思い出(幼なじみ)
思えば長い付き合いだ。
初めて会ったのは小学校へ入るすこし前、てっちゃんが隣に越してきたときだった。そこは元々てっちゃんのおばあちゃんのうちで、おじいちゃんが亡くなったあと一人暮らしをさせておくのも不安だからと転勤を機に同居するようにしたんだそうだ。
初対面のてっちゃんは顔じゅう傷だらけでおまけに足にはギプスをはめていた。
引越しがいやでいやで、全力で暴れ回った挙句ガラスを突き破って窓から飛び出たんだそうだ。信じられないばかだ。
てっちゃんはばかで乱暴もので、口は悪いし顔もこわい。笑ってるのを見たことなんて片手で数えるほどしかない。いつだってわたしをばかにするし叩くし睨むし無視するし絶対やさしくなんかしてくれない。ばかのくせに。
ばかのくせに、てっちゃんはわたしと同じ高校に入った。
「信じらんない。ばかのくせに」
「うるせ」
並んで合格発表を見た。
小さいころから大きかったけど、いまはほんと、見上げるほど背が高い。じっと見上げていると、視線だけをこっちに送った。
高校に入ると、話す機会はほとんどなくなってしまった。てっちゃんは文系、わたしは理系コースだったから同じクラスになることもない。このまま離れていくんだろうなと思った。
高校一年の、終わり。
「楠、加藤のとなりに住んでるんだって?」
話しかけてきたのは同じクラスの若槻くんだった。いつも中心にいるような、明るくて元気な子だ。
学校に加藤は何人もいたけれどすぐ思いつく加藤はひとり、てっちゃんだけ。
なんで知ってるんだろう。同じ小学校でも知らない子のほうが多いのに。
そう聞くと若槻くんは人なつっこい笑みを浮かべた。
「加藤に聞いたんだよ。部活おんなじなの。意外でしょ、柔道部」
ああ、てっちゃんは柔道部に入ったんだ。知らなかった。
離れていくのが普通だと思ってた。なのに、わたしの知らないてっちゃんがいることが、ひどく悲しくなった。
気持ちは表情には出なかったようで、わたしと若槻くんはてっちゃんの話をして笑い合うことが出来た。それから若槻くんとはよく話すようになった。
それが変わったのが、終業式。
久しぶりにてっちゃんと話をした。
クラスのみんなで打ち上げをした帰り、若槻くんに呼びとめられた。生まれて、初めて。告白をされた。
「おれ、好きなんだ。楠のこと。……おれと付き合ってください」
なんて返したのかはもう覚えていない。とにかくすごく緊張して焦ってしまって、…ただ謝った、と思う。
若槻くんが、
「うん。いいよ。…ちょっとわかってた。楠が話すの、加藤のことばっかりだもん」
そう言って笑った。
わたしは恥ずかしくて申し訳なくて、ふわふわした泣きそうな気持ちで一人帰り道を歩いた。
そんなはずはないのに、そんなこと言われてしまうとわたしがてっちゃんを好きみたいじゃないか。しかもそれを、わたしを好きだと言ってくれた人に言わせるなんて…。
はやくお風呂に入ろう。それからすぐ眠って、朝起きたらもっとちゃんと考えられる頭になってるはず。
正直に言うと、告白されたのはうれしかった。うれしかったはずなのに、なかったことにしてしまいたい…。最低だ。
うれしいやら申し訳ないやらで、早足で歩くわたしの目の前に影がさした。
もうすぐ家につく。
うつむいていた顔をあげると、てっちゃんがそっぽを向いて立っていた。
立ち止まったわたしに気づいて視線だけを送る。心臓がはねた。
…てっちゃん。
こんな。
こんなばかなやつ、わたしが好きになるわけがない。意地悪で根性悪で態度も悪い――
「…おかえり」
またそっぽを向いててっちゃんが言った。懐かしい声。久しぶりに聞く。
自分の顔が赤いのがわかった。こんなの見られたくない、と思って下を向く。夕暮れどきでよかった。てっちゃんの表情は見えない。たぶん、わたしのも。
「ただいま」
声を搾りだした。そのまま、ぐるぐる巻きのマフラーに顔を隠して前を通りすぎようとした。
「…なんかあった?」
足が止まった。
「……別に…なんかって?」
知ってるんだ。このばか。
もう、はやく家に入りたい。このばかと一緒の空間にいるのはもうたえられない。心臓が働きすぎて、足の先まで脈打っているのがわかる。
「なんもないならいい」
そう。ならもう行くよ。はやく落ち着いて、ゆっくり考えたい―――。
ぽん、と頭に手がのった。体がびくっと震える。動けない。顔をあげられない。こんな顔見られたら恥ずかしすぎる。
「エリ」
てっちゃんがわたしを呼ぶ。
ばか。呼ばないでよ。あんたに名前を呼ばれると、なぜかわたしは強く出られない。
あんたがわたしの本を破いたときも、ぬいぐるみを引き裂いたときも、金魚を逃がしてしまったときも。
ごめんの一言も言わないくせに、このばかが怒るわたしの後ろに立って、ただ名前を呼ぶだけでわたしの怒りは半減してしまう。われながら情けないことに。
恐る恐る顔を上げた。
にやりとしか笑えないてっちゃんが、その笑顔でわたしを見ている。
軽い衝撃があって、目の前にてっちゃんの胸があった。懐かしい匂いがした、と思った次の瞬間にはそれは離れて、ぽかんとするわたしを残したままてっちゃんは家に入っていった。
…なに…いまの。
抱きしめられた?
……なにかの間違い?
…じゃないといいと思ってしまう。すぐに離れた体温が、匂いが、いつまでもぼんやりと体に残る。
もう一度、ぎゅっとして欲しい。
…ってなに考えてるのわたし!なんで、なんで一回抱きしめられたくらいでこんな気持ちになるの!?わたしそんなにちょろい女なの?
誰も来なかったのが幸いだ。薄暗い道端で、街灯に灯りがともるまでわたしは熱い頬を手ではさんで立ちつくしていた。
――なんで、なにも言わないで行っちゃうの?
それ以降、てっちゃんとしょっちゅう出くわすようになった。登下校。休み時間。でも言葉をかわす訳じゃない。朝は黙々と歩くエリのあとをてっちゃんが悠々とついて歩く。休み時間、なぜかエリの教室に来るてっちゃんとは目も合わないこともある。
始めはドキドキして気まずかったけど、わたしを見もしないのに気づくとてっちゃんがそこにいるのに慣れてしまった。すこしくらい目が合ってもいいのに…と思わないこともなかったが、ただ視界の中にてっちゃんがいて、てっちゃんの声が聞こえるだけで気分が高揚するのも事実だった。
それでもわたしは認めない。
てっちゃんのことなんかすきになるはずない……今更。