34.片思いは終わりを告げて
京子の気迫に気圧された紫央は、教室に荷物を取りに行くに行けず、先ほどと同じ場所で、友人の帰りを待っていた。
「トイレにでも行ったのかな?」
なんて、本人が聞いたら顔を真っ赤にして怒りそうな事を呟きながら、紫央は立ち上がり、窓際に立って、外を眺めた。
冬の日は短く、既に夕日が沈みかけている。
初めて、七瀬と恋の話をしたのも、こんな夕暮れの図書室だった。彼とあの話をした頃は、こんな風に七瀬に恋をして、こんな風に泣くなんて思っていなかった。たった1年足らずの間に、本当に色々な事があった。
始まりは、教室で1人、涙を流していた七瀬の姿を見た日。あんなに大嫌いだった彼の初めて見る姿に、惹きつけられた。
あの頃、紫央は家族の事で思い悩んでいて、毎日寂しくて、独りが怖くて、罪の意識に苛まれて苦しくて・・・。そんな紫央を、七瀬が見つけてくれた。固く閉ざされた紫央の氷をゆっくりと、優しく溶かしてくれた。
そして、春。桜の綺麗なあの季節、紫央は七瀬に恋をした。本当はきっと、もっと前から惹かれていたのかもしれない。自分にはない強さを、優しさを持った人だったから。
「好き。・・・・・・好きだよ。」
「誰の事を?」
いるはずのない人の声に、紫央はバッ、と勢いよく振り返った。そこにいたのは、肩で息をした七瀬の姿。反射的に逃げだそうと、紫央の足が床を踏みしめる。と、同時に、七瀬が紫央との距離を詰めた。窓を背に、顔の両側に手を突かれ、身動きが取れなくなる。
「な、に・・・?」
状況が読み込めず、呆然と目の前の七瀬を見上げる。平静であろうとするのに、尋ねる声が震える。
「・・・ああ、本当だ・・・。」
「え?」
「会ったら、全部、わかったよ・・・。」
「言ってる意味が・・・。」
「好きだよ。」
告げられた言葉に、ゆっくりと、紫央の瞳が見開かれる。潤んだ漆黒の瞳に、優しく微笑む七瀬の姿が映る。
「俺、柏木さんが・・・、紫央が、好きだ。」
瞳から涙が零れる。そして、否定する様に、紫央が首を横に振った。何度も、何度も。
「高槻が好きなのは、芽依さん、でしょう?」
「うん。そうだよ。いや、そうだった。でも今、紫央に会ってわかった。俺が今一番、傍にいたいって、一緒にいたいって思うのは、あんたなんだ。」
ぽろぽろ、と涙が溢れる。心が揺さぶられる。今すぐ、その胸に飛び込みたい。でも、消えない笑顔がある。
(円華。・・・円華。)
「私、は・・・。」
「円華が俺を好きだから、俺を振るの?」
紫央の心を読んだかの様に、七瀬は円華の名前を口にした。
「なら、俺の気持ちは?俺の気持ちはなかった事にされるの?」
「あ・・・。」
また、七瀬の想いを蔑ろにさせるの?今までずっと、告げられない想いを抱えていた彼の想いを、また蔑ろにするの?でも、じゃあ、円華の想いは?
どうしていいかわからない。何が正解なのかわからない。
「紫央。」
優しく名前を呼ばれた。そして、涙を拭う様に、七瀬の手が紫央の頬に触れ、包み込まれる。その優しい温度に、苦しいくらいの愛しさに、涙がまた流れる。
「ねえ、紫央の抱えている気持ちを教えて?」
「私の、気持ち?」
「うん。全部。」
「・・・・・・円華が、大好き。初めて、友だちになってくれた、大事な子なの。だから、ずっと笑っていて欲しくて、その笑顔を守ってあげたかった。でも、私・・・。高槻を、好きになってしまった・・・。」
嗚咽を漏らしながら、紫央は必死に、言葉を紡ぐ。縋る様に、頬を包む、七瀬の手に自分の手を重ね、握りしめる。
「円華が大切なのに、傷つけたくないのに、高槻を好きな気持ちが止まらない。どうしていいか、わからない・・・!!」
全ての気持ちを訴えた時、唇に柔らかい物が触れた。驚き、瞳を見開くと、ぼやける視界の中に、瞳を閉じた七瀬の顔があった。
「ん・・・、ふ・・・。」
角度を変え、何度も口付けられる。紫央はいやいやをする様に、首を横に振り、七瀬の肩を押した。
「なん、で・・・。」
「好きだから、キスした。」
「こんなの、円華が、傷つく・・・。傷つけたく、ないって言った・・・。」
「でも円華も、同じくらい紫央に傷ついて欲しくないって思ってるよ。だから円華は、俺に紫央の所へ行く様に言ってくれたんだ。」
「円華、が・・・?」
「そうだよ。だから俺は今、ここにいる。やっと、紫央に好きだって言えた。だから今度は、紫央の番。」
君の気持ちを教えて?そう言って優しく微笑む七瀬に、紫央は唇を噛みしめ、涙を耐える。まだ、泣いてはいけない。ちゃんと、気持ちを言葉にするまでは。
「・・・高槻が、好き。」
「うん。」
「本当はずっと、会いたかった。」
「うん。」
「傍に、いて欲しかった。」
「うん。」
「名前を、呼んで欲しかった。」
「紫央。」
名前を呼ばれ、耐えきれず涙が溢れる。そして、七瀬の首に腕を回し、彼の胸に飛び込んだ。そんな彼女を、七瀬はぎゅっと抱きしめる。
片思いは終わりを告げ、新しい恋へと形を変えた。




