ガラス玉
はいはーい、やってきました彼氏でーっす。
いや、今は『元』がつくべきなんだろうけどこれからまた復縁するのでそのまま言いましたぁ。
「ということだから今すぐ維月の周りをうろちょろするのは止めろ目障りだ」
俺は走ってきたため、肩で息をしながらも精いっぱいの『アイ キル ユー』を込めて立嶋を睨む。勿論のことだが維月には『アイ ラブ ユー』だ。でもそういうのって口で言うと重さが激減するんだよなぁ。それだから軽々しく言えない。
俺の急な登場に、維月は面喰っているようだった。人形みたいな瞳を大きく見開き、俺の全体を受け入れてくれている。
よかった、無視されなかった。
まだ、あいつも俺のことを気に掛けてくれていたんだな。そうじゃなかったら、声を掛けても冷たくあしらわれるか無視されて突き放されるかだったろうし。別れる前の維月の立嶋に対する反応を思い出しながら、俺は安堵の息を漏らしていた。
「しつこい男だなキミは。維月さんに別れようと言われたんだったらすぐに諦めたらどうだい」
なんでお前がそのことを! と驚くような俺じゃない。推測だが、あいつは維月からそれを聞きだしたのだろう。野郎、人の傷口に塩振りかけるような真似しやがって。しかも何気に維月の呼び方が変わっていることに異議ありだ。俺まで呼ばれてる気分になってくるじゃないか。
「何を言うか、俺は維月の幼馴染で、かつ彼氏だ」
「元、な」
維月の顔が、立嶋の一言で翳る。
立嶋はなおも続けた。
「大体、君は屋上で維月さんに対する思いをぶちまけたところだろう。君の口から立証されたことだというのに、君はそれに嘘の上書きをする気か?」
「嘘の上書きもなにも、アレは勘違いだろ」
「はぁ?」
立嶋は首をかしげて疑問を表現した。
俺はニヤリと笑んで、続きを紡ぐ。
「俺たちは『偽物カップル』だ。そんなの、どのカップルだって一緒だろ?」
「それはつまりアレか、すぐ別れるのはどんなカップルでも同じと言いたいのか?」
「違うね、お前はカップルを分かっていない。男女の交際ってのは、ただ本心を投げつけ合うだけの関係じゃねぇンだよ。『好きだ』って何回も何回も繰り返してたら次第に、重厚だったものから軽薄なものになり下がる。それを未然に防ぐため、カップルはお互いの本心を隠しあっているんだ。だから俺らだって、他の奴らだってみんなみんな『偽物カップル』なんだよ」
「言いたいことがよくわからないんだけど」
「国語力を鍛えて出直してこいと言いたいが、そんなお前には俺自ら教えてやる。いいか、『本物』のカップルっていうのは本心を投げ合っていても気持ちに劣化を生じない神経の奴らのことを言うんだよ。でもそんなのは基本的にあり得ない。何せ、同じことばっかり言われて嬉しい奴なんていないからな。感動した曲を何度も何度も聴きすぎて、飽きるようなもんだ」
純粋なモノだけで構成されたものが『本物』だ。だから、黙っていたり嘘を言って誤魔化したりする俺たちみたいなのは『偽物』と言えるだろう。でも、それはすごく自然なことじゃないのか?
「へぇ、だから君は維月さんとの関係を『偽物』だと言ったわけか」
「そういうことだ」
「でも君は維月さんを特別視していないんだろう?」
「ずっと一緒だったからな」
「……どういうこと?」
「今まで一緒にいるのが当たり前だったから、今更特別じゃないんだってことだ。俺に言わせれば、他の奴と話している方がよっぽど特別だね」
「それじゃあ君は維月さんのことを好きでもなんでもないってことじゃないか」
「分かってねぇなあ、『維月のことが好きな自分』が普通なだけだろうが」
「……でも君は維月さんといるのが煩わしいって、」
「幼馴染の距離感のことだろうが。かってに改竄してんじゃねぇよ。それは俺と維月がカップルだっていう実感を上手く伝えられないから煩わしいって言ったんだ」
「実感がなかったんじゃないかっ!」
「でも俺たちがカップルだっていうことに変わりはないだろう? 実感なんてなくてもいいんだよ。カップルの目的は実感することじゃなくて、一緒にいることが目的なんだから」
立嶋の顔に険しさが増していくのが面白くて、俺の口からはすらすらと言葉が吐き出されていった。
維月を見ると、下唇を噛みながら俯いていた。あいつに俺の声は、届いていないんだろうか。
俺は少し不安になりながらも、嫌悪感を全面に出してきた立嶋に対峙する。維月のことを見る前に、俺はこいつをどうにかしないといけない。なぜなら、維月の俺に対する疑心を膨らませ、やがて破裂させようと目論む悪なんだから。
「大体だな、『本物』とか『特別であること』が良くて、『偽物』とか『普通であること』が悪いなんて絶対的な定義があんのかよ。どっちもイコールで結ばれてるようなもんだろうが」
立嶋は黙ったままだ。言い返す言葉くらい見つかっただろうが、おそらくこのときの立嶋はそんな精神状態じゃなかったんだと思う。
だからこそ。
ここで俺は勝機を見出した。
「維月ぃ!」
俺はポケットから携帯を取り出しながら叫ぶ。
名を呼ばれた当の本人はハッとして顔をあげ、困惑顔で俺の方を見た。
俺の声が届いた。
「お前の本心、見たぞ!」
携帯を閉じたまま前に突き出して、維月にアピールする。閉じられたままであったが、維月はそれでなにかを悟ったらしく、顔中を真っ赤に染め上げてやや俯いた。効果はあったようだ。
「お前だけ本心を言うとズルイから、俺も本心を言いに来た!」
「この間屋上で言っただろう!」
「うるせぇ黙ってろ今それは誤解だって証明したとこだろうが空気読めハゲ!」
「僕ははげてない!」
「脳みそに毛でも生えてんのかっ!」
口やかましい立嶋を今の一言で撃沈した。言葉って恐ろしい。
そして維月への障壁がなくなったので、俺は改めて維月への本心を舌の上で転がす。
息を大きく吸った。
肺がいっぱいになったのと同時に、心までいっぱいになって泣き出しそうにもなった。
でも、涙腺は緩まない。
維月が見ている前で、無意味に泣くようなカッコ悪いことはしたくない。
維月はもう顔をあげていて、あの縋るような視線を俺に向けていた。
よし、まだ、俺に頼ってくれるか。そりゃよかった。
そして、俺の口からは『本物』が少しだけ、顔を覗かせる。
「俺は維月のことが好きだぁっ!」
♡ ♥ ♡ ♥ ♡ ♥
小学生のころだったな、俺は維月にひどいことをした。
小学校の高学年のころ。とある日の下校で、維月が俺に手を伸ばしてきた。ずっとそうしてきたから俺はそれに違和感がなかったし、いつも通りに手を繋ごうとした。
その時だ。
「お前らいつまで手ぇ繋ぐんだよぉ。特に夫の方さぁ、オマエ妻の手がなけりゃ歩けねぇのかぁ?」
同級生が輪になって、俺と維月を囲んだ。
維月はなんともなさそうだったが、そこでカッとなったのは俺の方だった。
「んなわけねぇだろっ!」
そう言って、あいつの手を払ったのだ。
あぁ、なんてことをしたんだろう、俺は。
今更悔やんでも仕方がないが、悔やまずにはいられない。
維月はひどくびっくりしたような、悲しそうな顔になって俺を見つめてきた。
しかしすぐに俯いて「ごめん」と謝るのだ。
それを言うべきだったのは、俺なのに。
以来、俺と維月は手を繋がなくなった。
小学校の頃の、苦い思い出の一つ。
♡ ♥ ♡ ♥ ♡ ♥
「本当に、悪かった」
俺が謝ると、維月は何のことかわかっていないように首をかしげた。
「なに言ってんの?」
「いや、ちょっと昔のことを思い出しまして」
維月を直視できないまま、俺は床に視線を落として言った。維月は「ふぅん」と興味なさげだったが、その眼は俺と同じように床を見つめ、記憶の糸を手繰り寄せているのだと思わせる。
俺と維月は、付き合って以来初めてになるデートに臨んでいた。場所は映画館だ。
あの日、俺が告白したのに維月は応えてくれた。立嶋は俺に走っていく維月を見て足の骨でも折られたかのように愕然と膝をついていた。アイツ本当に役者になれるんじゃないかっていうくらい綺麗な膝の折り方だったから、思わず噴き出しそうになった。
俺と維月は、復縁できた。
幼馴染のカップルとしての関係を取り戻し、記念にデートまでしている。
立嶋は完全に敗北を悟ったらしく、背中で寂寥感を語りながら俺と維月の視界から姿を消した。
俺たちカップルの完全勝利だっ。たぶんな。
「あんたに謝られることが多すぎてどれのことを言ってるのかわからないんだけど」
「そんなにあったか?」
「私の分のお菓子を騙し取ったり、遊びだと偽って上履きを隠されたこともあったし、キレイなものを見つけたとか言って手の上にカナブン乗せられたこととか他にも―――」
「いやもういい悪かった」
全部聞いているとどんどん俺が悪人みたいになって、みじめな気分になってしまう。しかもどれもこれも嘘をついて楽しんでいるのだから、俺は本当に嘘をつくのが好きだな。
維月は俺の消沈した様子に肩を揺らして微笑むと、俺より一歩前へ出た。
「多分だけど、小学生のころのこと考えてたんじゃない?」
ドキリとして俺は維月を見る。そのときちょうど維月が振りかえったせいで、俺と維月の視線はそこで交差した。
「やっぱり」
「なんでわかる?」
「表情がその時と似てたからってだけ」
へーすっげぇやそりゃぁ。って、いやいやいや、お前そんなに記憶力いいのか。いや、たとえ覚えていてもそれと結び付けられるか普通。俺の考えている時の表情が偶々あの時と似てただけかもしれないというのに。
だが維月は、確信に満ちたような声で断言するのだ。
「あんたはすぐ気負うからね。表情で大体のことはわかるよ」
不意に歩くのをやめて、俺の方に振りかえった維月が言う。
俺は何も言えず、同じように立ち止まっただけだった。
「この前のは、ちょっとわからなかったけど」
維月が目を伏せた。
この前の、というのは屋上でのことを指しているんだろう。
申し訳なさそうな顔だった。
「別にお前が悪いわけじゃないだろ。いつも通りに、俺が悪人だっただけだ。お前に誤解させるようなことばっかり言って」
「うん、そうね」
うわぁ、なんだこの急な変化。
俺は女というものが怖くなって、自然に維月から目を逸らしてしまう。
「ところでなんで急に謝ったりしたの」
「あ?」
俺の眼は行ったり来たりで忙しい。今度は維月の姿を捉える。
理由か。謝った理由。謝らないといけないと思ったから、なんだけどなぁ。
俺が不意に過去を思い返すことなんてしょっちゅうだから、こういう風に口を衝いて出てきても不思議ではないのだ。もっとも、今は立嶋とのイザコザのせいで神経質になっているだけなんだろうが。
理由を探しているうちに、俺の手はふと懐かしさを求めた。
あのふんわりと暖かな、柔らかい手の感覚。
維月の、手。
「え?」
そろそろ俺も、自分を偽らなくなったなぁ。
行動が伴ってきた。
「ただ単に手を繋ぎたくなっただけだ」
「変態」
まじっすか。ここでそう言ってくれますかテメェコノヤロウ。
でも、俺は維月の横顔がほんのりと朱に染まっているのを見て、あぁこいつも一緒だな、と感じる。
維月だって、普通の女の子だ。
照れ隠しをするくらい、普通の反応じゃないか。
じゃあ、俺は隠せないくらい照れさせてみよう。なんか楽しそうだし。
一瞬だけ、握っていた手を外してもう一度手を繋ぐ。
違っていた点は、手のつなぎ方。
小学生のころだってやったことがないぞぉ。うん。
俺の指たちの隙間に維月の指を滑り込ませ、固く強く結びつける。
恋人の手のつなぎ方はこうらしい。いつだったか、維月の父親が教えてくれた(実践もされたので軽いトラウマとなっている)。
「あ……」
維月は短く声を漏らし、俺と維月の間にぶらさがるお互いの結ばれた手を見た。しかし、何も言ってこない。何も言わずに今度は俯いた。
フハハハハ、恥ずかしぃんか! 俺もだ!
「ところで今日は何を観るって?」
俺は少しでも心臓の動悸を抑えようと、自然な会話を試みる。そろそろ手汗が気になりだした。
誰か俺の心臓を死なないように止めてくれ。これじゃあ維月に動揺を悟られる。
「え、と、あの犬の奴は?」
「お前今この精神状態でしんみりするのか」
「じゃ、じゃああの銃持った人の……」
「お前ゾンビとか怖いのダメじゃなかったか?」
「じゃあ、アレ」
犬の奴とゾンビの奴を指し示すときはひどく遠慮がちだったが、次を指定する時の維月はひどく自然だった。
つまり、これが一番観たかったんだな。
すぐに本心を隠して後回しにするこいつの性格を考えて、俺は維月の本当に見たいものを推測する。おそらく、最も自然に指差したその作品が本命なのだろう。
「よし、じゃあそれにするか」
「あんたの観たいものは?」
「維月の観たいものー」
「嘘つき」
「大正解」
俺の観たいものはこの中にはないのでした。俺映画観ない人だしね。
維月はそれを察してか、一つ大きく頷いた。
「じゃあポップコーンとかどうする?」
「お前はキャラメルだろ?」
「あんたは塩でしょ?」
「じゃあ半々だな」
「ミックスね」
「飲み物は」
「烏龍茶」
「奇遇ね」
「だと思った」
そんな会話をしながら、映画を観に来たカップルたちや男もしくは女の集団などが並ぶ列に加わる。
観る映画は、優しい物語だ。
予告ポスターを見た俺の感想はその程度。
観た後だったら感想はガラリと変わっただろうけど、まあ仕方ないじゃないか。
♡ ♥ ♡ ♥ ♡ ♥
透明で、中身がうかがい知れるそれの正体はガラス玉だった。
とても在り来たりで、でもキレイだ。
本物の宝石みたいに高価じゃないし、すぐに割れたり欠けたりしてしまう。
そんな偽物の宝石。
それは本物ほどの真実性がなくとも、本物と見まごう程の美しさを誇る。
価値というのは、その観点から見るかで決まる。
そのガラス玉を美しさだけで見るのなら、本物と大差ないだろう。
偽物なんてそんなものだ。
大抵は、本物と大差ない。
俺たちだって、そう。
だけど偽物のガラス玉はすぐに破裂してしまう。
だからそのガラス玉を割らないように。
俺たちは手で包み込みながら守っていく。
互いの手を組んで、その上に一つだけ乗っている。
俺たちはお互いに組んだ手を離さないように言い合って、強く結んでいくのだ。
これからだって、そうしていければいいなぁ。
ガラス玉が落ちないように。
落とさないように。
ここまで読んでくださり、誠にありがとうございました。
私の文章は拙いものですから、文を理解するのに苦労されたり気を煩わせたりとご迷惑をおかけしたかもしれません。でもそこは私が物書き初心者だということでご容赦ください。
とにかく、ここまで読んでくださったことに感謝感激です。
繰り返しとなりますが、本当に、心からありがとうございました。