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09.流れない涙

 黙々とノートの上にシャーペンを走らせ、計算問題を解いていた紫央だったが、ようやく一息吐く。

 春の気配を感じられるようになったということは、まもなく1年度が終わるということ。その前には学年末テストというものがある。ここでも好成績を収めることを求められる紫央はここ最近、夜遅くまで勉強していることが多い。

 部屋の掛け時計を仰ぎ見れば、時刻は既に午前0時を回っていた。あまり遅くまで勉強していると明日の授業に支障が出てしまう。きりがよかったこともあり、紫央は机の電気を消すと立ち上がって大きく伸びあがった。と、同時に階下で怒鳴り声が聞こえた。母のものでも兄のものでもないそれ。紫央は急ぎ部屋を飛び出した。階段を駆け下り、怒鳴り声が続くリビングの扉を開いた。

 リビングにいたのは母、紫と兄の圭太、そして父の圭一だった。圭一に胸倉を掴まれても大人しくしていた圭太だったが紫央の姿を認識すると乱暴に圭一の手を払った。それが気に入らなかったらしい圭一は圭太を殴りつけた。


「お兄ちゃん!」


悲鳴の様な声を上げて、殴り飛ばされた圭太に紫央は駆け寄る。泣きそうな顔をして自分を見る紫央に圭太は両親には見せない優しい笑みを浮かべる。


「家の恥さらしが!いつまで不抜けているつもりだ!」

「やめて、あなた!」


さらに殴りかかろうとする圭一に紫が懇願するように縋りつく。両親のこんな姿をこれ以上紫央に見せまいとするように圭太は自分の胸に押しつけるように紫央を抱きしめる。その優しさが、紫央にはつらかった。この状況は、全部紫央が原因で作りだされたのだから。


「いつまでサッカーに縋りつくつもりだ!このままふらふらと何もせず、母さんや父さんを失望させ続ける気か!?」

「俺は、あんたたちの期待に応えるためにサッカーを続けてきた訳じゃないし、これからもそんなつもりはない。」

「圭太!」


悲痛な声を上げる紫に圭太が視線を逸らす。その表情にはどうして、と書いてあった。どうして頑張ろうとしないのか、どうして自分達の期待に応えてくれないのか、どうして悲しませるのか。全ては紫自身のために向けられた言葉。それは圭一も同じだった。圭一がさらに言葉を重ねようと口を開いた時、震える声が零れ出た。


「ごめんなさい。」

「紫央?」


圭太の胸に顔を埋めている紫央を覗きこむ。見上げるように圭太を見る紫央の顔は泣きそうに歪み、瞳は涙で潤んでいた。しかし、決してその涙が流れることはない。


「ごめんなさい。……ごめんなさい。」


何度も繰り返される紫央の謝罪に圭太は妹をかき抱くように抱きしめ、紫はその瞳から再び涙を零し、圭一は項垂れるように顔を俯かせてその場に座り込んだ。

 誰も言葉を発そうとはせず、室内に響くのは紫の啜り泣く声だけだった。


「出て行くよ。」


ぽつり、としかしはっきりとした声で圭太が言った。その言葉に圭一と紫は驚いたように目を見開き圭太を見た。真剣なその瞳にそれが冗談でないことが読みとれる。紫央は全身の血の気が引いて行くのを感じながら、兄の服を握りしめた。紫央に視線を向けた圭太は寂しそうに微笑み、紫央を支えるようにして立ち上がった。


「紫央、部屋に戻ろう。」

「ま、待ちなさい、圭太!」

「ごめん、父さん。今は話したくないんだ。」


圭一の制止の言葉に首を振り、圭太は紫央の手を握ってリビングを後にした。紫央は無言で階段を上がる圭太にやっぱり無言のままついて行った。そしてそのまま紫央の部屋の前まで連れて行かれる。


「おやすみ、紫央。」


そう言って去って行こうとする兄の手を掴んで引きとめる。圭太は優しげな瞳を紫央に向けて首を傾げる。


「さっきの、本当?」


出て行くと、圭太ははっきりとそう言った。それが冗談ではないことくらい紫央にだってわかる。けれど、否定の言葉が聞きたくて、一縷の望みをかけて、紫央は問いかけた。


「本当だよ。」

「……っ。」


真っ直ぐに自分を見つめる圭太に紫央は言葉を返せなかった。


「ごめんな、紫央。」


泣きそうに歪みながらも圭太は笑顔を浮かべ、紫央の頭をひと撫でする。


「ごめん。」


もう一度そう言って、圭太は自身の部屋へと帰ってしまった。引きとめることも出来ず、紫央はただ茫然とその背を見つめていた。

 もう、元には戻らない。家族が、崩壊していく……。


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