ、仕方ないって思うしかないのかな」
あのね、と菊は事情を話そうとする。
丁度その時、食事を運んできた業者が、彼らの席に昼食を並べはじめたのだが、彼らは全く気にすることもなく話しを続けた。花組、特に蕾の彼らは、人に奉仕されることに慣れている部分がある。だから、ひどく自然に傲慢なところがあった。