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26.不機嫌な彼

 一体どうしたというのか。

部屋に聞こえるのは紙の上にペンを走らせる音と、ページを捲る音だけ。騒がしい普段からは考えられない、微かな音すら大きく響く空間に紫央は居心地の悪さを感じる。

 読んでいる本からちらり、と除けば、黙々と宿題をこなしている七瀬の姿。宿題をするために集まったのだから、今の七瀬の状態は当たり前と言えば当たり前なのだが、何せ七瀬である。先ほどまで全くやる気のなかった七瀬が黙々と宿題をしていたら不自然に感じてしまってもしょうがないと思う。それに、何だか雰囲気が刺々しい。

 紫央はそっと京子に近づくと、彼女の服の裾を引く。問題を解いていた手を止め、顔を上げた京子に目だけであれは何事か、と目だけで訴えれば、京子が苦笑いを浮かべる。まるで答えがわかっているようだ。訳のわからない紫央は首を傾げる。そんな彼女に京子はう~ん、と少し困ったように唸り、一瞬だけ円華に視線を向ける。円華は円華で黙々と宿題に取り組んでいた。それを目の端で確認した京子はノートに文字を綴る。

『七瀬が不機嫌になったのはいつからでしょう?』

そう謎かけをして、京子は宿題を再開する。意味がわからないがこれ以上は教えてくれそうにない。しょうがなく紫央は元の位置に座り直して再び本を開く。けれど、内容は頭に入って来ず、考えるのは京子から出された謎かけ。

 アイスを買いに行く前までは普通だった。その後、アイスを買いに行って、瀬衣と偶然会って………。ひとつひとつ記憶を手繰り寄せていく。

 アイスを買って、瀬衣と共に高槻家へと帰宅した紫央はすぐにアイスを持って、七瀬の部屋に行った。

「ただいま。買ってきたよ。」

ビニール袋を掲げてそう言えば、宿題から顔を上げた3人の表情が一気に明るくなった。扉のすぐ傍にいた京子がビニールを受け取り、寄ってきた七瀬と共に中を確認する。

「あ、希望通りのアイスはなかったから適当に買ってきた。」

「アイスだったら何でもいいよ。ありがとう、紫央。」

笑顔で礼を言う円華に笑顔で頷きながら紫央は空いている場所に座る。クーラーの効いた部屋のおかげで真夏の暑さから帰ってきた紫央の熱はゆっくりと引いていった。ほっと一息つくと、声をかけられた。

「紫央、アイス一つ多いよ。」

「え?………あ、瀬衣さんの分だ。」

おっといけない、と紫央は身を乗り出すと未だ手のつけられていない棒アイスを袋から抜き取る。

「兄貴?」

訝しげな声に紫央は瞳を瞬き、七瀬を見た。アイスを片手にした七瀬の眉間に皺が寄っている。首を傾げつつ、紫央はスーパーで瀬衣に会ったこと、アイスを買ってくれたこと、一緒に帰ってきたことを話した。

「七瀬のお兄さんか~。私、会ったことないんだけど、かっこいい?」

「うん、かっこいいよ。ね、円華。」

同意を求めれば、円華はそうだね、と頷いた。2人の言葉に京子は意外そうに紫央を見る。

「何?」

「紫央ってかっこいいとかわかるんだね。」

「………喧嘩売ってるの?」

真顔で言われ、むっとしてそう返せば、京子は苦笑いを浮かべて慌てて首を振った。失礼だな、と不機嫌顔の紫央の隣で円華はああ、と納得していた。

「円華まで。」

「だって、紫央、あまりそういうこと言わないから。そういうことに関心なさそう。」

「いや、興味はないけども。でも、瀬衣さんはかっこいいと思うよ、普通に。」

確かに、同年代の人達と比べればあまりそういったことに興味はないが、かっこいいとか可愛いとか綺麗だとか人並みの感覚は紫央にだってある。だから瀬衣の容姿をかっこいいと思っただけだ。ここまで驚かれるのは心外である。

 そんな気持ちが表情に出ていたのか京子には宥められ、円華には苦笑いを向けられた。そんな2人に全く、と呆れながら紫央は立ち上がる。

「瀬衣さんにアイス渡して………。」

くる。そう言おうとして、言葉を止める。持っていたアイスを取られたのだ。その張本人である七瀬の顔を驚きながら見上げれば一瞬目が合ったが、すぐに逸らされてしまった。

「俺が行く。」

「う、うん。」

そう言って部屋を出て行ってしまった。

(怒っていた?)

あの一瞬では何とも言えないが、眉間に皺が寄っていたし、アイスを奪うように取られた。普段の七瀬からはあまり想像できない。

 訳がわからないのに、焦燥感だけが胸にはあって、紫央は円華を見る。けれど、彼女はぼんやりと扉の方を見ていた。様子のおかしい円華に声をかけようとして、それを遮るように服の裾を引かれた。

「何?」

「まあ、座って。」

眉尻を下げて、苦笑気味に京子がそう言った。釈然としないものはあったが、大人しく元の位置に座る。

 それから暫くして七瀬は戻ってきた。腰を下ろした彼は終始無言でアイスを食べ、その後勉強を始めた。そして、今に至るわけである。

 振り返ってみてわかったのは七瀬が不機嫌になったのはアイスを買ってきた後しばらくしてから。紫央の感覚が間違っていなければ、恐らく瀬衣にアイスを届けに行く前だ。では、何が原因だったのだろうか。こればかりはさっぱりわからない。

 自然、ため息が漏れる。静かな室内ではそれさえも大きな音になってしまった。しまった、と口元を押さえながら本から顔を上げてまず、七瀬と目が合った。

「飽きた?」

冷たい視線と共に酷く冷めた声で尋ねられ、思わず硬直する。七瀬のそんな声を初めて聞いた。それでも必死に冷静を装う。

「何、突然。」

「別に。柏木さんは宿題終わっているのに付き合わされているから飽きたのかと思って。」

そう言って七瀬の視線が宿題の方へと戻る。紫央のその姿を見つめながら混乱していた。何故、今更そんなことを言いだすのかがわからなかった。

宿題を終えている紫央に教えてくれと言ったのは七瀬で、付き合うと言ったのは紫央だ。こうしてみんなが集中すれば手持無沙汰になることはわかっていた。今更飽きたなんてことはあるはずがない。

「飽きたなら、兄貴の所へ行けばいい。」

何故そこで瀬衣が出てくるのか。七瀬の冷たい声が、発せられる言葉が、紫央をより混乱させる。

「勉強を教えてもらっている立場でその言い方はないと思う。」

あんまりな言い方に円華が七瀬を諌めるが、彼は気にした様子もなく、変わらず視線は机に向けられ、宿題を続けている。

「折角のお客さんを退屈させたら悪いだろ。」

「七瀬!」

少しきつめに円華が七瀬の名を呼び、彼は漸くペンを止めて顔を上げた。その顔には何の感情も浮かんでいない。それがより彼を不機嫌に感じさせた。

 七瀬が不機嫌なのはわかった。だが、何故それを向けられなければならない。不満があるなら言わなければわからない。勝手に不機嫌になってその苛立ちをいきなり向けてくるなんて理不尽ではないか。紫央は元々短気だ。七瀬の態度に次第に紫央も苛立つ。

「お気遣いどうもありがとう。なら帰るわ。」

七瀬に負けないくらいの冷たい声でそう言う。

「紫央!?」

手に持っていた本を鞄に突っ込むと、紫央は立ち上がった。そんな紫央に円華が慌てて近づき、服を掴む。事の成り行きを見守っていた京子が額に手を当て、呆れた様なため息をはいているのが視界の端に映ったが、問い質す余裕が紫央にはなかった。

「円華、玄関まで送ってあげなよ。」

「七瀬!」

突き放す様な態度を改めない七瀬を円華が睨みつける。そんな彼女の瞳には様々な感情がない交ぜになっているように見えた。そうさせているのは自分なのだろうか。ならば七瀬の不機嫌さもそうなのだろうか。この刺々しい雰囲気すら自分のせいなのかと思うと苛立ちは次第に収まり、虚しくなる。

「円華、いいよ。何だか雰囲気悪くしちゃったみたいでごめんね。」

服を掴む円華の手をやんわりと退けて、紫央は七瀬の部屋を出て行った。扉が閉まってしまえば、まるで別世界のようだ。さっきまで一緒にいた人達と切り離されてしまった様な気分になる。

階段を下り、玄関で靴を履く。膝に顔を埋め、胸にある重たいものを吐き出すように紫央は深いため息をつく。よし、と気合を入れて立ち上がり、一歩前に出ようとした瞬間、腕を引かれ、背中に軽い衝撃を受ける。驚いて真上を見上げたら、自分を見下ろす七瀬と目が合った。


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