29.君にさよなら
屋上に寝そべりながら、紫央は深いため息を吐いた。何処からか、楽器を奏でる音が聞こえる。この下は音楽室だったっけ、なんて思いながら、両腕で顔を覆う様にして、太陽の光を遮り、瞳を閉じた。
結局、あの後、心配する京子に、泣いている理由は言えなかった。たぶん、理由を言ったら、円華の所に乗り込むか、七瀬の所に乗り込んでしまう様な気がしたから。
今は、2人に会う勇気がない。
2人に会う勇気のない紫央は、ホームルームが終わった後、さっさと屋上に上がってきた。ここは、基本的には生徒は立ち入り禁止だし、今日は始業式で、残っているのは部活のある生徒ぐらいだ。ここなら、きっと見つからない。
「暑くないの?」
そう思ったのに、どうして君は、私を見つけるんだろう。
「ふて寝をしているお姉さん。アイスは如何ですか?」
「・・・・・・食べる。」
顔を覆っていた腕をどかせば、すぐ隣に座った七瀬がこちらを見下ろしていた。優しいその表情に、ずきり、とまた胸が痛む。
起き上がって、アイスをひとつもらった。ソーダ味のアイスはさっぱりしていて、じめじめした暑さがすーっと引いていく様な気がした。
「帰らないの?」
「そっちこそ。」
「・・・・・・そうだね。」
そういえば、夏休みの前にもこんな会話をしたな、なんて思いながら紫央は瞳を細める。
口元に笑みが浮かびそうになった時、円華のあの空虚な瞳が脳裏を過ぎった。
ずきり、と胸が痛む。笑みを象りそうになった唇をぎゅっと噛みしめる。
(どうして・・・・・・。)
紫央はすくっと立ち上がると、食べ終えたアイスの棒を袋の中に入れ、七瀬を振り返る。同様に立ち上がった彼は不思議そうに自分を見ている。
(どうして、円華が・・・、高槻を好きな自分を許してくれると思ったんだろう。)
京子と友だちになった時とは違う。だって、好きな人だ。それは、独り占めをしたいという想い。自分だけのものにしたい気持ち。それは絶対に、共有なんて出来ない。例え、七瀬に芽依という好きな人がいたとしても、関係ない。
円華が七瀬を好きな事を知っていて、勝手に秘密を作って、傷つけて、今更私も好きだなんて、なんと都合の良い話だろうか。
「なんて、裏切り・・・・・・。」
小さな声で呟かれた言葉に、柏木さん、と七瀬が心配そうに紫央の名前を呼ぶ。
「高槻は、芽依さんが好き、なんだよね。」
「・・・・・・え?」
「芽依さんへの気持ち、もう蔑ろにしたり、しない、よね?」
「うん。柏木さんと、約束したから。」
「・・・・・・ならもう、私、いなくても、いいよね?」
「何、それ。意味がわからないんだけど。」
戸惑いながら、一歩こちらに近づく七瀬の気配を感じ、紫央は俯いていた顔を上げた。
目の前に立つ七瀬は、困惑した様子で、紫央の事を見ている。そんな彼に、紫央は笑った。七瀬の知っている、嘘つきの笑顔。
「好きな人がいるの。私は、その人の為になる事をしたい。・・・・・・だから、もう一緒にいられない。高槻と関わるの、これで最後にする。」
「俺に、嘘ついてもわかるよ?」
「うん。知っている。でも、言っている事は、嘘じゃない。」
「意味がわからないんだけど。」
紫央は七瀬に気付かれない程度に、ゆっくりと息を吸って、吐いた。そして、真剣な表情を七瀬に向ける。
これから一世一代の嘘をつく。嘘を見破ってしまう、彼を騙す為の、嘘を。
「高槻と、離れたくないって思う。せっかく出来た、友だちだから。でも、私は、好きな人を優先したい。高槻といると、それが出来ないの。だから、もう、関わらない。」
笑っているのは、泣きそうな自分を隠す為だよ。そう言って、また笑った。
嘘を吐きながら、本音を混ぜる紫央に、七瀬は眉根を寄せる。
「好きな人って誰?」
「教えない。」
「そいつの為なら、俺と離れてもいいんだ?」
「・・・・・・そうだよ。」
大好きな、友だちの為なら。言えない言葉を心で紡ぐ。
嘘つきだらけの自分の側にずっといてくれた、大好きな友だち。円華の為に、紫央が出来る唯一の事がこれだ。なら、優先すべきは、円華だ。
「俺は、嫌だ。」
七瀬の力強い否定の言葉に、紫央は瞳を見開く。驚いた様に、目の前の彼を凝視すれば、その瞳は、真っ直ぐ自分を射貫いた。その強い瞳に見つめられたら、何かに負けてしまう気がして、紫央は逃げ出す様に、屋上の入り口へと、走り出す。しかし、ドアノブを掴もうとした手をとられ、そのまま、入り口に押しつけられた。背中に感じる、太陽の熱で暑くなった入り口。両手は七瀬によって縫い止められてしまった。抵抗しようとしても、動かない。
「離して。」
「嫌だ。」
「嫌だって・・・。な、七瀬には円華もいるし、京子もいる!好きな人だっている!私がいなくなったぐらい、別にいいじゃない!」
「いいわけないだろう!」
離して欲しくて、必死に言葉を並べ立てれば、七瀬がそれを強く否定した。
聞いた事のない、彼の必死な声。自分を見る、余裕のない表情。悲しげに揺れる瞳。
この人の、こんな顔が見たかったわけじゃない。強がる紫央の視界が涙で滲む。ポロポロと、頬を涙が伝う。
「何で、そんな顔するのよ。・・・・・・大丈夫だよ。高槻は、私がいなくても・・・。」
「勝手に決めるなよ!俺は、柏木さんがいいんだ!欲しいのは、あんたなんだよ!」
「・・・・・・何、言って・・・。」
「っ!!」
紫央の言葉に我に返ったのか、七瀬の顔が赤く染まる。その瞬間、腕を掴む力が緩み、紫央は咄嗟に七瀬の手を振り払い、入り口に身体を滑り込ませ、逃げ出した。
全速力で階段を駆け下りて、急いで学校を出る。七瀬が追ってくる気配がない事を確認し、紫央はようやく足を止めた。
『欲しいのは、あんたなんだよ!』
先ほどの、七瀬の言葉がよみがえる。あんな言葉、聞きたくなかった。
胸が軋む。あの言葉にどんな意味があったのだとしても、もう、元には戻らない。




