03.放課後
日が完全に沈み、空に浮かぶ星の輝きが強くなり始めた頃。この日も最終下校時刻まで学校の図書室で過ごしていた紫央はコートを着込み、マフラーを巻いて、手袋をはめると校内より寒いであろう外へと覚悟を決めて出た。予想通り、外はかなり寒く、風が吹けばスカートから晒されている素足が痛いくらい寒い。
「委員長。」
寒さに身を固めつつ校門を出た所で思わぬ人物に声をかけられた。その人はマフラーも手袋もせず、コートだけを羽織った状態で校門脇に立っていた。
「高槻?」
いるはずのない人物に紫央は目を瞬かせる。なにせ今は最終下校時刻。こんな時間まで残っているのは大体、部活入っている人間だけだ。しかし、七瀬は帰宅部。同じく帰宅部の紫央が言うのもなんだが、こんな時間までいれば驚くというものだ。
「委員長に用があって。」
紫央の疑問を読みとったように七瀬が残っていた理由を告げるが、それではまだ、この時間まで残っていた理由には不十分だ。2人は同じクラスなのだから用があるのなら昼間の内に言えばいいし、放課後の帰る前にだって声はかけられるのだから。それに必ずしも紫央が学校に残っているとは限らない。
「こんな時間まで待って待ちぼうけだったらどうするの?」
「学校にいるのは知ってたんだ。円華から聞いたから。ただ、何処にいるかまではわからなくてさ。だから、待っていた。」
(待っていた?いつ帰るかもわからない私を?)
七瀬をよく見れば、小刻みに震えている。唇の色は悪く、頬に赤みがない。紫央は恥も外聞も忘れて彼の頬に両手を伸ばして触れた。その頬の冷たさに思わず顔を顰める。
「ずっと外で待ってたの?」
「うん。だって、いつ帰るかわからないから。」
そう笑って言う七瀬に、この男は馬鹿なのか、と思わず舌打ちしたくなる。
「ちょっとここで待ってなさい。」
「委員長?」
驚いている七瀬にそう言い置いて、紫央は走って校舎へと戻った。昇降口の側に置いてある自販機にお金を入れ、温かいコーヒーを購入し、再び走って七瀬の元に戻るとそれを彼の頬に押し付けた。
「あつっ!」
「それで手とか頬とか温めなさい。」
理由のわからない苛立ちをぶつけるようにそう言って紫央は帰路を歩きだす。七瀬も慌ててその後を追った。隣を歩く七瀬をちらり、と見ると、彼は言われた通りに缶コーヒーを頬に当てたり、手で包みこんだりして暖をとっていた。まだ寒そうではあるが先ほどよりも頬に色が戻り始めたことに紫央はほっとする。七瀬が勝手に待っていただけで紫央に責任がないにしろ、こんな時間まで外で待たせてしまったのだ。申し訳なく感じてしまう。
「それで、用事って何?」
「ちょっと前のことだけどさ。委員長、俺が泣いてる所見たよね。」
「………。」
是と答えていいものか、紫央は困ったように眉根を寄せる。そんな彼女に七瀬は苦笑する。
「いいよ。正直に言ってくれて。」
「ごめん、見た。」
「うん。別に責めてるわけじゃないんだ。ただ、何でかな、と思って。」
「何が?」
「追求しないこと。それから言いふらさないこと。」
「……聞いて欲しい?誰かに言って欲しい?」
自分よりも頭一つ分背の高い七瀬を見上げ、彼の顔を覗きこむように少し首を傾げて尋ねれば、七瀬は少し困ったように笑っていた。
「聞かないし、誰にも言わないよ。人の心に土足で踏み入る様な真似はしたくないから。」
特に、あの日の七瀬の心は興味本位なんかで踏み入ってはいけないと思った。誰にしも他人に踏みこまれたくない部分がある。紫央があの日偶然見てしまったのは七瀬のその部分だったと思った。だから、あの日のことを追求することも、誰かに言いふらすことも絶対にしない。してはいけないと思う。
「……ありがとう。」
紫央の言葉に七瀬は心からの感謝を込めてそう言った。そして、ほっとしたように柔らかな笑みを浮かべた。いつもとは違う、少し幼げだが柔和な笑みに紫央はドキリ、とする。そんな風に笑うことを初めて知ったから。今、目の前にいる高槻七瀬は嫌いじゃない。そう思った。