04.触れられない心
「いや~。今日も晴れたね。」
「そうだね。冬でもこれだけ天気がいいと外でお昼もいいね。」
雲ひとつなく、青空の続く晴天の下、中庭に呑気な声が響く。にこやかに食事を続ける七瀬と円華の隣で紫央だけが晴れ晴れとした空に似合わず、淀んだ空気を醸し出していた。
「あんたたち、何でここで昼食食べるわけ?」
ため息を吐きだすように問う紫央に対し、2人はきょとんとしながら顔を見合わせて首を捻る。愛嬌のある仕草に紫央は自分の負けを悟った。
「「ダメ?」」
「だめではないけど……。」
円華までならまだしも何故か七瀬までいるこの状況に頭を抱えたくなる。紫央の七瀬に対する印象は変わりつつあるものの出来るなら関わりたくはなかった。しかしそんなことお構いなしに七瀬は最近円華と組んでやたらと紫央に構ってくる。紫央が円華に弱いことを知っているかのように。
「にしてもさ、委員長って円華には素なの?」
「人をキャラ作っているみたいに言わないで欲しいんだけど。」
「うん。初対面で素を見ちゃったからね。」
「へ~。2人が仲良くなった話とか気になるな。」
「無視?」
自分の話しをされているはずなのに蚊帳の外の状態に紫央はげんなりする。最近はいつもこんな感じだ。話題は紫央のことだが紫央が素直に話さないので円華と七瀬とで会話が進む。2人で盛り上がっているからとこっそりいなくなろうとすると捕まえられる。何がしたいのか全くわからない。
「ほら、あたしと円華の昔話なんてどうでもいいから教室戻るよ。もうすぐ授業なんだから。」
「え~。眠いよ。サボろうよ。」
「あんた、あたしが学級委員だってわかってる?」
にっこり笑顔で言えば七瀬は笑顔で無意味な笑い声をあげて誤魔化す。そんな彼の頭を一発殴り、半ば強引に教室に連れて行く。
「あれ?七瀬、委員長たちといたの?」
教室に戻ると京子に声をかけられた。声は七瀬にかけられているが視線は紫央と円華に向いている。探る様な視線に紫央は嫌気がさす。
水口京子という人間は嫌いではない。彼女は賢いし、人の心情を慮ることもできる人間だ。そういう部分は好ましいと思う。しかし、言い方を変えれば彼女は人の心理を上手く利用する狡猾な人間とも言えた。七瀬に想いを寄せる女子たちを上手くまとめ上げ、自身は七瀬とただの友達のように接しながら誰よりも近い場所を陣取っている。そんな彼女にとって危険なのは七瀬が自分から興味を持ち近づく人間。だから彼女は紫央を警戒し、探る様な視線を向けてきたのだ。紫央としては迷惑極まりない。
紫央は京子から視線を外し、円華を促して自身の席に戻った。七瀬は京子と話しこんでいる。あれで少しでも京子の機嫌がよくなればいいのだが、と思いつつ弁当箱を鞄にしまい顔を上げ、紫央は目を瞬かせる。円華が七瀬と京子の方を見て眉間に皺を寄せ不機嫌そうにしていた。
「私、水口さん嫌い。」
円華は少々気が弱い所があり、あまりはっきりと物を言わない子だ。その彼女が嫌い、とはっきり言うのを紫央は初めて聞いた。なんと言っていいものかわからず、紫央は相変わらず目を瞬かせていた。
「だってあの人、周りを利用して七瀬に近づくんだもん。自分が一番だって勘違いしているんじゃないかな。」
随分攻撃的な言い方に段々心配になってくる。このまま言葉を重ねて、我に返った円華が自分で自分の言葉に傷つかないか、と。
「円華?」
少し不安そうな、心配そうな声で名前を呼ばれ、円華ははっと我に返ったように紫央を振りかえり、罰が悪そうに笑った。
「ごめん。ちょっと、感情的になっちゃった。」
謝る円華に紫央は首を振る。そして、兼ねてから気になっていたことを聞いてみることにした。
「円華は、高槻が好き?」
「……好きよ。」
円華は一瞬驚いた顔をしたがすぐに、はっきりとした声でそう言った。ほんのり頬を染め、照れたように微笑む円華を紫央は可愛いと思った。
彼を好きだというその表情で、円華がどれだけ七瀬を好きなのかわかる様な気がした。ルックスでも表面上の彼の態度でもなく、円華は高槻七瀬の内面に惚れているのだと思った。
「大好きだから、さっきみたいについ、汚い部分が出ちゃうの。」
円華は汚い、というけれども彼女が七瀬を好きだと言うのなら、先ほどの発言は自然なものなのではないかと思う。恋をしたことのない紫央にはわからないが、それでも恋とは綺麗なだけのものではないと思うから。嫉妬という名の黒い感情が浮かぶのは恋をしているなら当たり前のものだと思う。
「失望した?」
不安げにこちらを見る円華に紫央は柔らかな笑みを向ける。どうしたらこの愛らしい友人に失望したり、嫌ったりすることができるというのだろう。
「円華は私の一番の友達よ。」
紫央の答えに円華は嬉しそうに、すこし恥ずかしそうにはにかんだ。
「にしても、そのうち高槻に円華を一人占めされるのかと思うと悔しいな~。」
心底悔しそうに言う紫央に円華は苦笑し、その笑みが少しずつ悲しげなものになった。
「私が、七瀬の一番になることはないよ。」
「円華?」
「七瀬の一番は……、ずっと前から別の人のものだから。」
その言葉を聞いて浮かんだのはあの日、一人教室で涙を流す七瀬の姿だった。その瞳に何かを映すことなくずっと遠くへ視線を向けていた、悲しげな七瀬の姿。笑顔という仮面を被り、その心の内を隠そうとする嘘つきな七瀬の姿。
「委員長?」
「はい!?」
ぼんやりしていた所に声をかけられ、我に返り、肩を揺らした。
「授業終わったよ?」
「え?ああ、そう。」
随分深く考え込んでいたらしい。授業がいつ始まっていつ終わったのかも覚えていない。それでもきちんとノートをとっている自分がなんだかおかしい。
そんなことを考えている間も向けられている視線に、紫央はおずおずと顔を上げる。予想通り訝しげに自分を見ている七瀬がいて、紫央は俯いた。自分を見たと思ったらすぐに視線を逸らす紫央に七瀬は首を捻る。
「どうかした?」
いきなり顔を覗きこまれ、紫央は慌てて首を左右に振る。明らかに動揺している紫央に七瀬はさらに顔を近づける。近づいてきた端正な顔にさすがの紫央も羞恥で顔が熱くなる。恥ずかしさに七瀬の顔に教科書を押し当てる。というより叩きつける。
「いてっ!」
「近いから!」
教科書で叩かれた顔面を片手で押えながら七瀬は紫央から離れる。そんな自分の様子を羞恥で顔を赤く染めながらも睨み上げてくる紫央に自然、笑みが浮かぶ。
「何?」
笑顔を向けられる意味がわからず怪訝な顔をする紫央にハハッ、と笑い声が漏れる。
「いつもの委員長だ。」
無邪気、としか言いようのない笑顔を向けられ、先ほどとは違う意味で頬が熱くなる。最近、七瀬はあの嘘つきの笑みではなく、少し違う笑みを向けてくるようになった。その笑みに、紫央の心はかき乱される。
“七瀬の一番は……、ずっと前から別の人のものだから。”
先ほどの円華の言葉が蘇る。彼の触れられたくない心の部分にはきっと、その人が関わっているのだろう、と思った。あの悲しそうな顔も、嘘つきの仮面を被る意味も、きっと全て……。
その人は、今の彼の笑顔も知っているのだろうか。