わたしのおうち
「どこって、そりゃ神使さまがいたところだろ?」
延々続く話に焦れたカナリアが口をはさむ。
「それならば神々の世界か、それに類する場所ということになります。失礼ながら…わたくしにはそうは思えません。神使さまのおっしゃり方もそれとは違うように思います」
カナリアの言葉に、後ろを振り返って答えてからまたエリを見る。ファルカは少し怒っているように見える。
「どこからでもいいじゃねえか。なんかまずいのかよ」
「クスノキさま。あなたには…あなたの世界が、生活があったのでは?」
「はぁ。そうですけど」
なにを当たり前のことを。エリは眉を寄せた。魔法のあるような世界だから、魔法で人でも作り出せると思ってるんだろうか。
ファルカが思い切って、口を開く。
「あなたは、あなたの本意でなくここにやってきたのですか?」
うなずく。
腑におちた。そういうことか。
文化の違いだ。この人たちにとってはこの虎は神にも等しくて、その意思は絶対なのだ。だから人ひとり虎が連れてきたって驚かない。なぜなら人は虎に従うものだから。
異郷の人とやらにしてもそうだ。どっちみち、彼らも虎に影響される世界に住んでいる。彼らが虎の力を信じないだけで、その力を知ってしまえば従わざるを得ない。だって虎はそういうものだから。
そうではない文化があることを、どうしてかファルカは知っている。そもそもそうでなければ虎の現れたときの話をしなかったはずだった。カナリアにはわからないようだが。
知っているからといって、ファルカは虎には逆らわないだろう。エリを帰してくれることはない。
「なにを言ってんだよ、お前ら。神使さまが無理矢理クスノキさまを連れてきたって言ってんのか?」
気色ばむカナリアに、ファルカは優しい顔を向けた。
「そんなはずはないでしょう。クスノキさまは気付いたらいきなりこちらにいらっしゃっていた、とおっしゃっているのです。神使さまのお声を聞くことは難しいですからね。事前の意思疎通ができなかったのでしょう」
おお、当たってる。確かに気付いたらここにいたのだ。てっちゃんと手を繋いで歩いていたのに――。思い出して、エリはこぼれんばかりに目を開いた。
「あっ!」
急にエリが立ち上がった。カナリアもファルカも虎さえも驚いてエリを見た。
「ど、どうかされましたか…」
「戻らないと…!てっちゃんが心配する、いきなり消えちゃって…。どうしよう、てっちゃんが心配する」
焦ってその場を行ったり来たりするエリを、心配そうにファルカが見上げる。
「落ち着いてくださいクスノキさま…」
そう言うファルカもおろおろするばかりだ。カナリアがぽかんとして彼を見つめる。慌てる彼が珍しいのか。
「クスノキさま――え、なんですか神使さま」
うろうろするばかりのエリを後目に、虎はまた笑っているように見えた。ファルカがエリの手を掴み、名前を呼んで顔を向けさせた。
「大丈夫です。あちらの時間はこちらより遅く進むと神使さまがおっしゃってます」
「時間が…」
エリは小さく息を吐いた。体の力が抜けたのがファルカに伝わる。
「遅く…?」
安心させるようにようにファルカが微笑む。不安げだったエリの顔が淡く微笑んで、それからその目が吊り上がった。
「だからなんだっていうのよ!はやく戻らなきゃ…」
「大丈夫です、クスノキさま!よければあちらの時を止めるとも神使さまはおっしゃっています!」
そこでようやくエリは落ち着いた。
「時を止める…」
「はい。ご安心ください」
なんでも出来るのか、この虎…。
エリは横目で虎を見た。虎は満足そうにごろごろ喉を鳴らしている。猫みたいに目を細めて。
それなら…とりあえずいいか。てっちゃんに心配かけないなら。……帰してくれる気はあるんだよね?
ファルカが困惑した顔をエリに向ける。
「しかし…時の進みが違うということは…。異世界ということですか…?やはりクスノキさまは神々の住まう世界から…」
「さあ、どうなんでしょうねぇ…」
日本には八百万の神が住まうというし。
ファルカはずいぶん混乱してきたふうだった。どう見てもエリは神の類ではない。しかし異世界から来たのであればヒトではない、なにかのはずだ。少なくとも彼の世界からすれば。しばらく前から話を聞くのを放棄していたカナリアはすっかり退屈して、今は四つめの穴を掘っている。その穴に緩く土を被せてカナリアが口を開いた。
「話もいいけどそろそろ飯にしようぜ。もう昼をひとつ過ぎてる」
飯という言葉にエリの腹が反応した。なんやかんやで忘れていたが、ずっと空腹だったのだった。