表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
そうびそうそう  作者: 藤野千賀
1章 柊
2/36

 柊は、花組の教室が存在する校舎である、通称桜館から出た。学院のなかでも古い建物である桜館は、明治のころの洋館そのままの建築で、堅牢であるが、その分明かりがさしこまず、暗い。そのせいか、あまり時間の感覚を感じることがなかった。


 桜館から出ると、もう夕方だった。西の空が、朱く染まっている。そのまま通用門まで行こうとしていたのだが、気が変わったので、少し遠回りをして、校舎前の桜を見ることにした。


 そこまで行くと、桜館の名の由来である桜が枝を広げている。虫がいないとも限らないので、樹の下まで行くのは避けた。桜館の入り口の壁のところに背をあずけ、ぼんやりと花を見上げる。空の青色と相俟って、なんともいえない綺麗な光景である。

 そこから目をそらし、ちらりと花組の正門を見る。そこには相変わらず、厳しい顔をした守衛が二人、門の両側に立っていた。


 本来守衛というのは、外部からの侵入者を警戒するものだ。だがここではその逆。


柊の所属する花組は、この学院のなかでも特異なクラスだ。一般のクラスとは深く隔離されていて、交流することがない。


 学院側からはっきりと、一般生徒との交流が禁止されているということはなかった。だがそのことは暗黙の諒解となっていたし、花組から交流を持とうとしても、受け入れてくれる生徒は皆無に近い。


 さらに、花組のある桜館はその周囲を塀で囲まれている。そこから外へは、ここから見える正門か、校舎裏にある通用門からしか出入りできない。

 正門には守衛がいる。ここからの出入りが止められるということはないが、門から出たことはすぐ守衛から学院側に報告されてしまう。

 通用門には人はいないが、厳重に鍵がかかっている。指紋を認識する形であり、ここも出入りがすぐ学院に伝わる。また、桜館への業者などが出入りする門でもあるので、ほぼ常に人がいるし、そもそも花組の生徒には通用門の使用は認められてはいない。


 こんな風に、花組は入ってしまえば、もう簡単には出られないのだ。


 桜館は花組の生徒の寮でもある。花組の生徒は必ず入寮し、そこで生活することが決められている。

 食事や買い物には不自由しない。部屋は基本的に個室、希望すれば自炊もできる。

パソコンは共用で使用できるものがあり、外の情報も伝わる。新聞だって取られているし、希望すればほとんどの物が取り寄せられる。


ただ外に出られないのだ、ここからは。


 慣れてしまえば、ここはそう悪いところではない、と柊は思う。特に自由になりたいとは思っていなかったので。だが、これは柊だからなのかもしれない。花組のなかで唯一、通用門の使用が許可されていて、外部の生徒と交流があり、部活に参加している生徒、それが柊だった。


 柊はもたれていた壁から身を起こす。通用門まで回るのは面倒だったので、そのまま桜館の正門から出ることにした。


薊野あざみのです。部活に出てきます」


 門を通る際に、守衛にそう告げる。柊が門から出入りすることは珍しくないので、守衛もすぐに通してくれた。


 一瞬、柊と告げそうになって、苦笑する。柊なんて言ったところで、守衛に通じる訳がないのだ。


 柊、というのは、花組のなかでのあだ名のようなものだ。皆植物の名が付けられている。蘇芳だってそうだし、薔薇だってそうだ。

 本名は使わない。柊も蘇芳の本名は知らないし、蘇芳も、柊のそれを知らないはずだ。


 植物の名が付けられるから、内部でこの桜館の住人を花組と呼んでいる。外ではZ組というらしいが。


 学院内を、部室がある棟まで歩いてゆく。柊を気にする者はいない。

 花組のある人物から、外に出た時、隠れていたが学院の職員に後をつけられたと聞いてからは、ときどき注意してみるのだが、柊はそんな目にあったことがなかった。

 単純に柊の注意力が弱いだけかもしれないが、柊が学院側から信頼されているのだ、ととらえたい。


 校庭の端にある、部室棟にたどりつく。二階建ての部室棟の、二階部分に柊の所属している部活の部屋はあった。

 扉の前でまずノックをしてみる。すぐに応答があった。


「誰?」

「薊野だけど」

「えっ?……ああ。今開ける」


 すぐに開いたドアから、眼鏡の少年がひょこりと顔を出した。柊を招きいれてから、愚痴をいう。

「いつも言うけどさあ、“薊野”って答えるの、やめてくんない?薊野先輩かと思うじゃん。さっきもびっくりしたよ。声似てるから」


霧人きりひとさんはもう卒業したろ。バッカじゃねえの、藤堂」

 奥からまた別の声がした。


「来てたんだ、珍しいね、宮沢先輩」


 薄暗い部室の奥、ソファに寝転がっている人物に声をかける。彼は宮沢、やる気はないが一応部長を務めている。


「俺だって来るさ、部長だかんな。おまえこそ珍しいじゃねえの、ん?なんかあったのか、Z組で」

「別に」

 柊はぷいと顔を背ける。そのまま藤堂と呼ばれた少年に尋ねた。


「それより藤堂、新入部員入った?最低でも二人入れないと、廃部になっちゃうだろ」

「それがさ……」

「まったく来ねえの、新入生のヤツら。信じらんねえだろ?せっかくZ組のヤツがいる唯一つの部活なのにさ」


 宮沢が藤堂の代わりに、投げやりに答える。Z組、というのは花組の名だ。外ではそう呼ばれているのだ。部員が入らないのも問題だが、その言い草に柊はすこしカチンときた。


「宮沢先輩、それじゃ僕が珍獣みたいじゃないですか」

「珍獣だろ?実際」

「そんなこと言って、僕が部活辞めてもいいんですか?」

「辞めんのか?」

「別に。辞めるつもりはないですけど、でも霧人兄さんがいないんなら、この部活にいる意味もないってだけです」


 柊が部活に入っている理由、そして花組の外部と交流できている理由というのが、この霧人だった。

 柊の従兄で、前年卒業した。成績優秀で常に首席の特待生。さらには生徒会長をも務めた。そしてこの部活、廃部寸前の写真部の部長でもあった人だ。


 その霧人に頼まれ、柊は写真部に入部したのだ。学院側は、花組の柊と生徒が交流するのにいい顔はしなかったが、そもそも交流を規制する決まりがある訳でもない。

 柊の存在は、なし崩し的に学院に受け入れられた。そして柊は、学院高等部の、写真部の部員になった。


 人数合わせの幽霊部員だが、こうして部活に顔を出すこともある。だが活動らしい活動はしていない。

 真面目に部活をしているのは、去年の夏の段階で霧人と藤堂、そして霧人と同級の冬木という生徒だけだった。


 宮沢が部活に入った理由は、部室棟というサボり場所確保のためらしい。そんな理由で入部が許可されるのは、確かに写真部くらいなものだろうと思う。

 それでも成績は良いらしいから不思議だ。そんなやる気のない宮沢が部長なのは、学年の関係からで、今三年生なのは宮沢一人なのだ。


 藤堂は柊と同じ二年。副部長であるが、実質は藤堂が部を取り仕切っている。

 藤堂は霧人を尊敬していると言っていたが、同時にたいそう怖がってもいた。理由は知らない。柊には従兄が怖い人間だとはとても思えないが、何かあったのだろう。そのせいで、柊が部室に来る時に、“薊野”というといまだにびくついている。


 その従兄も卒業してしまった。なので、柊が部活にいる意味もないわけだ。


「ちょっと。宮沢先輩も、薊野弟も。やめてよ」

 睨みあっていると、二人の間に藤堂が割って入る。その必死な表情がおかしくて、宮沢と柊は目をあわせて笑った。


「え?え?」

 どうして笑われたのか訳がわからずに、藤堂は目を白黒させている。その様子がまたおかしくて、二人はとうとう声を出して笑った。


「ははっ。藤堂、おまっ、おかしっ、ふふっ」

「ホント。ふふっ。ぷっ、ははははは!」

「何なの、二人とも!」

 藤堂は顔を少し赤くして怒った。笑いすぎたせいで出た涙を指のはじっこでぬぐいながら、柊が問いかける。


「僕と宮沢先輩が本気で喧嘩してるって、そう思ったの?そんなのありえないのに」

「なぁ?俺と薊野弟、チョー仲好しよ?」

 柊と宮沢はそろって首をかしげて見せた。実際そんなに仲が良いという訳でもないのだが、藤堂はからかうと面白い、という一点では、この二人の意見は常に一致していた。


「またからかってっ!ホントに、二人ともやめてよね。それに今、やばいんだから!どうしたら部員がはいるか、真面目に考えてよ」

「だからさっきから言ってるだろー?ここにZ組のヤツがいるんだからさぁ、これを利用しない手はないって」

 宮沢がまた蒸し返す。面倒になった柊は、いまいち釈然としないものの、今度は何も言わなかった。


 すると、宮沢はそのまま勝手なことを言い出した。

「ていうかさ、オンナノコ欲しくね?部活に」

「無理じゃないですか?こんな部活に入りたがる女子なんかいないでしょ。ただでさえ人数が少ないのにそんな高望みはよしてください」

 藤堂が迷惑そうに答える。


 だが、いいじゃん、女子。と宮沢は一人で盛り上がりだす。この学院は、柊たちのいる、今の二年の代で、それまでの男子校から共学となったのだ。

 女子は柊の学年、二年に合せて十五人いて、今年はまた三十二人入学したと聞いている。


 女子は女子で、新しく学院に茶道部と家庭科部を創設した。ほとんどの女子学生がそこの部活に入っているらしい。当然といえばそうだ。


「……宮沢先輩はおいとこうか。それで、薊野弟はなにかいい案はない?」

「その前に、さ。いいかげん、薊野弟って呼ぶのやめない?もう霧人兄さん、卒業しちゃったし。新入生が入るにしてもそれじゃ通じないだろ」

「つかさ、薊野弟って、名前何だっけ?」

 宮沢の疑問に、藤堂が代わって応えようとして、だが答えがわからずに首をかしげる。


「あれ?ゴメン、ぼくも忘れてるみたい。えっと、……。薊野先輩は、“ユウ”って呼んでたよね?」

 その藤堂の言葉を聞いて、そういうことだったのか、と柊は内心でひどく納得していた。


 ずっと薊野弟、としか呼ばれていなくて、始めはまあ仕方ないかと思っていたのだが、それが従兄が卒業してからも続いているのが不思議といえば不思議だったのだ。

 ちゃんと答えようとして、だが途中でまあいいか、と思いなおす。


「もういいよ、ユウで。面倒だし」

 そもそも花組ではずっと柊というあだ名呼びだし、この学院に来てからは、本名がどんどん自分自身から遊離していくような気がしていた。今更呼び名にこだわりはない。

「ユウ、ねえ。ふーん。了解、な」

「うん、わかった。これからは部室に入る時もユウって言ってね。薊野って言われると、ほらぼくびっくりしちゃうから」

 二人は簡単に了承してくれた。


 そこで話がまとまったのでまた、話題は当初のものに回帰する。


「で、部員確保についてなんだけど」

 藤堂が話しだす。


 柊は少しうんざりした。話しだした藤堂本人にしてからが、もうこの話題は今日は充分、といった顔だ。

「あのさ、部員っていつまでに入れればいいんだっけ?」

「んとね、四月いっぱいが勧誘していい期間なんだよね。部員の書類の提出期限は、五月の連休明けなんだけど」

「なんだ。じゃあまだ期間あるんじゃん。焦って損したわ」

 宮沢が欠伸をこぼす。そのまま、

「じゃ、後は藤堂にまかせるわ。ガンバレ」

 と続けると、部室を出て行ってしまった。


「え、ちょっ……」

 残された藤堂は溜め息を落とした。その溜め息に、彼の日頃の苦労が込められている気がして、柊はかすかに罪悪感にかられた。

「行っちゃったね、先輩。まあ、あの人が放課後ここに来る方が珍しいけど」


 藤堂は柊に対して、力なく笑ってみせる。それに対して柊は、

「あの人が来たの、サボり場所がなくなるかもっていう心配だけだろ。期待するほうがおかしいよ」

と厳しい評を返した。でも、事実だ。


「はは。まあ、今日は活動にならないし、もう終わりにしようか」

「いいのか?」

「うん。もういいよ、戸締りもぼくがやっとくし。Z組、そろそろ夕食の時間なんじゃなかった?」

 そう言われて、時計を確かめると、もう六時に近かった。


 花組の食事の時間は決められていて、自炊をしない場合、夕食は六時から七時の間にしか出されないのだ。いつだったかそう話したのを、藤堂は覚えていたらしい。


「悪い、有難う。じゃあ、お先」

「うん。またね」

「……しばらくは、できるだけ顔出そうか?」

「うーん。別に、いつもどおりでいいよ。勧誘とかも、ユウは無理してやることないと思う。廃部になったらそれはそれでしょうがないかなって。……一人で活動してても、楽しくないし」


 その藤堂の言葉にはっとする。だが、柊にはどうしようもないので、黙った。


「じゃ」

 それだけ言って、部室を出た。空はもう暗くなっていた。


 桜館に向かいながら、先程の藤堂の言葉をぼんやりと思う。

 霧人がいなくなってから、部活で活動しているのは藤堂だけだった。それが、彼の負担になっていたらしい。


 写真か、と思う。柊も、入部したばかりの頃は、真面目に何枚もの写真を撮っていた。だが、すぐに嫌になった。


 一般の生徒と違って、柊の世界は学院の中にしかないのだ。花組の生徒には、在学期間中に学院から出ることが許可されていない。それはいくら柊とはいえ、例外ではなかった。

 狭い世界の中で写真を撮っていることに、柊はすぐに耐えられなくなった。


 普段は「自由」とかそんなことを意識したりはしない。気にする性質でもなかった。

 だが、写真を通すと、自分の世界が狭いこと、学院という枠に囲まれていることがいっそうはっきりと見えてきてしまうのだ。


 そのことを自覚してからは、柊は写真を撮ることが出来なくなった。怖いのだ。


 そのころの柊の様子に思うところがあったのだろう、藤堂も霧人も、柊がぱったりと写真を止めてしまったことに対して何も言ってはこなかった。


 だが、部室のどこかにはまだ、柊の撮った一連の写真群があるはずだ。小さなアルバム三冊分、柊は写真を撮っていて、それを部室に置いていた。

 その最初の一冊は、人物から始まる。だんだんと植物、景色の写真が多くなり、最後の三冊目には空の写真しかない。それも、途中で終わっていた。


 また見返してみてもいいかな、と思う。それに、もう少し部活に顔を出そう、とも。

 写真を撮るのはまだ怖いが、藤堂の写真の現像や、整理の手伝いくらいはできる。


 ふと空を見上げる。薄淡く、上弦の月が見えた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ