お宅訪問
狩人たちの昼食は手持ちの弁当だった。意外にもそれは日本ふうの、米とおかずをつめたもの。おにぎりと野菜の煮物のようなものと、餃子に似たものだった。
当然ながら二人前しかないのでエリの食べるぶんはない。そこですこしだけお裾分けしてもらい、その後すぐに二人の家にお邪魔することになった。
「見渡す限り家どころか木さえも生えてないけど。どこに住んでるの?」
おにぎりを食べながらエリが聞く。肉や根菜をたくさん入れた混ぜこみごはんのおにぎり。スタミナ食のようだ。
「走ったらすぐだよ。日が傾く前に帰れる。クスノキさま、走るの苦手そうだけど大丈夫か?」
「…あんまり得意じゃない」
走るって…。
視界に入らない場所に、どれくらい走ったら辿りつけるのだろう。エリは空腹で足元はヒールだし、とても行ける気がしない。
顔色の変わったエリに、ファルカが気付いた。
「もしかして、クスノキさま。…大丈夫ですよ、本当に走るわけではありません」
「はい?」
「えっ?本当に走るつもりだったのか、クスノキさま。家に着く前に日が暮れるぞ」
驚いたカナリアが、口からぼろぼろとごはん粒をこぼしながら話す。その口元を軽くぬぐってからファルカが小さな鍵を取り出した。
それはバイクに似た代物だった。違うのはやたらとスイッチやレバーがついているところ。その他は75ccくらいの小型のバイクと変わらない。そう見えたのに、ファルカがそれに鍵を差し込むと、ふわり、微かに機体が浮いた。カナリアも自分のバイクにまたがった。流れる髪と黒っぽい機体がよく合って、かっこいい。
「どうぞカナリアの後ろに乗ってください」
ファルカの言う通り、カナリアの後ろへ座ろうと手をかける。どうやって浮いているのかわからないが、力を入れてもバイクはびくともしない。乗ろうと足をあげるエリのワンピースの裾を、虎がひいた。
「え、なに?行くなって?」
虎はすぐに裾を離すものの、すがるような目を向けた。エリは右手を伸ばし耳のつけねをかいてやる。かわいそうだが背に腹はかえられない。寝る子と空腹には勝てない。小動物ならまだしも、こんなばかでかい肉食獣(多分)を民家に連れていくわけにもいくまい。
エリはそのままバイクに飛び乗った。
「ごはん食べてくるだけだから~。いい子にしてなさいよ」
狩人たちは不遜な言い方に眉をひそめるが、口には出さずにエンジンをかけた。微かな振動が伝わる。ファルカが先に走っていく。エリがつかまっているのを確認して、カナリアがスタートした。
てっちゃんは、バイク乗りだった。遠出のときには大きなバイクの後ろにエリを乗せてくれた。涙も鼻水も垂れ流しになってしまうエリは、実はあまりバイクの後部座席がすきではなかったが。
今回はエリも、運転手でさえヘルメットをかぶっていない。それでも安全なことがエリにはわかった。エリの顔には風もほとんど当たらない。見えないシールドで、風から、それにたぶん衝撃からも騎乗者が守られているのだろう。風を感じられないバイクなんててっちゃんはきらいだろうな、とエリは思う。さっきから、彼のことばかり考えていた。
「着きました。なにもないところですがどうぞ」
ファルカの言葉に顔をあげた。本当になにもない…その家以外は。
その家は草原のど真ん中にぽつんと生えた木にそうように、これまたぽつんと建っていた。風景には似合わない木造のおんぼろ家で、辺りには芝かり機や古タイヤ、トタンの物置小屋がある。周囲にはやはり山も町も見えない。エリは恐る恐る口を開いた。
「ふたりで、ここに住んでるの?」
「そうだ。安心しろ、部屋も食い物もあるから」
カナリアがそっけなく答え、さきに家に入っていく。ファルカが物言いたげにエリを見ていた。エリと目が合うと笑みを作って家へといざなう。エリは落ちていたへびのおもちゃをまたいでドアをくぐった。
奥から、カナリアがなにかを刻む音が聞こえる。手伝うと言ったが、断られた。
「そのかわり」
カナリアが真顔で言う。
「後で教えろよ…巨乳体操」
エリは、マントを脱いだカナリアの胸部に目をやり、目を見てうなずいた。
台所と部屋続きに食堂がある。本とよくわからない仮面やら人形ののった机を片付けていたファルカが、いちばんふかふかのクッションの置かれたいすをエリに勧めた。そして自分はその90度右側に腰掛け、小言でエリに問いかけた。
「先ほどの話…まことなのでしょうか」
その目は真剣だ。異世界の話かとエリが口を開きかけると、
「胸が大きくなるとは…?」
その目はやはり真剣だ。ファルカも妻の胸に悩んでいたのだろうか…。エリは知っているままを口にする。
「わかりません。わたしが実践してたわけじゃないから。友達がやってたのを知ってるだけです。胸の筋肉を鍛えるとか、豆乳を飲むとか…」
「では確実ではないのですね?」
「そうですね。ざんねんながら」
「いいのです!」
ファルカが破顔してエリの手をとった。
「カナリアはあのままがいちばん美しいのですから!余分な脂肪のないなめらかな曲線!強気な彼女のたったひとつのコンプレックス!それが一層いとおしいのです!」
余分な脂肪だらけの自分を顧みて、エリはひきつった笑みを返した。
「よかったです、あの美しさが損なわれる方がなくて。ただ柔らかいだけの肢体になど魅力はないのです…。しっかりした肉の感触がなければ。その点カナリアは…」
カナリアには聞こえてない、らしいのをいいことにファルカは思う存分彼女の魅力について語る。どこもかしこもぷよぷよで悪かったな、と思いつつ、エリのなかのファルカ像が音を立てて崩れていった。乳について、こんなに熱く語る人だったのか…。
食事の終わったあと、エリはすぐに眠ってしまった。てっちゃんの夢が見たかった。
…こんなに女々しかったかな、わたし。
自分でも驚くほど考えるのは、家族でも友達でもなくあいつのことだ。
家を用意できるまではここにいていいという。虎の住みかがわからないため、すぐには住居を作れないそうだ。すぐに帰るんだから、家なんていらないのに、と、エリは口には出さなかった。