21.危機一髪
全力で走ってようやく校舎裏まで辿り着いた時、円華は5人程の女子に囲まれていた。すぐさま止めに入りたいのを我慢して紫央は携帯を取り出し、写真を撮った。カシャッ、という音に全員の視線が紫央に集まった。
「柏木?何であんたこんなとこにいるのよ!」
「どうでもいいでしょ。それより自分達の身を心配したら?」
彼女たちにゆっくり近づきながら携帯の画面を見せる。それは5人で1人を取り囲んでいる様子がはっきりとわかる。決定的な証拠写真だった。
「お前、ふざけんなよ。優等生だからってちやほやされやがって!」
「こっちの台詞。嫉妬に狂って円華に手を出さないでよ。」
「し、紫央。」
泣き出しそうに顔を歪める円華に紫央は安心させるように微笑んだ。もう大丈夫だ、と。そして再び厳しい表情でリーダー格の女子に視線を戻す。
「もうすぐ高槻も来るよ。用件があるなら直接本人に言いなよ。………その度胸があれば。」
「ふざけんな!」
頬に引っ掻かれたような痛みと叩かれた痛みの両方が走り、円華が悲鳴のような声で自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。だが彼女に顔を向けるよりも速く胸倉を掴まれ壁に背中を押しつけられた。衝撃で一瞬息が詰まる。
「最近七瀬と仲良いからって調子に乗るなよ!お前だって、遊ばれてるだけのくせに!!」
「本心とは違うこと言うんだね。」
「はあ!?」
「幼なじみで特別な円華が羨ましいんでしょ?普通に友達として一緒にいるあたしが羨ましいんでしょ?違う?」
「うるさい!」
「嫉妬も羨望も好きなら抱くものだよ。でも、これは最低だわ。」
「うるさいって言ってるでしょ!」
紫央の胸倉を掴む彼女の手に力が籠る。胸倉を掴まれたのは初めてだがけっこう苦しい。それに頬を痛くてしょうがない。やっぱりこういうのには向いていない、と自分の状況を冷静な部分で分析している。
興奮した彼女の様子からするともう一発くらい叩かれそうだ、と思っていたら急に胸倉から手が離れた。何事かと彼女の視線の先を追うと七瀬が京子と共に肩で息をして立っていた。
「何、してんの?」
「な、七瀬、これは………。」
どうにか言い訳をしようとしているが、この状況から言い逃れることなど不可能だ。
七瀬の視線が彼女たちから紫央に映る。そしてその表情を悲しげに歪めた。一歩一歩こちらに近づいてくる七瀬に彼女たちは震えて声も出ない。
「何でこうなったか説明してくれる?沙紀。」
「何、よ。七瀬がいけないんだよ!この子たちばっかり特別扱いするから!水口さんも放っておきなさいとか言うし!そんなのってないよ!ずっと七瀬のこと好きだったのに!!」
沙紀と呼ばれた女子生徒が泣きながらそう言えば、その後ろで円華を囲っていた女子たちも啜り泣き始めた。
「そうだね。曖昧な態度をとっていた俺が悪い。でも、だからって沙紀たちがやったことは許されることじゃないよ。」
冷たい七瀬の言葉に彼女がぐっと唇を噛みしめたのが紫央には見えた。
自分でもわかっているのだろう。これが許されることではなくて、間違っていることも、意味のないことだということも。それでも、悔しくて、悲しくて、嫉妬に狂う心は止められなかったのかもしれない。
「俺、好きな人がいる。その気持ちを大切にするって決めたから。だから、みんなの気持ちには答えられない。ごめん。………京子も、ごめん。お前のこと、たくさん利用した。」
振り返り、自分の後ろに立つ京子に謝罪の言葉を口にすれば、彼女は何度も首を振った。
「智原さん、他のみんなも教室に帰ろう。」
「でも!」
「七瀬の言葉聞いたでしょ?七瀬はちゃんと私たちの気持ちと向き合ってくれた。それを無下にするなら、七瀬を好きでいる資格はないわ。」
京子の窘めるような言葉に彼女たちは頷き、連れだって去っていく。京子は彼女たちの背を見送り、紫央たちに振り返った。
「ごめんね。また改めて謝りに行かせるから。もう少しだけ、時間をあげて。」
「いいよ。私が挑発的な態度とるからこうなったわけだし。心の整理の時間は必要だよ。」
「ありがとう。」
そう言って微笑んだ京子自身、心の整理が必要だろう。きっとこれから紫央のクラスの子たちとも話をするのだろう。七瀬を好きな女子を統括してきた京子にはその責任があるのだろうから。
そうして京子の後姿を見送っていたら勢いよく抱きつかれ、構えていなかった紫央はそのまま倒れた。
「円華、痛い………。」
「うるさい!紫央はそこに座る!」
「え、はい。」
何故か怒られてしまい、紫央は素直にその場に座った。円華に怒られたことなど高校生活始まって初めてのことだった。
「七瀬も紫央の隣に座る。正座!」
「はい!」
円華の怒りは七瀬にも飛び火し、彼も大人しく紫央の隣に座った。
「そもそも原因は七瀬にあるんだかね!反省して!」
「はい、すみませんでした!」
「それから紫央!」
「はい!」
「何で挑発するの!見てるこっちが怖かったんだから!」
「あれはその、円華から注意をそらすためと言いますか………。」
「言い訳しない!」
「………はい。」
円華を怒らせるとかなり怖いらしいと紫央が学んだ瞬間だった。
とにかく心配をかけてしまったことに変わりはないので謝ろうと口を開きかけた所で抱きしめられた。
「円華?」
紫央を抱きしめる円華の身体は小刻みに震えていた。
「お願いだから、自分のこともっと大切にしてよ。」
「うん、ごめん。」
「紫央、七瀬。助けに来てくれて、ありがとう。」
涙声でそういう円華を強く抱きしめ返し、怖かった、と泣きじゃくる円華の背を優しく撫でた。七瀬もほっとした表情で円華の頭を優しく撫でた。
「高槻。」
「ん?」
「来てくれてありがとう。」
礼を言えば、彼は悲しげに首を振った。そしてそっと腫れている紫央の頬に触れた。ピリッとした痛みが走り、紫央が顔を歪める。
「ごめんね。俺のせいで。」
「いいんだよ。それでも私も円華も高槻といたいと思ったんだから。それだけ大事にされていることに胸を張ってもらわなくちゃ。」
「そうだね。うん。………ありがとう。」
ようやく七瀬も笑顔を見せてくれた。そのことが嬉しくて、紫央も笑みを浮かべ頬に触れる七瀬の手を握った。優しく握り返してくれるその温度が愛おしかった。




