07.優しいぬくもり
夕暮れに照らされる図書室は何処か寂しげな雰囲気を漂わせている。それが自分以外誰もいないために感じるのか、図書室という場所がそう感じさせるのかはわからないけれど、時々、無性に泣きたくなる。まるで、世界に独りぼっちになってしまったかのように錯覚させられて。
「……ばかみたい。」
「何が?」
独り言に問いかけが返ってきて、完全に油断していた紫央は驚いて持っていた本を落としてしまった。静まり返った図書室ではその音はよく響いた。
「委員長、図書室では静かに、だよ。」
誰のせいだ、と言ってやりたいのをぐっと堪えて、落とした本を拾い上げる。拾い上げられたそれを見て七瀬が意外そうな顔をする。そんな彼に紫央は眉根を寄せる。
「私が恋愛小説を読むのがそんなにおかしい?」
「うん。」
「清々しいくらい失礼な奴。」
普段の自身の言動は棚に上げて七瀬に非難するような視線を送れば、彼は悪びれもせず笑うと紫央から本を取り上げた。
「俺、恋愛小説って嫌い。」
「どうして?」
「だって、嘘くさいから。」
そこに書かれている言葉も、涙も、強さも、弱さも……。全てが作り物めいている。全てが、嘘くさい。全てはファンタジーだ。
そう言う彼の声は酷く冷たい。それと同じくらい冷たい瞳で、七瀬は手にしている本を見ていた。
その瞳は本を通り越して、何かを見ていて。でも、紫央にはそれが何かわからない。その答えに辿りつけるほど、彼を知らないから。でも、七瀬が何処かに行ってしまいそうで、帰ってきて欲しくて、自分を見て欲しくて……。
七瀬の頬を両手で包み、無理矢理自分の方へと向けた。驚きに染まった瞳に自分が映ったことに紫央はほっとして、自然微笑んでいた。
「委員長?」
「あ、ごめん。」
名前を呼ばれ、我に返った紫央は慌てて七瀬から手を離すと距離を取った。そして、ふと、未だ彼の手元にある本に視線が向いた。
紫央は恋を知らない。
まだ異性をそういう意味で好きになったことはないから。だから七瀬の言うことを肯定も否定も出来ない。そんな自分は酷くつまらない人間のように思えた。親に言われるがままの人間を演じ、本来の人らしい感情がよくわからないなんて、まるで人形のようだ。
「高槻は人を好きになったことがあるんだね。」
「あるよ。」
悲しみの滲む声なのに、はっきりと七瀬は言った。それは、その人を好きになったことを後悔していない証。
「今も、その人が好き?」
「好きだよ。」
羨ましい、と思った。誰かをそんな風に、真っ直ぐな瞳で好きな人を好きだと言えること。悲愴を滲ませながらも変わらぬ想いを抱けること。その全てが羨ましい。
紫央にはない多くの物を七瀬は持っていて、それが羨ましくもあり、疎ましくもあった。七瀬を見ていると自分が惨めな存在に思えるのだ。それと同じくらいそんな彼に憧れる。
「高槻が羨ましいな。」
素直にそう言った。紫央からそんな言葉が出るとは思わなかったのだろう。七瀬が驚いたように目を瞬かせる。
先ほどの大人びた表情から一変、少し幼くすら見えるその様子に紫央はくすり、と小さく笑う。笑っているのに、ひどく悲しそうな表情をする紫央に七瀬は眉を寄せる。
「私は誰かを好きになったことない。これからも誰かを好きになることはないかもしれない。」
だって、今の紫央は本当の自分じゃないから。偽りの自分を誰かに好きになってもらってもその人を好きになることはない。完璧な人間を目指す紫央が選ぶのは自分に利益をもたらす人間だけ。それは「好き」とは違う。
(このまま偽り続ければ、きっと……。私は本当に人形のようになる。)
今は感じている円華を大切だと思う気持ちも七瀬に抱く複雑な感情も薄れていくだろう。その先に待つのは孤独だ。
「怖い。」
見捨てられるのは怖い。失望されるのは怖い。けれど、それ以上に……、独りは怖い。
「怖いよ。」
怖い。それだけを呟き続ける紫央は今にも何かに押しつぶされてしまいそうで、とても頼りなかった。今にも切れてしまいそうな糸に紡がれているような紫央を繋ぎ止めたくて、七瀬は紫央を抱きしめた。
投げ出された本が床に落ちて、静かな図書室に響く。しかしそれを気にすることなく、七瀬は紫央を強く抱きしめた。
「怖くないよ。……大丈夫、怖くない。………俺がいるから。」
優しく頭を撫でてくれる手はいつかの時と同じくらい温かくて、ほっとした。溢れそうな涙を隠すようにその胸に顔を埋める。
図書室を包んでいた夕暮れが少しずつ消えていく。もうすぐ日が落ちる。オレンジの陽光が失われていく図書室は静けさと共に寂寥感を強くさせる。けれど今、紫央を包むのは泣きたくなるくらい優しいぬくもりだった。
久々の更新となりました。週に1回の更新を目指し、また頑張っていきたいと思いますので、よろしくお願いします。