30.会いたい
言ってしまった言葉は戻らない。変えてしまった関係は戻らない。
あの日から、紫央は七瀬を避け続けていた。七瀬の方も、あえて紫央と接触する様な行動は起こさなかった。
クラスでは京子と過ごし、円華とはメールのやり取りをして、昼を一緒に食べたり、一緒に帰ったり、遊んだりしている。円華や京子も、今までと違う紫央と七瀬の様子を見て、互いの事を話題に出す様な事はなかった。
「し~お!帰ろう!」
放課後。教室に顔を出した円華の曇りのない笑顔に、紫央も笑顔を返す。彼女のこの笑顔が見られるなら、自分のした事は間違いじゃない。そう思えた。
隣で今日の出来事を笑顔で話す円華の横顔に、紫央は自分の胸の内にぽっかり、と空いた穴に気付かぬふりをした。
少しずつ、日が短くなり、肌寒さを感じる様になった。夕方吹く風の冷たさに、季節が変わる事を肌で感じながら、紫央は1人、屋上から校庭を眺めていた。眼下では、昼休みを外で謳歌する生徒たちの姿。
思わず、ふっと笑みが浮かぶ。
「楽しそう。」
あそこで遊んでいる人達にもそれぞれ好きな人がいたり、恋に悩んだりするのだろうか。友だちの好きな人を好きになって、苦しい想いを抱えたりするのだろうか。
柵に背を預け、その場に座りながら、紫央は想像する。
例えば、あそこで野球を楽しんでいる男子チーム。バッターの男の子をじっと見つめているあの女の子は、彼の事が好きなのかもしれない。いや、もしかしたらピッチャーの子が好きなのかも。じゃあ、あっちの子は・・・。なんて、勝手な想像で人の恋愛を楽しむ。
そんな事をしていたら、ふと、あの日、瀬衣が言っていた言葉を思い出した。
『好きになっちゃいけないなんてルールはないよ。』
瀬衣はそう言ってくれた。確かに、誰を好きになろうとその人の自由だ。咎められる理由はないのかもしれない。でも、自分の想いが他の誰かを傷つけるとしたら?それが大切な友だちだったら?その想いは、とても罪深いものの様に思えた。
「好きな人が自分だけの好きな人ならいいのに。」
互いが唯一無二の存在であればいいのに。そうすれば、こんなに苦しい気持ちにならないのに。まるで、鍵と錠の様に。
立てた膝の上に顔を埋める様にしていると、ふわり、頭を優しく撫でられた気がして顔を上げた。目の前にいた人に、紫央は瞳を見開く。
「・・・高槻。」
「紫央、寝ぼけてるでしょ。」
その声にごしごし、と目を擦る。目の前にいたのは京子だった。呆れた様に、心配そうに自分の覗き込む、彼女に、紫央は力なく笑った。
(ああ、バカだ。)
七瀬から離れると言ったのは自分なのに、彼がやってくるのを期待していた。会いに来てくれるのを待っていた。
「紫央?」
涙が溢れる。想いが口をつく。
「あい、たい・・・。」
「・・・っ。」
両手で顔を覆いながら、紫央は絞り出す様に、想いを紡ぐ。
「高槻に、会いたい。声が、聞きたい。・・・・・・会いたい!」
わかっている。自分が七瀬に近づけば、円華が不安になること、傷つけること。それでも、恋しい。彼の笑顔、拗ねた表情、自分を呼ぶ、優しい声・・・。その全てが恋しくて、愛しくて、胸を締め付ける。苦しくて、苦しくて・・・。どうすればいいのかわからない。
わかる事はただ一つ。
「高槻に、会いたいよ・・・。」
酷い事を言ってしまった。突き放してしまった。いつも味方でいると言ったのに。支えると言ったのに。大好きなのに。
どうして、好きな人と大好きな友だちの両方を大切にする方法がないんだろう・・・。
目の前で泣きじゃくる友だちに、京子は何も言ってやる事が出来なかった。ただ震えるその肩を抱き寄せて、力一杯抱きしめてあげる事しか出来ない。
紫央は、優しすぎる。恋なんて、自分本位になって突き進んでいいのに。他の誰かを思って、自分の想いは胸にしまい込む。しかもそれが大好きな友だちだから質が悪い。
本当は、自分の出る幕ではないのかもしれない。けれど、これ以上、紫央のつらそうな顔は見たくないから。
京子は未だ自分の胸で泣く紫央の頭を優しく撫でながら、決意を固めた。




