35.嘘つきの恋歌
七瀬への想いは形を変え、新しい恋の形となった。それを一番に告げる人物は、片思いが実った時から決めていた。
「円華・・・。」
紫央の呼び出しに応じ、屋上には円華の姿があった。
「紫央、既に泣きそうな顔してる。」
眉根を寄せ、必死に泣くのを我慢している紫央の姿に円華はくすくすと笑う。その目は少し赤く腫れていて、痛々しい。けれど、その笑顔に紫央が心配していた影はない。
「紫央、ごめんね。」
「え?」
「七瀬に特別を作って欲しくなくて、紫央に特別を作って欲しくなくて、酷い事した。本当に、ごめんなさい。」
先ほどまでの笑顔から反転、眉尻を下げ、悲しげな笑顔を浮かべる円華に、紫央は歩み寄るとその小さな手を握りしめ、何度も首を横に振った。
「私こそ、ごめん。本当はもっと早く、円華に高槻を好きになった事を言わなきゃいけなかったのに。私、怖くて。円華に嫌われるのが怖くて・・・。」
「私が、紫央を嫌いになるなんてないよ。だって、長年片思いしてきた七瀬を諦められるくらい、紫央が好きだもん。」
にっこり、と、瞳に涙を浮かべた円華が笑う。とても嬉しそうに。
「ねえ、紫央。ちゃんと私に教えて。私の親友の好きな人の名前。」
「・・・・・・高槻、七瀬。」
かあ、と頬を赤く染めてその名を告げれば、円華が紫央にぎゅっと抱きついた。
「円華?」
「教えてくれてありがとう。・・・・・・紫央、大好きよ。」
紫央の肩に顔を押しつけ、涙声でそう言う円華に、紫央もその華奢な身体を抱きしめた。
「私も、円華が大好き。ずっと、大好き。」
「あ~あ、これから七瀬に紫央を取られちゃうのか・・・。」
寂しいな~、と呟く円華に、紫央はくすぐったい気持ちになる。そして、益々強く彼女を抱きしめた。
「私、円華から離れたりしない。」
「ふふっ。私の方が七瀬にヤキモチ妬かれそう。」
困った様に言う円華だったけれど、その笑顔はとても満足そうだった。
「・・・・・・・・・。」
放課後、用事を済ませて帰ってきた七瀬の右頬が真っ赤に腫れているのを見て、紫央は目が点になった。
「うん、せめて何かコメントしようか。」
「素敵な顔になったね。」
「いやいやいや。絶対酷い顔してるからね!?」
「・・・どうしたの、その頬。」
痛々しく赤く腫れている頬にそっと触れれば、まだ痛むのか、七瀬がほんの少し、眉を寄せた。
「京子に殴られた。」
「パーで?」
「グーで。」
わ~、京子かっこいい。何て心の中で呟く。そんな紫央の心を読み取ったのか、七瀬は無言チョップを紫央の頭におみまいした。
「散々紫央を泣かせた罰だってさ。」
そう言われたらしょうがないよね。そう言って微笑む七瀬に、申し訳なく思いながらも、紫央は思わず緩んでしまう頬を隠すことが出来ない。
「京子にお礼言わなきゃ。」
「もっと殴られそうだ。」
「さすがにもう殴らないでしょう。」
くすくす、と紫央は笑って言えば、いや、わからないよ、と七瀬は冗談めかして言うが、その表情は優しい。
「紫央。」
「何?」
「好きだよ。」
言われた言葉に、その表情に、紫央は瞳がゆっくりと、見開かれる。続いて、頬が赤く染まっていく。
(何で、そんな優しい顔で笑うのよ・・・。)
恥ずかしくて、俯く紫央に、七瀬は優しく微笑みながら、紫央の頬に触れる。優しく撫でる様なその仕草に、紫央はおずおずと、見上げる様に七瀬を見る。
「高槻はずるい。」
「ずるくないよ。俺は思ったままを言っただけ。」
そう言って無邪気な笑みを浮かべる七瀬に、紫央の胸がきゅうと甘く締め付けられる。
「ねえ、紫央。」
「何でしょう・・・。」
自分ばかりがドキドキしている様で、なんだか悔しくて、紫央は唇を尖らせながら尋ねる。
「七瀬って呼んでみて。」
「・・・・・・はい?」
「名前だよ。俺も紫央に名前で呼ばれたい。はい、呼んで。」
なんだかとても嬉しそうに顔を覗き込まれ、紫央の顔は茹でダコの様に真っ赤に染まっている。
そんな彼女の様子が珍しくて、可愛くて、七瀬の顔はにやけてしまう。
素直じゃない彼女に、自身の名前を呼んでもらえるのはもう少し先になりそうだが、こんな表情が見られたのなら、今は良しとしよう。だから、もういいよ、とからかっただけだと頭を撫でてやろうとした時、意を決した様に、紫央が顔を上げた。
「な、七瀬。」
恥ずかしさに瞳を潤ませながら、頬を赤く染めて、一杯一杯の表情で自分の名を紡いだ紫央の姿に、今度は七瀬が赤面する事になった。
かなりの破壊力を持ったその表情に、七瀬は紫央の肩口に顔を埋める。
「え?ちょ、ちょっと!?」
「やべ~・・・。」
「な、何が・・・?」
「超、嬉しいわ。」
ククッと笑い声を漏らしながら、肩口に顔を埋める七瀬に、今日何度目かの、胸がきゅっとなる感覚に紫央は思わず笑みを浮かべる。
「いいな、こういうの。」
「うん。」
顔を上げた七瀬の額が紫央の額にこつり、とぶつかる。そして、どちらからともなく、微笑む。
大好き、の気持ちを込めて。
次回、最終話となります。




