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偽物カップル


 最初はこんなじゃなかったはずだ。


 学校の屋上。

 俺は不機嫌面でジャムパンにかぶりつく自分の彼女を見て、吐くのも億劫な溜息を漏らした。

 見上げると広がる五月の空には、気だるそうな雲が俺みたいにされるがままとなっている。俺や隣の彼女のように、あいつらも五月病に罹ったんだろうか。

 空を仰視した姿勢のまま、右手に提げていた焼きそばパンを口へ運んで、濃いめに味付けされたそれを咀嚼する。何秒か噛んでいると、折角濃い味に設定されていた焼きそばの味は薄れ、今は炭水化物の微かな甘みを残すばかりとなっていた。

 何気なく隣を窺うと、ようやく半分ほど食したらしくジャムパンは断面から中身を少し覗かせていた。

 俺は半身のジャムパンを無造作に握りしめ、一度飲み込むのに数分という、噛む回数を何百回と数えているとしか思えない程遅い嚥下を繰り返すそいつの横顔をまじまじと見つめる。


 浅田維月(あさだ いつき)


 俺の幼馴染で、高校入学当時から交際をしている奴の名前だ。

 眉目秀麗という言葉さえ陳腐に思わせるような、完璧な美少女。黒真珠を滑らかに加工したかのような美しく、淀みない黒髪をひけらかし、チェス盤を思わせる白黒チェックのカチューシャを装着しているのがポイント。性格は直情径行にあり、同クラスの女子とは仲がいいようには思えない。男子の方にはその美少女面のせいでウケはいいが、とにかくその時々の感情に任せて口が動くため、不快な思いを強いられた者も少なくない。

 また、業物の刀のごとく凛とした態度や眼つきの所為か、それとも隣に控える俺に怯んでか定かではないが、こいつは苛めというものに遭ったことがない。それがこいつの過剰な自信を膨張させる要因になっているのかもしれなかった。まあ苛めなんてことはない方がいいに決まっているが。

 とにかくこいつが稀代の美少女とモデル顔負けのイケメンの遺伝子を、『美少女』を創造するための黄金比で受け継いだ無敵のビューティフェイスの持ち主だということ。また本音を言うためだけに作られたロボットを思わせる程容赦のない言語機関銃だということを言いたかった。

 焼きそばパンの最後の欠片を口に放り込んで、ろくに噛みもせず飲み込む。途中、喉に引っかかったような気がしたので焼きそばパン等と共に購入しておいたイチゴミルクで嚥下の手伝いをした。一つだけコメントをさせていただくと、イチゴミルクと焼きそばパンは合わない。

 俺がまったりとした甘みとスパイシーな辛みの合わせ技にしかめ面をしていると、まだ三分の一は残っているジャムパンを手に維月が声を掛けてきた。

「ねぇ、あんたあの雲なんの形に見える?」

 維月はジャムパンを持っていない方の手、即ち左手で空に浮かぶ雲を指差した。

 俺は維月の眼が捉えている雲を探しながら、内心少々驚いていた。

 俺とこいつはあまり話をしないのだ。勿論それは他のカップルに比べて、という基準ではあるが。

 まあそんなことはどうでもいいとして、俺は維月の指差す雲を発見する。

 何の形に見えるか? 特徴を抜き出すと『Ω(オーム)』のように湾曲させたその体躯。カーブの利いた所から控えめに伸びるヒレのような部分だ。

 あれを見れば、大部分は『イルカ』と答えただろう。

 しかし雲につぶらな瞳が付いているわけでもないし、尾びれの部分などはひどく曖昧だ。まあ尾の方は特に問題なしで気にかける必要はないが、大事なのはシルエットを見て何の形に見えるかという点だ。

 つまり、俺の眼に見えたものはイルカではない。

「シャチ」

 まあ案外どっちでも良かったのかもしれないが、口にあたる部分がイルカにしては丸かったのでそう答えた。俺にはそう見えたのだ。

 維月は「そう」と淡白に答えて、再びジャムパンに掛かりだす。

 俺たちの関係はこんなもの。

「あの雲なんの形に見える?」「イルカかなぁ?」「わぁ、同じこと考えてるね!」「え、お前も? なんだよぉ照れくさいなぁ」「えへへ、どうやら私たちは以心伝心のようですな」「確かに」

 みたいなほのぼのとした会話は、今まで一度として成立したことがない。

「ジャムパンのジャムって何に見える?」「血液」「ツブツブは?」「赤血球」「俺の焼きそばパンの焼きそばは?」「焼死体」「紅ショウガは?」「焼き加減が甘いところ。つまりはレアね」

 ……カップル? と言う具合に、疑問符を浮かべたくなるような会話をとある昼食の際に交わしていた俺たちに、ふんわりした雰囲気の対話は望めないというわけだ。お互いの表情は鉄面皮を貫き通していて、会話していても微笑み一つ浮かびやしない。

 俺の数少ない男友達からの評では、俺たちは『偽物カップル』らしい。意味を訊ねると「普通のカップルらしからぬ」と即答された。まあ付き合って一カ月ちょっと経っているけど、カップルになってからは並んで歩くだけで手を繋いだことも抱き合ったこともキスをしたこともない。俺と維月からしてみれば、公園でイチャイチャして数分ごとにキスを交わすような奴らの神経を疑ってしまうのだ。

 友人の言うとおり、俺たちは偽物のカップルで本当は付き合うべきじゃないのかもしれない。維月だって本当に俺のことが好きなのか、今では怪しいところであるし、俺も俺でこいつのことに対してあまりに無関心でいるような気がする。

 これではいけないのかね?

 そう思って維月の様子を横目に捉えると、維月はジャムパンの入っていたナイロン袋を結んでいるところだった。どうやらようやく食事終了らしい。

 俺はすぐに立ち上がるようなことはせず、維月の一連の流れを眺める。

 結んだナイロン袋は一旦横に放置し、残っていた野菜ジュースをズズズと音がするまで啜る。やがて吸い込まれて(こいつの胸のように)ぺしゃんこになった(といったらK.Oされた)それを先ほどの袋と一緒に、俺たちの間に設置されていたゴミ専用のナイロン袋の中に放る。

 それを見届けてから、俺はゴミ用の袋を掴んで立ち上がった。もうそろそろ昼休みが終了する頃合いなので、ちょうどいい。

 維月も俺に倣うように起立する。

 どちらが何を言うわけでもなく俺たちは歩き出して、下へと続く階段まで向かう。

 今日もいつも通り。

 いつも通りの昼休みだった。

 普段と同じように淡白で、倦怠期で、五月病な俺たちはカップルになる以前から続いていた距離感でいつも通りの昼休みを終える。

 空を見上げると、シャチは見る影もなく消失していた。

 維月の眼に、あの雲は何に見えたんだろうか。

 深く考えても詮無いことだが、一瞬だけそれが剣閃のように脳裏をよぎった。


 ♡ ♥ ♡ ♥ ♡ ♥


「私はあなたのことが好きです。もしよろしければ、交際していただけませんか?」


 まず最初に、パニックになった。

 普段は俺のことを『アンタ』と呼ぶふてぶてしい幼馴染が入学式の日、校内で一番大きい桜の樹の下に俺を呼び出したときのことだ。

 わずかに頬を紅潮させ、乙女の恥じらいを覗かせるそいつは上目遣いに俺を見る。それはいつも俺が目にしているドスの利いた睥睨ではなく、まちがいなくミルクとチョコレートのように羞恥心と緊張感がいい具合に溶け合って心臓の鼓動を急かすような青春の一ページだった。あと少し自分の返事が遅れていたら、あるいは鼻血すら噴出していたかもしれない。

 昔からその幼馴染には心を惹かれていた。

 言葉にするのも難しい、かなり微妙な距離感を保ちながらも心の奥底ではその幼馴染のことが好きだったのだ。恋していたと言ってもいい。

 俺はあの時、何度も頭を上下運動させながら「うん、うん」と要領を得ない返事をしたのをよーく覚えている。あれは人生最大の失敗と言っても過言ではないな。

 まあとにかくそれからだ。俺たちが付き合いだしたのは。

 しかし、俺たちの関係に変化が生じることはなかった。

 一緒に保育所に預けられている時からそうしてきたように、ずっと一緒だったことは小学校の高学年になっても、中学生に上がっても変わらなかった。

 当然とでも言うように、高校生になってカップルという関係を築いてもそれに何らかの歪みを与えることは叶わなかったのだ。今まで築き上げてきたものが如何なるものかを、少なくとも俺は実感した。

 これが、幼馴染の距離なのだと。

 俺たちの関係に変化を与えられない理由なのだと。

 確かに、俺が何かのアクションを起こせばアイツだって一緒にやってくれるだろう。しかし、一緒に手を繋ぐという行為は小学生の頃に卒業してしまい、抱き合うという行為だって、雷を怖がって泣きじゃくる中学生のアイツと果たしてしまっている。キスは……、保育所のときにちょっと……。うん。

 男女間のアレコレは『未』とつくが、それは別にいい。

 俺たちは今更何かカップルらしい行為をしたって、どれもこれも過去にやってしまっているのだ。早い話が、どれも新鮮味がない。

 おそらくだが、俺は新鮮味があったとしてもそれをやろうという気にはならないだろうしな。

 それでは何が不満か? 決まっている。カップルなのに偽物だということだ。

 交際することになった次の日からすでに、俺たちはいつものペースだった。

 俺はそれで違和感なく過ごせたし、アイツにも変化があったようには思えない。

 ……あぁ、そうだ。やっといい言葉が思い出せた。俺の今の心情を表わしてくれる言葉。

 俺は、変化がないのが嫌なんだ。

 それに気づいたのは最近だが、それを知ってもなお、俺たちの距離感には何の変哲もなかった。

 その、行動しないというところが気に入らない。それなのに行動しない。恥じらいでもあるのか? いや、違うな。行動する気にはなれないんだ。五月病のせいで。俺たちと一緒に歩いてきた『幼馴染』という、微妙すぎる距離感のせいで。

 そいつが創り出す、倦怠期のせいで。

 だから、俺たちの関係には変化が生じないんだろう。

 今では、屋上でのほほんと昼休みを共に過ごすのが唯一カップルらしい行為と言える。

 俺たちは何をしても、『カップル』ではなく『幼馴染』の枠内に入れられてしまうから、もしかするとそれすらカップルらしさを含んでいないのかもしれない。

 俺たちの間には、問題だらけだなぁ。

 まあ、それでも俺たちは動かないんだろうけど。

 お互いに淡白なまま、幼馴染のカップルを続ける。

 いつか、偽物から本物に昇華する日を信じて。

 ただ。

 カップルに昇華して、あいつと『幼馴染』でいられなくなるのはなんだか嫌だな。


 ♡ ♥ ♡ ♥ ♡ ♥


 昼からの授業は体育で占領されていた。今日は男女混合で器械体操に励むことになっている。

 体操服に着替え、ポケットに手を突っ込む朝川(あさがわ)がぼうっと体育館の天井を仰ぎ見ながら一言。

「俺跳び箱でタマ打つってトラウマがあんだけどどうしたらいいかな?」

「トラウマと二度目に対峙して今度こそ克服して見せろ」

 朝川はひでーっと冗談めかした口調で非難してきた。コイツとは中学からの付き合いで、俺と維月の間柄を的確に評価した本人でもある。普段は間の抜けたところしかないように思える奴だが、何かとクラスの中心にいることが多くて頼られることもしばしばある。成績は俺と同じくらいで平均と下の中間。体育も得意な方ではない。まあ言ってしまえば取り立てて特徴のない普通の男子高校生だ。

 俺と朝川は今日の授業で使うマットや跳び箱、ロイター板といったものを倉庫から引っ張り出し、準備に精を出していた。

「ってかこんな時期に体育とかねぇ?」

「あぁそうだな」

「お前運動得意な方だろ。ちょっとは手加減しろよ」

「やだね、俺はこれでもいい成績を狙ってんだ」

「国語と体育しかできないくせに」

「やかましい」

 このように雑談というか、思い付きを会話にねじ込んだような話をしながら重厚感のあるマットを放る。バフッ と柔らかい布団に飛び込んだ時のような音がした。

 俺はまだ準備が完了していないことを周囲を見渡すことで確認し、もう一度倉庫へ向かう。

「ところでさ」

 それに追従してきた朝川は、話題の転換を謀った。

「このクラスに立嶋弘嗣(たてじま ひろつぐ)っているじゃん? あいつ、お前の彼女のこと狙ってるって噂だぞ。気をつけろよ」

 俺は多少の興味を惹かれ、その話題に一旦足を止める。朝川の表情はいつものような飄々としたそれではなく、警告を発するに相応しいものだった。

 立嶋ねぇ。

 成績優秀だが運動はからっきしのモヤシという印象の強い優男で、『爽』という漢字を擬人化して出来上がったようなイケメンだ。別に俺はそいつのことが嫌いでもなんでもない。誰に対しても微笑みと優しさの姿勢を崩さない気のいい奴と表現しておけば差し支えないのが奴だった。

 そんな紳士が維月に惚れたって? へぇ、見る目があるじゃないか。ただ俺のことが見えていないらしいのは気に入らないところであるが。

「まあ、気をつけておく」

 俺は偶然目にとまったそいつを発見して、特に何の感慨もなく見つめてみる。マットを運ぼうと一人で奮闘していた女子を手伝い、何度も「ありがとう」と謝礼を繰り返す同級生に「いやいや」と謙遜した態度をとっていた。俺ならばあんな芸当はできない。

 優しい奴だというのは知っている。

 一か月でもそれが理解できるくらいには立嶋と関わりがあったからだ。

 まあそれも維月との関係を進展させるための伏線を張っていたと知れば途端に見方が変わるが。

「ねえ、手伝ってよ」

「あ?」

 立嶋の善行に心を洗われている(という冗談を思いついている)と、後ろから声がしたので振り返る。学校指定の体操服に身を包んだ維月が一人でロイター板を運んでいた。いやぁ大変そうだなぁ。

「ロイター板くらい一人で持てるだろ」

「あんたみたいな野蛮人と一緒にしないで、私は非力なのよ」

「ほぉ、俺を一発K.Oするほどの実力を持っているのにか」

 こいつには生涯、胸の大きさの話について触れないでおこうと考えた瞬間だったなあれは。

「いいから手伝いなさいよ!」

「あ、浅田さん。僕が手伝うよ」

 お、お?

 俺、朝川、維月の視線がそこに集った。

 この『僕爽やかですから』オーラをひしひしと感じさせる声の持ち主は、言うまでもなく立嶋だ。俺は伸ばしかけていた手を引っ込めてしまう。代わりとでも言うように、立嶋が維月とロイター板を持った。不思議そうな顔をしながらも「ありがとう」と素直な維月。

 立嶋は顔のまわりにハーブのエフェクトでも纏うような微笑みで維月への返事とした。

 うーむ、俺の伸ばしかけた手の行く先について責任をとって頂きたい。まあ素直になれない俺の行動が災いしただけなんだけど、なんだろうこのやるせなさ。自業自得だと認めようとしない自分がいる。

「おいおいいいのか? お前彼女とられるぞ」

 朝川の助言。俺は脳内で開かれかけていた会議の場を畳んで現実に意識を戻す。維月の方を見ると「なんで手伝うわけ?」と自分の疑問を速攻で消化しに掛かっていた。その声には一切の愛想を含まず、立嶋を少なからず警戒しているのだと悟らせる。しかし立嶋は愛想と爽やかさが無限にあふれ出るような笑顔で「重そうだったし」と、何でもなさそうに理由づけをした。

 維月はその答えにさして興味がないようだった。

「どこぞの誰かさんとは大違いね」

 聞えよがしに大声を発していたが、俺はその誰かさんを探すだけにとどまる。どうやら鏡を見ないことには発見することも叶わないらしい。世知辛い世の中だぜ。

「んー、お前本格的に頑張った方がいいぞ?」

 朝川は俺にそう勧めて、自分は跳び箱組み立て隊の方へ走り去ってしまった。あいつは面倒臭がりの性格か、それとも根がいい奴だからか理由はわからないものの、こういった修羅場(のような空気)を極力避ける傾向にある。薄情な奴じゃあないんだけどねぇ。

 そうやって一人残された俺は、維月に何やら話しかけて頑張っている同級生を見つめてみる。

「浅田さん器械体操できそうだよね」

「なんでそう思うの?」

「体軟らかそうだからかな。僕は硬くてこういう競技に向いてないんだ。まあ運動全般が苦手なんだけどね、アハハ」

「そう」

 一人愉快そうな立嶋にさっぱりした返事をする維月を見ていると、なんか立嶋がかわいそうになってくるな。まあ維月のああいう態度は今更という感じだから違和感はないけど。

 立嶋は維月の突き放したような返事に頬を引きつらせたり、苦笑したりといった表情の変化は一切見せなかった。自分の弱みをみせまいと躍起になっているような奴の態度は底を覗きづらい。

 やがて維月と立嶋がロイター板を跳び箱の前に設置し、維月が歩き出したのを見計らって立嶋も動き出す。俺がずっと維月を凝視しているのが気になったのか、本人が俺の前まで歩いてくる。当然のように立嶋も俺に対峙する形となった。なんだこの修羅場。

「なんで手伝ってくれなかったの」

 維月の険しい視線。立嶋はヘラヘラしていた。

「俺を一発で沈めるくらいの実力を持っているからてっきり平気だと思ってな」

「言ったでしょ、私は非力なの」

「そうか、以後気をつけるとしよう」

「そうして」

 維月は険しい視線から一瞬、柔らかさを含んだ眼つきになった。たった一瞬だったので、気づかない奴も多いだろう。隣でニコニコしている奴が代表例だ。

「もうそろそろ授業はじまるよ。行こう」

 立嶋は和やかな微笑を崩さず、不快感を与えない程度の言葉を選んで言った。

 俺と維月はそれに無言で集合場所まで歩き出す。勿論立嶋も付いてきた。

 俺を真ん中とするパーティは構成されず、立嶋が維月の横に回ったせいで中心軸が維月となった。朝川が教えてくれた噂の件は、どうやら信憑性があるらしい。背の低い幼馴染の頭越しにそいつを窺うと、なんと眼があった。微笑で少し盛り上がった温厚に見える眼だ。まあ見える、っていうだけで実際は俺の腹の中を探ってきているのかもしれないし、本人なりの挨拶のつもりなのかもしれない。実際のところは不明瞭だが、なんとなく穏やかな雰囲気でないような気はした。

 俺は男の顔を見て心が満たされるような人間ではないので、不毛な視線の火花を散らし合いをやめて前を向いた。体育教師を前方に、徐々に生徒が整列していく。俺たちと立嶋も、その流れに便乗した。

 ……あ。

 立嶋からの視線を維月に移せばよかったんじゃないか? いや、なんとなくだけど。

 俺は気の締まらない思考でそんなことを考えながら、列に入り込んだ。

 体育教師は整えられた陣形を見て出っ張った顎を不自然に引き、満足げな様子をアピールする。

 次に大声の挨拶がそいつの口から飛び出し、俺はともかく生徒の気を引き締める。ちらりと維月の方を見やると、その横に立嶋が見えた。

 んーむ。別に嫌いじゃなかったはずなんだがなぁ。

 どうして、今はこんなにもその面がイライラする原因になってるんだ?


 ♡ ♥ ♡ ♥ ♡ ♥


 放課後。着替えを終えたらしい維月が俺に近寄ってきた。

「ほら帰るわよ。さっさと用意っ!」

 人差し指を俺の眼前に突き出して、勢いよく宣言。そのときに俺は元気のいい子ねぇ、と小学校の先生に頭をなでられていた維月の昔の姿を思い出した。思い出しながら今のそいつを見てみる。どうしてもその顔ではなく、胸や腰付近へ目線がいってしまうのは御愛嬌というものだろう。年を重ねるのが勿体なく感じられるほどの美少女面は、しかし昔から特にこれといった変化はないため俺の注目を浴びることはなかった。

 俺は教科書の類はすべて置いて帰る、即ち俗に言われる置き勉を実践している男なので鞄は比較的軽い。用意だって時間を掛けない。それでも俺が遅れているのは、今日の授業に起因していた。

 授業自体は特に関係ないのかもしれないが、後片付けに手間取ったのだ。

 以下、回想。


「わ、わわわわわわわわっ!」

 俺は阿呆みたいに「わ」を繰り返すその声に振り向くと、ドラゴンの皮膚のように分厚いマットが突進してくるのが目に入った。続いて、みぞおち付近にマットの突きが入る。

「うぐぅ!」

 俺そういえばドラゴンの皮膚なんて見たことないのに、よくそんな表現を……とか走馬灯のように思いながら、背中が壁と正面衝突した。背中なのに正面とは実に複雑だが、背中側からすれば正面だろうという屁理屈は成り立ちそうなので言い直しはしない。

 ところで、今なんで俺こんな状況に? 呼吸が苦しいんですけど。

「あ、あ、あっ、ご、ごめんなさい! 大丈夫!?」

「こ、これが大丈夫そうに見えるか……?」

「み、みえまひぇん……」

「そうだろうな、俺今色々腹から出そうだもん。顔蒼くなってそうだもん」

 俺は責めたわけではないんだが、向こうはどう受け取ったのか小さい体をさらに一回り小さくした。

 小顔で控えめな性格を表している眉、さらにそれを際立たせる垂れ目がすでにそいつの性格を物語っていた。髪の毛はふわっとしたボブカットに切り揃えられており、見た目はキレイというよりも可愛いに属するタイプの女子だ。確か、名前は相崎美衣(あいざき みい)……だったはず。

「ご、ごめんなさい、な、なんか持ってこようかっ?」

「何を持ってくるんだよ」

「しょ、消毒うぇぎっ……、消毒液とか……」

 うわぁ、話しづれぇ。舌噛んじゃったよこの子。計算か? 計算ずくなのか?

 維月の姿を探してみたが、あいつは体育が終わるとすぐに更衣室へ向かってしまった。当然、その姿はない。

「消毒液じゃあ、治らんでしょうよ」

「じゃあ包帯っ?」

「今の俺には優しさだけで十分です」

 これ以上ボケをかまされると、関西風ツッコミ『なんでやねん』が飛び出してしまいそうだったので遠回しながらも何もいらないことを伝えた。

 それから俺は相崎が一人で謝っているという点から、ある予測をしてその確認をする。

 やっぱりか。道理で俺に突進してくるわけだ。いや、俺はただ不運だっただけだけど。

「なんで一人でマット持ってるんだよ……」

 俺は相崎の鼓膜を揺らさないほど小さい声で溜息をつく。

 どうやらマットが重くて支えきれなくて、バランスを崩して危なっかしい足取りになっていたらしい。そこへ不運にも俺がいたものだから事故が起こってしまったというわけだ。

 なんたる不幸。

「ご、ごめんなさい……」

「あ? あぁ、別にいいよ。もう痛くないから」

 相崎はしかめつらの俺に怯えたように謝罪を漏らす。おおかた俺が不機嫌だとでも誤解したんだろう。

 俺の顔は無愛想で怖いと定評があるからな。

「とにかく、手伝うから一人で持とうとかすんな! いいな!」

「えあ、ひゃい!」


 ……、とまあこういうわけで俺は着替えるのがほかの男子よりもかなり遅くなってしまったのだ。俺より早くさっさと更衣室へエスケープしていた維月は言うまでもなく、教室で遅くなった俺を待っていた。

「早く」

「わかってるっつーの」

 何をそんなに焦ってんだか……、と心の中で愚痴りつつ、体操服を詰め込んだ鞄を引っ掴んで立ち上がる。維月はそれを確認すると足早に教室を出た。

 じゃねぇや、出ようとした。

「やぁ浅田さん。よかったら今日一緒に帰らない?」

 まるで機会を窺って飛び出してきたかのように、そいつはうまいタイミングで現れた。

 今トイレから偶然帰ってきましたよみたいな雰囲気の美少年は立嶋だ。

 そいつに行く手を阻まれ、維月の進行は停止す「邪魔」切り捨てた。

 どうやら維月の眼中にないみたいね、立嶋は。少し驚いた風な顔をする爽やかボーイは続いて教室を出る俺を見て一瞬だけその顔に苦みが灯った。が、それもすぐ消えた。んー、なかなかいい顔できるじゃないかキミィ。まあ興味ないけどねハハハ。

 俺が睨むと、すぐに立嶋は地面に助けを求める視線を送った。俯いたのを確認してから、少し満足感に浸って維月の後を追う。

 ハハ、なんだかんだ言って俺もあいつのことがちゃんと好きなんじゃないか。心配して損した気分だ。

 維月に追いついて、並んで歩きだす。

 歩調は少しずつ合い始めたようである。

 よぅし、いい感じだ。

 俺たちはいい感じに、『幼馴染』の『カップル』を続けている。



 次の日、俺は思ってもみなかった状況に遭遇する。

 頭の中が真っ白になった。

「おはよう」

 なんと、爽やかな朝に最高に爽やかな野郎が現れやがった。

 隣に維月が迷惑そうな顔をしていたのだけが、このときの俺の救いだった。



 

 はじめまして、蛍火という者です。よろしくお願いします。面接みたいですね。

 つたない文章力ながら頭の中にあるお話を一生懸命になって書き綴ってしまいました。自分で読み返すと文法の誤りにすら気付かずいるような気がして戦々恐々としているのですが、ここまで読んでくださり誠にありがとうございます。

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