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24.夏の風

 蝉の鳴き声が騒がしい今日この頃。それじゃなくとも暑いというのに、ミンミンと忙しなく鳴く蝉の声がより暑さを増しているような気がする。

 全校生徒を押し込めた体育館の中、校長の話を右から左へと聞き流し、紫央は早くこの時間が終わることを待つ。

 期末テストも無事終わり、明日から長い夏休みが始まる。


 「校長の話、相変わらず長かったね。」

「校長ってそういうものなんでしょ。」


たまにしか生徒の前に立たないからか、校長の話はやたらと長い。小中高とそうだったのだからそういうものなのだろう、と紫央は結論付けている。

 冷めた反応を返す紫央に京子は苦笑しながら、そういえば、と話題を変える。


「七瀬。終業式中に寝てたよ。」

「立ったまま?………何て言うか、器用だよね。」


式の最中に船を漕いでいる七瀬が容易に想像できて、紫央はくすくす、と笑う。七瀬には校長の長話が子守り歌になってしまったのだろう。

 そうして紫央が式中の七瀬の姿を想像して笑っていると、京子が穏やかな微笑みを浮かべて自分を見ていることに気づいて、首を傾げた。


「どうしたの?」

「ん~。七瀬のこと、本当に好きなんだな、と思って。」

「は?」


突然何を言いだすのかと紫央が素っ頓狂な声を上げれば、京子は楽しそうに笑う。訳がわからなくて、紫央は困惑するばかりだ。


「まあ、気付いてるわけないよね。………紫央、七瀬の話をするときすごく表情が柔らかくなるんだよ。」


基本的に他人に対しては物腰穏やかに接する紫央だけれど、京子や円華に見せる表情とは違う。特に七瀬に向ける表情はとても自然で柔らかだ。

 わかる人にはわかる、不器用な紫央の小さな違い。好きな人に向ける、女の子の紫央の表情。


「私、紫央のそういう顔見るとすごく嬉しくなる。」


それを気付けることが、そんな表情を見せてくれることが嬉しい。そう言って笑う京子に紫央はどう反応していいのかわからない。何だかくすぐったくて、照れ臭くて。でもそれと同じくらい嬉しくて。


「ありがとう。」


言いたいことはたくさんあるけれど、上手く言葉に出来る気がしないから。ただ一言。

 ホームールームが終わって、みんなそれぞれの放課後へと動き出す。


「紫央、帰らないの?」

「図書室に寄ってから帰る。」

「そっか。………紫央。夏休み、円華ちゃんや七瀬も一緒に、たくさん遊ぼうね。」

「うん。」


帰っていく京子に手を振って、紫央は窓の外を眺める。

 友達と一緒に帰る人、好きな人と一緒に帰る人。色んな人がいて、きっと明日から始まる夏休みに胸を躍らせている。

 去年までの紫央なら、そんな人達を眺めることもしなかった。兄への罪悪感に苛まれながら、せめてもの償いにと母の期待に応えようとひたすら勉強していた。

 そんな自分が、今はもう遠い昔のことのようだ。


 「ひゃっ!?」


突然頬に触れたひやり、とした感覚に紫央は声を上げる。驚いて外を見ていた顔を上げれば、悪戯が成功した子どものような笑顔で七瀬が立っていた。彼の手には紅茶の缶が握られていて、冷たかったのはそれか、と納得する。


「驚かせないでよ。」


変な声を出してしまった恥ずかしさから紫央が不貞腐れたように言えば、ごめんごめん、と笑いを含んだ声で、全く悪びれた様子なく七瀬が謝る。


「はい、お詫び。」

「………ありがとう。」


前の席に座った七瀬が差し出す缶を受け取り、素直にお礼を言う。ひんやりとしたそれを頬に当てれば、火照った頬が冷まされて心地良い。

 少しずつ冷静な思考を取り戻して、先ほどまでの自分と同じように窓の外を眺める七瀬に声をかける。


「………どうしたの?」

「何が?」

「ホームルームが終わったのに帰らないから。」

「お互い様でしょ。」

「それもそうね。」


そう言って屈託なく笑う紫央に七瀬は眩しいもの見るように瞳を細めた。


「柏木さんは変わったね。」

「え?」

「たくさん笑ってくれるようになった。」


固く閉じた蕾が次第に花開くように。紫央は少しずつ変わっていっている。

 その変化を紫央自身も感じていた。

 今まではどうでもいいと思っていたことに振り回されていたり、感情の制御が出来なかったり、クラスメイトとぶつかったり、人前で泣いたり………。とてもたくさんの経験をして、たくさんの感情を知った。


「全部、高槻のおかげ。」

「え?」

「高槻と出会って、高槻と過ごして、私は変わったの。」


 壊れて行く家族をただ見ていることしか出来なかった紫央に修復するきっかけをくれたのも、円華という友達の大切さを教えてくれたのも、京子と友達になれたのも。


「私の世界が今こんなにも幸せで溢れているのは、全部高槻のおかげ。」

(そして私は、君に恋をした。)


恋する切なさも、泣きたくなるくらいの幸せも、七瀬が教えてくれた。七瀬に恋をしたから、知ることが出来た。

 言葉にして伝えたら、なんだか胸が温かくなって、満たされて、何故か泣きたくなった。

 溢れるのは、七瀬をどうしようもなく好きだという想い。

 潤んだ瞳を細めて、本当に幸せそうに微笑む紫央に七瀬は目を奪われる。何も言葉を紡げないまま、ただ見つめることしかできなかった。


「ありがとう。私にたくさんのことを教えてくれて、ありがとう。」


私の世界を変えてくれた人。誰よりも大好きな人。伝えられない想いを胸に言葉を紡ぐ。

 ふいに伸ばされた手が紫央の頬に触れた。目尻に溜まった涙を七瀬の親指が優しく拭ってくれる。


「うん。俺も、ありがとう。………柏木さんに救われてるとこ、結構あるんだ。だから、ありがとう。」


そう言って、七瀬が笑ってくれるから、紫央は笑みを深めて、こくり、と頷いた。

 窓から吹き込む夏の風が2人を包みこんだ。


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