28.対立する想い
夏の勉強会から一週間。今日は2学期の始業式。
久しぶりに歩く通学路を、紫央は欠伸をかみ殺しつつ進む。9月に入ったとはいえ、まだまだ暑い。クーラーが設置されていないので、間違いなく暑いだろうが、太陽が遮られる分、まだ室内の方がましだろう。
「かっしわぎさ~ん!」
1週間ぶりに聞く声に、紫央は振り返ることなく歩調を早める。
「えぇ~!?なんか、歩くの速くなってない!?」
相変わらずの反応に、紫央はくすくすと笑いながら足を止めて、振り返る。
「おはよう、高槻。」
基本無表情で挨拶をする紫央の笑顔のおはよう、に七瀬は瞳を瞬く。そして、満面の笑みを浮かべて、挨拶を返した。
「今日は朝から機嫌がいいんだね!」
「あんた、そういうの一言余計って言うんだよ。」
爽やかに挨拶してやったのに、この野郎、と思いつつ上機嫌な彼に毒気を抜かれてしまう。
そのまま2人で昇降口まで向かうと、丁度靴を履き替えている円華を発見した。
「円華~!」
「わっ!」
一目散に円華に駆け寄り、後ろからぎゅっと抱きしめれば、驚きに声を上げた円華が、紫央の姿を見て、ほっとした様に微笑んだ。
「おはよう、紫央。・・・と、七瀬。」
「俺はついでか。」
紫央の背後に立つ七瀬の姿に、声を掛ければ、少々不満げな声が返ってきた。あんたなんて、ついでで十分よ、と悪態を吐き、円華に視線を戻した紫央は、訝しげに彼女の顔を覗き込む。
「円華、なんか顔色悪くない?」
「そう、かな?」
「あんまり寝れてない?」
よく顔色を見ようと、前髪を上げて心配げに尋ねる紫央に、円華は誤魔化す様に笑みを浮かべ、ちょっと寝不足、と言う。いつもの彼女らしからぬ様子に紫央は益々眉根を寄せる。
「ねえ、円華。保健室で休んでた方がいいんじゃない?一緒に保健室行く?」
「・・・・・・うん。」
紫央の袖をきゅっと握って弱々しく頷く円華に、紫央は首を傾げながら七瀬を振り返る。紫央の視線を受けた彼は、眉根を下げて首を傾げている。彼にも、円華の様子がおかしい事に心当たりはない様だ。
七瀬とは昇降口で別れ、紫央は円華と共に保健室へ向かった。
「先生、いないね。」
登校の時間帯だからか、保健室は空いていたものの、保健医の姿はなかった。とりあえず、ベッドは空いている様だったので、円華に横になる様に勧める。
「始業式まで、横になってなよ。」
「・・・・・・。」
円華はベッドには上がったものの、横になる気配はなく、酷く思い詰めた表情で、俯き、布団を握り閉めていた。
「円華?」
「紫央は、七瀬が好きなの?」
「え?」
怒りも、悲しみも、何も含まない瞳がじっと紫央を捉えた。その静かな瞳に、紫央はびくり、と肩を揺らす。
何を言えばいいのか、わからない。紫央は震えそうになる掌を、膝の上で握りしめた。喉がごくり、と鳴る。
「ねえ、答えて?紫央は七瀬が好きなの?」
「あの、円華・・・。」
「紫央も、私から七瀬を奪うの?」
空虚だった瞳に、感情が宿る。それは、恐怖だった。怒りでも、悲しみでもなく、恐怖。円華は、紫央の大切な友人は、まるで、恐ろしいものを見る様に紫央を見ている。
円華にとって、幼い頃から思いを寄せ、大切にしてきた高槻七瀬という存在を奪う人間は、全員、自分に害をなす者なのだろう。それが例え、友だちであっても。
「私から、七瀬を奪うの?」
七瀬が好き。それは変えようのない事実だ。けれど、円華にそれを知らせてどうなるというのだろう。七瀬は好きだけど、取ったりしない。この想いを告げるつもりなどない。
そんな都合のいい話を、誰が信じるというのだろう。ただ、傷つけるだけだ。優しくて、大好きな友だちを傷つけるだけ。なら、言う必要は無い。
(だって、私は、七瀬を応援するんだから。)
自分の恋の成就は望んでいない。この想いは、存在しないも同然なのだから。
紫央は布団を握りしめる円華の手に自分の手を重ねた。びくり、と円華の手が震える。それを宥める様にぽんぽん、とリズムを付けて彼女の手の甲を優しく叩いた。
「私は、円華から高槻を取ったりしないよ?」
「・・・・・・ほん、とう?」
「うん。そりゃあ、昔みたいに毛嫌いはしてないよ。でも、大事な友だちだよ。円華と同じくらい、大切な友だち。」
いや、円華の方が大好き度は高いかな?冗談めかしてそう言えば、円華は私も大好き、と笑った。それは、紫央の知る、円華の笑顔で、彼女に気付かれない様、ほっと安堵の息を吐く。
始業式まで寝ている様に伝え、紫央は保健室を出た。
ずきり、と胸が痛む。その痛みを抱えながら、ふらふらと、廊下を歩き始めた。
大体の生徒が登校したのか、保健室のある一階は人気が少なくなっていた。そこに、「あ、紫央!」と、京子があらわれた。
「こんな所にいた。始業式始まっちゃうよ~。」
あなた、委員長でしょ~、と言いながら近づいて来た京子は、ぼんやりと自分を見る紫央に首を傾げる。
「・・・・・・どうしたの?」
顔を覗き込む様にして尋ねると、紫央が倒れる様に、京子の肩口に顔を埋める。
「わっ!・・・・・・紫央?」
「・・・・・・痛い。」
「え?」
「痛いよ、京子・・・・・・。」
「し、お?」
紫央の瞳から、大粒の涙が溢れ出す。その涙は京子の制服にシミを作りながら濡らしていく。自身の肩を濡らす水が、紫央が泣いている事を京子に知らせる。
「痛いよ・・・。」
胸が、ズキズキと痛む。否定された恋心を、捨てようとする想いを忘れさせまいとするかの様に、胸が痛みを訴える。けれど、円華との約束を守るなら、この胸の痛みも、きっと感じてはいけないのだろう・・・。
この涙と一緒に、高槻への恋心も消えて無くなってしまえばいいのに・・・・・・。
消えぬ想いに、紫央はただ、涙を流した。




